四
気付けば、もう放課後です。
私は部活に入っていないんですが、
一緒に帰ると言っても、二人の家と私の家は反対方向に位置しているので、校門から4〜5分歩いたところで、二人とはお別れです。
「じゃあな、春〜!」
「春ちゃん、また明日!」
「うん! 二人とも、バイバイ!」
ここから家までは、ほんの数分です。私が今歩いている、大通り沿いの道には、モミジがずらーっと並んで、足元には落ち葉が散らかっていて、私の視界は、上下共に赤色で埋め尽くされています。
この道には、小学生の頃から慣れ親しんでいて、それこそ、お姉ちゃんと一緒に歩いたり、
「あ、春ちゃん! こんにちは〜」
……きっと私が、眼の前の紅葉に、うっとりし過ぎてしまったんでしょう。もしくは、その紅葉の麗しさを宿した精霊が、私に幻覚を見させたんでしょう。
あまりの不意打ちに、私は呆気に取られてしまいました。
声がしたほうを振り向くと、他の誰でもありません、這松さんが立っていたんです。
「は、這松さん!? ど、どうして、ここに!?」
「驚きすぎだよ! ていうか、春ちゃんこそ……、あ、学校帰りか」
「は、はい、そうです……」
ど、どうしましょう……。心臓がドキドキして、上手く言葉を発せません。こんなラブコメみたいな、いきなり過ぎる展開、耐えられません……! 今すぐどこかに逃げ出してしまいたい気分です。
ですが、私は、何とか呼吸を整えて、こんな様子を悟られないように、自分から這松さんに質問しに行きました。
「え、えっと……、這松さんも、大学の帰りですか……?」
「ううん。今日は、大学はないよ。近くの図書館に行って、本借りて、そこで勉強してたんだ」
「す、すごい……! 図書館で勉強なんて、這松さん、本当に真面目ですね。なんか、大学生って、もっと遊んでるイメージでしたよ……」
「あははは! 春ちゃん、それは、大学生に偏見持ちすぎだよ! まぁ、遊んでる人もいるけど、ちゃんと勉強して単位取らないと、卒業出来ないしね。勉学に勤しむ者としては、春ちゃんたち高校生と何ら変わらないよ」
「た、確かに……。あ、そういえば、図書館では、何借りてきたんですか?」
「えっと、春ちゃん知ってるかなぁ……、サルトルっていう哲学者の『存在と無』って本と、三島由紀夫の『春の雪』っていう本だよ〜」
いきなり〝春〟と呼び捨てで呼ばれたのかと思って、ビックリしましたが、ただの偶然、本のタイトルでした……。
「んんんん……、三島由紀夫は、名前だけ教科書の隅で見かけたことがあるんですが、他はさっぱり……」
「あー、そっかぁー。けど、どっちもすごく面白いから、いつか読んでみて! もともとどっちも読んだことあるんだけどね、急にまた読みたくなって、借りちゃったんだ」
その屈託のない笑みを向けられて、私はどうすることも出来ませんでした。やっぱり、この人は、自分の好きなことをしている時が、一番カッコよくて、可愛らしい表情をします。好きな人(つまりお姉ちゃん)について話す時も、とてもいい笑顔だけど、今のこれには敵いません。
そして、この瞬間が、這松さんは一番美しくて、私はその時に、這松さんに一番恋をしています。
そうやって、二人で一緒に歩きながら、雑談をしていた内に、最寄りのJRの駅に到着して、大変名残惜しいですが、今日はここでお別れです。這松さんとばったり会う直前、本当はあと2〜3分で家に帰れたのですが、這松さんと少しでも長く話していたくて、遠回りして、とうとうここまで来てしまいました。
「いやぁ、わざわざここまで付き添ってくれて、ありがとね」
「いえ、私がしたかっただけなので……」
「……ふふ」
「え? い、いきなり、どうしたんですか……?」
「いや、春ちゃんってさ、昔から、本当に優しいよね。
「いやいやいや……! 気にしなくて大丈夫ですよ! ただ私は、這松さんが悩んでるなら、話し相手になって、少しでも自分が出来ることをしてあげたいってだけで……」
