きらきら


 ファインダー越しに見る君の涙は儚く美しい――



 高校に入学して数週間が経った四月下旬。クラスの雰囲気に慣れつつあった私は積極的に友達作りをするために話すことから一休みして、趣味の読書に没頭していた。


「――円歌。まーどーか」


 私と私の手元にある本との間に割り込む、見慣れた綺麗な白い手。どうやらまた私は物語に集中して、話しかけてくれた親友のことを無視していたらしい。


「あ、葵。何?」

「何じゃない。何回呼んだと思ってるの」

「いつものことじゃん」

「もぅ。開き直るな」


 葵は小学1年生からの幼馴染だ。出会った頃の葵は結構な人見知りで、昔は私の後ろをついてきてばかりの大人しい子だった。それでも中学生になってバスケ部に入ってからは、いつの間にか身長も抜かされ、体格もほどよく筋肉がついて。レギュラーになって自信もついて、気付けば私の手を引いて前を歩いてくれることも増えていった。人見知りはまだ残ってはいるものの、今では少し抜けたところのある私の良きツッコミ役で私の親友になっている。


「それで?何の用ですか葵さん?」

「あのさ……今日の練習、見に来ない?」 

「え、バスケ部の?」

「そう」

「なんで?」

「今日入部して初めての紅白戦やるんだけど、夏の大会に向けて晴琉も気合入ってるからさ。見に来てよ」

「ふーん……」


 晴琉は中学生の時に仲良くなった私と葵の友達。葵と晴琉は中学からバスケ部で一緒で、その後私も含めて三人とも仲良くなって、そのまま三人とも同じ地元の公立高校に仲良く進学した。

 葵が小学生の時よりも人見知りじゃなくなって、以前よりもずっと人当たりの良い性格になったのは、どう考えても晴琉のおかげだった。それに気づいた時の私の悔しさといったら。葵は私といると安心するんだって。葵にとって私は出会った時から変わらない安全地帯のような物なのだと思う。私が変わらないことで葵が安心するなら、私はこれからも変わることはないだろう。どうせ晴琉みたいに葵を良い方向へ変えることもできないんだ。


「え、嫌?」

「んー……どうせルール分かんないからなぁ……」

「えー?ルール分かんなくても誰が活躍してるかくらいわかるじゃん。どうせ円歌はスポーツに興味ないだけでしょ?」

「うん。分かってるじゃない。いつものことでしょ?」

「はぁ……とにかく来てよ……あ、もう教室戻るね」


 隣のクラスに帰っていく葵の背中を見つめていると、間もなく次の授業のチャイムが鳴った。次は現代文。読書好きの私は現代文の教科書は配られたらすぐに読み終えてしまうから、申し訳ないけれど授業はほとんど聞いていなかった。それでも感じの悪いことに成績だけは抜群に良かったのだった。これまた先生には悪いけれど、物思いにふけるのにちょうど良い時間だと認識している。

 部活の練習を見に来ないかと誘われたのは初めてではない。中学生の頃に何回か葵から誘われたことがあった。でも当時から私は幼馴染である葵のお願いを断り続けていた。スポーツに興味がないからと断っていた理由は半分本当で、半分嘘でもあった。


『晴琉ナイスー!』


 あれは中学1年生の夏のことだった。バスケ部に入部した葵の姿を見てみたくて、こっそり普段の練習を見に行ったのが、最初で最後になった。体育館をのぞいた瞬間、先輩も含めたくさんいるバスケ部員の中で1年生ながら一人だけ、バスケのことが全然分からない私でも動きが違って見える女の子がいた。それが晴琉だった。


『きれぃ……』


 晴琉のシュートが決まった瞬間、思わず感情と共に感嘆の言葉が漏れていた。あの時、晴琉だけがスポットライトを浴びているかのようにきらきらして見えた。そして私以上に晴琉をきらきらした目で見つめる葵の姿を見た時に、私の葵に対する幼馴染以上の気持ちに気付いてしまった。葵に自分だけを見ていて欲しい、葵を自分のものだけにしてしまいたいという気持ちに気付いてしまったのだった。


『円歌!来てくれたの?……どうしたの?』

『……なんでもないよ』


 だからといって私には葵に気持ちを伝える勇気はなかった。見せたことのない表情で晴琉を見つめる葵の姿を見ていたら、そんな勇気は出なかった。そうして私には、ただ胸が苦しく締め付けられる日々が訪れたのだった。

