第四幕 結実する想い

第35話 使命を背負う者

 ♢♢♢


(レオン視点)



 王立学園の舞踏会で起きた、前代未聞の婚約破棄騒動から数日が過ぎていた。衆人の前で晒された王家の恥に、王都中が熱狂と嘲りの渦に巻き込まれている。


 だが、その裏では、王家とボーフォール侯爵家による水面下の交渉が、張り詰めた空気の中で進められていた。それは、誰もが肌で感じ取る政変の予兆だ。


 レオンは、その日の仕事を終えると自室に籠もり、夜ごとランプの灯りの下で、公式報告書と、彼が秘密裏に築いた情報網『土蜘蛛』からの情報を照合していた。


『土蜘蛛』は、ドヴェルノン公爵家の暗部に属しながらも、現当主ラウル公爵に反感を抱いた者たちで構成されている。十三年前に死んだと思われていたレオンの生存を知り、彼らは密かに情報を流し始めたのだ。彼らからの情報は、おぞましい真実の断片を孕んでいた。


 インクと紙の匂い、深夜の静寂だけが部屋を満たしていた。レオンの瑠璃色の瞳は、目の前の文字を追いながらも、その思考はヴィオレットお嬢様が見続ける悪夢の根源へと深く潜っていく。


 毒殺、決闘、火あぶり……形を変えながら繰り返される死の光景。それは単なる予知夢にしては、あまりにも悪意に満ちていた。


(この悪夢は、外部からの干渉……意図的に、お嬢様に見せられているのか……? そのような事が、本当に可能なのか……?)


 疑念はますます深まる。学園での出来事、第一王子オーギュスタンの暴走、それに巧みに取り入るロザリー嬢。ヴィオレット様を孤立させ、婚約破棄へと追い込む一連の流れ。


 リュミエール農園で発見した、ゾッとするような冷たい魔力を放つ金属片。ビューコン村の風土病、禍々しいオーラへと変質していた成木リュミエール、村人のあからさまな態度の変化、そして野盗の組織的な襲撃。これら異質な出来事が、レオンの思考の中で一本の線として繋がっていく。


『土蜘蛛』からの情報と照らし合わせて浮かび上がったのは、第二王子リシャールを擁立し、その背後で糸を引くドヴェルノン公爵家の影だった。現王太子を失脚させ、その婚約者である邪魔なヴィオレット様を精神的に追い詰め、排除する。彼らの目的は明確。


(だが、なぜ悪夢を手段に使う? なぜ、お嬢様がこれほど執拗に狙われる? 単なる政敵排除にしては、あまりにも……おぞましすぎる……。あの、ヴィオレット様の美しい精神に、干渉しようとするなど……!)


 レオンの思考は、ドヴェルノン公爵家の異質な側面へと分け入った。山岳に根差した古くからの信仰、精神に干渉する禁忌の秘術、精神支配を可能にする魔導具……。これらこそ、あの家が悪夢と結びつく理由なのではないか。


 奴らは、己の目的のためならば、人の精神こころすら弄ぶ。あの家で、祖父母と父母を失い、奴らの手によって……知らぬ間に、奴らの歪んだ計画の駒にされていたというのか……?


 父エミールは歴としたドヴェルノン公爵家の先代当主と正妻との間に生まれた子。レオン自身もまたその血を引く。己の忌まわしい出自が、まさかお嬢様を苦しめる、この闇と繋がってしまっているとは……。


 この闇の深さ、そのおぞましい手口……。そして、一度目を付けられたお嬢様は、執拗に狙われ続けるのではないか……。


 敵は明確だ。ドヴェルノン公爵家。奴らを叩き潰し、ヴィオレットお嬢様を護る。その決意だけが、レオンの心を熱く燃え上がらせた。白い手袋に包まれたレオンの拳が、固く握り締められた。


(奴らの陰謀を白日の下に晒し、お嬢様を完全に護りきること。それが、私の使命だ。私の、全てを賭してでも成し遂げるべき、唯一の使命なのだ……!)


