幻想戦国伝 雷王

康麺

序幕 八幡原にて

 建永八年 五月六日

 石岳郡 八幡原


「ウオォォォォォォォォ!!!」


 東西にそびえる山の合間、少し開けた平原の中心から、最前線を走る足軽たちの喊声かんせいが響き渡る。

 彼らは興奮と恐れで顔を歪ませながらも、携えた長槍を勢いよく振り下ろし、突き進んでくる眼前の敵を迎え撃ち合った。


「矢面に立つは戦の誉」

 幼少からそう叩き込まれていようと、いざ実際に相対せば、恐ろしさで足がすくんでくるものである。

 整然と居並ぶ目の前の槍衾やりぶすまに、思わず立ち止まった足軽の一人が、後続の味方に蹴散らされ、近くを流れる川べりにはじき出されてしまった。


「ううぅ……お、お゛っがぁあ゛……っ!」


 男は、戦場に立つ恐怖心と、想像以上に覚悟がなかった己に対する羞恥の念で、川の水に顔を着けたまま、ゴボゴボと泣きじゃくる。


 なんと情けないものか……

 日守ひのもりの治世を担う「宮原みやはら将軍家」

 二年前に急逝した、二代将軍・照宗てるむね公に替わる現当主は、まだ齢21と聞く女子おなご優姫ゆうひめ」さまだ。

 己と一回りも歳が違う優姫さまが、此度の戦に参じ、大将として果敢に指揮を執っているというのに、男子おのことして生まれた己が、命惜しさに動けぬとは……。


 優姫さまの姿を初めて見たのは、四年前のことであった。

 忘れもしない。田に水が引けぬことを奉行さまに陳情した五日後、わずかな供回りを率いて、姫さま自ら見分に訪れてくださった。

 その時の凛とした顔つき、佇まいに、年甲斐もなく胸が高鳴ったことは、今でも、昨日の出来事のように思い出せる。

 ほどなく、優姫さまの迅速な手配により、一月も経たぬ内に水路が引かれた時は、村を挙げて祝祭を開いたものである。


 そんな宮原の情勢が変わったのは、ちょうど一年前のことだ。

 宮原家代々の直臣であり、筆頭家老として絶大な権勢を誇っていた「鈩場重秀たたらば しげひで」が、突如として反旗を翻した。


 女子を跡目としたことへの不平だとか、かねてより反意があり、先代の死を機と見ての行動だとか、様々な憶測が飛び交っていたが、そんなものは些事さじに過ぎぬ。


 宮原家最強の腹心が、主家に刃を向けたのだ……。


 重秀は持ち得る才をいかんなく発揮し、圧倒的な兵力で宮原領を切り崩していき、気が付けば、優姫さまの居城、「津嘉山つかやま城」まで目鼻先である、この八幡原まで攻め寄せてきた。

 ここを抜かれてしまえば、宮原の、優姫さまの敗北は決定的となろう。


「優姫さまの恩ためならば、命など惜しくはない!」

 その決意をもち、己は、ここに馳せ参じたはずだった。

 ところが蓋を開けて見れば、この有様……。

 もう少し勇敢であるかと思っていた自身に、なお羞恥する。

 何も出来ぬのなら、いっそこのまま溺れ死んでしまえ……。

 そう思っていた時……


 ―――トンッ


 ……不意に、背中が叩かれる感触を覚えた。

 川に伏せる己を、無理やり叩き起こそうというものでなく、どこか「慈愛」や「労り」の念を感じる、柔らかな手の感触だ。


「……は?」


 思わぬことに男は顔を上げ、先ほどの手の主を、泣きはらして滲んだ目で探そうとした。


「―――よかった、生きてるね!」


 ……女子?

 己のとなりにいたのは、これもまた、年若い女子であった。

 髪は男子のように総髪そうはつで纏めながら、前髪も耳にかかるほど長く、屈託のない笑顔が晴天の日差しに輝くようで、とても愛らしく映る。

 そのような女子が、息のかかりそうな距離にいるものだから、まだ母親以外の女子を知らぬ男は、つい頬を赤らめてしまう。


 だが、ジャラリという音ともに、彼女の腰に携えられた短筒たんづつが動いたのを見て、わずかに湧いていた煩悩は、一瞬でかき消された。


「ね、北の木次大谷きじおおたにに行く近道って知ってる? あたしたち、そこに急がなくちゃならなくて」


 あたし「たち」?


 よく見てみると、奥の方で、甲冑を纏う二人の男がいた。

 宮原の旗を差す、己を害する気がないとすれば、宮原方の将であろうか?

