作者のちょっとした思い出話とか日記的な何か
春夏秋冬
血のつながりに関して。
まず初めに、これはあまり書いて良いのか悪いのか私でもよくわからない内容である。ただ、この考えを掃き溜めに捨てておくのも嫌な気分になるので、ここで吐き出してしまおうと、そう思いいたったためこの話を書くことにした。
血のつながりといっても、アバウトではあるが、つまるところ、いわゆる血のつながった家族は遺伝子的に、感覚的にわかるかどうかという事だ。
赤の他人だが妙に気が合う、実は生き別れた兄弟! みたいな漫画的な展開があるが、そのようなものを、現実に感じる事が出来るかどうかということである。
つまり、家族は何か言葉では表現できない感覚的なもので通じる、感じるのであろう。
例えば。
昔、トリビアの泉という番組があった。その番組のワンコーナーにトリビアの種という、疑問を検証していくというコーナーがあった。
その中の一つに父親は初対面の自分の子供を当てられるかどうか。3人の新生児を並べてそこから当てる事が出来るか。そういった検証です。
結論から言うと8割ほど当てられたそうである。
ちなみに、托卵率はどれくらいかと言うと、約6%〜10%とのこと。なぜ2割も外れたかという理由もなんとなく分かるような気がする。
つまるところ、当てられた8割は血のつながり、遺伝子的に通じるものがあり、感覚で自分の子供だとわかった。そう言う事である。
さて
ここから本題である。
あれは今から何年前だろうか、6年くらい前だったか。
私には母親がいる。当たり前だが。その母親には、弟がいる。いわゆる叔父だ。
6年前のある日母親は私に神妙な面持ちでとあることを話してきたのだ。
祖父がつまり母の父親だが、ふと倒れたそうだ。その意識朦朧とした中で祖父は母にこのように言ってきたそうだ。
実はお前の弟は取り違えられた子供だった、と。
祖父はこれで自分は終わりだと思ったのだろう。そして最期の言葉としてこれを選んだのだろう。
母は60年近くその事実を知らなかった。今更知る事になった。
その事を私は聞かされ、当然びっくりしたのだが、そんな事よりもその驚きを超えた感情が私にあったのだ。
そう、納得したのだ。
凄く腑に落ちたのだ。
昔からずっと感じていた違和感の答えが、ここにあって、詰め物が取れたように凄く、すっきりしたのだ。
私は叔父に対して物心がつく頃からある違和感をずっと抱いていたのだ。
言葉では言い表せない何か。叔父に対して何か違うとずっと思っていたのだ。
叔父は実は言葉に障害を持っている。私は例えばダウン症の子とかは、似たような顔になるから、そういうものだと納得させていた。ただ、叔父は赤ん坊の頃に高熱を出して、障害を持ってしまった後天性なので、少し違うのだが、私は似かよるものだと言い聞かせて納得させていた。
だから、真実を聞いて私は凄く腑に落ちたのだ。この違和感の正体というものは、血のつながりが一切なかったことによるものだったのだから。
兄と姉に聞いた所、私とまったく同じ事を思っていたのが驚きだった。そう、他の兄弟もずっと何かが違うと思っていたそうだ。
そして、腑に落ちたそうだ。
ここで私は血のつながりというのは、無意識のうちに感じる事が出来るものなのか、というのを理解した。
もし、家族に何か違うという違和感があった場合はそういうものかもしれませんね。
実は私に、子供ができました。托卵されるのが凄く嫌で、本当に私の子供なのかなという不安があります。でも、こうして、直感でわかるものだというのがあるから、きっと、なんとなくでわかるのかな、と楽観的に考えたい。
長くなってしまったが、血のつながりというのは感覚でなんとなくでわかるんじゃないかな、という楽観的な話である。
そういう私の変な考えである。
ちなみに、祖父は今年で93歳。今もなお元気でいます。
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