殺し屋転生庶民令嬢、生前殺スキルで魔法学園改革
青白
第1章 killer is dead
1
――ああ、そうか。私は死ぬ前、殺し屋だった女だ。
泣き腫らした自分の顔を鏡で眺めながら、キアラ・サヴァトーは思い出した。
自分の生前の記憶。主に言われるがまま、あらゆる者を手に掛けてきた自分の咎。そしてその末路。
(……で、生まれ変わったのがこの女の子ってことなんだ)
頬に滴っていた涙をハンカチで拭いつつ、改めてキアラは自分の容姿を鏡で観察する。
死ぬ前の自分は日本人だったが、この女の子は明らかに西洋系の容姿だ。赤みが掛かった高いところで結ばれた短めのおさげ髪。目鼻立ちはしっかりしているが色白のせいでそばかすが目立ち、整ってはいるが地味な相貌である。今の自分の無表情が相まって、一重の眼差しに少し威圧が籠もってしまっている。
(この学園では、中の下って感じだね)
冷静に自分の見た目を観察して思う。学園、というのは今キアラがいる場所だ。キアラには生前を思い出す前、キアラとして過ごしてきた記憶もちゃんと残っていた。
ここは学園内の女性用化粧室である。記憶を取り戻す前、キアラはこの場所で洗面台にもたれ掛かって一人静かに泣きじゃくっていたのだ。
(さてと。戻ろうか)
化粧室を出て、そのままキアラは自分の教室へと向かう。その途中、すれ違う別の生徒たちのどこか同情的な眼差しと、冷めて蔑むような眼差しをそれぞれに受けた。侮蔑的な視線は、決まって身なりのしっかりした少女や少年だ。ブレザーの制服の胸ポケットに刻まれた紋章が、その身分を物語っていた。あれは、上級貴族の子である証だ。怯えと同情を表情に浮かべている者たちだ。
「あらぁ、サヴぁトーさぁん? あなた随分お手洗いが近いのねぇ。あたくしのお話、まだ途中だったのだけれど。随分我慢が効かないみたいねぇ」
教室に戻るなりさっそく絡んできたのは、教卓に座ってこの場の女王様ヅラをしているマリジア・フォレだ。ハーフアップにした黒色の髪は、手入れしていますと主張強めに艶めいている。せっかく容姿も無駄に金をかけて整えているだろうに、底意地の悪そうな薄ら笑いで台無しだ。こいつは本性を内側に隠すのが随分ヘタらしい。いつもの取り巻きの女生徒を脇にはべらせて、周りに自分をアピールしていた。……必死なことだ。
「ご心配どうも」
キアラはちらりと彼女に目を向けただけで自分の席に座った。先ほどまでのキアラを泣かせたのはマリジアだ。陰湿な嫌味といたずらで自分より下の立場の生徒をいじめる。そのせいで教室はいつも自分がその標的になるのではないかという緊迫感が走っていた。
(ああ、そうか。今の私、キアラ・サヴァトーは下級貴族の娘だった)
だから当然、マリジアに目を付けられている。今の態度もやはり彼女の気に障ったようで。
「あぁ? お前、マリジア様が律儀に話しかけてるのに何だその態度? またお花摘みに行くかぁ?」
取り巻きの体格のいい女が、キアラの机を叩く。大きな音が鳴って周りがびくっと竦むのがわかった。キアラはじっとその取り巻きを見上げる。
「何か。お返事はもういたしましたけれど。まだ続きがあるんですか、今のお話」
「おい、いい加減にしろよお前ッ……! その甘ったれた態度ッ……ぐぉッ⁉」
ブラウスのリボンが付いた胸倉を掴まれかけたので、すかさず小指を掴んで思い切り捻り上げた。突然の痛みに顔を歪める彼女に近づいて耳元で言う。
