1話 出会いは突然(3)
ツグハと分かれた私は、林の脇を通る道を進む。
一人歩いていると、改めて何でこんな事してるんだろうって分からなくなる。
私は杠陽代の熱狂的なファンでもないし、恋愛がしたいわけでもない。
ツグハの話だって、半信半疑どころかまだほとんど疑っている。
でも、さっきの泣き顔を見て何だか放っておけなくなってしまった。
泣き落としだって詐欺師の常套手段だ。そう言えばツグハはまだ私以外の人間に会っていない。私にだけ見える幻覚の可能性もある……。
一人で居ると全部悪い方向に考えてしまう。
こうやっていつも疑ってかかるのは、期待すれば傷つくからだ。
はなから期待をしなければ、失敗しても最小限の傷で済む。
『え?静流好きな人がいるの?誰!誰!?教えてよ〜』
『誰かは内緒。絶対付き合えない人だから』
『え〜絶対なんて事ないよ!告ってみたら案外OKかもよ?』
『無理だよ、絶対相手はそんな気ないもん』
『でもさ、お互いを知るためにとりあえず付き合ってみよう〜とかなるかもよ?そこから両思いになったりするかもじゃん!』
『……
『場合にもよるけど、付き合ってみて相手の好きな所を見つけるのもいいな〜って思うよ。勇気出して告白してくれたんだからさ、こっちも相手のこと知りたいってなるかな!』
『そっか……』
別にそれで付き合えるって思ったわけじゃないんだ。
でももしかしたら、って思ってしまった。
『え、静流の好きな人って私だったの?…………そっか〜それは予想してなかったな……ちょっと考えてみても良い?』
『この数日、考えてみたんだけど。静流の気持ちは嬉しい。でも、私は静流のこと友達としか見れなくって…………だから、ごめんね』
それから紅葉とはあまり話さなくなった。
教室でも、部活でも。
高校も一緒なのに今じゃ顔も合わせない。
『紅葉彼氏できたんでしょ?』
『え!まじ?この前告られてた人?OKしたんだ?』
『うん』
『へ〜知らない先輩だったんでしょ』
『そうなんだけど、とりあえず付き合ってみようかなって』
ある日、聞こえてきた会話に心臓を抉られるような感覚になった。
私はだめだけど、知らない先輩は良いんだ。
私の方がずっと紅葉を理解しているのに。
……………違う、紅葉は何も悪くない。
ただ私はスタートラインにすら立てなかっただけだ。
しかたないよ、それは。私だって男性に告白されても絶対に付き合わない。それと一緒だ。
だからしかたない。
疎遠になったのだって私が勝手に期待して、傷ついて、今まで通りに過ごせなくなっただけだ。
期待しなければ……可能性なんて感じずに告白していなければ、ずっと一緒にいられたかもしれなかった。少なくとも今よりはずっと近くにいられた。
全部、私が期待したせいだ。
「あ」
林の中に作られた神社を覗くと、鳥居の下の階段に座って空を眺めている女性が居た。
絹糸のようなサラサラの銀髪。キャップを被っているけど、仄暗い神社の中で彼女の周りだけ浮き上がって見えるような存在感、遠目からでもその人物が誰かはっきりわかった。
杠陽代だ。
「…………ホントにいた」
制服のポケットに入れたハンカチを取り出す。
うわ、いざ話しかけるとなると緊張するな……。
もうハンカチだけここに置いて逃げてしまいたい。本当に私がこんなことする意味ってあるんだろうか。
足から急に力が抜けて前に踏み出せなくなった、その時。なぜか頭に浮かんだのはツグハの顔だった。
『もっと自信を持ってください』
未来の子供とか、恋人とか、そんなの信じられない。
…………でも、目の前に杠陽代が居て、私が彼女のハンカチを持っているのは事実だ。
ただ私はハンカチを渡せばいいだけ。簡単だ。
ガチガチになりながらも、一歩、確かに踏み出した。それからは足の裏の接着剤が剥がれたみたいに普通に歩くことができた。
一つ目の鳥居をくぐって参道を進み、二つ目の鳥居の前で止まる。
目の前の階段に座る杠陽代が私を見上げた。
近くで見るとやっぱりすごく端正な顔をしている。
キャップは変装なのかもしれないけど、彼女の存在感が強すぎて全然意味をなしていないな。
「あの、ハンカチ落としませんでした?」
言いながら白いハンカチを差し出す。
「……ああ、そうなのよ。そこで手を洗った時ないことに気づいたの」
杠陽代は視線で参道の脇にある手水舎を示した。
「あー……えっと、すぐそこに落ちてました」
めちゃくちゃに嘘ついちゃった。
バカ正直に貴方の名前が書いてあったから探してましたとか言えないし……。
「そうなの?拾ってくれてありがとうね」
「……っ」
心臓が飛び出るかと思った。可愛すぎて。
にこりと笑みを浮かべる杠陽代は大人気の女優だけあって破壊力がある。このまま一緒にいたら一瞬で惚れそうだ。
「あの、じゃあ、私行くので」
「あ、待って」
「え?」
「実は私、道に迷ってしまって。お家の近くまで案内してもらえたりしないかしら。携帯も忘れてしまって困っていたのよ」
うわ、そうだった。目の前の彼女に見惚れてて完全に頭から抜け落ちてたけど、この人迷子なんだった。
「……良いですよ」
こんな美人に頼まれたら誰だって二つ返事で案内するだろうな。
彼女はすっくと立ち上がり、軽くスカートについた汚れを払った。
うわ、目の前で見るとすごくスラっとしていて身長が高い。モデルみたいだ。私が知らないだけでそういう仕事もしてるのかな?