 レオンは、『土蜘蛛』からの情報を整理する。違法の闇リュミエールに関する極秘文書の断片、怪しげな資金の流れ、北の大国フォルテール王国との内通を示唆する密使の記録。そして、あの金属片の奇妙な紋様と放つ負の魔力、それが王家の管轄域にまで根を張っているという事実。


 これらの情報は、ラウル・ドウェルノン公爵の不正と裏切りを強く疑わせるには十分だったが、決定打には欠けていた。


 レオンはこれらの情報と自身の推理を、ボーフォール侯爵に報告した。侯爵はレオンを拾った際、彼から直接出自について聞いており、その秘密を知った上で引き取っていたのだ。


 侯爵は報告に驚愕し、内部告発の書類を精査すると、ラウル公爵への強い怒りを露わにした。レオンが掴んだ証拠は、国家の根幹を揺るがす陰謀を示唆していたのだ。


 ボーフォール侯爵はレオンを伴い、国王フィリップに極秘に謁見した。謁見の間には張り詰めた空気が満ちていた。国王は提示された証拠、特に金属片が放つ微かな負の気配に顔色を失う。


「ラウルの罪は……もはや疑うべくもない……。だが、まだ言い逃れをする余地があるな。これだけではドウェルノン公爵家を断罪する決定的な証拠とまではいかぬ」


 国王が重々しく嘆息する。


「ドヴェルノン公爵家が、まさかここまで……王国を根底から覆そうとしていたとは……」


「陛下、ドウェルノン公爵の断罪は必須にございます。しかし、ドヴェルノン公爵家は神秘主義派閥の筆頭にして、北方の要衝。家を取り潰せば、国境の守りが手薄になり、混乱と内乱の火種を生みかねませぬ。


加えて、この証拠だけでは、ラウルを完全に断罪し、国内外にその罪を明らかにするには、まだ決定的な物証が不足しておりますゆえ」


 ボーフォール侯爵は冷静に進言する。国王は深く頷いた。


「決定的な物証が必要だ……。ラウル一派の抵抗を抑え、ドヴェルノン公爵家の影響力を維持しつつ、新たな体制を築く手立てを講じねば……」


 国王が苦悩の表情で言葉を重ねる。


「陛下、ここにおりますレオンはドヴェルノン家の血筋であり、正当な継承権を持つ可能性がございます。ボーフォール侯爵家の庇護の下、その類稀なる能力と王国への忠誠心は証明されておりますれば。


彼を新たなドヴェルノン公爵として擁立するのが、ラウル排除後の混乱を最小限に抑え、ドヴェルノン公爵家の影響力を王国の安定に繋げる最善の策かと存じまする。


そして、決定的な物証は、おそらくドヴェルノン公爵領内、ラウルの手元にあるかと。それを確保できるのは、ドヴェルノン家の構造を知り、内部の情報網も持つレオン、彼しかおりませぬ」


 侯爵は重ねて進言する。レオンの能力と忠誠心は、長年彼を傍で見てきた侯爵が、自信を持って保証できた。国王も、王国の存続のため、レオンに望みを託す決断を下す。


「……承知した。ラウルを排除し、レオンを新たなドヴェルノン公爵として擁立しよう。そのために、レオン。決定的な物証の確保を命じる。極めて危険な任務となろう。しかし、王国のため、ボーフォール侯爵家のため、頼めるか」


 国王の言葉に、レオンは静かに、しかし深く一礼した。己の忌まわしい出自が、まさかこのような形で王国に貢献し、そして何より、愛するヴィオレットお嬢様を護る最後の手段となるなど……


運命さだめとは、皮肉なものだ。)


「かしこまりました。必ずや、やり遂げてご覧に入れます」


 お嬢様の安寧の為ならば。レオンの心は迷いなく固まった。憎むべき家を、ヴィオレット様のために継ぐ。それが茨の道だとしても。


 彼の瑠璃色の瞳には、ヴィオレット様への揺るぎない愛、過去、そして未来に立ち向かう静かな決意が宿っていた。


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