「悪いけど、引っ込んでほしいかな。私がビビったから情けをかけた感じで戻っていただけると」
「ふざけッ……いたいッ……!」
「小指、折るよ。この世界だと治療は回復魔術だっけ。あれ、骨が折れる時より激痛らしいね」
取り巻きは精一杯虚勢を張って睨み返してきていたが、こちらの目を見て本気だと察したらしい。キアラが手を離すと、慌てて離れた。
「ふ、ふん……っ。そんなに怯えられたら仕方ないな。容赦しといてやる……」
涙目で曲げられた小指を抑えながら取り巻きが引っ込んでいく。ちょっとぎこちない演技だけれど、まあ及第点。マリジアもこちらがビビって固まっていると判断したらしく、「さぁてと。そろそろ授業が始まるから、楽しい交流もここまでね」と満足げに席に戻っていく
教室の空気は、今のところ完全に彼女に支配されている。ここでは出自的な意味でもっとも彼女の立場が高いのだ。地位と権威と金があるものが幅を利かせる。それはどの国、どの世界でも同じようなものらしい。キアラはそういう歪んだ現状を腐るほど見てきた。今更珍しくもない。
「……ねえ、カヤさん? 放課後、よろしいかしら」
自分の席に戻る途中。マリジアが隅の席で縮こまるようにしていた少女の肩を掴む。カヤと呼ばれた少女は、身を竦ませつつも、俯きがちに小さく頷いた。マリジアはまた口を歪めて席につく。
マリジアは、特にカヤというあの子を執拗にいじめていた。全身ずぶ濡れで教室に帰ってきたことも、怪我や痣を何とか制服で隠していることも、キアラは知っている。精神的だけでなく肉体的にも彼女を傷つけているようだ。
生前キアラはひどい現場も見てきた。目の前で拷問され悶えながら死んでいった者も、精神的に追い込まれて自ら命を断つ者も山程目の当たりにした。
だからこれは、それらの記憶に比べたらほんの可愛いものの範疇なのかもしれない。
(――だけど、不快ではあるな)
握り込んで自分の掌についた爪の跡を眺めながら、キアラは思う。
2
放課後になった。少し前ならキアラは暮らしている一般生徒寮にびくびくしながら戻っていた。いつマリジアに声を掛けられるかと怯えながら。
だが今日は、カヤの後を密かにつけていた。これからマリジアに呼び出された場に向かうのだろう。すっかり背中がこわばって縮こまってしまっている。
場所はどうやら校舎の陰の雑木林らしい。あそこは人が通らないから目につかない。そこでマリジアがカヤに何をするつもりなのかは明白だった。
足音と気配を殺しながら、木々の隙間におぼつかない足取りで入っていくカヤを追う。葉が犇めいているせいで傾いた陽の光も届かない陰鬱な場所。いじめと暗殺にはもってこいか。
「……来たわね。あたくしを持たせるなんて、あなたもずいぶん偉くなったわねぇ、カヤさん?」
びくっとカヤの足を止めさせたマリジアの声。相変わらず三人の取り巻きを従えて堂々と木の隙間から姿を見せる。
「ご、ごめんなさ……ッ」
「あらぁ、何を謝ってるの? なぁに? あたくしが待たされたくらいで怒るような器の小さい女に見えるのかしら。失礼じゃない?」
「そ、そんなつもりじゃ……」
さっそくいちゃもんが始まって、カヤは所在なさげにおろおろとしていた。
キアラは、さりげなくマリジアたちの背後に回る。
「何よ、小さな声でぶつぶつと。あたくし、はっきりしない子は嫌いなのよねッ!」
