事件編(2) パーティー
広い会場に四人だけ、というのはなんとも寂しいものだ。
笹森は周囲を見回す。白布を掛けた丸テーブルがいくつか。しかし、雪の影響で注文していたオードブルが届かなかったらしく、ほとんどのテーブルは空っぽだ。
会場の前方にはこぢんまりとした舞台がある。聞くところによると(聞きたくもない夢心地響子の自慢話なのだが)、この屋敷の前所有者がバレエの指導者だったらしく、こうして小さくとも本格的なものを用意したのだとか。
舞台側にある丸テーブル二つに、ありあわせの食材で作った大皿料理が並べられている。
夢心地が作ったのではない。早々に到着した笹森と磯倉に、彼女が作らせたのだ。どうやら、主人と客人の立場をいろいろと履き違えている(もしくはそもそも理解していない)らしい。
べちゃっとした野菜炒めを頬張りながら、笹森はため息をつく。こんな会のために、自分は手土産を用意して、早い時間から新幹線でこんな辺鄙な場所までやって来たのか。その上、普段しない料理を強要されて、自分で作ったとはいえこんなまずいものを食わされている。そう思うと、ふつふつと湧き上がるものがあった。
「編集長さまぁ、読者からの反応はいかがですか?」
べったりした声音。ファンデーションをやりすぎたのか、不自然なまでに白い夢心地の顔が、目と鼻の先にぬっと現れ、笹森は腰を抜かしそうになった。
「じょ、上々ですよ。またファンレターがある程度集まったところでお見せしますから」
「それならよかったわぁ」
この時代、SNSで感想を呟く者はいても、ファンレターを送ろうとまで思う人間は少ない。しかし、夢心地はファンレターが届いたら見せろとうるさいし、数が少なければ機嫌を悪くした。つまり、編集部が夢心地に見せているファンレターのおよそ半数は、職員たちによる偽装である。
「夢心地先生に連載していただけて、編集部一同、感謝しかございませんよ。今や、『暁』は先生のお力でもっているようなものです」
悔しいかな、それは半分本音だった。文芸雑誌の売れ行きは、ネットの興隆と反比例状態である。売れっ子が連載をもてば、それだけ固定読者が見込める。だからこそ、笹森はこうして好きでもない相手におべっかをかいているのだ。
「そう言っていただけると嬉しいわぁ」
「編集部でも話題になっているのですが、一作目と同じく、今作も世界をまたに掛けた心躍る作品ですね。ああいった発想はどこから得てみえるんですか?」
この質問をするのは何度目だろう。作風について訊かれるのを夢心地が好んでいると、笹森は知っている。そして、同じことを繰り返し聞いても、毎回嬉々として答えることも(なおかつ、その時々で答えが微妙に食い違っていることも)知っている。
「発想ですか、そうですねえ? 強いて言えば、昔、留学で諸外国を旅した経験がもとになっておりますわ」
「なるほど、やはり作品に見合うだけの経験をされているんですね」
言いつつも、笹森は彼女のことをあざ笑う。彼女は自分に留学経験があるといろいろなところで語っているが、それが虚偽であることはすでに編集部も把握していた。
彼女は高校を卒業した後、実家のある田舎の保険会社に勤めていた。海外はおろか、県外にさえ出たことはないらしい。
終わりの見えない自分語りに、笹森は耳を傾けるふりをし続けた。
「災難でしたね」
磯倉は小声で七瀬に声を掛ける。
ちょうど磯倉と笹森が料理を仕上げたころ(笹森の作った野菜炒めはいかにもまずそうだったし、自分の作ったチャーハンもひどい見た目をしていた)、濡れそぼって屋敷に飛び込んできたのが七瀬だった。
きっと、交通機関の遅延に巻き込まれながらも、なんとかパーティーに間に合わせようと走って来たに違いない。そんなけなげな若い子に、夢心地響子が「十分間で支度するように」と言っている声が聞こえたときには、よほど後ろから蹴飛ばしてやろうかと思った。
「いえ、早めに出発しなかった私がいけないんです」
「そんなことないよ」
どうやら、自責傾向の強い子らしい。あまりこの話を続けるのは得策ではなさそうだと判断し、磯倉は話題を変えることにする。
「そういえば、どうして夢心地――先生が、こんな豪邸をもってるか、知ってる?」
磯倉の口調に、いくらか侮蔑的な雰囲気が込められているのを感じ取ったのだろう、七瀬はちらりと夢心地の方へ目をやった。夢心地は笹森に、自分の経歴を(かなりの捏造や誇張を含めて)自慢げに語っている。磯倉でさえ、今の笹森は勇者だと思った。
「さあ、普通に購入されたんじゃないんですか?」
「まあ、購入は購入なんだけどね」
最寄り駅からそれなりに歩かねばならない立地。しかも周辺には商業施設や病院が皆無。しかも、築年数がそれなりに経っている。
そんな不便と古さ故に、この洋館は相当安価になっていたらしい。
一作目がヒットしたと言えど、豪邸を一括購入できるほどの稼ぎにはならない。しかし、見栄えにこだわる夢心地は、なんとかして広く豪華な屋敷を所有したかったようだ。
彼女はローンを組んでここの所有者となったのである。直属の担当者から聞いた話では、「重版がかかって舞い上がった」のだとか。あまつさえ、彼女は出版社に給与の前借りを相談したらしい。もちろんそれは認可されなかったそうだが、そうすると今度は社員にお金を借りようとしたのだという。
出版社としても、作家をないがしろにすることはできない。結局、担当者と管理職らで数十万を工面し、彼女に貸したそうだ。
そうした話を七瀬に聞かせる。いつの時代も、人はゴシップを好むものだ。
