第一章 「プロローグ」  ――自分の中の太陽が、ひっそりと死んでいく

 ◆

 「やっぱり僕にはわからないんだよねぇ」

 軽い口調でそう言って、シータはパチンと指を鳴らす。

 ガン、と硬い音がして、銃弾がシータの近くの壁にめり込んだ。

 「何がだ?」

 シータの頭の少し上の方から声がし、鋭い琥珀色の瞳をしたハヤブサのエレキが、シータの肩に留まる。

 再びパチンと指を鳴らすと、今度はシータの足元に銃弾が落ちた。

 「みんな、何でこんなに必死に抵抗するんだろうな? どんなに足搔いたところで、死ぬのなんて決まってるのにさ。まったくもって、非合理的で無駄な行為だよ」

 シータが不思議そうな顔をしてそう言うと、エレキは深々とため息をついた。

 「そんなの、生きたいからに決まってんだろ?」

 「そんなものなの? そんな気持ち、僕にはわかんないや」

 シータは首を傾げる。

 そんなシータを、エレキは悲しそうに見つめた。

 「まあ、もうシータにはわからねぇ感情か」

 哀愁の色を乗せた声でそう言うと、エレキは薄暗い空に舞い上がる。

 すると、急に辺りの空気が小刻みに振動し始め、ぼんやりと銀色に光りだした。

 「不味い、また来るぞ!」 

 焦ったような男の声が聞こえ、シータは白衣のポケットから耳栓を取り出して耳にはめる。 

 その瞬間、爆音が轟いた。

 耳栓をしていても顔をしかめたくなるような大きさのその音に、男たちは頭を押さえ、地面をのたうち回っている。何人かは壁の影などに避難できたようだが、その数はもう少ないだろう。

 「派手にぶっ放してくれたね、ギン」

口角を歪に吊り上げ、シータは地面を芋虫のように這いまわっている男の前へと歩いていく。

 「いくらもがいたって、これで終わりなのにね」

 全く持って無駄な抵抗。むしろ恐怖を延長しているだけであって、何一つとして利益は無いはずだ。

 耳栓を外すことなく、腰につけているホルスターから小型拳銃を取り出すと、シータは静かに目を瞑った。何回やっても、ヒトが死ぬ瞬間というのは、ひどく不愉快なものだ。

 「狂っちゃったその人生、今から僕が終わりにしてあげるからさ、」

 ――僕の分まで神に懺悔してきてよ。

 引き金に指をかけ、躊躇うことなく指に力を入れる。

 ドン。

 鈍い音がし、目の前の男の生命反応が無くなったのがわかった。足元の冷ややかなコンクリートから、生ぬるい血の匂いが立ち上ってくる。

 (まだ温かいのか)

