第22話―セカンド・デッド
「よう。クソジジイ」
「なんだ、クソガキ」
ファントムが火を放つ。左の拳を突き出し、拳圧でかき消した。踏み込んで腹に右を叩き込んでやる。
「よえぇなぁ」
やっと全身から炎が噴き出す。急いで退くが、手首より先が融けていた。
「死ねやぁ!」
肥大化した四肢での前蹴り。焼印を押すかのように地面に押し付けられる。
「うあああああああ」
身体が焼ける、融ける。血液が吹き出した途端に蒸発していく。
「はははははは」
左の手刀でやつの脚の端を切る。肉の切れたところへ指先を突っ込んだ。
「チッ……」
巨大な足が浮く。地面を転がりやつから逃れる。
「はぁ……はぁ……」
顎の下から足の付根まで爛れていた。再生が間に合う前に火焔流が俺を襲う。飛び退いて避けるとフェンスを焼き貫いていた。
「クソ……」
こちらの攻撃は大して通じない。力を溜めて大技を放つなり、近距離からラッシュをかける必要がある。だがあの異様な火力の前では溜める隙もなく、至近距離によればすぐさま灰になりかねない。
「ふははは、踊れッ!」
やつの掌から小さな火球が飛んでくる。先と同じように拳圧で掻き消そうとした瞬間、大きく爆発した。
「うがっ」
煙が失せた瞬間、ファントムは目前に迫っていた。タックルを喰らい校舎の方へ吹き飛ばされる。すかさず先程の火球を3発俺の方へ飛ばしてきた。腕を交差させ気を練り、爆発を防ぐ。
「ほう、避けないか……」
……俺の後ろには校舎があった。
「そんな場所をよく守ろうとする」
「お前、何なの。学校燃やしたいわけ?」
「興味は無い…………と言いたいところだが。性根の腐ったガキが熱くてのたうち回るのは愉快だろうなぁ」
「まだ根に持ってんのかよ……」
「知らんな。…………俺を嗤ったヤツ!俺を無視したヤツ!俺を救わなかったヤツ!俺を好きじゃなかったヤツ! 全員燃やしてやるッ! 家族諸共地獄に堕ちろォッ!」
「地獄に行くのはてめぇだぜ」
「……オレがお前だろうがァッ!!!」
ヤツが飛びかかってくる。……さっさと決めなければ俺も学校も焼き尽くされる。
燃え盛り、大きく膨れたその拳が俺の半身を掠める。無防備になった顔面へ渾身の一撃を叩き込んだ。
「んぐ…………っ!」
「俺」がよろめく。…………この機を逃すな。
「オラアアアアアアアアアッッッ!」
右ストレート。左フック。そのまま体を回転させ回し蹴り。突き上げるエルボー。飛び上がりながら顔面に膝。空いた胸元へ両腕でハンマー。全精力をかけた連打を入れる。ヤツが大きく倒れ込む。マウントを取って顔面にラッシュを叩き込んでいく。
「死ねぇぇえぇえええ!」
ファントムが腕をこちらへ叩きつけようとする。飛び上がって避けると、向こうもどうにか起き上がった。
「ぬりぃなぁ」
「ああ?」
「殺せもしないのに、死ねだとよ」
ヤツの膨れ上がっていた四肢が急激に細くなり、纏っていた炎が黒く染まっていく。
「やられた分は返してやるよ……」
次の瞬間には、俺の胸に穴が空いていた。……ファントムが背後にいた。腹を貫いた腕から黒い炎が上がっていく。
「………………!」
黒炎と共に、何かが流れ込んでくる。記憶……感情……これは。この馬鹿な「俺」の絶望。
ヤツが右に裂くように腕を抜く。傷口は焼かれ、まともに再生しない。ふらつく足取りでどうにかヤツの方を振り返る。黒炎の奔流に襲われ、大きく吹き飛ばされた。
「ぐ、ああぁ…………」
もう力が入らない。俺の変身は解けていた。生身の腕が砂利を擦る。
「……」
負けたのだ。
「ああ、ここまでか…………」
妙な達成感が俺を包んでいた。負けたはずなのに。ヤツが俺の首を掴んで持ち上げた。
「そういえば、俺の首を折りやがったよなぁ」
「さぁな。忘れたよ」
手に力が籠もっていく。首が締まる。声が出なくなる。意識はすぐにも消えていってしまいそうなのに、薄っすらと、はっきりと苦しさを俺に伝えていた。地面に叩きつけられる。
「ざまあねぇな」
全くだ。俺ほど様の悪いやつもいない。けれど……
「なぁ。頼むよ」
「ああ?」
「誰も悪くねぇんだ。少なくともこの世界には、お前の不幸の理由は無い。だからもう、止めてくれないか」
「知ったことかッ」
石ころのように蹴りつけられる。砂利の上に大きく伸びた。
