7

自負

 聡一郎と同時進行的に了とも関係を持つ。その日々は、想像していたよりもずっと穏やかに進行していった。六月になり、身の回りのすべてが夏への助走をつけ始める時期になっても、罪悪感や焦燥感を覚えることはなかった。強いて言うなら、聡一郎に対して罪悪感を覚えることもないまま了と過ごす時間が増えているのは、聡一郎の中に眠る樋渡綾に対する思い――彼の中に眠る質量の不明な思いに触れたせいなのだと思う。

 聡一郎は、私のことを好きだと言った。卒業式の日、たしかにそう言った。その一方で、本人も自覚していないほど深いところから、樋渡綾に対して並々ならぬ感情を抱いている。

 嫉妬している? まさか。

 もやもやした気持ちを抱えながら、聡一郎と会う意味ってなんだろう、と考える。相変わらず彼は私の身体に触れようとしない。最近ではこちらからけしかけようとも思わなくなってきた。対して了は、会うたびにセックスをしたがる。私を悦ばせようと抱いて、終わった後は一緒に風呂に入る。私もそのことについては悪く思っていない。聡一郎もこうだったらいいのに、と虚しい対比をしてしまう。唯一、心がすり減っているなと感じるのがそのときで、自分がさもしいと感じる。

 その一方で、私は夏芽と玲の仲を取り持つ仲人みたいな間柄を務める行為にのめりこみつつあった。それは、玲が従順に私の指示に従ってくれるからなのかもしれないし、そんな玲を、けしかけている私の方が焦りを覚えるほどあっさりと夏芽が受け入れているからなのかもしれない。

「今日と明日ね、期末テストの勉強を一緒にするんだ」

 夏芽は、玲との予定を嬉しそうに話す。もちろん私は、その予定を予め玲から教えられている。金曜日の今日は放課後に図書室で、明日は午前中から樋渡家にお邪魔して夕方までがっつりテスト勉強に取り組むらしい。

「一緒にって、範囲が全然違うじゃん。あんたが教えてあげんの?」

「うん。あ、でも、もしかしたらみーちゃんの方が上手に教えてあげられるんじゃないかな。ほら、受験のとき、私に教えてくれたみたいに」

 みーちゃんもよかったら一緒に勉強しない? と、無邪気に私を誘えてしまうところがこの子らしいと言えばこの子らしい。玲の落胆する顔を見るのも面白そうだけれど、流石に私もそこまで暇ではない。

「予定あるし、遠慮しとく」

「聡一郎さんと会うの?」

 反射的に頷いてしまいそうになるけれど、これから私が会うのは違う男だった。「夏服見に行く」と適当に予定をでっち上げる。

「そういえば、プレゼントってもう買った?」

「プレゼント?」

 突然なにを言い出すんだ、と思って訊き返すと、夏芽はきょとんとした表情を浮かべていた。

「誕生日、たしか来週だったよね、聡一郎さん」

 私の二日後だから覚えてるんだ、とどこか得意げに話す夏芽の声が、遠ざかっていく。そうか、私は、付き合っている相手の誕生日すら知らなかったのか。いくら人並みの男女付き合いに縁がなかった私でも、それがどれだけ薄情で無関心なことなのかくらいは理解できる。

 あげないと、と思った。聡一郎になにかプレゼントをあげないと、と。芽生えた意思はまるで刺激に対する反射のようにオートマティックなもので、私は自分自身に嫌気がさす。


「なんか、家出少女を匿ってるみたいだな」

 火をつけたばかりのマルボロを咥えた了が、Tシャツとハーフパンツの上下に着替える私を見て爽やかに笑う。

「ちゃんと親には連絡入れてるから大丈夫」

「いいよなあ、自由で」

「了の方がよっぽど好き勝手させてもらってるんじゃない」

「まあそうかもな。お互い恵まれてんねえ」

「ね」

 くだらない会話だな、と思いながら、私は了と波長を合わせるように笑う。

「ま、泊めてやるくらいのことはいつでもできるから、なんかあったら今日みたいに連絡くれりゃいいからな」

「やば、神」

 他に何人かいるであろう、私と同じような関係の子にも似たようなことを言っているその様子は容易に想像できる。その想像は私を決して傷つけない。むしろ、大勢のうちの一人であれた方が、よっぽど気楽だ。

 恋人である男の誕生日から目を逸らして、恋人ではない男とセックスをし、一緒に風呂に入り、酒を飲み、たばこを吸う。ほんの数時間前、『私の誕生日プレゼントもちゃんと探しといてね』と夏芽に送り出されたのが、遥か遠い過去に思える。

 私はいったい、なにを守って生きているのだろう? モラルも、法令も、私はこの手で簡単に緩めてしまう。私を縛って離さないもの――それはこの世でただ一つだけのように思えた。

 少しずつ、ほんの少しずつ変わろうとしている夏芽の姿を、最後まで見届けたい。その思いが、私を奮い立たせている。いつからか追い求めるようになった、自分なりのハッピーエンド。幕引きは、他の誰でもない私の手で。当然だ。だって、今の和久井夏芽を作り上げたのは、間違いなくこの私だから。誇張でもなんでもなく、彼女の変わらない美しさが保たれてきたのは、本人の生まれ持った資質以上に、私の努力の賜物なのだ。

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