第14話 反山崎派のデモと慎司の優しさ

 二人の間には気まずい空気が流れていた。

「ごめんね。こんな風にするつもりは無かった」

 どこからかカラスが飛来し、近くの電線にとまって鳴いた。

「私はそれでも慎司があの時の男の子じゃないとは思えない」

 狭いベンチに座ったままだけれど、二人の肩はもう触れ合っていなかった。

 返す言葉がなく、陽大はただ砂利を数える。

「それにもし慎司があの子じゃないとしても、慎司を好きな気持ちは変わらないから」

 山崎の事が好きな気持ちは陽大も変わらなかったけれど、山崎の言葉は罪滅ぼしにしか聞こえない。少なくとも今まで山崎が見てきたのは陽大ではなく、そこに重ねられた初恋相手の面影である。その事実が陽大の気持ちを沈鬱にしていた。

 その時、大通りの方から大勢の声が聞こえてくる。声はだんだんと近づいてきて、陽大たちのすぐ近くまでやって来た。どうやら何かのデモ活動をしている人たちのようだ。そんな集団から逃げるようにして、電線にとまっていたカラスが飛び去っていく。

 大通り沿いをプラカードや旗を掲げた人々が行進してくる。先頭の人が拡声器を持ち、その声に応じる形で後ろの人たちが叫んでいた。

「名古屋を汚すな!」

「名古屋を汚すな!」

「ライブ反対!」

「ライブ反対!」

 沈黙を埋めたい一心で陽大は聞いてみる。

「これ、何のデモ?」

 ふと横を見ると、両手で顔を覆ったまま山崎は固まっていた。まるで海外の美術館にある石像みたいだ。自分の存在をこの世界から少しでも消そうとしているようで、その儚さが陽大の心を惹いた。

「ライブだよ」

 小声で言うと、素早くスマホを操作して、顔を隠したままの山崎が陽大に画面を見せる。

「アフレイのライブが名古屋で開催されることが決まったの。それに対して、怒っているのだと思う」

 山崎が、アフレイの公式サイトを表示して見せてくれる。数時間前に発表があったようだ。

「ライブをするだけなのに、どうしてあんなに怒っているんだ?」

「私が来るのが嫌なんだろうね。私はファンを騙した裏切り者になっているから。このデモもきっかけはライブかもしれないけど、攻撃したいのはライブそのものじゃなくて私個人なんだと思う」

 目を細めて見ると、デモ隊の掲げるプラカードには山崎の顔が描かれているようだ。その上から赤いバツ印が塗られていた。数十分前、自身がxとかyになった気分だと言った山崎の表情を思い出す。

 再び会話が途切れ、何か埋め合わせるものがないかと必死に頭を働かせていると、ちょうど公園の横をデモが通過し始めた。大通りに背を向けてベンチに座る陽大達の後ろを人々が行進していくのが分かる。

 そして幸か不幸か、そのうちの一人に声をかけられてしまった。

「ねぇ、そこのお嬢ちゃん」

 話しかけてきた女は、刈り込んだ短髪を金色に染めていた。カーゴパンツにへそ丸出しのクロップドTシャツ。首には太い葉っぱのような形をしたネックレスを下げている。見るからにやんちゃそうな人だった。

「なんか山崎美鈴に似てなぁい?」

 女は、フェンスに腕を置いて山崎の丸まった背中を凝視していた。その堀の深い目と高い鼻のせいか、鷹のような威圧感がある。その白目は赤く充血していて、とても健常な人には見えなかった。

 山崎が山崎であるとバレたらいけないことは明らかである。だからといって話しかけられた以上、逃げるわけにもいかなかった。

 どうしようかと焦りに駆られていると、陽大の視界で何かが動いた。山崎美鈴が震えていたのである。天敵から身を守る小動物のように恐怖に耐えている山崎を見て、陽大の思考は停止した。

