四章 ジュワイゼンネイア

 ――話は少し遡り、百々澄家が暮らす山城。頭首の百々澄電左衛門のいる城の最上階。

 窓から見える咲き乱れる花が目を楽しませ、鳥たちの美しい声が響きわたる。

 それに負けず劣らずの華美な装束をまとい、電左衛門は仁王立ちになって黒狂衆たちを睥睨していた。身長は人並みより高く、それだけでも威圧感がある。加えてその顔の恐ろしさたるや。頭には角が生えている。いや、禿頭から鬼の角のように髪を伸ばしている。目は常ににらみを効かせ、威嚇するかのように歯はむき出し。口周りのひげは鋭いひし形をとっていた。

「文雀。揺鈴はまだ殺せぬか」

 地響きと聞き間違う声が問う。

「はっ、合中の町で喰と一戦交えたまではわかり申したが、以降は村を転々としているらしくまだ追いつけぬでござる」

「揺鈴め。燕風の小倅とつるんで逃げ回りおって」

「滞在していた村の者によると、何やらもう一人連れている様子」

「手引きした者か。若造二人で儂から逃げおおせるなどできぬであろう。燕風かそれとも百々澄か、協力する者がいてもおかしくはない」

「しかしその者は異国の女らしく。ゆるゆるとした赤い髪に白磁のごとき白い肌、そして豊満な体とのことにござる」

「電左衛門様、よろしいでしょうか?」

 部屋の隅に控えていた眼鏡をかけた女がすっと立ち上がる。

「予把野、その方は何か知っておるのか?」

「はい。電左衛門様。その女はこの予把野あへめが探している者と同じ特徴を有しております」

 凛とした口調の予把野あへめ。その出で立ちもきっちりとしていた。百々澄の華美さはなく、この時代には極めて珍しい白いブラウスとロングスカートを身につけ、茶色の髪を横に編み込んでいる。

「以前その方が申した例の国の鍵を握る者か」

「それを確認するため、黒狂衆の捜索に同行してもよろしいでしょうか?」

「許す。黒狂衆の元は予把野が発案なれば」

「ありがとうございます。百々澄家のためにも、かの女――ペナ・ミドネユメは必ず止めなければなりません」

「その方の言い分を信じたからこその援助だ。よく励めよ」

「はい。電左衛門様のおかげで一族の使命を果たせるのです。頑張りますとも、では」

 この場を去ろうとしたあへめの背中へ、電左衛門が思い出したような声を投げる。

「ああ、忘れておったわ。予把野あへめ、その方儂に何か言ってないことがあるのでは?」

 黒狂衆含めその場にいた誰もが声に含まれる威圧を感じ取った。もちろんあへめにも。

「な、なな何も……ぶぎゃっ」

 あからさまな動揺を見せて畳のへりに足をひっかけてすっころぶあへめ。先ほどの凛とした雰囲気はどこへやら。

「そうか。ならばこれ以上問うまい」

 電左衛門はあっさりと追求を止める。


 そして時は戻り、涯牙一行が膨座の先導で枯荒村へ向かう場面。



「そろそろ枯荒の村が見えてくる頃でしょう」

 あれから三日ほどが経った。今俺たちは不毛そうな開けた土地を歩いていた。辺境の地という言葉がよく似合う。確かに追っ手もここまでは来ないだろうと思えた。

「それにしても兄上が合わせてくれて助かりました」

「あれがお前のはったりだということはわかっていたからな。駆け落ちの手助けをしてくれたお前が俺たちを追いつめるようなことはしないと信じていた」

 黒狂衆を退かせた燕風の援軍は膨座の嘘だった。膨座の狙いに気づいた俺は焦った振りをして信憑性を高めたのだ。

「ずいぶん棒読みでしたけどねぇ」

「えっ」

 思わずペナのほうを振り返る。

「そ、そんなことありませんわ! 涯牙さまの演技力は燕風、いえ白江地方一でしてよ!」

 やめてくれ揺鈴、かえって傷つく。凶告がたまりそうだ。

「まあまあ、最悪はったりが効かなくても角目地が参戦すれば追い返すことはできましたから」

「へへ……買いかぶりすぎでさぁ。あっしは所詮無頼。枯荒の村で膨座様に拾っていただいただけなければ野垂れ死にしていた程度の男」

「謙虚も過ぎれば卑屈ですよ」

 膨座が角目地をてしてしと叩く。角目地は媚びたような笑みを浮かべていた。

「聞いたことはなかったが、角目地はその枯荒の出身だったのか」

「はい。僕が村に行って勧誘してきました」

「俺はどうも武以外のことには疎くてな。枯荒などという村があるとは知らなかった。隠れ場所のこともそうだ。膨座は土地土地のことに詳しいのだな」

「僕は王位を継げませんから、せめてこの白江地方のことを調べて兄上のお役に立とうと思っていたのです」

「そうだったのか……済まなかったな。膨座の努力を駆け落ちのために利用してしまって」

「いいえ、兄上の生きたいように生きるべきです。そのためなら僕は協力を惜しみませんよ」

 屈託のない笑みで言い切った。

「カカカ、できた弟を持って俺はうれしいぞ」

 俺は膨座の柔らかな濡れ羽色の髪をくしゃくしゃとなでてやった。

「仲のよいご兄弟ですねぇ。長く生きてると骨肉の争いを見ることも多かったのでちょっとホッとします」

「あの父から生まれたというのに、なぜか膨座は武の才能に恵まれなかったのだ。そのせいで武を重んじる燕風ではどうにも扱いが悪いのが不憫でな。兄としてできるだけのことはしてやろうと決めた」

