第六話 羽山の宿『平安亭』 後編

「さぁー着いたよ! ここが、あたしの居候先『平安亭』!」

「……こ、これが宿場と……!?」


 一葉の案内で到着した平安亭……その大きさは、私の想像の上を行くものだった。

 長大な漆喰の壁が街道に沿って一直線に伸び、門に着くまでにも、それなりの時がかかった。普通の宿場なら十軒は建つであろう広大な敷地を、たった一軒が有しているとは……!


「すげぇな……! いっぱしの大名屋敷くらいのでかさじゃねぇのか……!?」

「あはは、そうだね! それ、ある意味間違ってないよ。」

 一葉は少し嬉しそうに、この羽山の地に宿場が建った経緯いきさつを話し始めた。


「羽山は、もともと国衆が治めてた土地らしくてさ、長が宮原家に降ったとき、この土地を開け渡したらしいの。」

「その時、鈴香の……あ、『立花鈴香たちばな すずか』っていうんだけど、彼女の親父さんが、居住地ごと宮原家から買い取ったのが始まりなんだって。」

「なんとも羽振りのよいことだ。よほどの豪商であったのだな。」

「うん。でも、親父さんはもう亡くなってて……。今は鈴香が、女将としてここを切り盛りしてるんだ。」


 そう語ってわずかに寂しげな顔をした一葉だったが、すぐさま元の明るい笑顔に戻る。


「鈴香、普段はおっとりしてるけど、相当のやり手なんだよ? ま、あたしはそこが好きなんだけどさ! んふふ!」

「そろそろ行こっか。あたしは先に行って、鈴香に話つけとくからね!」

 一通り語り終えた一葉は、こちらに手を振りながら門をくぐって行った。


「しかし、よく喋る女だなぁ。あいつ。」

「そう言うな。平安亭や女将のことを、あれだけ饒舌に語るのを見ると、彼女にも、ここに居候する事情があるのやもしれぬ。」

「ああして友のために客引きをしているのだとすれば、なかなか甲斐甲斐しい女子ではないか。」

「なるほど、それはそうかも知れねぇな。」


 私と雷王丸は、彼女が戻ってくるまでの間、改めて町内を見回してみた。

 街道は平安亭の角に沿う形で十字に引かれており、大小さまざまな家屋が建ち並んでいる。我々が通ってきた道は南側にあたるようだ。


「武具屋に薬売り……おっ? 山の手には湯治場もあるみてぇだぜ?」

 雷王丸がそう言って十字路の東側に指を差す。山へと続く入口に「辛夷こぶしの湯」という立札があるのが見えた。

 広い土地に温泉も湧いているとは……。なるほど、ここに宿場を設けた理由が分かるような気がした。


「お待たせ―!」

 ほどなくして、一葉が平安亭の門から出て、こちらに駆け寄ってきた。


「鈴香もあがってくれていいってさ! 今晩の宿賃も、あたし持ちってことにしといたから!」


 ……ん!?

 一葉の思わぬ申し出に、私は目を丸くする。


「お前持ちって……!? ここにタダで泊めてくれるってのか!?」

 雷王丸も、私と同じ心境だったらしい。すぐさま一葉の真意を問い―――


「そういうこと! 遠慮しなくていいから、二人とも、存分にくつろいじゃって!」

「おおー! すっげぇ助かるぜ! そんじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかね!」

「はいはい~! 二名様ごあんな~い!」


 ……

 雷王丸は一葉と共に、小躍りしながら暖簾のれんをくぐっていった。



 いや、怪しいだろう……! どう考えても……!



 ――――――



「いらっしゃいませ。」

 ……他に当てもないゆえ、私も二人のあとを追って、平安亭の暖簾をくぐる。玄関に到着すると、三つ指を突いて待っていた女子が、微笑みながら私を出迎えてくれた。


「はじめまして、小野寺様。平安亭女将『立花鈴香』です。」

「う、うむ……。」


 活発な一葉とは対照的に、とても柔らかな物腰の女子だというのが、最初の印象であった。

 歳もおそらく、一葉とほとんど変わらぬと見える。ゆったりとした穏やかな笑顔は、ここを訪れた旅人たちの疲れを、何人と癒やしてきたことだろう。

 真っ当に金を支払わせてくれれば、この笑顔も素直に受け止められたのだが……。


「一葉からお話は聞いております。大きなお怪我をされているとのことで、心配だったのですけど、お元気そうで安心いたしました。」

「さぁ、どうぞおあがりください。すぐに治療させていただきますね。」


 鈴香は私を奥座敷まで案内する。


 外から見ても豪勢に思えた平安亭だが、内部から見れば更に美しい。座敷へと続く長廊下は、途中から雨戸を開けられる構造となっており、そこから内庭、外庭の両方の庭園を眺められるようになっていた。


 外庭は枯山水、内庭は池泉と、左右で趣の異なる景色を同時に楽しめるのも、こだわりが感じられる。それなりの城持ちでもこうはいかぬ。私が今まで利用してきた中でも、抜きんでて見事な宿場だと評せずにはいられない。


