第19話―男、再び

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 夕暮れ。自動ドアが開き、剱の後ろを追ってスーパーに入る。

「なんでこんな遅い時間なんだ」

「諸々安くなるからな」

 こいつがどうやって収入を得ているのか知らないが、まぁ節約は大事なんだろう。店内にはそれなりに客がいた。

「何か食いたいものはあるか?」

「リクエストする権利があるのか?」

「まぁ聞くだけ聞こう」

 そうだな……普段あんまり作らないものにしてもらおうか。

「オムライスが食いたい」

「ほう。かわいいものじゃないか……うむ、長葱が安いな。炒飯にしよう」

「おい」

「まぁ作るのは私だからな」

 そう言われると弱い。作るやつは偉いのだ。

「……なぁ、俺はいつ家に帰れるんだ?」

「生徒会と自衛隊が諦めるまで、だな」

「それ、いつになるんだよ」

 この一週間ほど学校にすら行っていない。行きたいかと言われれば微妙だが不健全ではある。

「生徒会はともかく、自衛隊の方は捕まえた研究サンプル……それも自国に害した存在をどうするかわからん」

「害?」

「この国はシルエスタから多くの原油を輸入していた。知らないか?」

 そうだ、未神ともそんな話をした。電気代が上がるかもとか、そんな話。

「実際にシルエスタからの原油輸入量が減少している。混乱の最中だから、とも考えられるが……。ともかく、向こうからすればお前を狙わない理由は無い。一生実験動物にされるかもしれない」

「な、何もそこまで……」

「無いと言えるか?……お前は国家どころか、世界すら揺るがしかねない要因ファクターなんだぞ」

 剱が俺の肩を掴んで耳元で囁く。

「……」

「もし、お前の存在が他の国にはっきりと知られてみろ。確実に政治的な働きかけがあるだろう。最悪、お前を巡って戦争が起こるかもしれない。だが確保して研究すれば、多大な国益を生むかもしれない。このリスクとリターンの塊を自由にしてやる理由がどこにもない」

 そこまで言われて、自分という存在やそのやったことの意味をはっきり自覚したような気がした。家に帰れないことなど、大した問題でないのだ。むしろこうして安全が確保されている状況すら剱の善意によるもので、そうでなければ俺はとっくにどうなっていたか分からない。

 身震いがした。

「未神……」

 お前は分かってて、俺に戦わせたのか?

「依途。お前は子どもだろうが、私はお前を馬鹿にする気はない。自分のやることの意味を、全く考えないとも理解出来ないとも言う気はない。だからお前の行動の責任はお前にある。未神でもない、まして親でもない」

「……分かってる。未神のせいにはしない」

「ならばよろしい」

 剱がケチャップを籠に入れた。

「……なに、お前の行動が全て間違いとは言わん。あの国の国民への弾圧は許されることでは無かった。立ち上がったのはお前と未神だけ……本来、お前より強い私は何もしなかったんだ。他国への武力介入は正しくない、という常識を振りかざしてね。かと言って平和運動でもしたわけじゃない」

「……結局、叱りたいのか褒めたいのか、どっちなんだよ」

「自分でもよく分からん。だが放り出すのが一番良くないような気がする」

 親かよ。


 会計を済ませ、外に出る。薄明の空が広がっていた。

「日が長いな、この季節は」

 剱が買い物袋を下げてそう呟いた。

「袋、持とうか?」

「いや。これもまた鍛錬だ」

 袋の中には米やら油やらが入っていたが、まぁこいつには重くもなかろう。

「……」

「憂鬱そうだな」

「ああ。自分の愚かさ加減が嫌になった。家族まで巻き込みかねないなんて」

 このまま、何もできないのか? 俺は?

「ふむ。解決策が無いわけじゃないぞ?」

「そうなのか!?」

 いつものように、豪快に剱が笑った。

「強くなれ。努力しろ。お前やお前の大切なものを狙う、全てを捻じ伏せられるくらい」

「いつもそれだな、あんた」

「当然だ。私がお前や草薙のような異能者より強いのは単純に鍛え続けたからだ。お前だってこの一週間、鍛え続けてやったらなかなか強くなったぞ?」

 ばんばんと背中を叩かれる。痛い。

「かつて私たちの時間は有限だった。人は老い、いつか死ぬ。それが限界だった。幾ら努力をしてもそこで能力は失われる。だが今は違う。いつまでだって続けられる。いつからだって挑戦できる。……私はな、未神の横暴には反対するが。ロスブラ自体は肯定しているんだ」