「兄上は僕をいつも気遣ってくれました。ですから今回お手伝いをするのも当然です」

「涯牙さまは優しいお方ですもの。未だに逃げられているのも人徳あってこそ。やはり揺鈴が駆け落ちしたのは正しかったと思いますわ」

 揺鈴が俺の手を取って体を寄せてきた。熱っぽく見上げてくるその表情を見て俺もまた選択の正しさを確信する。顔がにやけるのを止められない。

「いちゃついているところ申し訳ありませんね。枯荒の村が見えてきましたぜ」

 不毛だった風景の中に突然大きな村が現れた。

「あれが枯荒の……村? いや、町ではないのか」

「はい。黒狂いの流れ着く地、枯荒村です」

 その言葉に俺は二度目の驚きを得た。



 枯荒村に入ると、膨座の言葉の意味がすぐにわかった。すれ違う住人たちは総じて腹の中に影が見え、黒狂いであることが見て取れる。

 異形の容姿である者。異様な振る舞いをする者。外見には現れない異常を抱える者もいるのだろう。各地で排斥され流れ着いたということか。

「だが、明るいな」

 黒狂いになれば心身に異常が出る。なってみてわかるが、とても明るくしてなどいられない。

 ところが村の人々は生き生きしている。

「いやいや、ほんの数年前まではそりゃあ殺伐としていました。ですが膨座様のおかげで救われたんですよ」

「膨座が?」

「排斥する人間もいねぇが、まともに食っていける土地でもねぇ。死人ばかり増えていく有り様に心を痛めてくださったんでさ」

「僕は黒狂いについて調べていくうち、どうにかしてこの人たちが生きていけるようにできないかと思ったのです。心身にあり得ない歪みが出る黒狂いですが、裏を返せばそれは誰にも真似できない個性でもあります。それは生かし強みとすべきでしょう。例えば、あちらを」

 膨座の指し示す方向には、クワで一心不乱に地面を掘り返す女がいる。

「彼女は何でもかんでも掘りたくなる黒狂いですが、開墾に従事してもらっています。またあちらでは水が体中から出続ける黒狂いをため池に配置して農業用水の確保を」

 一段高くなった位置に池があり、そのふちにずぶ濡れの男が佇んでいた。黒狂衆の冬桜は油を出していたが、彼は水を出すのだろう。

「このように余所では疎んじられていた人々たちで寄り集まって村を発展させることができました。もっとも、まだまだ燕風や百々澄のような豊かさは実現できていないのは僕の力不足ですが……」