 その匂いに思わず顔をしかめると、目を開き、残っている男の気配を確認する。

 最初にいたのは八人ほど。今片づけたのが三人目なので、残りは五人だ。

 ほとんどが弱い才能の持ち主で、特に手こずることもなかった。

 仲間であるギンの攻撃によって、聴力は役に立たなくなっているだろうし、後はのんびりと片すだけである。

 「あーあ、ほんっと面白くないなぁ」

 せめてもう少し手ごたえのある連中であれば良かったのだが、生憎今回もそうでもないようだった。

 利き手である左手でくるりと小型拳銃を回すと、シータは無造作に引き金を握る。

 ドン、と再び鈍い音がして、遠くで男の断末魔が聞こえた。

 そのまま反対方向に拳銃を向けようとしたとき、シータの視界の片隅で黒い影がよぎった。

 「同胞の仇を思い知れ、死神ィッ!」

 低い怒号が聞こえ、ぎらりと光る銀のナイフを突き出した男が、咄嗟のことで反応できず目を丸くするしかないシータに向かって突っ込んでくる。

 「シータ!」

 遠くの方でクロックの声がした。

 男の想いに呼応したナイフが鋭く伸び、シータの胸を貫こうとした刹那、男の動きがぴたりと止まる。

 いや、男だけではない。シータを取り巻く世界の全てが止まっていた。

 正確に言うと、シータの時間だけが進んでいた。

 シータの脳内に、カチッコチッ、と時計の秒針が動く音が聞こえる。

 自分の時間が早送りされている間に、シータは襲い掛かってきた男の背後に回り込み、心臓に弾丸を打ち込んだ。

 ふっと何かが解けるような感覚がして世界に時間が戻り、目の前の男の胸から真紅の噴水が噴き出した。

 秒針の音が消える。

 にやりと笑い、シータは後ろを振り向いた。

 「助かったよ、クロック」

 艶やかなショートカットの黒髪を強調させるかのように一房入った紫のメッシュを揺らし、クロックがやれやれとため息をつく。

 「命は一つしかないって、何度言ったらキミはわかってくれるのかな」

 穏やかな言葉の中に静かな怒りを感じ、シータは「ごめんって」と軽く頭を下げた。

 別に僕は命が惜しいわけじゃないんだけどな、という言葉は、間違いなくクロックに怒られるのでグッと飲み込む。

 そんな軽いやり取りをしながらも、拳銃を三発。

 例え標的の方を見なくたって、銃弾が命中することは、確定された未来だ。

 どさりと人が倒れる音がたて続けにする。

 灰色の土埃が空を舞い、やがて、辺りは静かになった。

 乱戦だった中でも、汚れ一つ付いていない真っ白な手袋を口で外し、シータは空を見上げる。

 今回もおもしろくなかった。体内を流れる血が滾り、自分の才がうずくのを感じる。

 「あーあ、つまんないなぁ」

 朝日を背負いながらシータの肩に舞い降りたエレキは、呆れたように首を振った。

 「ヒトを殺した後に言う言葉が、それかよ」

 シータは、付いてもいない埃をはらう。

 「そんなこと言われたって、任務は任務じゃん。情は必要ないよ」

 もっとも、任務でなくても、情なんてものは湧かないのだろうが。 


シータ率いるチーム「ギフテッド」は、政府に命じられて動いている。

 任務の内容は二つ。

 一つは、才能に飲み込まれた暴走者の始末。

 そしてもう一つは、二〇五〇年から噂になり始めた、東京都内のある廃ビルの破壊。

 現在は二〇五三年なので、奇妙な都市伝説が日本国内にあふれ始めてから、三年が経つ。

 その都市伝説とは、「満月の夜にのみ現れる廃ビルから飛び降りると、常軌を逸脱するほどの才能が手に入る」というものだ。

 才能――多大過ぎる犠牲と引き換えに手に入れる異能力。その種類は様々で、単純な身体能力強化や、対人関係を意のままにできるもの、雨を呼ぶなどの自然を操るもの、数式や化学式を使って変化を起こすものなど、才能者の数だけ異能力があると言っても過言ではない。

 だが、それゆえに代償は大きかった。

 まず、廃ビルから飛び降りた全員が全員、才能を手に入れられるわけではない。人が才を選ぶのではなく、才が人を選ぶのだ。そのため、才に選ばれなかった人間は命を落とすしかない。

 次に、才能が暴走する危険性。才能の使用と共に、自分の記憶や人格はゆっくりと失われていく。そのため、才に飲み込まれ暴走してしまった人間は、同じく才を所有する人間が止めるしかない。