「なぁ、金やるからよ。いいだろ」
「黙れよ。死にてぇのか」
「それでパチンコでも風俗でも、好きなとこ行けよ。大した額ねぇけど小遣い全部やるからさ。そしたらちょっとくらい気が晴れるかもしれねぇぜ?」
「……」
馬鹿にしたいわけじゃない。それで済むなら、それがいい。本当にそう思っていた。
さっき、こいつの過去…………あり得たはずの俺の未来が見えた。未神が話していた、俺の本来の未来。ケインも姉も夜海もいない。
飛び降りに失敗した俺は頭に後遺症を負ったようだった。日常生活は送れるものの集中力の欠如と記憶力の低下が起きた。元から低かった能力は地の底に落ち、大した職にも就けず執筆などろくに出来なくなった。医者に行っても病名をつけられず、行政の保護もない。
両親は俺を疎み、友人もいない。恋人なんかいるはずもない。凡その人間に嫌われている。
そう。俺の人生には何も無かった。嬉しいことなんかろくに無いまま、歳だけを重ね尚更醜くなっていった。最後は職場の火災に巻き込まれあっけなく死んだ。
嫌な話だ。全く以て面白みも無ければ、かと言って誰に同情される訳でもない。最低の物語。
それを全て、未神が書き換えたのだ。俺に好意的なキャラクター。死も障害もない都合の良い世界。他者を捻じ伏せる
「世界が死ぬか、俺が死ぬかだ。そうするまで報復は終わらない」
ヤツが黒炎を校舎に放とうとする。必死の力を振り絞り、その前に立った。炎は俺を焼いた。
「馬鹿が……それに守る価値があるのか」
分からない。仲のいいやつはみんな作り物だし、それ以外のやつらは人の自殺未遂で遊ぶようなゴミどもだし。
何で守ってんだろうな。俺は。
炎が俺を焼いていく。熱くて痛くて苦しいのに気を失ったりはしなかった。続けてもう一発火球を放ってくる。大きく爆ぜて俺を吹き飛ばした。
「……」
意識が薄れていく。傍らには半分無くなっている拳銃。校舎には何事かとこちらを見ている生徒たち。馬鹿かよ……さっさと逃げろよ……
「……依途さん!」
誰か、異形が飛び込んできてファントムの腕を切り裂く。
「ぐっ…………」
夜海さんだった。細く伸びた刀身が血で濡れる。
「その人に手を出すなら……斬ります」
「邪魔だァッ!」
斬撃を避け拳を叩き込む。
「きゃっ……」
夜海が殴り飛ばされる。空中で回転し着地、途端に荒々しい動きでやつへ襲いかかる。
「あたしの空良に手出さないでくんない?」
数段速い斬撃が掠めていく。
「小娘がよオッ」
だがヤツの動きはそれよりも速かった。手刀で腹を薙ぎ、残った黒炎を燃え広がらせる。
「いやああああ」
とどめを刺そうと跳ぶファントム。そこへ雷が落ちた。
「誰だか知らんが……本学の敵は排除する」
草薙が校庭に降り立っていた。幾つもの雷撃が俺の幻へ降り注ぐ。幾つかが直撃するも足止めにしかなっていない。
「痒くもない」
雷をまとった草薙が駆ける。懐へ駆け込み拳を受け止めた。ヤツを掴んだまま雷を流し続ける。こちらへ振り返って怒鳴った。
「依途! さっさと起きろ!」
うるせぇな……こっちも限界なんだよ。結構頑張ったろ、俺……
「サボるな! 英雄!」
サボってねぇよ…………英雄でもねぇんだよ……
「どけぇ!」
ファントムの蹴りをギリギリで避け、素早く後退する。
そこへ凄まじい勢いで駆けてくる影。刀を振るい、五月雨のような突きを繰り出す。
「またぞろ現れやがったか」
女の声。……剱沙夜。
「また貴様か…………次から次へとッ!! 気に入らねぇッ!」
「あの剣のやつと依途はまだ動けんか……草薙! わたしの動きに合わせて援護しろ!」
「命令すんな!」
踊るように斬撃を放つ剱、合間に電撃を挟む草薙。意外すぎるほどの連携を見せる。本来ダメージを与えられないはずのファントムが足止めされていた。
…………何なんだよ、次から次に助けに来てくれちゃってさ。人がせっかく諦めようとしてるのに。
「空良くん……」
夜海がこちらへ歩いてくる。
「立てる?」
差し伸べられた手。
「……ああ」
その手を取って立ち上がる。銃は壊れた。……だが、まだだ。まだある。いつかあの「俺」が変身に使ったライター。未神が回収していたものだ。
ヤツが俺だというのなら、使えるはず…………ッ!