「だーかーら、それを〝優しさ〟って言うんだよ! じゃあ、またね! 更にもよろしく言っておいて〜」
私に手を軽く振りながら、這松さんは、改札口を通っていきました。
いきなり「優しい」なんて言われて、ビックリしちゃいました。不意にそんなことを言われたら、より一層、這松さんのこと意識しちゃいますよ……。年頃の女子高生に、なんてこと言ってるんですか……。
けど、這松さんの最後の台詞は、やっぱり、お姉ちゃんでした。なんだかんだで、這松さんの話には、お姉ちゃんというオチが必ずあります。そんなことは何度も味わってきたのに、またそうされると、胸が締め付けられて、痛いです。
その嬉しさと苦しさに挟まれる内に、私は、もうどうしようもなくなってしまい、それを紛らわすために、耳にイヤホンを付けて、お気に入りの音楽を流し始めました。そして、その音を聴きながら、今日二人で歩いた道を、今日のことを振り返りつつ、ゆっくりと進んでいきました。
あ、「存在と無」と「春の雪」、後で試し読みしてみようっと。
駅まで遠回りしていたので、家に帰ってきたのは、少し遅めの時間で、日も暮れかけていました。
我が家は、学校近くに広がる住宅街の中にある一軒家です。昔は、少し離れたところにあるマンションに住んでいたのですが、お母さんとお父さんが、「夢のマイホームをどうしても諦め切れない!」といきなり言い出して、今の家に移り住みました。2階建てで、その2階に私たち姉妹の部屋があって、窓から街の景色が一望出来る、とてもいい立地でした。
鍵で玄関のドアを開けると、ここからは死角になっているリビングから、お姉ちゃんがひょっこりと顔を出して、「おかえりぃー。帰宅部の割には遅かったねー」と言ってきました。帰宅早々の妹をからかうほどの余裕があるってことは、少しは元気になったみたいです。
「もう、本当にその言い方やめてよ……。あ、けど、その……、遅くなったのは、帰ってる途中で、這松さんとばったり会って、駅まで送ってたからだよ」
「え、這松君と?」
お姉ちゃんは、這松さんのことは〝這松君〟と呼ぶし、木蔦さんも〝木蔦君〟と呼びます。二人はお姉ちゃんのことを下の名前で呼んでいるのに、いつまで経っても、お姉ちゃんは、二人のことは名字で君呼びのままです。こういうところ一つ取っても、二人とお姉ちゃんの間には、悲しい距離感が感じられます。
「うん。図書館で本借りて、そこで勉強してたんだって〜」
「さ、流石……、相変わらず、真面目だねー。あ、ていうかさ、這松君、借りた本について、めっちゃ楽しく話してたでしょ?」
「え? あ、うん……」
「もー、そういうところも変わってないな〜。這松君、自分の好きなこと語る時、いきなりめっちゃ元気になるんだよねぇ〜」
……ああ、そっか。お姉ちゃんのほうが、私より何年も長く、這松さんと時間を過ごしてるんだ……。私が這松さんに恋をしてからようやく気付いたことも、お姉ちゃんからしたら、とっくの昔から知ってることなんだ……。
その時のお姉ちゃんの笑顔は、這松さんに対する幼馴染みとしての感情に溢れていて、そりゃ、こんな可愛い表情を見せられたら、友達だと思っていても、好きになっちゃうよなぁ、と改めて実感しました。
ですが、その一方で、ちょっとだけお姉ちゃんに嫉妬してしまいました。一瞬、今日見た這松さんの笑顔とさっきのお姉ちゃんの笑顔が重なって、敗北感のようなものを感じてしまったからかも知れません。
「ほら、二人とも、そろそろご飯の時間よー」
「「はーい」」
お母さんの呼びかけにそう答えて、私たちは、美味しいそうな夕飯が並んだリビングのテーブルに集まりました。
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