漆黒の魔女は安易にバレンタインチョコを手渡したりはしない

毒蜥蜴

漆黒の魔女は安易にバレンタインチョコを手渡したりはしない 前編

「変に気を持たせたくはないから言っておくけれど、私は周りのお祭り気分に乗せられて安易にショコラを手渡すような真似をするつもりは無くってよ。」

一月も暮れのある日、いつもの帰り道の、いつもの十字路での別れ際にやおらそう告げてから、烏丸瑠璃からすまるりはこちらの返事も聞かずに、流れるような長い黒髪と、黒猫を想起させるマフラー、濃紺色ブルー・ネイビーのダッフルコート、黒いプリーツスカートの裾とを颯爽と翻して、そのままいつものように駅の方角へと去って行ったのだった。

あまりに突然のことであったので、いつものようにバス停へ向かうことさえ頭から消し飛んでその場でポカンと棒立ちとなり、ショコラという単語がフランス語でチョコレートを意味する、あの女らしい気取った呼び方で、つまりは2週間後に控えたバレンタインデーのことを言っていたのだと理解するのに十数秒を要した。


烏丸瑠璃は、さすがに学校で趣味のゴシック・ロリィタを身に纏うまではしないが、死神の鎌で前髪を切り揃えたかが如く見事な姫カットの黒髪、リップからネイル、アイシャドウに至るまで漆黒で染め上げ、うちのような平々凡々な公立校に入った唯一にして最大の動機だという瀟洒シックなデザインの黒いセーラー服の異様なまでの似合いようも相成って、校内で広く『魔女』というあだ名で呼ばれているのも無理はない、そういう女である。

周囲からの視線や教師からの評価など歯牙にもかけず己が道を黒ストッキングに包まれた細い脚で超然と歩んでいるあの魔女が、その仏蘭西人形のように青白い頬を桜色に染めながら手作りチョコを意中の相手に手渡すしおらしい光景など、確かにちょっと想像し難い。

それどころか、義理チョコや友チョコの類いだって眼中に無いことだろう。

いや…、待てよ。

本当に心の底からバレンタインに興味が無いのなら、さっきの発言自体が存在し得ないのではないか。

考えてみれば、チョコを手渡ししないとは言っていたが、それはその時その場にいた自分に対してのことで、他の誰かにそうしないとは烏丸瑠璃は一言も言ってないのだ。

本命チョコを渡す相手が別に存在したとしても、矛盾はしないわけである。

しかしそれにしても、こちらの期待を慮って予め釘を刺してくるとは、なんたる屈辱であろうか。

当方、甘味には目がないたちである。

チョコレートももちろん大いに好物だが、向こうに渡す気が無いというのなら、こっちだって別にへりくだって強請るつもりも無い。

それに、わざわざあんなことを言われなくたって、あの女のバレンタインチョコなど、そんなには期待していなかったとも。

だいたい、あの魔女がチョコを誰かに手渡しして、しかももしそれが手作りだったときた日には、きっとサバトの儀式みたいに不気味な調理方法でもって、中に小動物の血や臓物でも入ってるシロモノに違いないのだからして、そんなものを食わされる奴の方がむしろお気の毒というものである。

これは同情であって、嫉妬からの負け惜しみでは断じてない。

…それとも、烏丸瑠璃のような女でも、意中の相手の前ではごく普通の女の子らしく恋愛を楽しんでいたりするのだろうか?


烏丸瑠璃の学校以外での顔を初めて見たのは、去年の夏休みのことであった。

繁華街にて偶然に私服のゴスロリ姿に遭遇して度肝を抜かれ、暑くないのか、と尋ねたら、

「愚かな質問ね。」

と、黒い扇子を広げてパタパタと首の辺りを扇ぎながら、烏丸瑠璃は不敵に答えた。

「死ぬほど暑いわ。」

それから一体どういう流れでそうなったのか、二人でアイス屋に行くことになったのだが、見かけによらず抹茶のフレーバーを選んでいたのが妙に印象的であった。

もっとも、当方が一口で糖尿病になりそうなキャラメルやらチョコレートチップやらを盛り合わせた激甘フレーバーを選んだのを見て向こうも驚いていたから、御相おあいこであろう。

このファースト・コンタクトで分かったことなのだが、烏丸瑠璃という女は意外に根性があるというか、己の道を貫くのに剛腕を振るうところがあって、実質的に烏丸一人でやっている隠秘学結社オカルト・サークル──サークル活動認可の最低定員数三名のうち残り二名は実在するかも怪しい幽霊部員──が部活・サークル棟から追放される危機に陥った際、残留の為の条件として文化祭で目覚ましい活動をしてレゾンデートルを示すことを自ら提言し、出展物として悪魔学と数秘学に基づく『乙女の恋占い★グリモワール』なるものをデッチあげ、180部を完売して見事部室を確保してみせた例など、その典型である。

美術部の出展のかたわら、バフォメットやら逆五芒星やら──これらのどこをつねれば恋占いが出てくるのか?──を描くのを手伝わされた本人が言うのだから、間違いない。

とにかく、その後もハロウィンやらクリスマスやらの時事イベントを経て、今日のように下校途中の十字路まで二人で肩を並べて歩くようにまでなったのを、「あのひねくれ者で気ままな女相手にずいぶんと距離を縮めてみせたものだ」などと密かに自負していたわけなのだが、実はとんだ空回りの独り相撲でしかなかったのだろうか?


気を持たせないように、という前置きではあったが、烏丸の言葉は容易に解けない暗号と化して心中に焼きつき、結局バレンタイン当日まで頭の中でこだまし続けることとなった。

烏丸瑠璃は、いつもこうやって人に呪いをかけるのだ。

魔女め。

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