マリジアがどんとカヤの肩を押して、その尻餅をつかせる。後ろに付く取り巻き三人たちも、視線も意識も完全にカヤとマリジアに向いていてすぐ後ろにいるキアラに気づく様子もない。素人のガキ三人。この距離なら一秒掛からず全員やれる。死体の処理が面倒だから、意識を奪うだけにしておこう。この世界に処理屋がいるとは限らない。
「さぁてと。じゃあ今日も、私のステラの練習に付き合ってくださるかしら。あなた、丁度いい的になるのよねぇ」
立ち上がれずにいるカヤに向かって、マリジアは手を突き出してみせる。正確には、中指にはめられた指輪だ。いつも自慢げにつけている派手な装飾のそれは、ただのアクセサリーじゃない。
怪しげな紫の光が、ぼうっとマリジアの背中越しに瞬くのが見えた。
あれはステラ、と呼ばれる魔具だ。日本では御伽噺で語られ、科学とテクノロジーにとってかえられた技術が、この世界では当たり前のように存在する。
すなわち魔法。そして魔力。ステラは、人の体に宿る魔力を魔法として外側に放つ道具。上流階級の生徒にのみ、所有を許されたもの。
当然、授業や訓練以外では使用を校則で固く禁じられている。だがマリジアはこれからも守る気はないようだ。
カヤが隠していた痣や傷の原因はこれか。……なるほど。大義名分としては充分だ。
キアラは踏み出す。取り巻き三人の首に手刀。どてっぱらに拳。続いて膝蹴り。全員意識喪失。二秒掛かった。やはりこの身体だと生前のように俊敏にはこなせないか。
取り巻きの呻き声と倒れた音でこちらを振り向いたマリジアの口を、詰め寄って手で塞ぐ。そしてステラの宝石を嵌めた中指を、思いきり上に捻じ曲げた。鈍い音が鳴る。
「ッ~~~──!!」
やかましい悲鳴が掌の向こうでくぐもって聞こえた。キアラは涙を滲ませて歪んだその目をじっと覗き込む。膝を着こうとしたので今度は手首を捻じ曲げて強制的に立たせる。喚く口は塞いだままだ。
「ステラに魔力を注ぐのをやめて。じゃないと次は薬指を折る。回復魔法でも元通りにならない風に」
わかった? 薬指に指を掛けると、マリジアは必死に首を縦に振りながらステラの光を収めて行った。キアラは手首を放してやり、彼女がひざまずくのを許してやった。叫ぼうとしたので、両目に人差し指と中指を触れる一ミリ手前まで突きつけた。
「静かにしてないと、目を潰す。眼球の構造は複雑だから、これは回復魔法じゃ治せないよ」
マリジアが唇を噛んで、泣きながら必死に頷いた。キアラはその目を覗いてから、立ち上がってその腹に膝蹴りを叩き込んだ。崩れ落ちた彼女が吐瀉物で窒息しないように気道を確保してから、地面に転がす。
「大丈夫? 怪我は?」
「だ、大丈夫、だけど……」
カヤに歩み寄って手を差し伸べたが、彼女は困惑気味にこちらを見つめ返すだけだった。それはそうか、とキアラも手を引っ込める。
「た、助けてくれてありがとう。でも、彼女は……」
言いかけたカヤに、キアラは人差し指を唇に当てて囁く。
「大丈夫。あなたは何も心配しないで。次の手は決まってる」
お大事に。言ってキアラはカヤに肩を貸し、そのままこの場を離れる。歩けると伝えてきたので、そのまま先に行かせた。
「カヤ! どうしたの、大丈夫⁉」
雑木林の外にカヤが出た途端、駆け寄ってくる者がいた。
(あれは──アオイ・エレジアルナ?)