「何を仰る。村の全員、膨座様に救われたんでさ。かくいうあっしもその口でして」

 実際、通りには土でできた家が並び、露店もちらほらと見える。痩せた土地にしてはかなり発展しているように思える。

「そういえば角目地の出身もここだったのか。黒狂いなのも道理だ」

 救援の際には気づいていたのだが、角目地も黒狂いであることはわかっていた。燕風にいるときは俺自身が黒狂いになっていなかったから気づかなかったのだ。

「あっしは腕っ節を買われましてね」

「角目地の黒狂いは戦闘に有用だったので僕の護衛になってもらったのです。どういう黒狂いかといいますと……」

 俺はその続きを手で制した。

「言わずともよい。黒狂衆ならともかく、戦うわけでもない相手の黒狂いを軽々しく言うものではない」

「あ……すみません」

「あっしは別に構わないんですがね。律儀なお方だ」

「なるほど。黒狂衆といい、黒狂い自体を生かすとはあのときは思いつきませんでしたねぇ」

 ペナが感心したように言う。

 そこへ身ぎれいにした老爺が声をかけてきた。

「膨座様、よくぞお越しになられました」

「お久しぶりです。兄上、こちら枯荒村の村長さんです」

「燕涯牙だ。弟が世話になっている」

「そうですか膨座様のお兄様で……ならば歓迎の宴でも開きたいところですが、あいにく今の時期は芋が取れるだけで」

 恐縮する村長に膨座は鷹揚とした態度で、

「こちらが突然押し掛けたのですからお気遣いは不要ですよ。それより集会場を貸していただけますか」

「承知いたしました。ではこちらへ」

 村長に案内されたのは木造の立派な建物だった。周辺に森林はなかったから遠くから切り出して作ったのだろう。村の重要な議題はここで決めるに違いない。

 集会場へ続けて入ろうとした村長を俺は押しとどめる。

「内密の話があってな。できれば俺たち以外誰も入れないでほしい」

 村長はうなずくと外から入り口を閉じてくれた。

 俺は床にどっかと座って一息つく。そしてペナに視線を向ける。

「さて、ペナ殿。ずいぶんと引っ張ってしまったが、黒狂いの治療法を教えてもらうぞ」

「その前に、膨座さんでしたか。席を外していただけるとありがたいのですが」

「……用心深いな。だが不要だ。聞いたところで膨座が俺たちに害をなすとは考えられん。それに膨座は博識だ。何かと役に立ってくれるだろう」

「そうですか……まあいいでしょう。確か治せる場所を知っているとまで話しましたね」

「千年の彼方にあるとかでたらめも言ってましたわ」

 揺鈴が若干の蔑みを込めて言う。助けられたとはいえ、未だ信用しきってはいないのだろう。それは俺も同じだ。

 疑いのまなざしをペナは特に気にする様子もなく、淡々と話し出した。

「でたらめではないんですけどねぇ。ただ、その治す技術を持った国が千年前に消滅しているというだけで」

 その言葉で疑念が深まった揺鈴がじとっとした目をする。

「やっぱりふざけてますわね? 千年も前に滅びた国の話をしてどうしますの」

「え? 滅びたとは言ってませんが」

「滅びたのでなければ何だというのだ?」

「ですから消えたんですよ。自ら。凶告夜行で」

「凶告夜行で、だと?」

 にわかには信じがたい。その言い分を鵜呑みにはできなかった。凶告夜行は人に作用するものだ。一国を消すなどというのは質が違いすぎる。その疑問を補足するようにペナが付け加える。

「まあ凶告夜行で、というのは正確ではありませんが」

 続けようとしたペナに膨座が割って入る。

「兄上、まがつやこうというのは何でしょうか?」

「ああ、お前は知らなかったな。凶告夜行は人間を黒狂いにする術だ。何の因果か俺も揺鈴も使えるようになっている」

「そんな術が……ずいぶん調べたつもりですが、そのような情報は入手できませんでした」

「知らずに身につくようなものではありませんからねぇ。本来は素質のある者が国で体系的に学ぶものですし」

「凶告夜行を……学ぶ?」

「ええ、私もそこで学んで使えるようになりました。今は不死の維持のために使えませんが」

 そこで皆が黙る。さっきから次々と出る情報に理解が追いつかない。いち早く理解したのは頭の回る膨座だった。

「先ほどから話を聞いていると、あなたは千年前に消滅した国で凶告夜行なる術を学んでいたと言っているように聞こえるのですが」

「そう言ってますが?」

 さも当然のように言ってのけるペナ。再び場に沈黙が落ちる。そしてすぐに沈黙は揺鈴の当惑した声で破られた。

「えっ……はっ? 千年前って……ペナ・ミドネユメ、では、ではいったいあなた何歳なんですの?」

「千を越えたのは確かなんですがねぇ。いちいち数えるのが面倒で」

 ペナは微苦笑を浮かべて信じがたい答えを返してきた。いや、以前にも言っていたではないか。俺も揺鈴も信じていなかっただけで。

「まさか、本当に千年を生きているというのか……!?」

 その問いの答えは思わぬ方向からやってきた。集会場の扉が勢いよく放たれ、凛とした声が室内に響きわたった。

「その通りです」

 現れた顔に見覚えがあった。それもつい最近に。

「貴様は……黒狂衆についてきていた女!」

「ここには村人は誰も入れないよう村長に言ったはずですが」

「ンッンッンッ、拙者どもは今は村の者ではないゆえ」

 特徴的な笑い声とともに文雀が姿を見せる。当然残りの三人も。

「黒狂衆! つけられていたのか……!」

「そうだ、と言いたいところだが、違う。本当に一万の兵に追われては困るのでな。信頼できる隠れ場に一時移動しておったのでござる。すなわち我々の故郷である枯荒に」

「なるほど。以前村長から百々澄に勧誘された村の者がいたと聞きましたが、あなた方がそうなのですね」

「確かに人の寄りつかないこの村ならば隠れる地としてはもってこいだ。考えることは同じだったというわけか。で、どうする? 再び戦うか」

 すでに俺たちは臨戦態勢に入っていた。だが目の前の黒狂衆から感じる殺気はどうにも鈍い。

「ンッンッ、待て待て。拙者どもはこの村の育ち。戦闘をする気はない。そもそも用があるのはこの予把野あへめなれば」

 理知的な風貌をした眼鏡の女を指さす。その女は大きく息を吸うと、凛々しく言い放った。

「ついに見つけました。ペナ・ミドネユメ。ジュワイゼンネイア王国の生き残りにして、かの王国を復活させようとする罪深き者。我が一族は決してお前を逃がしはしない」

「ああ、もしかしてヨパ家の者ですか。当世風の名前なので気づきませんでした。いやぁ千年もよく諦めませんねぇ。そちらの不手際で何百回と逃げてるというのに。縄ぐらいちゃんと縛ったほうがいいと思うんですがねぇ」

 予把野あへめの啖呵を受けてペナが感心したふうに言う。どうやらペナを一族ぐるみで追いかけているらしいが、何度も失敗しているようだ。ペナの言葉に眼鏡の予把野はさっと顔を赤らめてしまった。

