第29話

 アカウントを作ってしばらくは水希と情報を共有しあって遊んでいた。誰かと繋がりたかったわけじゃない。ただ水希のことが知りたかった。妹に必要とされる存在になりたかった。それだけだったのだ。

 しかし少しずつ互いのことが分かり始めてきた頃、柚希は猛烈な頭痛に襲われて倒れた。救急車で運ばれて緊急入院。検査の結果分かったのは脳に腫瘍があるということだった。

 幸いにも切除は可能であるものの、記憶障害の可能性が伴うという説明を受けた。しかし、その頃のことはよく覚えていない。これは記憶障害のせいというわけではなく、単純に混乱していたからだろう。

 覚えているのは気を遣った笑みを浮かべる母と義理の父。そして以前よりも近くにいてくれるようになった水希のこと。


「SNSさ、しばらく柚希が使いなよ」


 柚希が自分の部屋で塞ぎ込んでいると、訪ねてきた水希がおもむろにそう言った。


「気分転換になるんじゃないの。知らない人が相手なら」

「そうかな……」

「何も知らない相手の方が気を遣われなくて済むでしょ」


 確かにその通りかもしれない。気を遣われるのは疲れる。気を遣われることに対して気を遣うことも疲れる。今の自分は毎日ぼんやり過ごすだけでも疲れるだけだ。


「どうせ友達もいないじゃん。柚希」

「ひどいなぁ」


 だが、その通りだ。学校で倒れた柚希を心配して見舞いに来てくれる友達はいなかった。ただ義務的に担任が見舞いに来てくれただけ。

 あれから過度な運動をしないことを条件に一時退院をしたものの、あまり学校には行っていない。誰も柚希のことを見ていないのだからいてもいなくても同じ。それがリアルでの大沢柚希という存在。


「――ここなら友達できるかな」

「え。ネットで知らない人と友達になるの?」

「リアルでも一緒じゃん。最初はみんな知らない人」

「……たしかに」


 しかし水希はよくわからないとばかりに首を傾げていた。だが「まあ、柚希がしたいならしたらいいんじゃない」と笑みを浮かべた。


「うん。そうする」


 もしもネットで友達ができれば、新しい自分を知ることができれば、そうすればこのリアルも悪くない。そう思えるかもしれない。

 手術を受けてどこかの記憶が無くなってしまったとしても誰かの中にはユズという存在が残ってくれるかもしれない。記憶を失ったとしても、その誰かの中に残ったユズになりきれば自分はちゃんとこの先も生きられる。そんな気がする。


「で、どうやって友達つくるの? リアルでも友達作れないのに」

「水希、言い方キツい」

「本当のことでしょ。大丈夫、わたしが言ってることは全部自分に返ってきてるから」


 水希は笑った。柚希も笑う。脳に腫瘍がある。そう分かってから初めてちゃんと笑えたときだったような気がする。

 それからは水希と一緒にどんな性格だったら友達になりたいかということを真剣に話し合っていたらしい。二人とも人見知りで自分から友達を作れるようなタイプではない。どんな性格であれば友達になりたいと思われるのかわからない。

 普通に話し合っても埒があかなかったので結局漫画を手本としたのだと水希が笑いながら教えてくれた。学校にも行かず、漫画を読み漁って見つけた人物像。それを演じればきっと友達ができるはず。

 あまりにも単純でバカな考えだと今の自分なら思う。現実逃避もあったのだろう。柚希は自分が思い描く『友達』になりたい人物像を演じてSNSのフォロワーと関わり始めた。

 その中でも特に仲良くなった数人のフォロワー。彼女たちなら自分を必要としてくれるのではないかと思った。求めているものが同じだと感じたからだ。

 だから彼女たちに会って彼女たちのことを知り、彼女たちの力になろうとした。そのはずだ。しかし柚希は覚えていない。彼女たちとどんな話をしてどんなところに行って、どんな関係になっていたのか。

 水希に聞いた話によると仲良くなったフォロワーたちと一緒に遊びに行ってから間もなく、柚希は倒れてそのまま緊急手術となったらしい。

 目覚めたとき、柚希の記憶は水希と出会った頃で止まってしまっていた。医者によると記憶がすべて戻る可能性もあるということだった。すべて戻らなくても時間と共に戻る記憶はあるだろうとも言われた。

 たしかに時間が経つにつれて思い出せることもあったが、それは断片的なことだけ。中途半端にしか思い出せない自分に苛立って柚希は再び塞ぎ込み、家から出ることもなくなった。

 そんな柚希を見かねて水希は二人で一緒に暮らすことを提案してくれた。病院の近くに部屋を借りて姉妹だけで暮らす。そうすれば柚希の精神的負担を軽くすることができる。そう互いの親を説得して。

 両親も思うところはあったのだろう。意外にもあっさりと納得し、このアパートの部屋を借りてくれた。


「――それからは術後の経過観察のために病院に通いながらここで暮らしてるんだ。学校は休学中」


 上手く話せた気はしない。それでもシグは真剣な表情で柚希の話を聞いてくれていた。そして「今、記憶は?」と心配そうに聞いてきた。柚希は微笑みながら「やっぱり断片的なんだけどね、少しずつ思い出せてるような気はする」と答えた。


「去年、みんなとファミレスで会おうってDM送ったときね。思い出したって思ったんだよ。あのDMを送ったときは思い出したような気がしてた。だけど当日になってすぐに自信がなくなってきて……」

「自信?」

「記憶がないっていうよりは、自分の記憶なのかそれとも漫画とか映画とかそういうものの記憶なのかわからないっていうか……」


 どう説明しようか悩んでいると水希が「元々、シグたちと会ってたユズって漫画からパクったキャラだからでしょ」とスマホでゲームをしながら言った。するとシグが苦笑する。


「そっか。あれ、漫画のキャラなんだ」

「……幻滅した?」

「どうして?」


 シグは不思議そうに首を傾げる。柚希はそんな彼女の反応が理解できずに眉を寄せる。


「だって偽物だったんだよ? あなたと会ってたわたしはきっと本当のわたしじゃない。今、目の前にいるわたしが本当のわたし。きっとあなたの知ってるわたしじゃないでしょ?」

「それを言うならわたしだってそうだと思うけど」


 シグは言って少し困ったように笑う。


「きっと、今のわたしはユズにとっては本当に知らない人でしょ?」

「それは……」


 その通りだ。だが、断片的な記憶の中に出てくる彼女の姿がある。こうして会って話をしているからだろうか。昨日までぼんやりしていた記憶の中の彼女の顔がはっきりとしてきた気がする。記憶の中の彼女は目の前にいる彼女と同じ温かな表情をしていた。

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