 だが、あのように見事な出で立ちの将は、見たことがない……。


「……ね? 分かる?」

「あ……あぁ。木次大谷なら……

 そう、この川沿いをまっすぐ進んで、左に見える林の間を進めば……」

「そっか、ありがと! 武働きも大事だけど、無理はしないようにね、おじさん!」


 そう言うと、女子は再び、己の背を軽く叩き、先に立っていた男たちとともに、川沿いを駆けだしていった……。


 ……無理はしないように、か。

 女子の気遣いに甘えたままでは、男が廃るというもの。

 男は水で鼻をかみ、顔を洗ったのち、近くで転がる長槍を握りしめた。


 ――――――


 八幡原北部 木次大谷


 鈩場の軍略は、まさに神業である。


「はははは! 撃て! 撃ちかけえぇぇぇ!」


 谷の入口を落石で塞ぎ、退路を奪った宮原軍に対し、小柄な甲冑を身に纏う、鈩場家の侍大将「矢沢広之やざわ ひろのり」の隊が、嵐の如き矢を浴びせかけていた。


「なに、当たらずとも良い! とにかく多く矢を降らせるのだ! それだけで、我らの役目は遂げられるのだからな!」


 己に与えられた命はひとつ。

 眼下の谷より進攻してきた、宮原家最古参の家老「横芝信吉よこしば のぶよし」の隊を足止めすることである。


 八幡原は、水量の豊富な河川がいくつも枝分かれしており、山間は長い年月によって、天然の「ほり」のような深い谷を形成している。

 雨で増水していない日であれば、そこを通って北西部へ回り込み、気取られることなく、平原の中央へ進軍することが可能な地形であった。


「横芝は必ず木次を通りましょう」


 そう進言したのは、重秀様の軍師「宇藤玄司うどう げんじ」殿であるという。

 重秀様の軍略に、宇藤殿の智謀が備わる鈩場軍は、まるで一つの生き物であるかのように、自在に戦場を動いていく。

 二人の目の及ばぬ戦場では、局所的に負けることもあるそうだが、それでも、我ら鈩場軍は、日守において最強と言わざるを得ない。


 自分がまるで大将であるかのような優越感とともに、広之は床几しょうぎの上で伸びをし、近場で立つ与力よりきに声をかけた。


「ふぅ、退屈な戦よなぁ。『仁王』と聞こえし横芝信吉も、こうなっては形無しと言うものだ」

「左様で。お味方が中央を突破したのち、ゆるりと広之様の手柄となさればよろしいかと」

「ははは! 仁王横芝を討ったとあれば、宇藤殿も、さぞお喜びとなろう! いよいよ城持ちの仲間入りとなれそうだな!」


 己の前で網にかかる大魚を悠然と見下ろし、広之は早くも、自身が城持ちとなった時の姿を夢想する。

 城は漆喰しっくいをふんだんに使い、真っ白にしてやろうか。

 御殿には、名のある絵師に描かせた金屏風を―――



 ドゴオォォッ!!!



 ―――?


 突如、谷の奥から、地を揺らすような轟音が体を突き抜けた。


「ん……? 何事だ?」


 広之は何が起きたか分からず、呆気にとられたように目を丸くする。

 周囲を確認すると、谷の入口から大きな砂煙が上がっているのが見えた。


「あれはなんだ?」

「はて……、火薬でも用いたのでしょうか」


 与力とともに、ぼうっと砂煙を指して眺める広之だったが、高台に配置した兵が同じように立ち尽くしていたのを見て、はっと我に返る。


「―――おい、何をしている! さっさと矢を番えろ! 撃て! 撃ち続けろ!」


 広之の怒声で兵も気を取り直し、谷にめがけて矢を降らせる。

 こちらには幸いと言うべきか、この隙に乗じて動く敵はいなかった。


「……ちっ、何が起こったか知らぬが、我らは変わらず足止めを続けるだけよ!

 放て放てぇ! 一歩も近付けぬように、矢の雨を」


 そう言いかけた、その時であった―――


「―――どおぉぉぉりゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」


 こちらの意気を相殺するかの如く、三つの影が、怒涛の勢いで谷から飛び出してきた……!


 煌びやかな緑の甲冑を纏い、何枚にも重ねた木楯こだてを構え、矢の中に吶喊とっかんする一人は、恐らく、横芝信吉。

 だが、左右にいるもう二人が分からない……!


 全身を黒でまとめ、兜と大袖に金色の角をあつらえた一人は、身の丈を越す槍を回しながら、強引に矢を弾き落として突き進んでくる。


 そして、白と朱の縅毛おどしげを用いた甲冑を纏う、もう一人は、流れるような動きで矢をかわし、避け切れぬものだけを的確に刀で落としていく……!?


 我が目を疑う光景が、一切のよどみなく間近に迫ってくる。

 恐怖と困惑がないまぜとなった広之は、素っ頓狂な悲鳴を上げた。



「な……なんだ……!?

 なんなんだあれはあああぁぁぁぁぁぁぁ!!?」



 四方を海に囲われた、小さな島国「日守」……

 のちに「浪人衆」と呼ばれる者たちの初戦はついくさが、始まった。

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