「し、仕方がないでしょう! わたくしの一族は千年前から不器用なのです……!」

 見た目の怜悧そうな雰囲気は飾りらしい。そういえば先ほどの戦いの中で草むらの中から間抜けな悲鳴があがっていたが、あれも予把野だったはずだ。

 予把野が取り繕うように咳払いをする。

「こ、こほん……と、とにかくわたくしが言いたいのはその女の目論見は危険きわまりないということなのです」

「危険? 確かに危うい人格だとは思うが」

「彼女の性格も恐ろしいですが、そんなことは些事です。ペナ・ミドネユメの目的が達成されればこの世は千年前の暗黒世界に戻ってしまうでしょう」

「暗黒世界、だと?」

「そう、ペナ・ミドネユメが復活させようとしているのは、黒狂いを自在に発動させる術、ジュワイゼンを用いて千年前の世界で悪の限りを尽くした王国なのです!」

「王国の方々に頼まれましたからねぇ」

 相変わらずちょっとした手伝いを頼まれた程度の言い方のペナ。あへめの剣幕とは対照的だ。

 だが予把野の言うことが本当なら看過できない。

「ペナ殿、今のは本当のことなのか。貴殿の目的は、悪なる古代王国を復活させることなのだと」

「まあそんな感じですねぇ。ですが悪いと言っても他国の戦争に首を突っ込んで凶告夜行で敵軍に損害を与えては代価を請求していただけですよ。両軍に対してやっていたので公平ですし」

「十分悪いですわよ!? どこにもつかず戦火を拡大させて利益を貪るなど、世の安寧を最も乱す存在ではありませんの!」

 百々澄も燕風も戦いを好むが、それは勝利を目指すためのものだ。無限に戦争をしたいわけではない。そんなことになれば国は荒れ放題になってしまう。……いや、父上はそう思ってはいない気もするが。

「自分たちさえよければそれでいいという方々でしたからねぇ。そこまでして富と繁栄を求める気持ちは私にはわかりませんが、私が凶告夜行で敵兵を操って裏切らせたときなどは大変いい笑顔を見せてくれたことはよく覚えています」

「下司ですわ……」

 全体的に呆れた空気の中、

「ちょっとペナ・ミドネユメ、さっきからまがつやこうとか聞き慣れない言葉を使っているようですが、それはジュワイゼンのことですよね?」

「当世の方々にジュワイゼンと言ってもわかりづらいですからねぇ。凶告という言葉と黒いものが相手に行くという意味で凶告夜行と名付けました」

「そんな勝手に……まあ千年前と比べると言語もだいぶ変わっているそうですし、不本意ですがわかりやすくそちらを使いましょう」

 凶告夜行はペナの造語だったらしい。黒狂いの知識があった膨座が知らないわけだ。そしてペナは膨座も知らない知識をさらに続ける。

「ああ。さっき説明の途中でしたが、千年前の凶告夜行は現在よりはるかに強力でして、相手がどこにいても、生物無生物問わず好きな種類の黒狂いをかけることができます」

 俺は思わず立ち上がった。

「なっ……んだそれは!」

「兄上、これは……極めて重大な話ではないでしょうか」

 膨座の言わんとするところがさすがの俺にも理解できた。黒狂いの恐ろしさは身にしみている。これを自在に操ることができたならば、個人の武など役に立たぬ。ましてや、範囲も対象も選ばないならば。

「ああ、戦闘の概念が根底から変わってしまう。道理で他国の戦争に首をつっこめるわけだ。そんな連中が相手では逆らいようがない。ペナ殿、そんな危険な国を俺たちに復活させようとしていたのか」

 俺はペナに歩み寄って詰問する。怒りをまとわせて詰め寄ったにもかかわらず、ペナはどこ吹く風であっさりと肯定する。

「そうですね。復活させるための人を探していたら、黒狂いを治したいという方にちょうど巡り会ったので。いやあ幸運でしたねぇ」

「何が幸運でしたねぇ、ですの! 涯牙さまを騙していたくせに!」

「え? 別に騙してはいませんが。黒狂いを治す方法を知っているのは本当ですよ。凶告夜行の扱いに長じた国ですから、解除する方法も当然用意しています。ただ、現在の凶告夜行は劣化、というか先祖帰りしていまして、理論化して発展させた千年前の凶告夜行とは違います。原始的な凶告夜行によって引き起こされた黒狂いを解除するためには、王国の施設と専門家が必要になりますね」

「……確かに黒狂いは然るべき手順を踏めば元に戻すことが可能です。わたくしにはできませんが」

 ペナの言うことを予把野が追認する。

「しかしそのためにジュワイゼンネイア王国を蘇らせるわけには参りません。凶悪な凶告夜行によってこの世がめちゃくちゃになってしまう。だからこそわたくしは百々澄家から協力をいただいているのです」

 そこは譲れない一線だというようにまなざしを鋭くする予把野。確かに言い分はわかる。燕風にとっても百々澄にとっても突然強力な力を持った第三国が出現するのは好ましくない。そこでふと俺は疑問に気づく。

「ちょっといいか? そのなんとか王国は圧倒的な力を持っていたのだろう。だったらなぜ滅んだ……いや、自ら消えたのだ?」

「千年前の凶告夜行と当世の凶告夜行は大きく違うと言いましたね。しかし変わらない点が一つあります。それは凶告を――千年前はゲンジュと言ったそうですが――消費するところです。当世ならばその消費量は大したものではありませんが、当時の凶告夜行はその強力さゆえに膨大な消費量だったとか」