 それからは葵に誘われても適当に断り続け、次第に誘われることもなくなった。不仲になったわけではなくて、葵は昔から私に何かを強要することはなかった。そういうところが昔から好きだった。結果的に私がバスケ部に近づくことはなくなったけれど、葵に部活で仲良くなったと晴琉を紹介されて、いつの間にか晴琉とも仲良くなった。


『よろしく!晴琉でいいよ!』

『私は円歌でいいよ。よろしくね、晴琉』


 晴琉と初めて話した時は太陽みたいに明るい笑顔で手を差し出されて、触れた手の温かさに安心感があったことを今でも覚えている。晴琉と私は髪色が似ていてどちらも少し明るい茶髪だけど、私は長く伸ばしていて体型も小柄で、晴琉はスポーティなショートヘアーでスラっとしたアスリート体型で身長も高くて、見るからに真逆の存在で。そして明るくて頼りになって、バスケだけじゃなくて体育祭でも活躍しててかっこよくて、それでいてたまに甘えてくるところが可愛くて、私にとっては少し憎らしく感じるほど素敵な女の子だった。私は晴琉の良いところを見つける度に、葵に秘めた気持ちを伝える自信を失っていった。

 あの頃の自分がもっと素直で可愛げがあって、葵の応援に熱心に行っていたら。私たちの関係は変わっていたのかな――


「じゃあ次の授業までの宿題は――」


 すっかり物思いにふけていたら、あっという間に授業が終わっていた。しまった。ノートが真っ白だ。隣の子にテストで出そうなところだけ聞いておこう……っていうか、そもそも何で葵はまた部活を見に来てってお願いしてきたのだろう。高校生になったから気が変わるとでも思ったのかな。不思議に思いつつも、どうやって葵にバレずに帰れるかを考えながら放課後まで過ごしたのだった。



「うぇーい。円歌捕まえたー!」


 放課後になり、個人的最速記録で教室から昇降口まで辿りついたはずだったのに。気付けば晴琉に後ろから抱きしめられ捕まっていた。鍛え抜かれたバスケ部の晴琉の腕から運動音痴の私が抜け出すことは難しい。諦めて説得を試みる。


「晴琉。何してるの、離して」

「部活を見に来る約束でしょうが」

「そんな約束してないよ」

「葵が言ってたもん。連行しまーす」

「えぇ?ちょっと……もぉ!」


 晴琉の顔は見えないけれど、きっとニコニコと無邪気な笑顔をしているのが簡単に想像できる。晴琉は私のお腹に回していた腕の力を緩めると、そのまま流れるように私の肩を掴み、さっさとバスケ部が活動している体育館まで押し進めた。全く、二人して何なのだろう――


「ここで見ててね」


 体育館に着くと晴琉は練習が見やすい場所まで案内してくれた。他の生徒もちらほら見学しているようだ。この学校は女子高だからか、かっこいい先輩のいる部活には特定のファンがいて、こうして体育館の端に立って見学していることがあると葵から聞いたことがあった。


「来てくれたの!?」


 部活の準備を見守っていると葵がやってきた。私が体育館にいることに目を丸くしている。私がここにいる元凶のくせに。


「葵のせいじゃん」

「えー、何?不貞腐れないでよ。今度アイスでもおごってあげるから」

「ほんと!?」


 私の頬を撫でながら、すぐに機嫌を直した私を見て微笑む葵。機嫌を直したわけがアイスでないことに葵はきっと気付かない。葵が私に少し触れるだけですら嬉しいなんてこと、気付かなくていい。


「じゃ、行ってくるね」


 いつもは下ろしているセミロングの黒髪をポニーテールにして駆け出す葵。揺れるポニーテールに目を奪われてしまった自分が単純すぎて少しだけ悔しかった。


〈ピーッ!!〉


 まもなくウォーミングアップが終わって笛の音とともに紅白戦が始まった。二人には申し訳ないけれど、試合の展開?っていうのがさっぱり分からない。またまた申し訳ないけれどすぐに試合に飽きてしまった。

 もう読書でもしようかとカバンを探ろうと屈んで下を向いていると、ひときわ大きい黄色い歓声が体育館に響いた。晴琉が活躍でもしたのかなと、思わず顔を上げたけど予想が外れたことに気付く。