見覚えがある、なんてものではない人物だ。この学園──アストロノミア学園の二年生の有名人。最上級貴族、エレジアルナ家のご令嬢。
美しい瞬き、という呼ばれる通称通り、日の下で見える彼女は太陽の光を帯びた金色の髪を瞬かせている。まるで彼女の周りを光が舞っているようだ。まるでビスクドールのような容姿。高い身長に長い手足。それでいて、その佇まいに一切嫌味な所はない。同じようなものを持っているマリジアとは正反対の人物だ。
アオイはカヤを抱き留めて、無事を確認している。カヤは慌てふためく彼女を苦笑いしながら宥めていた。
(あの二人の関係はやっぱり──)
キアラは木陰から二人の様子を窺い、彼女たちが校舎に向かって歩いていくのを確認してから、その場を離れた。
3
「ふっふっふ……金というのは何て美しいものなんだろうなぁ……」
禿げ上がった体格のいいの男が、大げさな装飾の机に座って唾をつけた指で札束の勘定をしている。
「よし、今月も大分稼げたな。あいつに高い装飾品の一つや二つ、買ってやるか」
男は満足げにまとめ上げた札束を袋に詰めると、そのまま悪趣味な動物のはく製に囲まれた書斎を進む。そして自分の大きな肖像画の前に立つと、横にずらす。レールが裏に付いているそれは簡単に動いた。
その奥には金庫がある。裏金と公にできない帳簿などがしまわれていた。
が、男は唖然とする。金庫が空いていて、中身が空になっていたからだ。
「なっ……ぐあっ!?」
キアラは後ろから男を押さえつける。男は自分の肖像画に自分の顔を押しつける体勢になった。
「な、なんだ!? 誰だ貴様! どこから入ってきた!?」
「ずっといたよ。あなたが部屋に入ってきて間抜けなこと呟きながら金の勘定してる時から」
――一応聞くけど、シエーモ・フォレ本人だよね? キアラは男の腕を捻りながら尋ねる。つまり、マリジアの父親だ。
「そ、そうだ! 俺に手を出したらどうなるかわかっているのか!」
「……権力者の命乞いはどの世界でも共通なんだ。私は、無駄話が嫌い。だからゲームをしよう。あなたが余計なことを言ったら罰ゲーム。わかった?」
「くそっ、夜間警備の奴は何をやってる!? 誰かいないのか! ……ぐあぁッ!?」
「ブー、はずれ。マイナス一ポイント」
キアラはシエーモの手の甲にペーパーナイフを突き立てた。彼の右手は肖像画に張り付けられる。ナイフの刃元から鮮血が滴り出した。
「な、な、何が目的だ……。金、金か? 金ならいくらでもある! いくら欲しい!」
「マイナス二ポイント」
右手に突き刺したペーパーナイフを捻る。シエーモが唾を垂らしながら喚いた。
「マリジアのことで交渉したい。今、この屋敷の寝室ですやすや寝てる小娘ね。彼女に泣きつかれたでしょ。学園で嫌な目に遭わせた奴に報復したいって。それ、やめられる? あと、あのガキが二度と学園で女王様ヅラしないように釘刺しておいて」
「なんで、そのことを……!? む、娘が何かやったのか……ぐおぉッ!」
「マイナス三。持ち点がなくなるよ」
左手にフォークを突き立てる。厨房から拝借してきた。シエーモは完全に肖像画に磔になった。
「娘に、学園では大人しくしてろって言って。それで彼女の言うことは今後一切無視して。じゃないと、この裏帳簿を公にする」
キアラは苦痛と涙でぐしゃぐしゃになったシエーモの顔の前に、紙の束を突きつける。
シエーモが管理している裏賭場の売り上げ。退屈を持て余した上流階級の者を相手にした、高額レートのカジノだ。もちろんこの国でも、法律では固く禁じられている。
こっちでは治安を司るのは警察組織でなく騎士団という機関だ。そこに垂れ込めば投獄は免れない。
が、これが公になって一番危険なのは、客の上流階級の者たちを敵に回すこと。そうなれば、間違いなくこいつは家族ともども暗に葬り去られるだろう。権力とは、そういうものだ。こいつも所詮、その上流階級の澱に過ぎない。今まではこの帳簿が保険になって何とか成り上がっていたようだが、邪魔になれば消される。それだけだ。
「や、やめろッ! それだけはッ! 頼むやめてくれッ! な、何でもするから! 何でも言うことを聞くッ!」