 急に予把野の話が変わったので何事かと思ったが、膨座が理解を引き取ってくれた。

「なるほど、凶告資源の枯渇ですか」

「私が生まれる前から湯水のごとく使ってましたからねぇ。人の死から生まれる凶告がそうそう枯れることはないんですが、無限というわけにはいきません。気づけば後数十年しか保たない状態になってしまったんですよ」

「計画性というものがないんですの? 少し考えれば先行きに問題があることなどすぐわかりますのに」

 揺鈴、その指摘は正しいが、後先考えず駆け落ちした俺たちにも刺さってしまうぞ。

「そこで王国が取った手段が王国丸ごとを世界から隔絶する凶告夜行だったのです。当時残っていた凶告を使い切るような強烈な凶告夜行を作り、凶告が再び世界に充満するまでの間、自分たちを封印することを選んだ。その期間が千年。そして今がその千年目なのです。正確には千年と三百五十一日目ですが」

「ああ、まだ千年経ったばかりでしたか。長く生きてるとどうも日単位での時間経過が把握できませんねぇ。まあ誤差ですよ誤差」

 一年近くのずれを誤差と言ってのける時間感覚は、いっそ貫禄に感じられる。このいい加減さでよく王国の人間はペナに復活を任せたものだ。

「ジュワイゼンネイア王国は自分たちの技術をよほど信用していたのでしょう。凶告夜行によって自らを封印しても適切に解除すれば何も問題はないと。しかし問題はありました。いったい誰が千年の時が経過した後に封印を解くというのか?」

「なにしろ王国全体を封印しちゃいましたからねぇ。封印を解ける人間も封印してしまったら封印されっぱなしです。かといって王国の外に人を配置しても千年も生きられないという問題が出てきます。あへめさんのヨパ家みたいに律儀に使命を継承できるかも怪しかったですからねぇ」

 自分の家を褒められてうれしかったのか、予把野が眼鏡をいじりながら、えへへと照れる。因縁の相手からの賛辞を受け取って喜んでしまう素直さ。千年もペナを取り逃がし続けるのもむべなるかなだ。

 予把野は照れてる場合ではないと気づいたらしく、咳払いして話を続ける。

「う、うぅん、そこで王国の人間が頼ったのは、やはり絶対の信頼を置いていた凶告夜行。恐るべきことに彼らは志願者に不死の黒狂いをかけて千年の間生かそうと考えました」

「だが国のためとはいえ千年後まで生き続けることを承諾する人間はふつうおらぬだろう」

 俺はそう言いながら、例外の存在へ目を向ける。人の役に立つためならば自己犠牲をまったく厭わない者。

「そう、ペナ・ミドネユメです。当時から人の役に立てるならば誰彼構わず手を貸していたようです。ジュワイゼンネイア王国はどの国であれ報酬次第で動いていましたが、彼女は他国の依頼で自国への攻撃を支援するなど度の過ぎた奉仕者でした」

「そうでしょうね。他人の役に立つとか言って山賊の手伝いを引き受けるような女ですもの。売国行為をしても何も不思議はありませんわ」

「人の役に立つことって素晴らしいじゃないですか。その結果がどうなるかなんて些細なことだと思うんですけどねぇ」

 まったくもって些細なことではない。ペナの呆れた言い分にこの場の全員がそう思ったはずだ。善悪の区別がついていないわけではないだろう。ただその重要度がペナの中で著しく低いのだ。

「しかしそれゆえに適材だと判断したのでしょう。その王国の人間は人の活用の仕方をわかっているようですね」

 黒狂いを村の発展のために活用した膨座ならではの視点だ。信じがたい話が続いているが、内容にしっかりついていけている。

「その通り。王国はペナ・ミドネユメの異常性を信頼しました。こいつなら千年を生きて王国の復活を成し遂げる。自分の欲のために。忠誠という言葉とは縁遠いジュワイゼンネイアの連中にとって、我欲はむしろ信頼に値したのでしょう」

「私としてもいずれ死んで人の役に立てなくなるのは嫌でしたからねぇ。死ななくするという申し出は利のあることでした。何より千年の封印を解かれた後の人々の顔はさぞ喜びに満ちたものになると思いましたし」

 そのときのことを思ってか、ペナの顔がほころぶ。その顔は予把野にとっては許しがたいものだったようで、語気が強くなる。

「それだけのために世界に混乱をもたらすことは許せません。本来、凶告が枯渇した時点でジュワイゼンネイアは滅びるべきだったのです。わたくしの先祖もそう思ったからこそ封印計画に反対しました。ですが当時からヨパ家は落ちこぼれ。意見は聞き入れられず、やむなく国を出たのです。それから代々王国の危険を語り継ぎ、復活を止めようと千年の間努力を続けてきました。今こそその使命を果たすとき。ペナ・ミドネユメ、王国の復活は諦めなさい」