「私は陽代、貴方のお名前は?」
「……静流」
「静流さん?綺麗なお名前ね」
「あぁ、ばあちゃんがつけてくれた名前だから」
「そうなの。きっと素敵なお祖母様さんでしょうね」
「うん」
あ、そう言えばカレールー忘れてた。
ごめん、もう少し待ってて……ばあちゃん、花乃…………。
「えっと、それで……家はどの辺なの?」
本当は知ってるけど、ここで私が何も聞かずに先導して家まで案内したらストーカー判定される。
「うーんと、確か近くにオシャレなカフェがあったのよね。名前は……思い出せないのだけど」
「カフェ……」
あの近くってなると『喫茶こもれび』という和風の落ち着いたカフェがあったはずだけど、そこのことかな?
でもカフェって情報だけですぐに場所がわかるの不自然だよね……。もう少し焦らすか。
「どんなカフェ?和風?」
「そうね!お庭があるカフェだったんだけど、それが小さな枯山水みたいで風流な場所だったわ」
やっぱり喫茶こもれびで間違いなさそうだ。
「心当たりがあるからそこまで案内するね」
「ええ。ありがとう」
二人で参道を歩いて神社を出る。最初の鳥居をくぐった後、杠陽代が神社に向き直って礼をしていたので、私も真似て軽く頭を下げる。大物女優となるとこういう作法もきっちりしてるものなんだな。
「ここ、いい場所ね。とても静かで」
「あ、そうだね……」
先頭を歩く私の斜め後ろを杠陽代が歩いている。改めてなかなか信じられない状況だ。
「この辺の地理には詳しいの?」
「…………まあ」
……………。
……………。
全然会話が続けられない。
中学時代仲の良かった紅葉も今仲良くしてくれてる海色も向こうからうるさいくらいに話を振ってくれるタイプだから会話を繋ぐ能力が恐ろしく衰退している……。
そういえばツグハはどうなったんだろう。もういっそここに来て一緒に道案内してくれないかな。二人じゃ気まずすぎる。
キョロキョロしてツグハを探すと少し遠くの塀の影から手を振るツグハの影が見えた。まだ若干透けてるけど、あの様子からして事態は好転したらしい。
「え、ねえあれ?何か手を振って……しかも透けてない??」
「あ……」
杠陽代の瞳と視線の先を交互に見る。明らかにツグハの方向を見ていた。
あまり望まない状況でツグハが私の幻覚ではないことが証明されたところで、何て答えれば良いんでしょう………。
「え、あー……私には、見えないかも……」
「え!?じゃあ幽霊かしら!?」
うーん、間違えたかもしれない……。
でも見えるって言ったらそれはそれでおかしなことになりそうだし……。
「まあ、あの……暗くなってきたし……何か居てもおかしくないよね……」
この方向性であってるのかな…………。
「え〜〜私、幽霊って初めて見たわ!」
あ、何か怖がるってよりほわほわしてる。北海道民がゴキブリを怖がらないのと同じで恐怖より物珍しさが勝ってる。
「あ、居なくなっちゃった」
ツグハの居た方を見ればその姿はもうなくなっていた。たぶん、杠陽代に見られているのに気づいて塀の後ろに隠れたんだろう。
「あはは、急に変なこと言い出しちゃったわね……引かれちゃったかしら?」
「いや、別に。私も幽霊とか信じてないわけじゃないから」
じゃあ完全に信じているかと言われるとそこまでじゃないけど。なんか否定できない。
「ホラーとか好きなの?」
「あ、いや……怖いのは苦手。ビビリだから」
「そうなのね、可愛らしいわ」
杠陽代に可愛らしいと言われても実感がわかない。貴方の方が何億倍も可愛らしい……。
「陽代さんはホラー好きなの?」
「ふふ、実は結構好き。ホラー映画とか怪談朗読とかよく見るの」
「へ〜意外」
ツグハのおかげで会話が弾んでる……ありがとうツグハ。
それからは私も緊張が解けたのか、それなりに会話をすることができた。と言っても、向こうが話題を作って私がそれに乗る形で、人気女優さんにとても気を使わせてしまった。
喫茶こもれびまでのルートは、初対面の人間と人気のない道を通るのは不安かと思い、できるだけ大通りを通ることにした。
車が横を通る大きな道。ここを真っすぐ行けば喫茶こもれびの近くの道に繋がる。
広い歩道もあって人の往来もポツポツあるし、私も完全に二人っきりの空間よりはこっちの方が安心できた。
「静流さんは好きな映画ある?」
