シグとミユ
第9話
あの日以来、知砂とはよく遊ぶようになっていた。SNSでもリアルでの彼女に近い言葉でのやりとりで少し新鮮だ。
ぶっきらぼうな彼女の態度は時雨のことを嫌っていたわけではない。ただ不器用だっただけ。彼女がSNSに求めていたものはきっと自分と同じだったのだ。なんとなくそんな気がする。だからだろうか。苦手だった彼女との会話もいつの間にか楽しんで出来るようになっていた。
最近ではゲームセンターだけでなく、図書館で勉強したりもしている。考えてみれば知砂は受験生だ。もう年末も近い。遊んでばかりいられないのも当然である。
そんな以前と少し変わった日常を過ごしていたある日の夜。ベッドに寝転んで動画を見ているとDMの通知が届いた。表示された名前はミユだ。
時雨は眉を寄せる。彼女とは、たまにリプのやりとりをする程度だ。今まで一度だって彼女から個人的にDMが届いたこともない。不思議に思いながら開くと『この間ね、ユズちゃんに会ったんだけど』というメッセージが表示された。
「……ユズに?」
呟きながら身体を起こすと再びメッセージが届いた。
『ちょっと様子が変だったから気になって。シグちゃん、何か知らない?』
時雨は『わかりません』と返す。あれから一度だって彼女から連絡はないのだ。もちろんリプやDMを送ったりもしてみた。それでも彼女からは何も反応はない。新しいポストすらないままだ。
『そっか。シグちゃんなら何か知ってるかなと思ったんだけど』
そんなミユのメッセージに時雨は首を傾げる。
『どうしてですか?』
『仲よさそうだったから』
まただ。以前も知砂が似たようなことを言っていた。なぜだろう。
『じつは今度また会うことになってね。良かったらシグちゃんも一緒に来ない?』
――わたしには何も連絡がないのに。
なんとなく胸の奥がモヤモヤする。それでもユズに会うことができるのなら一緒に行きたい。そして彼女と話をしたい。
時雨は少しの間スマホを見つめていたが、やがてゆっくりと指を動かした。
『行きます』
ミユから指定されたのは翌週の日曜日だった。気温も低く、すでに真冬の服装でないと外を出歩きたくないほどだ。
「寒いねー。今日はとくに」
待ち合わせ場所であるカフェに着くと、すでにミユが来ていて珈琲を飲んでいた。時雨は挨拶もそこそこに店内を見渡す。
「まだ来てないよ」
ミユの言葉に時雨は「そうですか」と息を吐き、彼女の向かいに腰を下ろした。
「先に温かいもの頼んじゃう?」
「あ、そうですね。じゃあカフェオレを」
「うん。了解」
ミユは微笑むと呼び出しボタンを押してカフェオレを注文してくれた。
彼女と初めて会ったのはみんなで遊びに行ったとき。そして二度目に会ったのは数週間前のファミレス。たった二回しか会っていないが、彼女は気の利く優しい大人の女性だった。
「あの、ユズと会ったって――」
時雨はダウンジャケットを脱ぎながら口を開く。ミユは手にしていた珈琲のカップを置いて「うん」と頷いた。
「最初はね、すれ違っただけだったんだけど」
「すれ違った……? どこでですか」
「病院」
「え――?」
まさかユズは入院しているのだろうか。思ったが、もし入院しているのならここで会う約束ができるわけもないと思い直す。
「この近くにある大学病院なんだけどね。エントランスでユズちゃんを見かけたんだ。でも病院だから大きな声も出せなくて呼び止められなくて」
彼女は残念そうに笑みを浮かべると「だから」と続けた。
「すぐにメッセージを送ったんだよね。そしたら次の日に会えたんだけど……」
「だけど?」
時雨は首を傾げる。
「なんかユズちゃん、よそよそしくて。顔色もあんまりよくなかったから体調が良くないのかもしれないと思って日を改めて会うことにしたの」
「それが今日?」
「うん」
そのときカフェオレが運ばれてきた。時雨はフワフワと湯気を立てる温かそうなカップの中を見つめながら「でも」と続ける。
「よく返信してくれましたね、ユズ」
「ん?」
「だって、わたしが――」
何を送っても反応はなかったのに。カップを包み込む手に力が入る。
この嫌な気持ちはなんだろう。この苛立ちはいつも幸せそうな言葉が並ぶタイムラインを見ているときと同じ気持ち。
「ああ、DMじゃなくてLINEで送ったからじゃないかな。もしかするとLINEの方は通知も切ってないんじゃないかなと思って」
「え、知ってるんですか? ユズのLINEのアカウント」
「うん、まあ」
ミユは頷くとそれ以上は何も言わない。
――なんで。
時雨はカップから手を放して椅子の背にもたれると視線を俯かせた。腹が立って胃がムカムカしてくる。こんなことで腹を立てる自分に対してさらに嫌な気持ちが湧いてくる。
別にミユは何もしていない。むしろユズと会う機会を作ってくれた良い人なのだ。時雨は膝の上で拳を握ると深く息を吐いた。
「シグちゃん?」
少し心配そうなミユの声に時雨は顔を上げる。人の良さそうな顔。大人っぽい落ち着いた雰囲気なのは彼女がちゃんと現実を生きているからだろうか。
「LINE交換って、いつしたんですか?」
彼女の顔を見つめながら気づけばそんなことを聞いていた。
「えっと――」
ミユが答えようとしたとき、彼女の視線が時雨の後ろへと向けられた。振り返るとそこにはダウンジャケットにキャップを目深に被った少女の姿。
「――ユズ」
思わず呟いた時雨に彼女は無言で視線を向ける。そして「どうも」と会釈した。その態度に時雨は驚き、声を出すことができない。
「ユズちゃん、来てくれてありがとね。さ、座って」
ミユは笑みを浮かべてユズに席を促す。それでも彼女はその場に立ったまま動こうとしない。キャップの奥から覗く彼女の視線はじっと時雨を捉えていた。
「あの、ユズ。久しぶり」
しかし彼女は微かに怪訝そうな表情を浮かべると諦めたようにため息を吐いた。そしてミユに視線を移す。
「あんまり時間なくて。用事ってなに?」
「え、あー、そっか。忙しいんだね。ごめん」
ミユは困ったように笑みを浮かべる。
「この前さ、ユズちゃんの誘いでみんなが集まってたんだけどユズちゃん来なかったじゃない? だからちょっと心配で」
「あー、あれ……」
ユズは僅かに首を傾げると何かを思い出そうとしているかのように腕を組んだ。そして「ごめんなさい」と続ける。
「ちょっと体調が悪くて」
「そっか。もしかして今もまだ本調子じゃない感じ?」
「まあ……」
ユズは頷くと「だから」とこの場に来て初めてしっかりと顔を上げた。
「今日は帰るね。みんなには謝っておいて」
「それはいいけど、でも――」
「じゃ。またそのうちに」
ミユの言葉を遮り、ユズは足早に店を出て行ってしまった。
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