「娘を学園で大人しくさせて。冬のナマズみたいに」
「そ、それだけ……? それだけでいいのか……?」
「私は無駄話が嫌い。はい? いいえ?」
「わ、わ、わかった! 大人しくさせるから!」
シエーモが慌てて頷いたので、キアラは彼の手にあてがった二本目のフォークを下ろした。また帳簿の束を見せつける。
「これは貰っていくね。私のことは探らないように。お前も、大人しくしていて。娼館で買った女に、痛めつけてもらって楽しむのもやめた方がいいよ。家族と社交場のお友達に知られたくないでしょ」
「な、何で知って……! お、おい、行くな! これを外してくれ! おいッ!」
肖像画に両手を固定されたままのシエーモから、キアラは目を離さないまま後ろに下がって部屋を後にする。ドアを閉めると防音性があるのか、彼の喚き声はほとんど聞こえなくなった。
キアラはそのままフォレ邸を後にする。中庭の門から出る時に、入り口に転がっている見張りが起きていないのを確認してから、素早くその場を離れた。
4
翌日。キアラの教室のマリジアは、冬のナマズどころか萎れた花の蕾のように大人しく、自分の席で縮こまっていた。
取り巻きたちももう彼女から離れて居心地が悪そうに自分の席に着いている。教室内はそんな彼女たちに対して安堵というよりも、困惑に近い空気が流れていた。皆、どうしたらいいものか、顔を見合わせて判断しかねている様子だ。
(これでようやく、こっちでは静かに過ごせそう)
机に突っ伏したキアラは、昨日夜更かしした分だけさっそく居眠りの姿勢に入ろうとした。そこで視線に気づく。
ちらりと目をやれば、前の席にいるカヤがこちらを見ていた。まあ、この前の現場に居合わせた彼女なら、マリジアの急激な変化にこちらが関わっていると気づくか。
キアラは顔を上げると、自分の唇に人差し指をあてがって彼女に見せる。半分お願いと、半分脅し。まあ、一番マリジアの被害をこうむっていた彼女が漏らすことはないだろうが。目は離さないでおこう。
さて寝るかとまた突っ伏したら、今度は廊下の方が騒がしくなる。教室の扉が開く音。室内も驚きの声で溢れかえる。
足音がこちらに向かってくる。キアラが体を起こすと、教室中の視線を集めている少女がこちらの席の前に立っていた。
アオイ・エレジアルナ。最上位貴族の一つ、エレジアルナ家の娘で、この学園で知らぬ者はいない有名人。
彼女はそのビスクドールのような相貌に真摯な眼差しを携えて、キアラを見据えていた。
「キアラ・サヴァトーさん。少しだけお話、よろしいかしら」
(…………ようやく、静かに過ごせそうだと思ったのにな)
内心渋い顔をしながら、選択肢もなさそうなので仕方なくキアラは席を立つ。
「ごめんなさいね。少し、人気のないところまで歩くわ」
そう言ってアオイは先導する。カヤの件だろうか。てっきり詰められるかと思っていたが彼女には取り巻きがいない。やはりマリジアのような者とは格が違うといったところか。
結局、場所はこの前カヤがマリジアに連れ込まれた雑木林になった。アオイほどの有名人なら校舎内だと人目を引いてしまうらしい。
「……アオイ先輩。ご用は。始業のベルが鳴る前に手短に」
「ええ。分かってる。率直に聞くわ。――キアラ・サヴァトーさん。あなた、何者?」
こちらを観察するような、アオイの深い青の目。……綺麗なその眼差しを向けられると、少し居心地が悪い。自分が白日に晒されているような気分になる。
「キアラ・サヴァトーです。一年のスピネルクラスの。ご存じですよね?」
スピネルは中級〜下級階級の生徒のクラスの名称だ。そこから越えられない高い壁の向こう側が、エメラルド、サファイア、ダイヤと続く上級貴族のクラスになる。生まれでクラス分けされて、そこから敷かれたレールを辿る。アオイはもちろん、その中で一番頂点のダイヤクラスだ。
アオイは更に少し一歩距離を詰めて、キアラを見つめてくる。真っ直ぐすぎてさすがにキアラも目を逸らしそうになってしまうほどだったが、警戒は解かない。ここまで近い距離で注視されるのも初めてかもしれない。
