―73― 挑発とか怯えとか

 コーダの挑発的な瞳が、まっすぐにわたしを射抜く。

 息が詰まる……。

 ここで断れば、わたしは「逃げた」と、自分自身に烙印を押すことになる。それは、自分の限界から目を背けていることも、すべてを認めてしまうことと同じだった……。


 脳裏に、セツさんの顔がよぎる。

 あの人は、規格外の力を持ちながら、誰に誇るでもなく、ただ自分の平穏な日常を大切にしている。シーナさんは、理不尽なまでの強さで、自分の欲望に正直に生きている。フィネアちゃんだって、本当はすごい力を持っているのに、それを表に出さず友達とのお菓子作りを楽しんでいる。

 みんな、自分の生き方を自分で決めている……。

 それに比べて、わたしは……?

 ただ過去の栄光にすがり、現実から逃げ、もやもやと日々を過ごしているだけじゃないか……。


「……いいわ」


 気づけば、声が漏れていた。

 震えを必死に抑え込んだ、か細い声だったかもしれない。だが、それは紛れもなく、わたしの決意の声だった。


「その挑戦、受けてあげる」


 その言葉を聞いたコーダは、待ってましたとばかりに満足げな笑みを浮かべた。その表情がひどく気に食わなかったが、もう後戻りはできない。


「そうでなくっちゃ。あなたが完全に牙の抜けた腑抜けになってなくて、あたしは嬉しいわ。じゃあ、さっさと行きましょうか」


 コーダは軽やかに踵を返し、森へと続く道を歩き出す。わたしは黙ってその背中を追った。



 木々が開けた訓練場にたどり着く。そこは、わたしが先ほどまで一人で汗を流していた、見慣れた場所だった。

 風が木々の葉を揺らし、ざわめきだけが二人の間に流れる。


「ルールは簡単。どっちかが降参するか、動けなくなるまで。あなたから来なさいよ。元・MVPエムブイピーさん」


 コーダは顎をしゃくり、わたしを挑発する。わたしはぐっと唇を噛み、覚悟を決めた。今のわたしに何ができるのか、確かめるしかない。


「――疾風ブースト!」


 身体強化の魔力を全身に巡らせる。足元から力がみなぎり、視界が加速していく感覚。わたしは地面を強く蹴り、一気にコーダの懐へ飛び込んだ。狙うは側面。直線的な動きを避け、死角からの初撃を狙う。

 だが、その動きは完全に見切られていた。


「――疾風ブースト


 コーダもまた、わたしと全く同じ魔術を発動。彼女の身体が淡い光をまとい、わたしの高速接近に完璧に反応する。わたしが放った右の拳を、彼女は紙一重の動きでひらりとかわした。


「くっ……!?」


 驚愕に目を見開く。

 そう……コーダとわたしは、学術院時代から常に比べられてきた。

 なぜなら、二人とも同じ身体強化系インハンサーの中でも、特にスピードに特化した『スピード型』だったからだ。

 適正テストの結果も瓜二つ。だからこそ、常にライバルだった。わたしが『首席』で、彼女が『次席』。その紙一重の差が、いつもわたしたちの間にあった……。


「遅い」


 冷たい声と共に、コーダの肘がわたしの脇腹にめり込む。鋭い痛みが走り、わたしは体勢を崩しながらも後方へ跳んで距離を取った。


「あなた、本当に何も変わってないのね。そのスピードに頼った大振りの攻撃……学生リーグなら通用したかもしれないけど、プロの世界じゃただのカモよ」


 コーダは楽しそうに指をくるくると回しながら、わたしの動きを嘲笑う。

 くそっ……! わたしは再び踏み込み、今度は連続での蹴りを放つ。上段、中段、そしてフェイントを混ぜた下段蹴り。しかし、コーダはそれらすべてを最小限の動きでいなし、あるいは弾き返す。


「動きが直線的すぎるのよ! 次にどこを狙うか、手に取るようにわかるわ! プロの世界はね、あなたみたいな『ただ速いだけ』の人間をどう狩るか、そればっかり研究してる連中の集まりなのよ!」