 息切れしそうな勢いの熱を込めた言葉をぶつけられても、ペナは何一つ動じない。

「それは無理ですねぇ。頼まれたことを途中で投げ出すなんてできませんよ」

「予把野殿、俺も貴殿の言うことを受け入れるわけにはいかない。揺鈴との平穏な暮らしがかかっているのだ。黒狂いを治すためにその王国を復活させねばならん」

 俺は断固として言った。その勢いに予把野が身を引く。おびえの表情が浮かんだが、すぐ表情を取り戻して低く絞り出すように言葉を紡ぐ。

「……そもそもあなた方が黒狂いになった大本の原因がジュワイゼンネイア王国だとしても?」

「何?」

 俺は動揺を露わにしてしまう。どういうことだ。千年前の王国の行動と今俺たちが黒狂いになっていることに何の関係があるというのだ。

「そのことすら告げられずにいたとは……」

 予把野が眉間にしわを寄せ痛ましそうな目で見てくる。

「王国が千年前に栄華を誇ったのはなぜでしょう?」

「それはもちろん……凶告夜行だろう」

「その通り。ですがそれだけでは不十分でして。ジュワイゼンネイア王国の名前の由来は、凶告夜行すなわちジュワイゼンを使う者から来ています。能力を国名に冠するほどに王国は凶告夜行と密接に結びついていたということですね。凶告夜行は王国が独占し、他国に使える者は一人たりとも存在しませんでした」

「そうでしょうね。千年前の国々も座して眺めるだけのわけがありません。僕が当時の人だったら当然反攻の手段を考えるはずです。特殊な兵を敵国が運用しているなら自軍でも育成すればいい。それができなかったということは、ジュワイゼンの使い手は王国以外で生まれることはなかったのでしょう」

 ペナが軽く拍手をして膨座の推測を賞賛する。

「ご明察。王国の始祖は生まれつき凶告が見え、操る術を持っていたようです。私が不死になった千年前よりもはるかに昔のことなので詳しいことはわかりませんが」

「先ほどから前置きが長いぞ。その話の中に俺たちが黒狂いになった理由がどこにあるのだ?」

 いらだった声になってしまったせいで、予把野がおびえてしまった。

「ご、ごめんなさい。王国の話はいろいろと込み入っているのです」

「ンッンッンッ、ずいぶんと短気でござるな。確かに難解ではあったが、拙者は最後までしかと聞いたぞ?」

 黒狂衆に嘲られてしまった。文雀は以前予把野から聞いていたらしい。

「……すまん」

「涯牙さまは長い話が苦手なので仕方ないですわ。そうですわ、一度休憩にしてお茶でも飲みましょう。ちょうどお茶請けも持っていますし」

「いや大丈夫だ揺鈴。だからその腕肉をしまってくれ……」

 脱線しそうになったので俺は予把野に目配せして話の続きを促す。

「もう少しで本題なので……それでですね、王国外の人間は凶告夜行を使えません。不死の副作用でミドネユメも同様です。これがさらなる問題を生みました。というのも、凶告夜行を解除するためには凶告夜行が使えなければならないからです」

「ん……なるほど、凶告夜行を独占していた王国が消えてしまったら、凶告夜行を解除する技術を持った人間もいなくなる。部屋の鍵を部屋の中に閉じ込んでしまったようなものです。開けられる人間がいなくなってしまった」

 膨座の言葉に俺は壁を壊せばいいではないかと言いかけたが、たとえ話だと気づいて寸前で引っ込めた。

「ええ、ですから千年後までに凶告夜行が使える人間を用意しておかなければならなかった。そこで王国はあるものを配りました。それがこれです」

 予把野が懐から朽ちてボロボロになった本らしきものを取り出す。表紙には見慣れない文字があった。少なくとも白江地方の文字ではない。

「おや、よくそんなもの持ってますねぇ。例の教科書ですか」

 ペナが懐かしそうに言った。

「やはり見覚えがあるようですね。そう、これはジュワイゼンネイア王国から流出したジュワイゼンの秘術を学ぶための教本です。――ただし偽物の」

「偽物だと?」

「ええ、偽物です。それらしきことは書いてあるのですが、この通りに実践すると間違いなく失敗します。ジュワイゼンも凶告夜行も体に凶告を取り込んでから相手に放つ技ですが、途中で失敗すると凶告は体内にたまったままになってしまいます。そしてそれこそが王国の狙いでした」

「うん? 失敗するものをばらまいて何の意味があるのだ」

「兄上、遠距離から一方的に相手に異常を与える術などというのは国家にとって喉から手が出るほどに欲しいものです。獲得できたときの優位性を考えれば、どんなに困難でも習得させようとしたでしょう。適正のある者を探し出すために、兵のみならず国民全員に練習を命じるぐらいはしたはずです」

 俺の近視眼的な見方に膨座が横から注釈を加える。

「なるほど、王国の連中はそこまで行動を読んでいたわけか」

「ええ。王国の狙い通り、当時の人々は知らず知らずのうちに凶告をため込んでいきました。それは凶告夜行を使う素養ができたことを意味します。その素養は世代を経るごとに徐々に強まっていき、この千年後の当世で凶告夜行の十分な素養を獲得するに至りました」