 その上、才能者によって様々だが、才能の代償を払っている。目に見える身体的な代償を払っている者もいれば、目に見えない精神的な代償を払っている者もいた。

 そのような、多大すぎるリスクがありながらも、才を欲し廃ビルから飛び降りる人間は後を絶たなかった。

 もちろん、着実に増えていく才能者や暴走者の存在を、政府は黙認しているわけではない。

 目には目を、歯には歯を。

 才能には才能を。

 国民には秘密裏で、才能者の組織を作っていた。

 その組織に属している者の数、わずか三人と一羽。しかし、彼らの才は、同じ才能者の中でも比類なき強力さ。暴走者を次々と葬り去っていた。

 そう、その組織こそが、シータたちギフテッドだ。

 先に答えを決定してから数式を作り出し、現実世界に反映させる才能を持つシータ。

 自由自在に電流の動きを操ることができるハヤブサ、エレキ。

 自分の残りの寿命を使う代わりに、対象の時間を進めることができる才能者、クロック。

 ありとあらゆるものを体内に蓄積し、任意のタイミングでそれを放出することができるチャージ&スパークの才に選ばれたギン。

 個々の才能は、強力なのはもちろんのこと、万能性も高く、柔軟で臨機応変な戦闘ができる。それは、様々な種類の才を保有する暴走者を制するにあたっては、最も大切なことと言っても過言ではない。


 とにかく、シータたちは今日も任務に駆り出されていた。

 「ここのところ、任務が多くてエキサイティングだっ!」

 ウキウキとスキップをし、楽しそうにそう叫びながらギンがやってきた。いつもは目を覆うほどにぼさぼさな銀髪が、爆発したかのように、ツンツンと上を向いている。

 シータの肩の上のエレキが、やれやれという顔をした。「ギンは、今はハイテンションか」

 「そうだっ!」

 透き通るような翡翠色の目を輝かせながら、ギンが勢いよく頷く。

 彼は、その不思議な才の代償として、蓄積中は体調や精神状態が著しく悪くなる代わりに、放出後はすこぶるハイで幼くなる体質になっている。

 「エキサイティングだとかは置いておいて、最近、暴走者の数が目に見えて増加してきているのは心配かな」

 中性的な口調をしているのはクロック。左がグレイ、右が真紅のオッドアイが怪しげな輝きを放っている。彼女もまた、服に汚れが付いていない。

 「そうだね」シータは顎に手を当て、考える振りをする。

 が、すぐに手を放し、仲間たちの顔を見渡した。

 「ま、とりあえず僕たちのアジトに戻ろうよ」

 いくら暴走者とは言え、ヒトを殺したばかりなのに、へらり、とシータは笑う。

 「それはいい」シンプルな返事をしたクロックが、すたすたと基地の方向に歩き出した。

 跳ねるようにしてギンがその後に続き、シータも足を踏み出す。

 シータの肩から舞い上がったエレキは、仲間たちの姿が見えなくなるのを確認すると、一度地面に降り立ち、近くに咲いている白百合を一本、丁寧に折った。

 それを嘴に咥え、死んでいる男たちの元へと向かう。


 シータは、本当に変わってしまった。一人孤独に喘いでいた自分を拾ったときの輝きは、今は欠片すらなく、どこかほの暗くて狂気的な炎がちらちらと燃えているだけだ。そして、その炎は今すぐにでも消さなくてはならないものだ。 

 しかし、誰がどれだけ努力しても、決してそれが消えることはないということは、よくよくわかっている。

 生命力と人格を燃料として燃えているその炎は、そう長くないうちに、シータの身を全て焼き尽くしてしまうのだろう。

 あと、三年もつかもたないかだ。

 実際には、シータに残された時間は二年も無いのだが。

 地面に降り、静かに花を供えると、死者のために短い祈りをし、エレキはシータたちの後を急いで追いかけた。

 シータがどうなってしまおうとも、自分にできることはただ一つ。

 シータが完全にヒトの心を失ってしまうまで、いや、彼の命の灯が消えるその瞬間まで、隣に立つこと。

 それが、あの日自分が生きる意味を見つけてくれたシータへ、親友である自分ができる、最大の恩返しだ。

 あちこちに赤黒い血痕が飛び散っている中、汚れ一つない純白の白百合はひどく映えた。そよそよとした風に吹かれ、朝日に照らされた白百合は深く頭を垂れた。

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