第6話 初の逢瀬へ。
「次のお休みはいつですか?」
二人向かい合って取る夕食時、美耶子は意を決して尋ねた。
予想外の質問だったのだろう、菊吉は少し言葉を詰まらせる。
「お美耶と長くいられる日なら、明後日辺りになる。すまない、私の仕事に休みはないんだ」
「では明後日はいつ
「正午の少し前には、予定が空いているはずだが」
「では四条へ遊びに参りましょう」
お里の受け売り情報を並べて、興味を引くように仕向けてみる。話を聞く様子を見るに、通い慣れているという風ではない。
しかし菊吉はふむ、と
「少し遠くはないか」
誤算だった。てっきりお里が進めてくるので美耶子は山を下りればすぐだと勘違いをしていた。実際はもっと遠いところにあるのだろうか。
「わかった。
機転を利かせた発言に美耶子は顔を上げる。美耶子の想定以上に乗り気なのか、それとも
「ええ……明後日、楽しみしています」
菊吉はそうか、と小さく返事をして、空になった食器の前に箸をおき手を合わせる。箱膳を持って立ち上がろうとするのを見て、美耶子は伸ばしかけそうになった手を止めた。菊吉は幸いその行動に気づくことなく部屋を出て行った。
家の前から美耶子の名を呼ぶ声が聞こえてくる。周囲に家屋のない場所だといえ、そう何度も叫ばれては恥ずかしい。
美耶子は姿見に全身を軽く映して、確認をした。
黒髪の上で輝く巷で流行りの
外の人がもう一度大きな声で名を呼ぶので、赤に桜が舞う
「お待たせして申し訳ありません」
屋敷の前には、稲荷を象徴する紋が刻まれた小ぶりの駕籠、そして体格のいい
菊吉が手配したもので間違いない。
「倉橋家の
「到着は四条河原の予定やけど」
「ええ、お願いします」
中へ促されて、美耶子は衣服に気をつけながら身を収めた。伏見稲荷大社からの駕籠なので上質ではあるが、少しばかり窮屈だ。しかし短い間だ。黙って揺られることにする。
今朝も菊吉はいたって変わりない様子で出かけて行った。いつも通りの格好に、いつも通りの言動。いや、少し言葉は堅かったような気もするが。
四半時も揺さぶられていれば、にぎわう声が外から漏れ聞こえ始めた。子供がきゃっきゃと駆け回る土の音や、今日の演目は
それからすぐに駕籠は動きを止めた。ゆっくりと地面に下ろされ、外に出ようとすると何やら話し声が聞こえてきた。声の主は河内訛りの駕籠舁と、もう一つ。ぼやけて判別できない。
美耶子は
目の前にすらりとした足元を捉えてぎょっとした。菊吉が今朝着ていったものとは違う。それにいつもはもっと地味なものを好んで着ている。
「お勘定は先にもろてるから、気にせんでな」
駕籠舁の声が頭を出した美耶子に言った。
顔を上げると、けれど、やはりそこには菊吉がいた。眉を下げて目を泳がせている。なかなか出てこない美耶子を心配に思ったのか、菊吉はしゃがみ込んで手を差し伸べた。
「足でも
「い……いえ」
美耶子は我を取り戻し、慌てて立ち上がる。 駕籠から出るなり、駕籠舁は来た道をすぐさま引き返していった。人の少ない通りで下ろしてもらったため、行く人は美耶子と菊吉くらいだ。
しかし菊吉の服装にどうしても目が吸い寄せられてしまう。出会った日から、若いのだから派手なものも似合うだろうにとやきもきしていたが、実際目にしてみると少し目に毒だ。
これは二枚目が過ぎる。もちろん、この人は男装の麗人であるのだが。
「……どうしたのですか、そのご衣裳は」
さりげない問いに、菊吉は少しだけ驚いた表情をして羽織の内側を見下ろした。
そうです。その小袖です。
菊吉は少し照れたように首筋を掻いて、口を開く。
「これは……、仕事場の人間に午後の予定を教えたら、用意してくれたものだ。あまりに強引だから着替えてきたのだが……どこかおかしいか」
なるほど。美耶子は腑に落ちた。
これはこの人の趣味ではないのだ。しかしどなたか存じ上げないが、美耶子の今の格好ととても相性がいい。枠に嵌りすぎているような気恥ずかしさすらじわじわと覚える。
いけない、こんなことを考えている場合ではない。今日は楽しむために誘ったのだから。美耶子は袖の中で腕の内側をつねり、菊吉へ空模様と同じ晴れやかな笑顔を向けた。
「それでは参りましょうか」
菊吉は小粋な格好に慣れないのか襟元を軽く引っ張っていた指を離してから、ぎこちなく頷いた。
