第13話―描く男

 ―――――――――――――――――――――


「起きろー姉貴ー」

 夜道でぐーすか寝ている姉を叩き起す。

「んぐ……」

 目を擦りながら姉が体を起こす。

「あれ?」

「おはようさん」

 背におぶられたその人相を見て表情を変えた。

「あきら……その子、確か」

「ああ。あの暴れてたやつだ」

「どうするの?」

「知り合いなんだ。自宅に返すべきだろうが、場所が分からん。家において事情を聞きたい」

 それが姉にとって愉快な話でないのは分かっていた。ついさっきこの女に斬られたばかりなわけで。

「……うん。わかった」

 わずかに沈黙した後、そう答えてくれる。有り難かった。姉が立ち上がって体を伸ばす。

「帰ろっか」

「ああ」


 帰宅する。ソファに夜海を寝かし、布団を掛けた。寝顔は大人しいものだ。姉貴が破けた服を着替えて戻って来る。

「ねぇ、あきら?」

「ん?」

「あの怪人みたいなの、なんなの?」

 当然の疑問だった。

「俺もよく知らん。が、ロスブラ以降ああやって変身するやつが出始めたらしい」

「ふーん」

 分かったのか分かってないのか、そんな返事を寄越した。

「ねぇ」

「なんだ?」

「あきらの変身するとこ、みちゃった」

「はぁ!?」

「うっすら意識があってさー」

 おいおい、まじかよ……。こんなにあっさり家族にバレることあんのか?

「…………」

 どうなるんだ、俺。……家にいられるのか?

