第47話言葉

言葉に意味なんかない

それでも言葉のチカラを信じてる

それでも君の言葉を信じてる

いつまでも2人の歴史を信じてる


いつものお金の無心

僕らは愛するマシン

やつらの利己的な保身

がんばるよ君のための腐心

相変わらず港区は都心

格闘技を習うのは護身

吉本ばななはキッチン

嫌味を言われてカチン


カントが現象と呼んでいるのは想像界と象徴界の組み合わせです。人間なイメージと言語によって世界を現象として捉えている。しかし、その向こう側に現実界があり、それにはアクセスできない。にもかかわらず、それにアクセスしようと思っては失敗し続ける。


ひとつのXをめぐる人生というのは、いわば単数的な悲劇ですが、そうではなく、人生のあり方をもっと複数的にして、それぞれに自律的な喜びを認めようということです。東浩紀は、単数のXから「複数的な超越論性へ」という転換をデリダにおいて強調しました。


フーコーによれば、近代以前には、人間の思考は無限に謎を掘り進めていくようなものではなかった。まず神の秩序が揺るぎなくあって、神はとにかく無限の存在であり、神がつくった世界はすべてくまなく秩序的であって、人間はその中に含まれている。人間は神には及ばない有限なものなので、自分に分かる範囲で世界の秩序をできるだけ発見しようとする。人間は有限であり、有限にできることをやるしかなかった。


しかしそれ以後、有限性の意味が変わります。神と比べて人間は有限、なのではなく、人間自身に限界があるために世界には見えないところがある、という自己分析的な思考が立ち上がってくる。人間にわかっていることの背後には何か見えないもの、暗いものがあって、人間はそこに向かって突き進んでいくのだ、というような人間像になっていきます。


否定神学という言い方で近現代の思想を捉えたのは、東浩紀の「存在論的、郵便的」です。

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