 陽大は、立ち上がると山崎の背中に手を当てる。それにどんな意味があるのか分からないけれど、体が勝手に動いていた。こんな事、どこで覚えたのだろうと自分でも疑問に思う。でも優しく手を添えられるととても安心できるのだという事を不思議と陽大は理解していた。

 発すべき言葉は見つからず、ただ背中に触れただけになってしまう。それでも幾分か落ち着いたようで山崎の震えは小さくなった。それが分かると、ベンチの後ろ側に回る。

「こいつは俺の妹の舞だ」

 濃い化粧のせいで分からなかったけれど、女は結構若いようだ。陽大達とそれほど変わらない、大学生くらいだろうか。

「何か文句あんのかよ」

 慣れない口調で陽大は唾を飛ばした。少しでも隙を見せれば負けると思い、女に対して正面からメンチを切る。手を出されたら潔くミンチにされるしかないと思った。山崎の前で情けない姿を晒すことになるけれど、どうせ自分は初恋の人じゃないのだ。

 女の視線が、陽大を逸れて後ろの山崎に向かおうとする。

「そっちを見るな!」

 陽大は、いつの間にか叫んで女に詰め寄っていた。

 後ろで山崎が、ガタッと音を立てる。それからギリギリ聞こえるくらいの小さい声で「慎司………」と呟いたのが伝わって来た。その声は、陽大への信頼に満ちている。それはまるで陽大の事を初恋の相手だと確信したような響きだった。

 女は、突然距離を詰めて来た陽大に驚いたらしい。そして今度はゆっくりと火傷の痕に目線が向かったかと思うと、慌てた様子でフェンスから離れた。ノーファウルをアピールするサッカー選手のように両手を上げる。

「ごめんて。別にからかうつもりはなかったのよ。ただちょっとムカつく人に似ている気がしたから。ね?お兄さんの頬の傷、相当の悪でしょ」

 そう言って伸ばしてきた手を陽大が払いのけると、デモ隊に紛れて女は遠ざかっていく。ふらつく足取りで時折大声で笑いながら去っていく女の背中を見て、彼女も少しだけ可哀そうだなと思った。

 しばらくするとデモの声は遠ざかって小さくなっていく。

 行進する人々がいなくなったことを確認すると後ろから山崎がふーっと息を吐く音が聞こえた。

「ありがとう」

 立ち上がった山崎が陽大の方を向き直る。緊張状態が解けて気が緩んだせいか、うっすらとした涙がその頬に流れた。よっぽどデモ隊が怖かったのだろうと陽大は思い、無事に通り過ぎてよかったと自分もホッとする。

 ただ陽大はまたかけるべき言葉を失った。自分は山崎美鈴にとって何者でもないのだと思うと、声をかける事すら躊躇われる。

 しかし山崎は違うようで、憑き物が落ちたようにニコニコとした笑みを浮かべ陽大の顔を覗き込んでいた。子犬のように背もたれに手を置き、上目遣いで陽大の事を見つめている。

「やっぱり私は慎司があの時の男の子だとしか思えない」

 笑顔で山崎は言う。かつてないほど優しく穏やかな口調だった。

「物理的な証拠は関係ないんだね」

「さっきは言わなかったんだけど、幼稚園の入試を受けた時、緊張して動けないでいた私の背中にあの男の子はそっと手を置いてくれたの。何も言わずに。私は、それがなぜだかとても嬉しかった」

 陽大は驚いた。無意識のうちにその男の子と同じことを陽大はしていたらしい。でもそれは関係なかった。たまたま同じことをする事だって十分にあり得るだろう。

「あの女の人から私をかばってくれている時の慎司は、成長したあの男の子にしか見えなかった」

 陽大は、どれだけ自分が初恋の相手だと主張されても実感が湧かなかった。陽大は、その男の子を知らない。でも山崎は、間違いなく自分に対して好意を向けている。それが陽大に対してなのか陽大に映る初恋の相手の面影に対してなのか。嬉しいと思うと同時に、どこかむずがゆさが無くならない。

