幼馴染にチョコを送ろうとした私、何故か刺される

てすたろう

第1話

 雪がしんしんと降りしきる夜、時雨しぐれあおいは小さく息を吐き、肩にふわりと触れるほどの髪を揺らしながら、街の展望台へと駆けていた。


 頬を刺す冷たい風。


 手の中でぎゅっと握りしめた小さなチョコの包み。

手袋越しでも伝わるわずかな温もりに、鼓動が早まる。


(大丈夫、きっとうまくいくはず……!)



 放課後、部活を終えた葵は、校門を出たところで友人たちに囲まれた。

ブレザーの襟を立てて寒そうにしている。


「絶対に上手くいくからね!」

「焦んじゃないわよー!」


 そんな声が、冬の空に弾むように響いた。

冷えた指先を、首元のマフラーにそっと押し当てる。

けれど、心臓の鼓動はそれ以上に熱かった。


不安と期待がぐるぐると絡まり合い、胸の奥でさらに熱を帯びる。


陽翔はると、待ってて……今、行くから!)


 背中に感じる友人たちの視線と、チョコの重みを抱えながら、葵は白い息を吐き、制服の裾をなびかせながら歩みを速めた。


 片思いの幼馴染のために、何度も失敗を繰り返しながら作ったチョコレート。

その小さな包みをそっと抱きしめるように握りしめ、葵は展望台へと歩みを進めた。


展望台にたどり着くと、そこには誰もいなかった。


(陽翔はまだ来ていないか……)


 ちょっと、残念な気持ちが白い息と共に吐き出される。

葵はカバンの中からスマホを取り出し、時刻を確認した。


 18時30分。

約束の時間より、三十分も早かった。


(あー……こりゃ、私が早く来すぎちゃったな……)


 思わず苦笑するが、胸の奥では鼓動が小さく跳ねている。

落ち着こうと深く息を吸い込むが、冷たい空気が喉の奥に染みた。


「……あとは、このチョコを渡すだけ」


 言葉にすると、指先がふるりと震える。


 カバンの奥にしまったチョコの包みを、そっと握りしめる。

シンプルなブラウンの小箱で、派手すぎず落ち着いた雰囲気を持っていた。

上には赤いリボンが丁寧に結ばれているが、よく見ると少し不揃いで、何度もやり直した形跡がうかがえる。


 とはいえ、不揃いであることに変わりはない。


「もうちょっと綺麗に結べたらよかったんだけどなぁ……」


 葵は小さくため息を漏らすが、もう結び直す時間はない。


 (大丈夫、陽翔はきっと気にしない。……たぶん。)


 心の中でそう言い聞かせても、不安はなかなか消えてくれない。

葵はふっと息を吐き、チョコをそっとカバンに戻した。


 ただ渡すだけなら簡単だ。

 けれど、それでは何の意味もない。

バレンタインは何の変哲もない日を特別な日に変えてくれる。

要は自分の気持ちを伝える。

そんな大切な日。

葵はそのように捉えていた。


 だが、いざ、本番という時に声が出なくては話にならない。

葵は口を開き、予行練習のように小さく声に出してみる。


「……陽翔、これ、バレンタインチョコ……」


呟いた瞬間、口の中が妙に乾いた気がした。

この言い方は自分らしくないと感じたのだ。


「これは……その、義理じゃないから……」


 ふと、握りしめた指先が微かに震えているのに気がついた。

義理ではないとは即ち、本命であるということ。

婉曲的であるにも関わらず、その言葉を自らの口から紡いだことが、ひどく気恥ずかしい。

それは、冬の冷気による震えなのか、それとも胸の奥で鳴り続ける鼓動のせいなのか。

自分の心さえ測れずに、葵はそっと唇を噛んだ。


葵は考えすぎるのも良くないなと思い、展望台の柵から街の風景を見下ろす。


 降り続ける雪が、街の光を優しく包み込み、まるで夜空の星々をばら撒いたかのような美しさだ。


 「まあ、こんなロマンチックを煮詰めたようなシチュエーションなら、鈍感なあいつでも大丈夫でしょ」


 そうして、自らの気持ちを鎮めようとする。

けれど、その胸の内には、期待と不安が溶け合いながら揺らめいていた。

葵はそっと指先を伸ばし、リボンの結び目に触れる。

ほんの少し歪んだその形が、まるで自分の心の輪郭を映し取ったかのように思えた。


 やがて、背後から足音が聞こえてきた。

足音が聞こえた瞬間、葵の指がピクリと震えた。


 (きた……!)


 息を飲む。

何度も頭の中で繰り返してきたはずなのに、今になってすべてが真っ白になる。

近づいてくる足音がだんだんと速まっていく。

それにつられるように鼓動も早くなっていく。


 葵は思わず、ぎゅっとチョコの包みを握りしめる。

歪んだリボンが指先に触れ、胸の奥がちくりと痛んだ。


 (リボンのことを指摘されたりしないかな……ちゃんと、言えるかな……)


 彼が、すぐそこまで来ている。

葵は、ゆっくりと振り返った。


――――その瞬間、腹部に鋭い衝撃が走る。


 時間が止まったかのように、世界が静寂に包まれる。

遅れて、じわじわと広がる痛み。

まるで、体の奥から何か大切なものが流れ出していくような感覚。


 「……え?」


 息が詰まり、喉の奥が焼けつくように熱い。

震える指先が、無意識にチョコの包みを握りしめる。

かろうじて、現実とつながる最後の感触。


 視線を上げる。

そこにいたのは、陽翔だった。


 目を見開いたまま、どこか遠くを見つめるような虚ろな瞳。

その手には、銀色の刃が握られていた。

雪の白さを引き裂くように、血の赤が滲んでいく。


 こんな表情を、見たことがなかった。

そして、こんなことをするはずもなかった。


 だからこそ、葵は困惑しているのだ。


 (どうして……?)


 疑問だけが、冷たく広がっていく。

体温がじわりと奪われていくのを感じながら、地面に崩れ落ちた。

視界が滲み、薄闇に溶けていく。


 最後に、指の隙間から赤いリボンがほどけるのが見えた。

そして、意識はゆるやかに闇へと沈んでいった。

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