「映画かー」
あんまり見ないんだよなぁ。映画に限らずドラマやアニメもほとんど見てない。あーでも、花乃に連れられて一緒に見た映画は面白かったな。
「『アミューズメント』ってやつは好きだったな。楽しい映画で」
「あ、それ私出てたやつだ」
あ…………………。
思わず歩みが止まる。
『陽代ちゃん本当に可愛い!!あのシーン最高だった』
花乃が映画の後の感想で杠陽代のことしか話してなかったのを今思い出した。
そうだ、あいつ大の杠陽代のファンで、映画も杠陽代を観るために行ってたんだった。
「実は私、女優やってるんだけど、知ってた?」
え、これ何て答えればいいの?知らないなんてわけないし、知ってるんなら今まで黙ってたのが違和感だよね……。
「えっと……」
返事に窮する。
こんな事なら初めから『杠陽代ちゃんだよね』って話しかけておけば良かったのかな。
「陽代ちゃんだよね」
ん?頭で考えてた言葉が現実で聞こえた。男性の声で。
声の方を見れば、中年ぐらいの男性が立っていた。
「やっぱり、陽代ちゃんだ!この町で陽代ちゃんを見かけたって情報、本当だったんだ!」
ファンの人かな。
もうそんな情報出てるのか。有名人は大変だな。
「あはは、ちょっと遊びに来てて」
引っ越して来たという情報は伏せるらしい。まあ、越してきてすぐ住所特定とかされたら鬱陶しいだろうしな。
「こんな何もない町に?でも嬉しいよ、陽代ちゃんがこの町に来てくれて」
「ふふ、ありがとう」
「あ!せっかくだから握手してもらえませんか?」
「もちろん」
握手か。
そう言えば、握手とかしてもらいたいとは思わなかったな。確かに杠陽代は大スターだし、すごく美人だけど、結局、私はファンじゃないし。
サインの一つでももらっていけば花乃は喜ぶんだろうけど、サインしてもらう色紙もペンもないし……。
ふと、男性の差し出した手を見てぎょっとした。なんか濡れてる。汗かな。
杠陽代の方を見る。彼女はピクリとも笑顔を崩さない。
私が気づいたんだ、杠陽代も気づいているだろう。でも指摘できないんだ。
汗だらけの手とも握手しなきゃいけないんだから人気者は大変だな。
………………。
「あ?」
「静流ちゃん?」
気づいたら男性と杠陽代の間に立っていた。
「あ……握手の前に手汗を拭いた方が……良いかなって」
手汗を指摘されるのは恥ずかしいだろうが、好きな人に不快な思いをさせるよりはマシだろう。
「あ、ほ、ほんとだ!ごめんね陽代ちゃん、陽代ちゃんに会えると思ったら緊張しちゃって」
男性は服で汗を念入りになびってまた手を差し出した。
まあ、……さっきよりは良いかな。
男性の右手を包むように両の手で握手をする杠陽代。男性は目に見えてキュンキュンしていた。あの握り方されたら好きになっちゃうよな〜。
握手が終わってほしくないと言うように、ぎゅっと杠陽代の手を握るのをやめない男性。
握手ってこんな長いものだっけ……と思っていたら後ろから来た車が私たちの近くに横付けしてきた。
またファンか?
「陽代!探したわよ!」
「あ、
車から出てきたのは杠陽代を探しに行っていたあのマネージャーだった。マネージャーの登場をきっかけに握手は終わる。
マネージャーの鋭い目つきが男性を見ると、彼は名残惜しそうにしながらもお礼を行ってその場を去っていった。
そして次にその射すくめるような視線は私を見る。あまりの威圧感に体を縮こめてしまう。
「鴻さん、この人は道案内をしてくれてたの」
「え?そうなの?ていうか、やっぱり迷子だったのね」
「少し遠くまで行きすぎてしまったわね」
「もう…………。そこの方、うちの杠が大変お世話になりました。」
マネージャーが深々と頭を下げる。
「あ、いえ」
「本当にありがとう。とても助かったわ」
「……どういたしまして」
「それじゃあ陽代、帰るわよ。お母さんも心配してるし」
「そうね」
マネージャーが後部座席のドアを開け、彼女に乗り込むよう促す。
杠陽代は車に乗る直前、もう一度私を見て言った。
「またね」
「…………うん?」
彼女が車に乗り込み、扉が閉められた。マネージャーはもう一度、私に一礼すると運転席に乗り込んで車は颯爽と去っていった。
またね??
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