「そうなのか?」

「ああ。死なないなら、努力の累積が失われることもない。才能に乏しい者も、就職だ年齢だと努力をやめずに済む。夢に呪われなくて済む」

「そんなもんか……?」

 いささか理想論が過ぎるように思える。

「まぁ、そもそも努力には才能がいるんだけどな」

 お前がいうのか、それ。

「お前、色々言いたがる割には結論がはっきりしないよな」

「うるさい。馬鹿者。私だって所詮、十幾つのガキだ。お前みたいな面倒なやつを迷いなく導くには若すぎる」

 吹き出した。正直なやつだなと思った。けれど断言出来ないその情けなさは、むしろ誠実だとすら思えた。薄明が闇に覆われていく。またこうして、一日が終わるのだろう。

「……依途。止まれ」

 剱が俺を制止した。

「何か来る」

「何だよ……」

「分からん。……自衛隊か、生徒会……いやそれ以外か」

 次の瞬間、前方の空間が歪みだした。光と音を放ちながら少しずつ広がっていく。バリバリと、弾けるように膨れていた。

「どうなっている……」

 こんな現象を起こせるとしたら、草薙か或いは……

「未神……?」

 歪みが弾け飛ぶ。その中心に誰かがいた。未神じゃない。禿げた、黒い服の男。

「よぉ、久しぶりだなぁ」

 いつか街を焼いた、あの男だった。

「何でお前が……」

「んー?」

 既に警察に突き出した、そう未神が言っていたはずだ。脱走したのか?

「……知り合いなのか?」

「まあ、な……」

「お前ら二人…………そうか、ふははは」

 何を言ってるか分からない。が、このまま挨拶して終わりってわけにはいかなさそうだった。

 男がこちらへ歩いてくる。

「依途。あれはなんだ」

「やつあたりのおっさんだよ……」

 男の体が燃え始める。……異形化するつもりか!?