 奥座敷では、先にあがっていた一葉と雷王丸の姿があった。私の姿を見るなり、二人してこちらに手を振ってきた。


「それでは菊定様、早速ですが、背中をお出しいただけますか? 傷がどの程度か、確認いたしますので。」

「うむ。すまぬが、お願いする。」

 鈴香に言われるまま、私は直垂をはだけさせようと、襟に手をかけると……


「あ……ちょ、ちょっとあたし、向こう見てるから……。」

 一葉が急に慌てた様子で、私に背を向ける形に座り直した。耳がほんのりと赤くなっているのが分かる。


「ふふふ。一葉って、普段は勝気なのに、意外とウブなところあるわよね。」

「う、うるさいなー! 余計なこと言ってないで、早く済ましちゃってよ!」

「はいはい。」


 鈴香は少しからかうように笑いながら、私の背に触れた。

 そこは丁度、私が痒がっていた部分だったのだが―――



「―――ム……ムググ……ッ!」

「え? あ、あら……!?」



 なんだ……!?



 何かが、私の背中から……「出てくる」……!?



「ぶふぁ~っ!!」



「きゃあぁぁーーー!?」

「うぉ!? なんだこいつ!?」

「え、ちょ、なに!? 何があったの!?」


 私の背中から何かが飛び出した感覚とともに、鈴香たちが悲鳴をあげる。

 何が出てきたというのか……!? 私も確かめるために振り返ると……



「ふ……ふぇぇ……。死ぬかと思うたわ……。」


 そこには、ゼイゼイと息を切らせ畳にへたれこむ、

 黄泉の狭間で出会った妖虎「虎正」の姿があった……。



 ――――――



「……んで、なんだ? この化け猫。羽生えてるし、飛んでるし……。」

「失敬なことを抜かすな! わしは虎正! れっきとした妖虎じゃ!」

「妖虎ぉ? なにそれ? 妖の類か何か?」

「妖なんぞと一緒にするでない! 格が違うわ!」


 少し経ち、落ち着きを取り戻した雷王丸と一葉が、次々と虎正に問いを投げ続ける。

 やや小馬鹿にされているのを感じてか、虎正もムキになって答えていた。


「聞いて驚け! 老君によると、わしに流れる妖虎の血は、戦神いくさがみと同等の力と言われておるのじゃぞ!」

「もしも、わしが大きくなったら、おぬしらなんぞ一捻りなんじゃからな!? 敬え! わしを! もっと!」


「……いくさがみ~?」

「いや……いきなりそんなこと言われても意味わかんねぇから。なんだそりゃ?」

「そんなことよりさ、羽も動いてないのにどうやって飛んでんのよあんた? 上から糸で吊ってんの?」

「だ、ちょっ……さっきから何なんじゃおぬしらは~!?」


「ふふふ、もう、騒がしいこと。」

 虎正を囲む雷王丸と一葉のやり取りを眺めながら、鈴香は私の傷に手を当てていた。


 鈴香の手に触れられた傷口が、少し痒い。

 これは、鈴香が用いる治癒の法術「癒身ゆしん」の副反応だ。


「……見事な法力ほうりきですな、鈴香殿。今まで何度か術師に掛かったことはあるが、そなたほどの腕は初めてだ。」

「そうでしょうか? お褒めに預かり恐縮です。」

「今は戦の世。さぞや、戦帰りの者たちにも、頼りにされておられるのでしょうな。」

「……」


 私がそう聞くと、鈴香は苦笑いするようにため息をつき、少し押し黙ってしまった。


「はっ……! すまぬ、鈴香殿。考えなしに聞いてしまった……。」

「あはは……。いえ、気にしておりませんよ。」


 はにかむように笑う鈴香だったが、その目は少し悲しげに見える。

 もしかしたら、この法力で何かあったのかも知れぬが、こちらから触れるべきではないだろう。私は敢えて、それ以上は続けなかった。


「……小野寺様。私の力については、なるべくご内密に願います。」

「こうして治癒を施すのも、一葉の頼みがあってのこと。術師として名を上げる野心はございませんので……。」

「……承知いたした。」

 そう言葉を交わす間にも、みるみる体の傷はふさがっていき、四半刻も掛からず、鈴香の癒身は完了した。



「……だからじゃな! 戦神というのは、この世界を守護する『神さま』みたいな者のことなんじゃ!」


 私が治癒を受けている間も、虎正の熱弁は続いていたようだ。


「おぬしらの暮らしておる所にも、社の一つや二つあるじゃろ! あれに祀られるほどの神格を持つのが戦神よ!」

「つまり! それと同格と呼ばれるわしは、本当にすごーい妖虎だということじゃ! 分かったか!?」

「ふーん。しっかしお前、見た目すっげぇ弱そうだし、全然神さまにゃ見えねぇな。はははは!」

「で、あんたはどこに祀られてんのよ? そんなに可愛らしいんだし、さぞ、お賽銭もガッポリなんでしょ~?」


「な、なんで、こやつらは……わしを敬おうとせんのじゃ……?」