 コーダはわたしの蹴り足を受け流すと同時に、その軸足めがけて鋭いローキックを叩き込んできた。


「ぐっ……!」


 バランスを崩し、たたらを踏む。同じ《疾風ブースト》を使っているはずなのに、動きの精度、攻撃の的確さ、そのすべてにおいてコーダがわたしを上回っていた。


「あなたの弱点は、攻撃した後の隙が大きすぎること! 一発一発に力を込めすぎるから、次の動作への移行がコンマ数秒遅れるのよ! その一瞬が、プロの世界じゃ命取り!」


 コーダは容赦なく指摘しながら、わたしの攻撃の「後」を的確に狙ってくる。拳を振るえばその腕を、足を振り抜けばその体幹を、的確なカウンターで打ち抜かれる。

 防戦一方……。ダメージだけが着実に蓄積していく。焦りが募り、呼吸が乱れ始めた。


 このままじゃ、負ける……!

 わたしは最後の力を振り絞り、逆転の一手に賭けることにした。これまでの小手先の技じゃない、わたしの全てを乗せた最大速度での突進……!


「これで……終わりぃっ!」


 地面が抉れるほどの踏み込みで、わたしは弾丸のようにコーダへ向かって突撃する。

 だが、その鬼気迫る表情を見たコーダは、呆れたように、そしてどこか悲しそうに、小さくため息をついた。


「……あなたって手詰まりになると、いつもそうやってがむしゃらに突っ込んでくるよね。あたしはその癖をとっくに見抜いてるのに」


 冷たく言い放つと、コーダはわたしの突進から僅かに身をずらした。わたしの拳が空を切る。がら空きになった胴体……。そこに、彼女の完璧なタイミングでのカウンターが、重く、深く、突き刺さった。


「がはっ……!」


 息が止まる。視界が白く染まり、意識が遠のいていく。わたしの体は、まるで糸が切れた人形のように宙を舞い、力なく地面に叩きつけられた。

 ああ……やっぱり、わたしは……ダメなんだ……。

 薄れゆく意識の中、わたしを見下ろすコーダの冷たい瞳だけが、やけにはっきりと見えていた。


 ――痛い。

 確かに、痛い。でも……あれ? なんだろう、この感覚。

 脳裏に、あの日の悪夢が鮮明にフラッシュバックする。

 絶界の魔女、シーナさんとの模擬戦……いや、一方的な蹂躙。

 彼女の拳は、ただの打撃じゃなかった。空間そのものを歪ませ、叩きつけられるたびに、内臓がねじ切れるような、存在そのものが軋むような、そんな異質の痛みだった。壁を突き破って吹き飛ばされ、骨がミシミシと悲鳴を上げる音……あの恐怖に比べたら……。


「……あれ……?」


 コーダの攻撃は、確かに重い。プロの、洗練された一撃だ。

 でも……ただの『打撃』だ。

 痛いけど、死にはしない。怖くない……わけじゃないけど、あの魔女の理不尽な暴力に比べれば、全然、耐えられる……!


 そして、もう一つ。

 あのシーナさんですら、心からの畏怖と、そしてなぜか好意を向ける存在……。

 セツさん。

 彼の前では、シーナさんですらただの女の子みたいになる。

 わたしが見たあの光景……。ワケのわからない存在を、まるで道端の石ころでも蹴飛ばすかのように、あっさりと消し去ってしまったあの力……!


 そうだ。

 わたしが見てきた『本物』は、こんなものじゃなかった。

 シーナさんや、セツさんに比べれば……目の前のコーダなんて、ただの雑魚じゃん……!


 ぐっ、と地面を掴む指先に、力が戻ってくる。

 わたしの体は、まだ動く。わたしの心は、まだ折れていない。


「……え?」


 わたしに背を向け、勝利を確信して立ち去ろうとしていたコーダが、驚いたように振り返る。

 わたしは、ふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がっていた。口の端から流れる血を手の甲で拭う。


「……まだ」


 わたしの唇から、掠れた、しかし力強い声が漏れた。


「まだ……終わってない……」

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