「変身ポーズとかないの?」

「へ?」

「ほら、ヒーローはポーズをとるのが仕事でしょ?」

 気が抜けた。安堵の息が漏れる。

「もっと驚かないのかよ、普通」

「驚いてはいるよ?」

「弟が訳分からねぇ化け物になってるんだぞ?」

「心配ではあるかな。健康に害ないのかなとか。バレて大騒ぎになったりしないのかなとか」

「……」

「もうちょっとヒーローぽいデザインならいいのになーとか」

 溜息。一瞬あれこれ心配した俺が馬鹿だった。最悪家から追い出されかねないとすら思ったのに。

「あの時さ、もう体が動かなくて。あきらのこと守れなかったなあって思ったんだけど。

 あきらがわたしのこと助けてくれたでしょ?」

「ん」

「あの見た目には驚いたけど、あんまり怖くなかったよ。あきらなんだなって分かったから」

「そんなもんか」

「あんなに怒って。あきらもシスコンなんだねぇ」

 無視する。姉がコンビニの袋からアイスを取り出して食べ始めた。

「その子は? 友達なんだよね?」

「まあその認識でいい」

「どうしてあきらを襲ってきたの? 痴情のもつれ?」

「違うと言いきれないのがな……」

 夜海の体がぴくりと振動する。起き上がる。

「ん……」

「お目覚めか」

「……! 私、私……」

「おい」

「依途さんのことを……私……」

 自らの行為に恐怖したのか、また呼吸を荒くし震え始めた。青い顔でたどたどしく言葉を紡いでいる。

「ごめんなさい…………ごめんなさい……」

「落ち着いてくれ。」

「大丈夫だよ」

「!」

 姉貴が夜海を抱きしめていた。

「嫌な気持ちにさせちゃってごめんね。でもわたし、ただのお姉ちゃんだから」

「私は、貴方も斬ったんですよ……怖くないんですか!?」

「ううん。大丈夫。大丈夫だから。いっぱい泣いていいんだよ」

「そんな、そんなわけ……」

「いいんだよ。わたしもあきらも何ともない。今は落ち着くまで、泣いていいの」

 更に強く、抱きしめる。別に何か解決したわけじゃない。なのにその光景は彼女の解放を思わせるに十分だった。


 ―――――――――――――――――――――


「はじめまして。戦火のシルエスタからやって参りました本学のアイドル、ケイン・カクタスです。清き一票をどうぞよろしく」

 教壇の前でやつがいつもの胡散臭い笑顔を浮かべた。クラスメートたちは笑うわけでもなく、ただ困惑している。教室が静まり返り、あいつだけがニヤケ面を崩さない。

「……とまぁ。ケインが帰ってきた」

 氷室が補足した。……そう、最早なんの驚きもないがこいつが教室に帰ってきたのである。

「ケイン、自分の席に着いてくれ」

「そうしたいのですが氷室教諭! カバンを職員室に置いてきました氷室教諭!」

「はぁ……取ってこい」

「仰せのままに!」

 ケインが走っていく。やつの姿が見えなくなると、氷室がゆっくりと話し始めた。

「……お前らに謝らなきゃならないことがある」

 先程より数段声が低くなり、僅かに小さくなっていた。

「ケインの帰国とその理由について、お前らには何も言わなかった」

 ……。

「本人が望まなかったからじゃない。混乱を防ぎ、通常通り勉学と学校生活を送って貰うため。そういうことだ」

 生徒が沈黙する。氷室が平静を装いながら続ける。

「言い訳になるかもしれない。が、もし事実をありのままに伝えていたならば、大きな不安と恐怖をお前らに与えてしまっていたんじゃないかと思う。済まなかった」

 ……多分それは心配しすぎじゃないかと、そう思う。ケインがシルエスタ共和国の生まれなのは大体みんな知っていた。家族がそこにいるとも自己紹介のときに言っていた。

 そしてシルエスタの内戦も大きく報じられたニュースである。多分ケインが何故何週間も学校に来なくなったのか、おおよその見当をつけていたやつも少なくないんじゃないかと思う。

 それでもクラスは普段通りだった。変わらぬ日常が流れた。それが答えでは無いだろうか。

「ともかくケインは戻ってきた。クラスが欠けずに済んだことを嬉しく思う」

 別にこいつらが冷たいだとかってわけじゃない。そういうものなのである、ということだ。

「ん……あれ? どうしたの? 氷室っち?」

 ケインがカバンを下げて戻ってくる。

「誰が氷室っちだ。ほら、ホームルーム終わり」

 氷室が去っていく。教室に変わらぬ喧騒が戻った。


 ―――――――――――――――――――――


 美術室。スケッチブックを掴んだケインが俺の席の前に座った。

「ペアを作れとか言うから探したんだけど、どうにも相手がいなくてね」

 デッサンの授業らしいのだが、ペアを組んで互いの顔を描くとかいう正気の沙汰とは思えない指示がなされたのだ。

「今朝の挨拶のせいだろ」

「ふむ。道化を演じることで、内戦から帰ってきた人間に気を遣わぬようにしてやったというのに」

「……そうなのか?」

「いや、ボケたら滑った」

 さいですか。

「ともかく描くとするか」

 ケインがスケッチブックを開く。

「鉛筆……無いな。ボールペンでいいか」

「残念だが、絵はだめなんだ。人とは思えないクリーチャーが生み出されるかもしれないが許してくれ」

「怪物は君だろう?」

「黙れ」

 ケインがこちらを見ながらペンを走らせた。

「そうだ、昨日のあの子はどうしたんだい?」

「姉貴が定期的に様子を見ることになった」

「そうなのか?」

「家に返そうにも場所が分からないだろ? 起きてから聞こうと思って姉と一緒に連れ帰ったんだが……そしたらあいつ、泣きだしちまってさ。んで姉貴がお節介焼き始めたってわけ」

「……ぷぷ」

「どうした?」

「いや、昨日は落とし前なんて言ったけど。どっちかと言えばアフターケアだね、それは」

「まあ、そうかも?」

「君の家は世話焼きの血筋なのかい?」

「さぁな」

 ケインはにたにたと笑い、スケッチブックを俺に見せてきた。

「これでいいかな?」

「……上手いな」

 実物より数段美形の俺が、写実的に描かれていた。流麗な絵だったが、それをこの速さで描けるのは本当に凄い能力だと思った。

「そりゃよかった。金になりそうかい?」

「ああ、食ってけそうだな」

「そんなにかな?」

「ああ……普段から描いてるのか?」

「いや。授業くらいだな。そもそも、特に描きたい理由もない」

 スケッチブックを返す。

「勿体ないな。これだけのものを描きながら……」

「そんなものさ。欲しくない才能なら、別にどうだっていい」

 そんなものなんだろう。その才の無さに死のうとするやつもいるのだから皮肉だなと思う。

「僕からすれば君の方が羨ましいけどね。気に入らない奴がいたら、殴り飛ばせるんだろ?」

 何か言い返そうとしたが、何を言えばいいか分からなかった。

「そうなら家族を守れた。偉そうに銃を向ける馬鹿にひたすら頭を下げる父を見ずに済んだ」

「ケイン……」

「力はチケットだ。自由を得るための。それが無いなら誰かの力に従わなきゃいけない。

 ……君はいま、そのチケットを持っているんだよ」

「自由を持っていると?」

「ああ。従うだけじゃない。自ら選ぶことが出来る。主体に……いや。主役になれる」

 いつか未神も言った。俺は主人公なのだと。

「君の選択は多くの人間に影響を与えることになる。既にシルエスタという国家に作用した」

「ああ」

「……見届けるとするよ。君がこの世界をどうするのか」

 教師に呼ばれ、ケインが立ち上がる。残されたスケッチブックには、何か棒のようなもので殴られるキャラクターが書かれていた。コミカルなタッチで頭から血が流れている。これが何を意味するのか。

 彼がシルエスタでどんな目にあったのか。聞くことは出来なかった。

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