「でも」

 山崎の声のトーンが変わった。子犬のような無邪気さは消え、大人の人間としてシックな憂いを抱えたような暗いトーンである。その変化は演技のようには見えない。むしろ実際に山崎の心が、その表情の表すとおりに動いているようだった。

「もし慎司があの時の男の子だとしても、私は間違ったことをした」

 自らに呆れ、悔やみ、責めるような口調である。

「私は慎司に、あの時の男の子を重ねて、その人格を押し付けようとしていた」

 山崎の顔が苦痛に歪む。

「自分がお金持ちと言うレッテルを貼られたことにあれほど違和感を抱いてきたのに。私は慎司の事をxとして使おうとしていた」

 陽大は、山崎の言葉を聞いて納得する。むずがゆさの原因はそれだったのだ。山崎からの好意を受けるほど、初恋の相手としての役割を要求されることになるのではないか。そんなことを無意識に考えていたのかもしれない。自身が、山崎にとってのxあるいはアイドルになってしまうのかもしれないと。

 その事に気が付くと、重りを切り落としたみたいにとフッと心が軽くなる。

「誰だって、相手の事を自分の物差しで測るものだよ」

 陽大は言った。

「ごめんなさい」

 山崎が謝る。華奢で冷たい手を使って顔面を覆い、静かに涙を流しているようだった。

「謝らなくて良いよ。その代わり、一つ聞いてもいい?」

 山崎の頭がこくりと縦に揺れる。

「僕は、舞の初恋の人じゃない。『初恋の相手のように』なんてことは考えず、自分が思った通りに舞の前で僕は振舞う。それでも僕の事が好き?」

 山崎が頷いた。

「慎司は慎司だから」

 その一言は、陽大の閉じた世界に穴をあけた。朝カーテンを思いっきり開けたように光が入り込んでくる。自らの全てが肯定されているような感覚。

 ベンチの後ろに回って来た山崎が陽大に手を差し出した。その手を取ると二人で歩き出す。靴が砂利を踏み、ザクッザクッと音を立てる。その音が山崎と重なってなんだか可笑しい。二人で揃って公園から出ると、山崎がハグをしてきた。まだ先ほどの罪悪感が残っているのか、動きがぎこちない。でもそれが嬉しかった。飾らない素のままの山崎が、ありのままの自分に寄り添ってくれている。それが何よりの幸せであり、唯一の希望のように思えて、陽大も山崎に腕を回した。

「私、死ぬときも慎司とこうして抱き合っていたい」

「死ぬときはまだ想像がつかないな」

「私たちが死ぬときは、二人でこの世界を満喫しきった時だよ」

「そんな日が来るのかな」

「来るよ。必ず」

 妙に真剣な口調で山崎が言ったので、思わず笑いが零れた。どうやら心の中で幸せが溢れてしまったようだ。

「そう言えばさ、さっきの答え聞かせてよ」

「さっきのって?」

「カフェで話していたやつ。I love you.をどう訳すかみたいな」

 顔を上げた山崎が、まじまじとこっちを見つめてくる。

「次からの参考にするから」

 山崎が言った。

 口にするのは照れくさかった。まるでその一言に自分の全てが詰め込まれているようで、それを話せば心の内が丸裸にされてしまう気がする。でもだからこそ山崎には聞いてほしいとも思った。他の人には打ち明けられない本音を山崎には預けたい。

「あなたを見ている、かな」

 山崎は、真剣な表情でその意味を捉えようとしていた。しばらく頭を捻りながら考える。分かったふりをしない事が陽大には嬉しかった。それだけ真剣に受け止めようとしてくれているのである。

 しばらく眉間に皺を寄せていた山崎だが、やがて自分なりに解釈することが出来たのか、深く頷いた。

「すごく素敵な表現だと思う」

 受け入れてもらえたことにホッとすると、急に耳が熱くなってきた。

「なんか、慎司らしい」

「僕らしいって何?」

「さぁ、分かんない」

「なにそれ」

 二人は笑い合うと、再び手を繋いで、第三公園を後にした。

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