くるみ割り人形ー創造の国と三人の王妃ー
橘 流依
プロローグ
小さくも勇敢な王の心臓に捧ぐ
微睡みに揺蕩う命に姫君の祝福があらんことを
ある年の冬 トウキョウ
窓ガラスに少女の横顔が映っている。
彼女の目線の先には都心の喧騒の中、年末を思い思いの場所で過ごそうと行き交う人々の姿があった。
ぼんやりと眼下の賑わいを眺めていた麻理衣は自身が声をかけられたことに気付き、振り返る。
「篠原さん、課題は進んでる?」
「いえ、まだ」
麻理衣は服飾専門学校に通う学生だ。修了制作で提出する課題の大まかなイメージはあるものの、核となる題材が未だ決まらずにいた。
「貴女、2年コースだったわよね?留学コースに編入してみたらどう?」
「編入ですか」
興味がない訳ではなかった。無論、本場ヨーロッパで腕を磨けるのはデザイナーの卵として誰もが憧れることだろう。しかし、留学したとてすぐにデザイナーとして独り立ちできる訳ではない。
費用や学生生活に費やせる時間を考えると麻理衣にはとても勇気のいる決断だった。
「課題の出来次第では留学費用の免除も推薦してあげられるわ。真面目に頑張っているようだし、年明けの発表を楽しみにしているわね」
「はい」
ポンと麻理衣の肩を叩き教師は微笑んだ。
「良いクリスマスを」
教室はスクラップ帖や衣装、布地を抱えた生徒で溢れかえっている。
帰省をする者、友人と過ごす者、バイトに明け暮れる者、デザインに没頭する者。
課題のテーマが決まらないまま、冬休みを迎えてしまった麻理衣は浮かない表情だ。休暇を喜ぶ仲間たちの輪に加わりながら、どこかうわの空で相槌を打つ。
不仲な母だけが待つ実家に帰省するわけもなく、年末であろうとただ淡々と日々をこなすつもりだった。楽し気な周りとの温度差を悟られぬよう、無理に上げたテンションのせいで心に暗雲が立ち込め始めている。
「麻理衣、お疲れ様!課題進んでる?」
彩が山のような荷物を持ち駆け寄ってきた。明るい友人の声に少し気持ちが軽くなる。
「それが全然。テーマが決まらなくて」
「やばいねー私も決まったはいいけど凝ったデザインにし過ぎてもうすでに腱鞘炎」
「大丈夫?もう今日実家帰るんだっけ?」
「うん。お正月は毎年恒例のハワイだよ。お土産買ってくるね」
年末年始は海外か。いいな。
家族での明るい思い出に乏しい麻理衣はちくりと胸が痛んだ。
「どうしたの?なんか元気ないね」
心配そうな彩の表情に一瞬で暗い気持ちを締め出す。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけ」
「ならいいけど。麻理衣は実家帰んないんだよね?家で課題?」
「うん。バイトもないし、課題とゲームだよ」
「またルミナス?飽きないね」
「ほかにやることないしね」
「引きこもって寝てばかりいたらだめだよ」
「うんうん」
「じゃあまた年明けに。カウントダウン終わったら電話する!」
「わかった。ハワイ楽しんで」
「麻理衣も。よいお年を」
外に出るとどんよりとした厚い曇り空の下粉雪がちらつき始めていた。コートの襟を掻き合わせながら駅へと急ぐ。
そこここからクリスマスソングが聞こえている。
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