「依途ォッ!」

 刹那、剱が俺に覆い被さる。白とも赤ともつかない光が世界を埋め尽くした。


「…………起きろ」

 頬を叩かれる。目を開くと、剱の向こうに紅く燃える街が有った。立ち上がる。

「……おいおい」

 以前とは違う。いくら見渡しても視界にある全てが燃えているか、焼け焦げていた。世界が赤く、揺らめいていた。

「まさか、こんな……」

 建物が焼けていく音の中に、悲鳴が混じっている。苦痛が聞こえる。街も人も焼けていく。融けたビルのコンクリートが倒れた誰かをどろりと覆った。

「火だ。報復の火だ」

 異形と化した男が炎を上げながらそう喜んでいる。

「剱。やるぞ」

「ああ」

 頭に鉛玉をぶち込む。剱が刀を抜く。……ぶっ殺してやる。爆炎を上げるヤツへ殴りかかる。助走をつけ顔面へストレートを叩き込んだ。

「……いてぇなぁ!?」

 両手で頭を掴まれる。拘束から逃げようと藻掻くが、逃れられそうにない。刹那、刃が奴の背を裂いた。怯んだ瞬間に顎を蹴りつけそのかいなから脱出する。

「んなもんで俺が切れるかよッ!」

 殴打も蹴りも避けひたすらに刀身で皮膚を薙いでいく。だが血が噴き出すことはない。

「どうなっている……」

 放たれた炎から間合いを取る。が、奴から噴出す炎は更に激しくなっていく。

「……クソ!」

 こちらへ背を向ける奴に飛び込み、蹴りを叩き込む。

「ぐっ…………うぉらぁっ!」

 奴のパンチを受け止める。

「てめぇ……あんなに弱かったくせに……!」

「報復は、終わらねぇ!」

 口から熱線を吐いてくる。回避が間に合わず、左腕が肩ごと吹き飛んだ。もろに食らっていたら終わっていただろう。

「だまれ、クソジジイ!」

 大きく開いたその口へ右の抜手を叩き込む。指先が後頭部を貫いた。呻き声が上がった。

「フン!」

 俺の手を噛み切られる。奴から離れ、両腕をどうにか再生させる。気力が失われる。

 剱が男へ斬撃を浴びせながらこちらへ跳んでくる。

「おい、依途」

「なんだ」

「どんな理屈か知らんが、私の攻撃はあれに通じん」

 謙遜でなく、俺の貫手が効く相手に剱の剣技が効かないなど通常なら有り得ない。

「私が隙を作ってやる。お前があれを潰せ」

 剱が駆ける。男の反応を振り切り奴の背後に回り込んで頭を蹴りつけた。

 奴が体から常に放つ炎は避けようともせず、そのまま格闘戦で圧倒していた。剱の攻撃こそ効かないものの男の打撃や掌から放つ火焔は掠りもしない。

「はぁ……」

 大きく息を吸い、丹田に力を込める。剱に教わった気というやつだ。体内を巡るエネルギーを加速させ、昂らせ、凝固させる。

「……貴様、まさか」

 剱と奴が互いの拳を叩きつける。衝撃で周囲の融解したコンクリートが蒸発した。

「はぁ、……クソアマがッ」

「お前は、この街が憎いのか?」

「んん……?」

「それとも誰か殺したい相手がいるのか?」

「違う。こいつらのことなどどうでもいい」

「なら何故こんなことをするっ!」

「その才能ちからが俺にあるからだが?」

「そんなものは理由ではない!」

「価値観を押し付けないといられないのか、馬鹿が」

 異形の腕を膨張させ振り下ろす。剱がそれを片手で受け止めた。

「……ッ」

 地面が陥没し爆炎が吹き上がった。空いた片手で腹に刃先をぶち込む。

「ぐ……あ……そんな、ばかな……!」

「やれぇッ! 依途ッ!!」

 コンクリートを削る様にスライディングし懐へ潜る。地を蹴って体を跳ね上げ、その勢いのまま両腕の掌底を胸へ叩き付けた。

「……ぁ………………」

 掌は胸部を貫通することなく、全身に衝撃と気を伝導させる。……「入った」。

 粘土に手形をつけるように掌を放す。剱が刀を引き抜く。

「やったな。依途」

 刹那、風船が割れるように奴の体が弾けた。血が吹き出して俺達を濡らす。勝った。

「……消えた?」

 奴の姿が無くなっていた。確実に倒した感覚はあったが、どこにも姿はない。逃げられた……? 或いは消滅した……?

「依途。動けるか?」

「ああ、どうにか」

「ならば消火作業を始める。このままではどこまで燃え広がるか……」

 血を塗りたくられた顔のまま剱が街を見渡す。お前こそ何で動けるんだ……と思ったその矢先。先ほどと違う光が俺たちの直ぐ側に現れる。輝き、はためく両翼。翼が失せ少女は地に降り立った。

「未神……」

 彼女は何も答えず、ただ掌を空へ掲げる。その瞬間雨雲が膨張を始め豪雨を降らし始めた。陽炎を貫いて雫たちが炎を殴る。すぐに辺りは雨音に支配された。

「大丈夫、消火はいい。……久しぶりだね」

「おまえ、どこ行ってたんだよ!」

「ごめん……」

 未神蒼が目の前にいた。あの日消えたはずの未神が、俺の傍にいた。

「謝って欲しいんじゃない、教えてくれ」

「全部明日教える。今日は帰宅して、明日学校に来て」

「待て。自衛隊と生徒会がこいつを狙っている。このまま帰すわけには……」

 剱がそう遮る。

「……剱沙夜ちゃん、だね。はじめまして、ぼくは未神蒼」

「……」

「まずはお礼を言わせてほしい。ありがとう、依途くんを守ってくれて」

「どうしてお前に礼を言われる?」

「ぼくが守りたい人を守ってくれたから」

 未神がいつもの微笑みを浮かべた。

「……分からんな。守りたいのなら何故こいつを戦わせようとする?」

「正しいね、きみは…………生徒会と自衛隊はぼくがこれから話し合いに行く。もう依途くんに危害を加えたりしないようにね」

「できるのか、そんなことが?」

「世界を書き換えるよりは簡単さ。じゃあ依途くん、また明日ね」

「おい、待て!」

 未神の姿が雨の中に消える。……明日、本当に会えるんだろうな。

「……あれが未神蒼、か」

「見たことなかったか?」

「写真でしか……ああも普通の子どものようだとは……」

「まぁ、ネバーランドの主らしいからな」

 剱は暫く戸惑っていたが、突然何かに気づいたようにどこかへ走っていく。

「どうしたー?」

 剱は何かを探すように地面を見つめると、やがて何かを掴んでこちらへ投げてきた。

「っと。何だこれ」

 ケチャップ。シールの印刷は少し焦げているがボトルは融けていない。

「結局オムライスは作ってやれなかったからな。自分で作れ」

「はは。そうするよ」

「ケチャップから炒めて作るんだぞ……さ、早く帰って家族に顔を見せてやれ」

「ああ」

 背を向けて歩き出す。けれど二、三歩歩いたところで足が止まった。

「どうした?」

「……礼はいつかする。またな」

「ああ。いつまででも待っていよう」

 雨の中を歩く。火は潰えていた。

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