 予把野はそこで一拍置く。今から大事なことを言うのだと示すように。

「ですが、その代償に世界じゅうの人間が黒狂いになる素養も獲得してしまったのです。凶告夜行の発動に失敗すれば、凶告が体内に蓄積し黒狂いになります。たとえそうなっても王国では治すことができましたが、王国が消えた後では誰にも治せません。以降千年の間、黒狂いになった大勢の人が苦しむとわかっていたにもかかわらず、ただ自分たちの繁栄を持続させるためだけに黒狂いの原因をばらまいたのです。王国がすべての元凶だとおわかりいたっ、けほけほ、いただけましたか?」

 一息に言ったせいで最後にはせき込んでしまう。それだけに予把野の必死さは伝わってきた。

「ええ、それはもう十分に理解しましたわ。千年も前の身勝手な欲の巻き添えで、揺鈴たちが余計な苦労を背負わされたとね!」

 予把野の熱が伝染したように揺鈴が怒りを露わにする。

「……ペナ殿は王国が元凶だと知っていて俺たちを巻き込んだのだな。道理で情報を小出しにしていたわけだ」

「私自身が封印を解ければよかったんですがねぇ。不死の代償で凶告夜行が使えない私には無理でしたから、信頼できそうな方を見つけて凶告夜行を身につけていだたく必要があったんですよ」

「やはり揺鈴たちを騙していたのですわね!」

「まあ待て揺鈴。仮に説明されても信用はできなかっただろう。現に年齢ひとつとってもまともに取り合わなかったではないか」

「そ、それはそうですが……」

「ペナ・ミドネユメの、ジュワイゼンネイア王国の企みは理解できたと思います。ですから燕涯牙様、百々澄揺鈴様、今すぐにその女への協力を止めていただきたい。どのような黒狂いになっているのかは存じ上げませんが、世のために忍耐をお願いします」

 真摯な表情で予把野が頭を下げる。千年に渡る一族の使命を成就させるため、ここは一歩も引かない。その決意が見て取れた。

「……少し、考えさせてくれ」

「考える余地なんて……いえ、急にいろんな話を聞いたところです。まだことの重大さを受け止め切れてないのでしょう。一日時間を与えますから、その間に考え賢明な選択をお願いします」

「人のよいことでござるな」

 文雀が意外そうな顔をする。

「どのみち復活はジュワイゼンネイア王国の跡地まで行かなければできません。ここにいる以上、まだ復活は先のことでしょう。止めるのはいつでもできます。行きましょう」

 そう言って予把野は集会場を出ていき、

「あっ! ぶわぎゃっ」

 入り口の階段を踏み外して派手な音とともにすっころんだ。

「ンッンッンッ、どうにも締まらぬ女よの。予把野の言うとおり、一日待つ。それまでは里帰りを楽しませてもらうでござる」

 黒狂衆の面々が静かに出ていく。

 広い集会所がしんと静まりかえった。

 俺はゆっくりと腰を下ろし、重いものを吐き出すようにつぶやく。

「……さて、どうしたものかな」

「おや、迷ってらっしゃるんですか? てっきり協力してくださるとばかり」

 ペナが意外そうな顔をする。

「戦闘での判断ならともかく、それ以外では俺は悩む性質でな。駆け落ちにしたって一年を要した」

 武が絡んでないと途端に暗愚のごとしだ。自分が情けなくなる。

「そうですかねぇ。これまで見てきて涯牙さんは私が最も信頼できるタイプだと思ってるんですが」

「……どういうことだ?」

「千年の間、さまざまな人たちを見てきました。裏切る人、信義に殉じる人、諦める人、諦めない人。そしてこう結論を出しました。愛のために動く人間こそが最も信頼できる」

 揺るぎない確信を持ってペナは言い切る。

 俺は何も言わなかった。

「涯牙さま……揺鈴は涯牙さまを苦しめたくありませんわ。この衝動を抑えつけよというのなら、一生我慢してみせましょう」

「それこそ駄目だ。揺鈴に一生の我慢を強いて生きるなど」

 俺は即座に否定してみせた。揺鈴を苦しめる選択肢など最初からあり得ない。

「だったら迷うまでもないのでは?」

「しかし……俺と揺鈴のために世界を危機にさらせというのは……」

「兄上、僕は何があっても兄上の味方です。兄上は自由が似合うお方。世界が何だというのでしょう。心の赴くままに決断すべきです」

 駆け落ちを決めたときと同じように膨座が励ましてくれる。できた弟を持って俺は果報者だ。

「心の赴くままに、か」

 俺はどうしたいのか。どう思い、どう行動してきたのか。省みる。国だの地位だのには興味がない。武を磨いてきたのもただ好きだったからだ。そしてあの戦場で愛を知り、愛のために国を捨てた。これで次期王とは笑わせる。俺という人間はつくづく身勝手だ。

 ペナの言うとおりだった。すべては揺鈴との平穏な生活を願ってのこと。ジュワイゼンネイア王国の連中は我欲にまみれていたようだが、俺とて同じ。

 最初から答えなど決まっていたのだ。自己問答は茶番に過ぎない。

「そうだ。俺は」

 俺は愛する女を見る。自ら切り落とした腕を大事に抱えるようになってしまった彼女を。しかし俺への愛情はずっと変わらなかった女を。

 立ち上がって揺鈴へ歩み寄り、全身でその存在を感じられるように抱きしめる。

 それが答えだった。



 燕風国王・燕豪験と百々澄国頭首・百々澄電左衛門は両者とも四十代であり、共に武芸において円熟の域に達していた。二人は両国における最高権力者であり、最強の戦士でもある。戦場に出れば互いの他に敵う者はなく、涯牙であれ揺鈴であれ黒狂衆であれ雑兵に等しくなる。必然、二人が戦場に出れば二人の勝負にしかならない。加えて両者の実力は完全に互角。決着は双方が瀕死になっての引き分けで終わることが常だった。