 それは隣の女子たちが、その歓声の原因であろう人物の名前を叫んだからだった。


「「「志希せんぱーい!」」」


 志希と呼ばれた先輩が誰の事なのかはすぐに分かった。体育館にいる全員の視線を集めていたからだ。ロングの明るいブラウンの髪の毛をポニーテールにしている人が放つボールは弧を描いて籠に吸い込まれるようで、そこまでの所作が素人の私が見ても美しいと思った。晴琉を初めて見た時にきらきらしていると感じたあの場面を思い出して、胸が苦しくなる。

 カバンを探る手は自然と止まり、ただただ試合を眺めていると、葵と晴琉が他の選手と交代して試合に出てくるのが見えた。しかし私はもう、あの時の苦しさを思い出してからはまともに試合を見ていられる気がしなかった。部活特有の青春が敷き詰められた体育館の雰囲気を味わうのも嫌になってしまった。

 明日二人には適当に体調が悪くなったとか言って謝ればいいや、そう思って帰ろうとした時に、ちょうど晴琉と目が合ってしまった。拳をこちらに突き出している。たぶん「頑張るよ」って意味のサイン。でもいつもの晴琉と違って何だか表情が固く、不安そうに見えた。そんな晴琉を見るのは初めてで私は戸惑ってしまう。私は私なりに晴琉のことを大事な友達だと思っているから、このまま黙って帰ることなんて出来なくなってしまった。


「晴琉!頑張れ!」


 私が思わず叫んだ言葉は、他の応援する女子たちの声でほとんどかき消された。でも気持ちは届いたみたいで、晴琉はいつもの笑顔を私にくれたのだった。


〈ピーッ!!〉


 試合の終了の音が体育館に鳴り響く。結局帰るタイミングを逃して最後まで紅白戦を眺めてしまった。晴琉は活躍していたようだけれど、葵はそうでもなかったみたい。部活後の表情が物語っていた。さっそく晴琉は他の女子から囲まれていて、それを見て紅白戦の後よりもっと表情を暗くする葵を見て、やっぱり来なければ良かったと思い始めていた。せめての抵抗で葵の視線を遮るようにタオルをかける。


「わ、雑!」

「タオルかけてあげるなんて優しいでしょ?」

「……なんで葵はタオルだけ?」

「ん?」

「なんで晴琉のことは応援したくせに、葵のことは応援してくれなかったの?」

「え?」


 葵は私の前では自分自身を「葵」と呼ぶ。私の前だけかどうかは知らないし知りたくもない。勝手にそうだと私が信じているだけだった。


「だって晴琉と目が合ったから。無視しろって言うの?」

「……そうじゃないけどさぁ……」

「ごめんて」

「いいけど……なんで嬉しそうなの」


 葵の頬を撫でながら謝る。晴琉だけ応援したことを妬いてくれたこともそうだし、アイスが無くても機嫌を直してくれる葵に思わず笑みがこぼれる。全然反省してなくてごめんねと、心の中で思いながら謝っていた。


「円歌!助けて!」


 葵と戯れていると、嘆願するような声とともに女子に囲まれていた晴琉が女子たちの中心から飛び出してきた。女子たちも満足したのか散っていって、晴琉が安堵の息を吐いている。


「晴琉。お疲れ様」

「うへぇ。疲れたぁ!」


 私にもたれかかる晴琉。こんなに甘えん坊だったかな……不思議に思っていると晴琉は急に強く私の両肩を掴み、意を決したような眼で見つめてきた。今日の晴琉は何かが変だ。ただ、その理由はすぐ分かることになる。


「あぁああああああああーー!!!」


 突然の聞き慣れない大声に驚く。晴琉の顔越しに見える景色には私を指差す綺麗な人がいた。あれ、この人は……さっき散々、黄色い歓声を浴びていた――


「やば!!!超かわいい!!!」


 なにやら私に興奮している目の前の美人は、志希先輩だった。


「先輩。落ち着いてください。今紹介しようと思ってたんですから」


 志希先輩の方へ振り向いて、呆れたように言葉をかける晴琉。表情は見えないけれど、私の肩に置かれていた晴琉の手が、わずかに震えていることに気付いた。そして隣に立つ葵が複雑な表情をしているのを見て、察した。志希先輩に私を紹介するために、二人は部活を見に来るように言ってきたのだ、と。晴琉がいつもと様子が違うのはきっと、紹介したくない理由があったから。そして葵は……その理由が分かっている。

 晴琉が志希先輩に抱いている感情が、先輩が私に抱いている感情が同じだとしたら――

 ……やっぱり部活なんて、見に来なければ良かった。

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