ミユとユズ

第11話

 何か彼女の機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうか。国中葉月はソファの背もたれに寄りかかるように姿勢を崩し、深くため息を吐いた。そしてテーブルに残されたマグカップを見つめる。

 もともとシグとは二回しか会ったことがない。だから彼女がどういう人なのかよく知らない。いや、まったく知らないと言ってもいいだろう。SNSでのやりとりは滅多にしたことがない。会ったときもたいした会話はしていなかったように思う。

 それでも葉月の呼びかけにこうして来てくれたのは、やはり彼女がユズの友達でユズのことを心配しているからだろう。


 ――それなのに。


 マグカップを見つめながらもう一度ため息を吐く。ユズの様子がおかしかったことには彼女だって気づいたはずだ。それなのにユズについてほとんど話すことなく彼女は帰ってしまった。心配はしていたはず。だが、帰り際の彼女の様子はどこか苛立っているようにも見えた。


「……また何か余計なことでも言っちゃったのかな」


 いつもそうだ。葉月は相手を苛立たせるようなことを言ってしまう。そんなつもりはないのに、どこかで相手を逆撫でしてしまう。


 ――最近はちゃんと気をつけていたのに。


 そのときスマホが鳴った。画面に表示された名前を見て葉月は自然と微笑み、安堵する。


「もしもし、涼花?」

「あ、葉月出た」


 スマホの向こうから聞こえた愛しい声に葉月は「そりゃ出るよ」と笑う。そして腕時計に視線を向けた。


「検査、終わったの?」

「うん。さっきね。もうすぐ退院できるって」

「そっか。よかった……」

「それより大丈夫?」

「ん、何が?」

「葉月、なんか声が変」


 言われて葉月は苦笑する。相変わらず彼女は鋭い。付き合い始めるきっかけも彼女が葉月の気持ちに気づいたからだ。葉月が何を言わなくとも彼女には言いたいことや気持ちが伝わる。その関係に甘えているからだろうか。彼女以外の人とコミュニケーションを取ることに疲れてしまうのは。

 葉月は「ちょっとね」と小さく息を吐く。


「あの子のこと? ユズちゃん、だっけ。今日会うって言ってたよね」

「うん」

「うまく話せなかったの?」


 涼花の声は心配そうだ。涼花はユズに会ったことはない。しかしユズのおかげで涼花がそばにいない間も葉月が頑張ることができたということは知っている。それは何度も彼女に話して聞かせたからだ。ユズのこと、ユズの勧めでSNSを始めたこと、そしてフォロワーたちと遊びに行ったことを。


「話せなかったのもあるんだけど、シグちゃんのことも気になっちゃって」

「ああ。ユズちゃんの友達だって言ってた子?」

「そうなんだけど、なんかそうじゃないみたいなこと言われちゃって」

「ん、なに、どういうこと?」


 葉月はさっきのことを涼花に話して聞かせる。すると彼女は「あー……」と沈黙してしまった。


「え、なに。沈黙怖いんだけど」

「いや、それは葉月が悪いでしょ」

「うそ。わたし何かした?」

「たぶんシグちゃん、知らないんじゃないの? ユズちゃんのLINEのアカウント」


 それを聞いても葉月にはよくわからず、首を傾げる。


「今、首傾げたでしょ」

「なんでわかるの……」


 スマホの向こうで涼花がクスクスと笑う声が聞こえた。そして彼女は「葉月の反応はお見通し」と続ける。


「シグちゃんもユズちゃんとはSNSでの友達なんでしょ? たぶんリアルではそれ以上の関係じゃないんじゃないかな」

「え? でもユズちゃんからはシグちゃんの話すごく良く聞いてたよ?」

「だからといって二人がリアルでの友達だったのかどうかはわからないでしょ」

「……そういうものなの?」

「そういうものなの。もしかしたらユズちゃんはシグちゃんのこと友達って思ってたかもしれないけどさ、シグちゃんはリアルの連絡先も教えてもらえない程度の関係っていう認識かもしれないじゃん。ほんとは教えてほしいのに」


 葉月は涼花の言葉を聞きながら眉を寄せる。


「よくわかんないけど、シグちゃんはわたしがユズちゃんとリアルでの連絡先を交換してたから怒ったの?」

「怒ったっていうか、嫉妬?」

「え、それはつまり――」

「恋愛感情かどうかまではわかんないよ。さすがに」

「なんでわたしの言おうとしたことを……」


 再び涼花の笑い声が聞こえる。これは葉月をからかって楽しんでいるときの笑い声。その声に安心して葉月は「もう一回シグちゃんと話してみようかな」と呟いた。


「うん。それがいいんじゃない?」

「また会ってくれるかどうかわかんないけど」

「それは葉月の誘い方次第だと思うけど」

「……難しい」

「そうだねー。葉月はわたしをデートに誘うのすら未だに下手だもんね」

「それはしょうがないよ」


 いつも葉月が誘おうと思ったときには涼花の方から「どこに行く?」と言ってくれるのだ。まるで葉月の心を読んだかのように。


「そうだね。相手がわたしだもんね」


 得意げな彼女の表情が想像できる。葉月は笑って「会いたいな」と腕時計を見た。


「ダメ。もう面会時間は終了です」

「だね。残念」


 深くため息を吐いた葉月はフフッと微笑む。


「ありがとね。涼花」

「やっぱり葉月にはわたしがいないとね」

「うん」


 まったくその通りだ。今までは彼女さえいてくれたらいい。そう思っていた。他には誰もいらない。友達すらも。だけど今は少しだけ違う。


「ね、涼花」

「んー?」

「涼花が退院したらさ――」

「遊びに行こうね。いろんなところにさ」

「うん。そのときには紹介したいな。涼花のこと。みんなに」


 一瞬、涼花が息を呑むような音が聞こえた気がした。そして少しの沈黙のあと「うん」と優しい声が言った。


「楽しみにしてるね。葉月の友達に会うの」

「うん……。じゃ、また明日」

「ちゃんと話ができるといいね」

「うん。ありがとう、涼花」


 通話を終え、葉月は笑みを浮かべながらスマホを見つめる。そしてSNSの画面を開いた。


「いま送るのはダメ、かな」


 まだシグの気持ちが落ち着いていないかもしれない。だったら明日の方がいいだろうか。


「あ、そうだ。ユズちゃんに――」


 ブツブツと呟きながらLINEを開くとユズへメッセージを送る。


『今日は忙しいのに呼び出してごめんなさい。もしよかったら時間あるときにまた会ってもらえないかな? 色々と話したいこともあって』


 送信。しばらく画面を見つめていたが、メッセージに既読の文字はつかない。かといって連投するのも良くないのだろう。


 ――気長に待とうよ。こういうときはさ。


 耳の奥で蘇った言葉に葉月は微笑む。それはユズと会った頃、彼女が言ってくれた言葉。


 ――こういうときも気長に待っててもいいのかな。


 葉月はスマホを閉じると伝票を持って席を立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る