 いつしか二人が戦場に出ることはなくなり、手勢同士の戦いだけが行われることになった。電左衛門が黒狂衆に揺鈴の始末を任せたのもその流れだ。

 しかし今、電左衛門は軍勢を率いて進軍していた。ある情報がもたらされたからだ。

「豪験め、味な真似をしおる。百々澄の家名をとことん貶めるつもりか」

「しかし大殿、そのような風聞も広まっているとはいえ、敵方の情報を信じてよろしいのでしょうか」

 腹心の一人が警戒をする。

「ふっ、古今東西信用できるのは怒りよ。怒りにかられた人間は本音をさらす」

「なるほど。かの者ならば確かにそうでしょうな。さすが大殿にございます」

「ゆえに、何としても先に揺鈴を処断せねばならん」 

 電左衛門は地平の向こうをにらみつける。その目がかすかな違和感をとらえた。違和感の正体を理解して電左衛門の肌が粟立つ。

「いかん、総員散開! この場は迂回すべし!」

 電左衛門の緊迫した声に軍勢は即座に反応して散開する。果たしてそれは的確な判断であった。電左衛門が目にしたのは遠くで飛翔、いや跳躍する人影。雲を突き抜けるかと思うほどに跳躍する人間など電左衛門は一人しか知らない。

「ははははははははははははははは!!!」

 豪快な笑い声が天から降り、練り上げられた肉体が流星のごとく落ちる。

 電左衛門の血は即座に沸騰して全身をめぐり、筋肉は全力の一撃を放たんと猛る。地響きのようなうなり声とともに電左衛門の肉体が躍動した。

「ぬ、うぅああああぁっっ!!!」

 衝撃を受け止めた瞬間に発生した轟音は、散開していた百々澄の兵をして鼓膜の破断を覚悟させた。

「燕……豪験!」

「久方ぶりじゃねーかよ百々澄電左衛門! ははははははは、流星の拳を防ぐあたり全然衰えてねーな! 我はうれしいぜ!」

 電左衛門は迎撃に鉄球を打ち上げていた。人の身では投擲できるような大きさではない巨大な鉄球を。

 そんなものとかち合えば拳が砕けるは必定。否、人の原型を留めることすら難しい。しかし相手は燕豪験。鍛えに鍛えた骨身は傷一つつかない。

 鉄球に矢のごとく刺さった豪験は、ぐるんと宙返りし、地に降り立つ。

 けして背が低くはない電左衛門だが、その電左衛門をして見上げるような大男。乳白色の地味な道士服は隆々とした筋肉をまったく隠せていない。それでいて無意味な筋肉は少しも見られない。戦闘のための完成された肉体がそこにあった。

「バカ息子のために我が動く気はなかったんだが、手前が出張るってんなら我も出張らねーとな!」

 先ほど打った拳とは反対の手には大剣が握られている。指の間の四つの隙間。そこに一本ずつ計四本の剣。常人なら挟んで持つことすらできないそれを筋肉を盛り上げて四刀流としている。燕風に伝わる剣と拳の複合武術、その極み。

「先に仕掛けたのはうぬであろうに。儂を舐めくさりおって。今すぐに粉砕してくれるわ!」

 電左衛門が棍を突き上げる。棍の先端には鎖が伸びており、巨大鉄球へとつながっていた。

「粉砕結構、今回は決着が着くといーけどな! ははははははははははははぁ!!!」

 豪快な笑い声を置き去りにして、破壊の拳と必殺の四振りが同時に襲いかかる。並の武人では防ぐことはおろか回避すら不能。

「笑止! 単調に過ぎるわ!」

 電左衛門が竜巻のごとく高速回転すれば、ばかりと派手な音を立てて棍が十に分かれる。中からは鎖がうじゃうじゃと伸び、四つの大剣を雁字搦めにする。大鉄球は再び拳を迎え撃ち、地の果てに大音を響かせた。

「そーでなくてはな電左衛門! 最近の若い者はこんな小手調べでも死んじまうからよー!」

 目を爛々と輝かせ、心底楽しそうに言う豪験。

「この脳まで筋肉男が……儂はうぬのその顔を消し飛ばしたくて仕方ないわい!」

 鬼のような形相で、電左衛門が腕を振り上げる。四つの大剣をからめ取った鎖に引っ張られ豪験の巨体が軽々と宙を舞う。しかし豪験は屈託のない表情で、

「ははははははははははははは!!! そー言うなよ、あと何日かかるか知らねーけど闘争死ぬほど楽しもーぜ!」

「やかましいこの戦狂いがぁぁ!」

 実に三日をかけた必殺の攻防がここから始まった。

 それが終わる頃、涯牙たちは死地に追い込まれることになる。

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