気付けば、もう放課後です。



 私は部活に入っていないんですが、千歳ちさとちゃんやのぞみちゃんといった友達と一緒に下校することが多いです。けど、千歳ちゃんが女子バドミントン部の部活で学校に残っていたり、希ちゃんが箏の習い事で急いで先に帰っちゃったりする時は、教室で少し勉強してから、一人で帰ります。



 一緒に帰ると言っても、二人の家と私の家は反対方向に位置しているので、校門から4〜5分歩いたところで、二人とはお別れです。



「じゃあな、春〜!」



「春ちゃん、また明日!」



「うん! 二人とも、バイバイ!」



 ここから家までは、ほんの数分です。私が今歩いている、大通り沿いの道には、モミジがずらーっと並んで、足元には落ち葉が散らかっていて、私の視界は、上下共に赤色で埋め尽くされています。



 この道には、小学生の頃から慣れ親しんでいて、それこそ、お姉ちゃんと一緒に歩いたり、木蔦きづたさん・這松はいまつさんも入れて四人で遊んだ時に通ったりと、色々思い出があります。ですが、秋の季節になった頃の風景は、何度見ていても感動的です。




「あ、春ちゃん! こんにちは〜」




……きっと私が、眼の前の紅葉に、うっとりし過ぎてしまったんでしょう。もしくは、その紅葉の麗しさを宿した精霊が、私に幻覚を見させたんでしょう。



 あまりの不意打ちに、私は呆気に取られてしまいました。




 声がしたほうを振り向くと、他の誰でもありません、這松さんが立っていたんです。




「は、這松さん!? ど、どうして、ここに!?」



「驚きすぎだよ! ていうか、春ちゃんこそ……、あ、学校帰りか」



「は、はい、そうです……」




 ど、どうしましょう……。心臓がドキドキして、上手く言葉を発せません。こんなラブコメみたいな、いきなり過ぎる展開、耐えられません……! 今すぐどこかに逃げ出してしまいたい気分です。



 ですが、私は、何とか呼吸を整えて、こんな様子を悟られないように、自分から這松さんに質問しに行きました。




「え、えっと……、這松さんも、大学の帰りですか……?」



「ううん。今日は、大学はないよ。近くの図書館に行って、本借りて、そこで勉強してたんだ」



「す、すごい……! 図書館で勉強なんて、這松さん、本当に真面目ですね。なんか、大学生って、もっと遊んでるイメージでしたよ……」



「あははは! 春ちゃん、それは、大学生に偏見持ちすぎだよ! まぁ、遊んでる人もいるけど、ちゃんと勉強して単位取らないと、卒業出来ないしね。勉学に勤しむ者としては、春ちゃんたち高校生と何ら変わらないよ」



「た、確かに……。あ、そういえば、図書館では、何借りてきたんですか?」



「えっと、春ちゃん知ってるかなぁ……、サルトルっていう哲学者の『存在と無』って本と、三島由紀夫の『春の雪』っていう本だよ〜」



 いきなり〝春〟と呼び捨てで呼ばれたのかと思って、ビックリしましたが、ただの偶然、本のタイトルでした……。



「んんんん……、三島由紀夫は、名前だけ教科書の隅で見かけたことがあるんですが、他はさっぱり……」



「あー、そっかぁー。けど、どっちもすごく面白いから、いつか読んでみて! もともとどっちも読んだことあるんだけどね、急にまた読みたくなって、借りちゃったんだ」



 その屈託のない笑みを向けられて、私はどうすることも出来ませんでした。やっぱり、この人は、自分の好きなことをしている時が、一番カッコよくて、可愛らしい表情をします。好きな人(つまりお姉ちゃん)について話す時も、とてもいい笑顔だけど、今のこれには敵いません。



 そして、この瞬間が、這松さんは一番美しくて、私はその時に、這松さんに一番恋をしています。









 そうやって、二人で一緒に歩きながら、雑談をしていた内に、最寄りのJRの駅に到着して、大変名残惜しいですが、今日はここでお別れです。這松さんとばったり会う直前、本当はあと2〜3分で家に帰れたのですが、這松さんと少しでも長く話していたくて、遠回りして、とうとうここまで来てしまいました。