 まるで態度を変えてくれない二人に対し、虎正は目を回しながら頭を抱える。少し可哀想にも思えてきた。



「さ、菊定さんの治療も終わったわけだし、そろそろ本題に入りましょっか!」

 ひとしきり虎正をからかい終えると、一葉はポンと手を叩き、こちらを見る。

 いよいよ来たか……。


「ん? 本題?」

 ……雷王丸は案の定、今聞いたかのような反応をしている。


「当然だぞ、雷王丸殿……。このような宿場にタダで泊めるなど、何かなければ考えられぬ。」

「一葉殿、我々に一体、何の見返りを求めておられるのだ?」

「んふふ! 話が早くて助かるわね!」


 私の返答に、お天道様のような笑顔を向ける九十九一葉……。

 その笑みがむしろ怖いのだが、事ここに至っては、腹をくくるほかあるまい……。



「あんたたちには、あたしの『仕事』を手伝ってもらいたいの!」

「仕事? まさか、我々を使用人に……?」

「んなわけないでしょ。あたしと一緒に『傭兵稼業』をやって欲しいのよ!」



 傭兵稼業……!?



「は!? あんた、ここの居候じゃねぇのかよ!?」

「あ、女中かなんかだと思ってたわね? 違う違う! あたしの本業はこれよ!」

 そう言って、一葉は一丁の鉄砲を取り出した。

 だが、その銃身は、通常のものよりかなり短い。一葉は片手で一回転させて見せる。


「なんじゃ? その長細いカラクリは?」

「お、虎ちゃんも気になる? なら、教えたげるね!」

「虎ちゃ……っ!? も、もうよい、何とでも呼べ……!」


「これは『短筒』っていうの。普通の鉄砲と違って、片手でも扱える鉄砲でね、あたしはこれを使って、戦場いくさばを渡り歩いてんのよ。」

「どこの家にも付かず、戦があれば顔を出して、戦果に応じて報酬をもらう。それがあたしの本業ってわけ。」



 ……驚いた。よもや、この娘も「戦人」だったとは……。

 確かに、鬼が暴れた現場に居合わせながら、妙に肝が据わっている女子だとは思っていたが……。


「……あんたたちさ、あの港町で、すっごくデカい化け物倒してたじゃない?」

「あれくらいの実力があるんだったら、仕官なんかしなくたって、傭兵として稼いでった方が絶対いいと思うのよね~。」


「いや、一葉殿……私は仕官先を求めて日守を訪れたゆえ、その儀には……」

「えぇ? 家に仕官したってさ、俸禄ほうろくなんて安いもんだし、領地なんてもらったら、一生そこから動けなくなるんだよ?」

「だったら、その腕を自由に使って、自由に稼いで、自由に生きられる方が楽しくない? 菊定さんと雷王丸さんなら絶対できるよ。でしょ?」


「む……う……。」

「なるほどな……。」


 なかなか弁の立つ娘だ……。

「自由」という言葉を聞いて、雷王丸は既にその気になったように頷いているが、彼は放っておこう。


 確かに魅力的な話ではある。

 鬼を討ち果たした我々の武と、今披露している一葉の弁舌があれば、傭兵稼業で財を成すという提案も、決して絵空事ではないように思う。


 ……だが、そのためには一つ、ここでハッキリしておかねばならぬことがある。



「……そなたの考えは分かった。一葉殿。」

「それで、我々が共に稼業を手伝うとして……報酬の『取り分』がどうなるのか、お聞かせ願いたい。」



「え? そりゃあ、あたしが仕事を紹介したげるんだから、あたしが一番多くもらうに決まってるじゃん? 『八・二』ってところね。」

「―――なぁぁにいぃぃ!?」


 が、がめつい女だ……! 想像はしていたが……!

 鈍感な雷王丸ですら、さすがにひっくり返ったぞ……!


「お前なぁ! 人に協力求めといて、なに自分だけ儲けようとしてんだよ!?」

「取り引き取り引き! その代わりに、この宿の離れをタダで使わせてあげるって言ったらどう!?」

「えぇ!? ちょっと一葉、そんな話聞いてないわよ!?」

「いいじゃ~ん! この人たちなら、その分お釣りが出るくらい稼いでくれるって~!」


 話がどんどん飛躍していく……。

 というか、平安亭を拠点にする話は、鈴香としていなかったのか……。

 勢いに乗る一葉の舌は止まらず続く。


「とーもーかーく! すぐに明日の支度して! 今日の宿代、さっそく稼いでもらうわよ!」

「急だな? 明日どこに行くってんだよ……?」

「傭兵が行くとこなんて決まってんでしょ?」

 そう言うと、一葉はすっくと立ちあがり、短筒を顔の前で回して止め、凛とした笑みで答えた。



「戦場よっ!」



 雷王丸らとの出会い、垣間見た死の淵。そして「鬼」……

 私の身に訪れた激動の一日も、最後はこうして、賑やかに過ぎていくのであった。

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