「……なるほど。あくまでとぼけるつもりね。あまり上手くはないけれど。カヤのことを助けてくれたでしょう? ──私の妹よ」
アオイがさっそく本題に切り込んでくる。まあ、そう来るだろうと思った。
カヤが話したのだろうか。……いや、そんな感じじゃない。彼女の目には妙な確信と揺るがない自信があった。まるで自分で、こちらを覗いていたみたいだ。
それに、やはりカヤは彼女の妹だったようだ。青い瞳に始まり、彼女たちの顔立ちは美しく似通ったところがある。
だが名字が違う。カヤは姓がポヴェルナだった。……おそらくは、腹違いの妹だ。公にはしていないだろうが、おそらく周知の秘密なのだろう。マリジアがやけにカヤに当たりが強い理由がそれだ。
「さあ、人違いでは? 私はどこにでもいるような庶民の小娘ですが」
「そのどこにでもいるような庶民の小娘が、マリジア・フォレの屋敷に警備の人間二人を一瞬で気絶させて侵入できるのかしら。そして書斎の隠し金庫の場所をすぐに特定し、そこにあった裏帳簿をネタに父親のシエーモを脅すことも? 随分器用な一般人ですこと」
少し驚く。そこまで知られているとは予想外だった。
ごまかすのはもう無理そうだ。知られた原因よりも、現状の打開。アオイの次の言葉次第では、手っ取り早い方法が一つだけある。
……しかし彼女は、どうもキアラが考えているようなことを口にするとは思えなかった。下卑た提案をしてくる輩は、大抵目に濁りがある。彼女には一点の曇りもない。初めて見るタイプだ。だから少し、彼女に興味を持った。
「……まあ仮に、私がその一連のことをこなした庶民だとしましょう。で、それを踏まえてあなたの用件は? 始業ベルがあと五分ほどで鳴ります。出来れば手短に」
「そうしましょう。……キアラさん。あなた、私のこと手伝っていただけないかしら?」
──これからこの学園で行われる、クローチェ選抜会。私はそれに、立候補するつもりなの。彼女は迷いなく言い放つ。
クローチェ選抜会。クローチェというのはいわゆるこのアストロノミア学園のトップだ。校則の変更やあらゆる行事の予算など、学園に関わるあらゆる事象に携わることが出来る。アオイがその立場に選ばれたら、学園を運営している理事会よりも力を持つかもしれない。
当然それを疎ましく思う輩も出てくるだろう。……なるほど。大体彼女が言いたいことはわかった。
「……私にメリットは? これは交渉ですよね。お互いに利害が一致しなければそれはただの命令か脅しですが」
「まあ、その辺りのことはゆっくり時間をとってまた今度お話ししましょう。ここでは少々、密談には心許ないでしょう?」
「……そうですね。次は、私の真後ろで物騒な物を携えている方も同伴していただいて結構ですよ」
言いながらキアラはアオイのことも視界の端に捉えつつ振り返る。木陰から、すっと姿を現したのは立派な装飾の剣を携えた同じブレザーの制服の女生徒だった。ブラウンの髪を後ろの高い位置で結び、切れ長の眼差しで鋭くこちらを睨んでいる。腰のところの鞘に収まった剣の柄を握り、いつでも抜けるように構えていた。
彼女が口を開く。
「……いつから気づいていた?」
「アオイ先輩と一緒に校舎を出た時から。ずっと距離を取って私の背中に張り付いてましたよね」
アオイが小さく吹き出して口元を押さえた。
「つまり最初からね。ふふっ、やっぱりあなた、只者じゃないわね。その子はディレッタ・オニス。私の護衛よ」
アオイはキアラの前を通り過ぎて、ディレッタの方へと歩き出す。その間、ディレッタはずっと剣を握ったままこちらから目を離さなかった。
「じゃあ、また後で。いい返事、期待しているわ。キアラ・サヴァトーさん?」
振り返ってこちらを見たアオイは不敵に微笑んで、そのままディレッタと共に雑木林から去っていく。日向に出た彼女の周りを、太陽の光がきらきらと舞っていた。
(……今の笑い。様になってたな。ムカつくほど)
じっとその後ろ姿を日陰で見送りながら、そんな感情を覚えた自分に、キアラは少し驚いた。
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