「いやぁ、わざわざここまで付き添ってくれて、ありがとね」



「いえ、私がしたかっただけなので……」



「……ふふ」



「え? い、いきなり、どうしたんですか……?」



「いや、春ちゃんってさ、昔から、本当に優しいよね。さらのこととか、いつも色々聞いてもらって……、感謝し切れないよ」



「いやいやいや……! 気にしなくて大丈夫ですよ! ただ私は、這松さんが悩んでるなら、話し相手になって、少しでも自分が出来ることをしてあげたいってだけで……」



「だーかーら、それを〝優しさ〟って言うんだよ! じゃあ、またね! 更にもよろしく言っておいて〜」




 私に手を軽く振りながら、這松さんは、改札口を通っていきました。





 いきなり「優しい」なんて言われて、ビックリしちゃいました。不意にそんなことを言われたら、より一層、這松さんのこと意識しちゃいますよ……。年頃の女子高生に、なんてこと言ってるんですか……。



 けど、這松さんの最後の台詞は、やっぱり、お姉ちゃんでした。なんだかんだで、這松さんの話には、お姉ちゃんというオチが必ずあります。そんなことは何度も味わってきたのに、またそうされると、胸が締め付けられて、痛いです。



 その嬉しさと苦しさに挟まれる内に、私は、もうどうしようもなくなってしまい、それを紛らわすために、耳にイヤホンを付けて、お気に入りの音楽を流し始めました。そして、その音を聴きながら、今日二人で歩いた道を、今日のことを振り返りつつ、ゆっくりと進んでいきました。



 あ、「存在と無」と「春の雪」、後で試し読みしてみようっと。









 駅まで遠回りしていたので、家に帰ってきたのは、少し遅めの時間で、日も暮れかけていました。



 我が家は、学校近くに広がる住宅街の中にある一軒家です。昔は、少し離れたところにあるマンションに住んでいたのですが、お母さんとお父さんが、「夢のマイホームをどうしても諦め切れない!」といきなり言い出して、今の家に移り住みました。2階建てで、その2階に私たち姉妹の部屋があって、窓から街の景色が一望出来る、とてもいい立地でした。




 鍵で玄関のドアを開けると、ここからは死角になっているリビングから、お姉ちゃんがひょっこりと顔を出して、「おかえりぃー。帰宅部の割には遅かったねー」と言ってきました。帰宅早々の妹をからかうほどの余裕があるってことは、少しは元気になったみたいです。



「もう、本当にその言い方やめてよ……。あ、けど、その……、遅くなったのは、帰ってる途中で、這松さんとばったり会って、駅まで送ってたからだよ」



「え、這松君と?」




 お姉ちゃんは、這松さんのことは〝這松君〟と呼ぶし、木蔦さんも〝木蔦君〟と呼びます。二人はお姉ちゃんのことを下の名前で呼んでいるのに、いつまで経っても、お姉ちゃんは、二人のことは名字で君呼びのままです。こういうところ一つ取っても、二人とお姉ちゃんの間には、悲しい距離感が感じられます。




「うん。図書館で本借りて、そこで勉強してたんだって〜」



「さ、流石……、相変わらず、真面目だねー。あ、ていうかさ、這松君、借りた本について、めっちゃ楽しく話してたでしょ?」



「え? あ、うん……」



「もー、そういうところも変わってないな〜。這松君、自分の好きなこと語る時、いきなりめっちゃ元気になるんだよねぇ〜」




……ああ、そっか。お姉ちゃんのほうが、私より何年も長く、這松さんと時間を過ごしてるんだ……。私が這松さんに恋をしてからようやく気付いたことも、お姉ちゃんからしたら、とっくの昔から知ってることなんだ……。



 その時のお姉ちゃんの笑顔は、這松さんに対する幼馴染みとしての感情に溢れていて、そりゃ、こんな可愛い表情を見せられたら、友達だと思っていても、好きになっちゃうよなぁ、と改めて実感しました。



 ですが、その一方で、ちょっとだけお姉ちゃんに嫉妬してしまいました。一瞬、今日見た這松さんの笑顔とさっきのお姉ちゃんの笑顔が重なって、敗北感のようなものを感じてしまったからかも知れません。




「ほら、二人とも、そろそろご飯の時間よー」



「「はーい」」



 お母さんの呼びかけにそう答えて、私たちは、美味しいそうな夕飯が並んだリビングのテーブルに集まりました。

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