平日だが腕を伸ばせば人にぶつかってしまうくらいには賑わっている。美耶子は播磨にいたので、京にこれほど人がいるとは知らなかった。もし今日雪が降っていれば足元が滑って危なかったかもしれない。目移りする街並みにあれこれと頭を巡らせながら足を進める。
「菊吉さまはこういった場所にどれくらいの頻度でいらっしゃるんですか」
きょろきょろと目を動かしている美耶子に対して、菊吉は静かに歩いていた。菊吉は考えるそぶりを見せると「季節の変わり目の度に一度だけ」と簡潔に答える。人の多い場所は好かないのだろうか。それとも格好による弊害か。
美耶子は表情の読めない菊吉の手を思い切って引いた。
「では」
菊吉はぎょっと目を剥いて、たたらを踏む。
「今日一日、わたしにお任せ願えますか」
「あ、ああ。構わないが……」
そして袂の中に忍ばせているお里からもらった冊子の重みを感じながら、その場所を目指した。
歌舞伎の人気ぶりを肌で感じ、少しばかりひるんでしまう。しかし菊吉は見慣れたものなのか、あるいは気にも留めていないのか、歩幅を縮めた美耶子に気づかず
「ここだな?」
美耶子は少し遅れて頷く。菊吉は何か言いたげな目線を送りつつも、中へと足を踏み入れる。そして下足番を見極めるとさっと履物を預けた。店内は大店らしくずっしりと構えていて、張り替えたばかりの畳から
菊吉は丸に桃の抱き紋が刻まれた羽織をまとう店員の中から初老の者と目を合わせる。男性はすぐさま深みのある笑みを湛え、何が入り用であるか尋ねてきた。
「ほら。お美耶」
「二代目葉山綾之丞の手ぬぐいをお探しですか」
店員にやわらかい声色で問われ、しばらく思考を巡らせる。
美耶子ははっきりと首を横に振ると、お里に教えてもらった巾着の仕立てについて訊くことにする。
それでしたらと、ここで待つように言われ、二人きりになったところで菊吉の袖を軽く引いた。
「お好きな柄を教えてください」
菊吉は軽く目を瞠ると、美耶子の顔をまじまじと見た。
「お美耶が来たかったのだろう。遠慮はしてくれるな」
「いえ、わたしは菊吉さまと楽しみたくて参ったのです。人目もありましょう?」
店内はひしめき合っているほどではないが、近くの客の話声が聞こえてくるほどには密集している。
「気になるものがありましたら、これはどうかと勧めてくださいませ」
「しかしお美耶」
「何でしょうか」
「気遣いはうれしいのだが……私はよく、わからない」
眉を下げて、声を潜めて言った。
「それは──」
つづける言葉が見つからず、語尾が間延びする。
よくわからないとはどういうことだろう。男性としての生活が長すぎるとはいえ、好みが捻じ曲げられていることなどあるのだろうか。美耶子はそっと自身の玉虫色に塗られた唇を撫でる。菊吉はこれをきれいだと言った。あれは何だったのだろう。
不安げな表情を視界の端にとらえながら、美耶子は顎に手を添えうつむく。
そこへたくさんの染め物の切れ端を抱えた男性が戻ってくる。
「これらが見本になります。
矢継ぎ早にまくしたて、店員は気分が上がっているようだ。自慢の店なのだろう、確かに品ぞろえもよい。しかし……。
美耶子が隣に腰を据えている方へ目を向けると、やはり予想通り眉を下げて口を閉ざしていた。
「もう少し落ち着いた柄はありますか? ええと……総柄で」
絞りも素敵だが、齢二十幾つが持つには幼すぎる。美耶子のものならちょうどよいのだろうが。
そうして並べられた染物に身を乗り出した。菊吉がまるで他人のように遠くから眺めているので、美耶子はまた軽く袖を引っ張る。
口にはしないが目線で促す。すると菊吉は口ごもらせながら、反対に美耶子の帯へ手を伸ばしてきた。
「お美耶は暖かい色の方が好みか」
美耶子は問われて、きれいに並んでいる布にふと目を向けた。どれも美耶子に似合いそうな暖色ばかりだ。横目で菊吉をちらりと確認する。菊吉が赤や桃を選ぶなら、よりはかなげな青みがかったものの方が似合いそうである。
「いえ、紫はございますか? 赤みが少ないもので」
「お持ちしましょう」
そして取り揃えられたものは、美耶子を頷かせた。暗い色の持ち物が多い菊吉には
「これで作っていただけますか?」
菊吉が選んだのは、
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