七瀬に驚いた様子はない。おそらく、イラストレーターであるこの子も、すでに夢心地の傍若無人ぶりに振り回されてきたのだろう。
「なんか、想像できますね。普通だったら、ありえないでしょって言うところですけど……」
苦笑いして七瀬はそう言う。磯倉も頷いた。
「うん、あの人だったらやりかねないなって、思っちゃうよね。あ、それから、これも教えちゃおうかな」
「まだ何かあるんですか?」
「いや、さっきの補足みたいなもんなんだけど。この家が安かった理由」
「立地と築年数だけじゃないんですか?」
「実はね、事故物件らしい」
この屋敷の前所有者は、事業に失敗し、舞台の上で首を吊っていたという。今まさに、自分たちがいるこの海上部舞台で、だ。
七瀬は怖がっているのか、だんだんと顔を引きつらせている。磯倉は、ちょっと悪いことをしたかな、と思う反面、その反応を楽しんでもいた。
そのとき、夢心地と話していた笹森が一礼して、その場を後にした。チャーハンと野菜炒めをまた頬張るのだろう。
「私、先生にご挨拶してきますね」
行きたくもないだろうに、いじらしい子だ。とは言え、「俺もいっしょに」と口に出すような度胸もない。直接のかかわりがある笹森や七瀬と違って、磯倉はただ単に「夢心地の本を出した出版社に勤めている」というだけなのだ。担当者とその上司が来てくれと頼むので、御相伴にあずかろうとしただけである(そしてその二人は来なかった)。
磯倉は七瀬の華奢な後ろ姿を見送る。
夢心地の方へと向かいながら、七瀬はため息をつく。
夢心地の相手をしなければならないのもおっくうだが、他の男二人も、決して得意なタイプではなかった。
それでも笹森はまだ分かりやすい。重要なポストに就きつつ、家族を大切にするスタンスをおだてておけばよいのだ。
一方で、磯倉は軽薄で、何と言うか扱いが難しい。彼がお金にも女性にもだらしがないという噂は、七瀬にまで届いている。おそらく、業界で「要注意人物」認定でもされているに違いない。
ああいう手合いは、ゴシップや噂話を切り口に、こちらのスペースへと踏み込んでくる。共通の敵(または嘲笑の対象)を設定すると、人は親密になるからだ。そしていつの間にか、「秘密を共有している」ような錯覚を抱かせる。
磯倉には申し訳ないが、七瀬はそうした部分に敏感で、そしてとてもしたたかだった。磯倉がどれだけ策を弄したところで、なびくことはない。
むしろ、七瀬にはある種の打算があった。四人だけのパーティーだから、どうせ間がもたなくなる。そのときには、夢心地の相手を笹森に任せ、磯倉には暇つぶし相手にでもなってもらおう。
夢心地の前に立ち、七瀬は挨拶を述べる。夢心地はうっとりと「世界海溝」の未来を語り始めた。きっと、七瀬がイラストレーターであることすら忘れているのだろう。自分の話しかしないから、相手が誰でも関係ないのだ。
「最近思うんだけれど、海外で翻訳されないかしら。きっと日本だけじゃなく世界でも、あのストーリーに共感してくれる人はたくさんいると思うの。それから、映画化も狙いたいわね。ドラマでもいいわ。もうすでに、どのキャラを誰に演じてほしいか、イメージがあるのよ。コミカライズはすでに会議で話が通ったらしいわね。今は作画担当を探しているみたい。誰がいいかしらね、三橋ハナ先生とか、久保瑠璃子先生がぴったりだと思うの」
夢心地は大御所の名前を上げる。いくら売れたとはいえ、ぽっと出の新人小説家のコミカライズに、それだけの人が作画で起用されるわけもない。
七瀬は怒りを覚えた。自分の名前が一切出なかったからだ。この人はやはり、自分が装丁を仕上げたということも、キャラクターの挿絵を描いたことも、忘れてしまっているのだ。全ては自分の作品の力、すべては自分の手柄。その背後に、どれだけの人間の尽力があったのか(そしてどれだけの人間が振り回されてきたのか)を考えようともしない。
そんなことを考えている間に、夢心地の話題は別のものへと変わっていた。
「あなた、若いけど、結婚はまだなの?」
ずけずけと踏み込んでくる。夢心地は知る由もないだろうが、最近はご法度になるはずの発言だ。あらゆるハラスメント、ダメゼッタイ。
いえ、まだ。
そう答えながら、以前耳にした噂へと思いを馳せる。イラストレーター界隈では、意外と出版業界のゴシップがやり取りされている。それは、磯倉のような危険人物から自衛するための方策だった。もちろん、遠くない将来、夢心地もブラックリストに載せられるだろう。
夢心地響子について聞いたのは、彼女の不倫についてだった。
――旦那さんがいるにも関わらず、職場で若い男に手を出したらしいよ。
職場とは、以前勤めていた保険会社らしい。複数人から回ってきた情報で、しかも出どころがはっきりしている(数か月後、某週刊誌に小さく記事が載るそうだ)。そうなれば、出版社も火消しに追われるに違いない。自分たちが悪いわけでもないのに、と少しだけ気の毒になった。
そういえば旦那さんはいないのかしら、と七瀬は疑問に思う。ここにいる自分を含めた四人のほか、人の気配は感じない。もしかしたら、どこかの部屋で休んでいるのかもしれないけれど。
唐突に、夢心地の自分語りが終わりを迎えた。
「さて、それでは皆さん、私はここで少しお色直しをさせていただこうかと思いますの」
お色直し?
こちらを見つめる笹森と磯倉の頭上にも、クエスチョンマークが浮かんでいる。
「時間はそれほどかかりませんわ。申し訳ないけれど、会場を出た玄関ホールでお待ちいただけるかしら」
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