ライターの蓋を開く。放たれた火が俺を包む。
「……かっこいいよ、空良くん」
「そりゃどうも」
どうやら拳銃で変身したのとは違う姿になっているようだ。
「英雄、早く戦え!」
雷を落としている草薙に怒鳴られる。
「ああ、悪い」
剱が鞘でファントムの後頭部を叩きながら背後へ跳んだ。その隙へ、先の「報復」をする。
「うがあっ……」
拳が腹を貫いた。また全身から火を放つ前に腕を引き抜く。……先程までの絶望的な戦況じゃない。押している。
「……ここで終われるものかよぉッ!!!」
ファントムが加速する。夜海が咄嗟に突き出した刀身はヤツの胸に刺さっているが、黒炎は彼女の顔を焼いていた。
「夜海!」
爆ぜる。刀だけを胸に残し、変身の解けた夜海がそこに倒れていた。
「いい
ファントムが腕から黒い剣を生やす。……コピーした? 不味い、彼女のその能力は……
草薙に斬りかかる。
「避けろ! 死ぬぞ!」
飛び退こうとする草薙の右脚が裂かれた。
「ぐぁ……」
更にもう一撃入れようとしたところへ、剱が割って入った。刀とヤツの刀身が交差する。
足元へ滑り込み殴りかかろうとすると、直前でファントムが体勢を引いた。剱とぶつかる。
「まとめてくたばれ」
大きな黒炎をまとった斬撃。まずい、避けられな…………
「……どけっ!」
剱が俺を押しのける。炎は彼女だけを飲み込んだ。
「剱ィッ!」
闇のような焔が失せると、剱が片膝を着いていた。刀が折れている。
「すまん……依途……役に立たなかったな」
焼けた砂利の上に彼女がゆっくりと倒れた。
「邪魔は消えた……あとは「俺」だけ」
赤い火と黒い炎がぶつかる。ヤツの繰り出した拳にこちらも拳を叩きつける。薄っすらと俺の火が黒く染まっていく。
「なんだと…………」
「俺も報復をさせてもらう」
報復の黒炎。ヤツ自身と同じそれを纏う。
「
辺りが黒く爆ぜる……第二形態。力が漲った。
「かっこつけやがって……ッ」
繰り出してきた刀を蹴りつけると、あっさりと折れた。剱と斬り結んだせいだろう。
「これで条件は同じだ」
黒い焔が互いを焼かんと喰らい合う。
「死ねぇッ!」
「テメェが死ねッ!」
殴り合う。互いに再生の間に合わぬまま、少しずつ肉体が失われていく。
……だが、俺は女二人に格闘を仕込まれている。同条件ならこちらのほうが上だ。ヤツの拳が俺に触れる前に殴り飛ばした。
「まだだ…… まだ終われない…… !」
ヤツが右脚に黒い炎を収束させていく。同じようにこちらも一箇所に力を込めた。……これで勝負が決まる。
駆ける。翔ぶ。互いの駆体が目前に迫り、互いの燃ゆる右足が胸に突き刺さった。
地面に叩きつけられる。
「ぐぁあ!」
強烈な痛みに襲われる体をどうにか起こす。向こうの俺もどうにか立ち上がろうとしたが、そのまま崩れ落ちた。
「そんな……馬鹿な…………」
「一人で勝てるわけねぇだろ」
「独りでなければ報復などするものかよ……」
倒れたはずのやつがまた立とうとする。
「まだだ……俺はまた現れる。更なる報復の意志を」
その刹那、蒼い光の槍がファントムを突き刺した。
「間に合ったね…………」
翼を広げた未神蒼がそこにいた。
「書き換える……きみは生まれない。そんな絶望は存在しない」
「ふざけるな! 俺はここにいる! 俺の絶望すら否定するのか、お前らはッ!」
「さようなら……
血は出ない。代わりにその駆体が薄れていく。
「
「…………」
「俺に……何の意味があった、価値があった…………クソ、クソがよぉ……」
光となって「俺」が消えていく。静かな慟哭だけが世界に残る。羽を広げた天使の方を向く。
「ごめんね、依途くん。辛い戦いをさせた」
「なぁ……あいつの人生に、何か意味はあったのか?」
ヤツに……未神の介入が無かった俺に何らかの意味はあったのだろうか。
「…………」
「なぁ、未神」
「今日は帰って休んで。考えるのはまた今度にしよう」
確かに今、 大したことは考えられそうにない。けれど、すごく悲しかった。
それだけは分かった。
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