『無垢なる終焉』

黒咲すずらん

第1話 『静寂な村』

第1話『静寂の村』


――この村では、すべてが静かに流れている。

人々は決められた時間に目を覚まし、働き、祈り、眠る。

変わらない日々。それが「正しい日常」。




「アカネ姉ちゃん、起きて!」


ナギの明るい声が耳元で響いた。

アカネは薄く目を開け、ぼんやりとした視界の中に、無邪気な弟の姿を捉える。


「……ナギ、まだ朝早いでしょ……」


「もう太陽が出てるよ! 早く起きないと、畑仕事、間に合わなくなっちゃう!」


そう言いながら、ナギはアカネの布団を無理やり引っ張る。

仕方なく起き上がると、木製の小さな窓から差し込む陽の光が、部屋の床を淡く照らしていた。


アカネはため息をつきながら伸びをする。

今日はいつも通りの一日だ。村の決まり通り、畑仕事をして、神父様の教えを聞き、夜には祈りを捧げる。

――それが、この村で生きるということ。


ナギが嬉しそうに手を引く。


「ねぇねぇ、今日はトウマ兄ちゃんに狩りを教えてもらうんだ! 姉ちゃんも一緒に行こう?」


「狩りって……ナギ、まだ十歳でしょ? 早すぎるよ」


「トウマ兄ちゃんが大丈夫って言ったんだもん!」


ナギは得意げに胸を張る。

アカネは苦笑しつつも、トウマなら無茶なことはさせないだろうと思い、結局一緒に行くことにした。




村の外れには広い森がある。

そこは狩りをする場所として村人に許可されているが、村の外へと繋がる道は厳しく禁じられている。


アカネとナギが森へ向かうと、すでにトウマが待っていた。

彼は村でも有数の狩人で、弓の腕も立つ。


「おそいぞ、アカネ。ナギはちゃんと時間通りに来たのにな」


「……寝起きが悪いだけ」


アカネは目をこすりながら、トウマの隣に座り込んだ。

トウマは笑いながら、ナギに小さなナイフを手渡す。


「まずはこのナイフで木を削ってみろ。狩りをするにも、道具の扱いを覚えないとな」


ナギは真剣な表情でナイフを握りしめ、器用に木の表面を削り始めた。


アカネはそんなナギの様子を見ながら、トウマに話しかける。


「ねえ……トウマは、ずっとこの村にいると思う?」


「どういう意味だ?」


「……なんとなく」


アカネは適当に答えたが、本当は以前から考えていたことだった。

村は静かで平和だ。何も変わらない日々が続く。

でも、トウマはときどき「この村の外」を見たそうな目をする。


「アカネ、外に興味があるのか?」


「そんなこと、ないよ。ただ……」


アカネは、足元の小石をつま先で転がしながら言葉を濁した。


「なんでもない」




夕暮れ、村の中心にある広場には、すべての村人が集まっていた。

夜の祈りを捧げる時間だ。


神父が壇上に立ち、ゆっくりと語り始める。


「我らが生きるこの村は、神のご加護によって守られている」


人々は静かに耳を傾ける。

この言葉は、何度も聞いてきたものだ。


「我らは決して外へ出てはならない。我らの外には、災厄が満ちている。

そして、罪を犯した者は、神のもとへと召される」


「神のもとへ召される」という言葉は、「処刑」を意味する。

村には厳しい教えがあり、それに背いた者は処刑される。


今日、広場には一人の男が連れ出されていた。

彼は「教義を疑った」罪で、裁かれるのだという。


村人たちは何も言わない。

ただ、静かに見つめている。


アカネは目を逸らしたくなるが、それは許されない。

ナギが手を握ってくる。


「……ねえ、アカネ姉ちゃん」


「……なに?」


「ぼくたちは、なんのために生きてるの?」


アカネは答えられなかった。


処刑が始まる鐘の音が鳴り響く。

男の悲鳴は、一瞬だった。


次の瞬間には、広場には誰もいなかった。

男の姿も、血の跡も、何も残っていなかった。


静寂が、村を支配していた。




夜、アカネはベッドの中で天井を見つめていた。

今日は、いつも通りの一日だったはずだ。

でも、ナギの言葉が頭の中にこびりついて離れない。


「ぼくたちは、なんのために生きてるの?」


――そんなこと、考えたこともなかった。


答えは、きっと教義の中にある。

神の言葉に従い、正しく生きること。

それが「正しい生き方」のはずだった。


なのに、今まで感じたことのない違和感が、胸の奥に残っていた。


その違和感が何なのか、アカネはまだ知らなかった。


ただ――それが、取り返しのつかない絶望へと繋がる始まりだったことだけは、

後になってから、痛いほど理解することになる。

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