第15話

「暑……」

 入荷してきた飲料の山を仕分けながら、碧は額に流れる汗を拭った。

 夏休みに入って二週間が過ぎ、気がつけば八月だ。

 学校がある間は、平日バイトは夕方だけだが、夏休み期間は土日と同じで平日でも朝から夕方までフルで働く。

 長期休みやゴールデンウィークなどはいつもこのパターンだが、やはり夏が体力的には一番きつい。寒い分には、多少着込めばどうにかなるが、暑さだけはどうにもならない。クールタオルを首に巻いたり、水分も多めに摂るようにしているが、暑さにどんどん体力が奪われていくのが分かった。

 店内は冷房が効いているが、バックヤードに関してはほぼ外のようなものだ。一応室内だから直射日光に当たりはしないが、決して涼しいわけではない。シャッターを開け広げてはいても、涼しい風が入ってくることもなく、ただひたすらに蒸し暑いのが現状だ。

 夏なのだから仕方ないと分かってはいても、もう少しどうにかならないだろうか…と思わずにはいられない。

 碧は台車にある程度の商品を積み上げた。ちょっとの作業でも、汗が流れ落ちる。それを、首に巻いたタオルでぐいっと拭いて、ふうっとひとつ、息を吐いた。

「さて…」

 行くか、と台車を引っ張ろうとしたところで、目の前の扉が逆に開く。一瞬、店内から流れてきた涼しい空気が、碧の身体を掠めた。

「あ」

 店内側からバックヤードへと戻ってきたのは、広瀬だった。その後ろから、空の台車を引いた川野が付いてくる。

「牧野くん、お疲れ様」

 広瀬に声を掛けられて、碧も「お疲れ様です」と返す。その後に、川野が「お疲れ様です」と続けたのに、碧はぺこりと軽く頭を下げた。

 川野は、この夏のバイト募集で入ってきたうちの一人だ。募集をかけていたところ、川野と、もう一人大内という二人が入ってきた。それも、短期ではなく

長期として。

 二人とも気さくで話しやすいのだが、碧はまだ若干その距離感を掴めずにいた。

 何せ、二人は現在大学二年生で、碧より二つ年上。バイトとしては碧の方が先輩だが、年齢としては二人の方が上…という、なんとも微妙な立場関係だ。

 普通に話をする分には、うまくコミュニケーションは取れている、と思う。けれど、いざ仕事となると別の話。どうしても二人に教えたりする場面も生まれるわけで、そのときにどう接したらいいのかと未だに戸惑う事も多い。

 とはいえ、二人の方はそんなことはまったく気にしていない様子なので、碧の杞憂ではあるのだが。

「広瀬さん。俺、これ次持って行きますね」

 碧はそう言って、「よろしく」という広瀬の声を背に、台車を引っ張って逃げるように店内へと向かう。扉を開く前に、ちらりと後ろを振り返ると、広瀬が川野に何か説明をしているのが見て取れた。

 その光景に、少しもやっとしたものを覚えて、碧は知らず軽く唇を噛む。

 人手が二人増えた。

 その分作業量が分担されて、ありがたい話ではある。広瀬もその分、他の仕事に時間を割くことができている、と言っていた。

 それがもちろん良いことなのは分かっている。

(けどなぁ……)

 夏休みに入ってから、広瀬と一緒にいる時間がこれまでより減った。

 それが、いまの碧を悩ませているもうひとつの要因。

 碧自身が、シフトを減らしているのもある。が、シフトが重なった時でも、広瀬は川野と大内に作業を教えたりするため、二人のどちらかといる時間の方が多くなるのも必然。

 一度基本を覚えれば後は応用なのだが、その最初が肝心なのは碧自身が一番理解している。広瀬たちに教わった基礎があってこそ、彼らが不在の時にも仕事を進めることができる。だから、広瀬が二人に時間を割くのは仕方の無いことで。

 頭では理解はしているのだが、もう少し話をしたいな、と思わずにいられない。

 ただでさえ、もう時間は限られているかもしれないのに。

 碧はふぅ、とひとつ息を吐いてから「いらっしゃいませ」と挨拶して店内へと向かった。


 

 その日も朝から暑かった。

 店に向かうために自転車を漕ぎながら、碧は額の汗を拭った。額どころか、もう背中も汗ばんでいる。

 朝食時に流れていたニュースで、今日も猛暑日になるとキャスターが話していた。最高気温は…何度になると言っていたか。体感的には、もうすでに30度は超えているのではいかとすら思う。朝でこれなら、真昼はどうなるのかと、げんなりするばかりだ。

 出勤すると、ロッカーで大内と鉢合わせた。

「おはようございます」

 碧が挨拶すると、大内もにこっと笑って「おはようございます」と返してくる。

「今日も暑いねー。牧野くん、自転車でしょ?」

 問われて、碧は「はい」と返す。

「ここに来るまでに、もう汗だくで。大内さんは……車?でしたっけ」

「うん。俺も…ついでに言うと、川野も車」

 それを聞いて、碧はいいなぁと呟いた。

「でも、俺は家近いからさ」

 車の中が冷えてきたなーと思った頃には到着してるんだよねぇ、と大内は苦笑した。

 汗で濡れたTシャツを脱いで、ポロシャツに着替える。

「今日も頑張りますか」

「ですね」

 大内にそう応えると、ロッカーをバタンと閉めた。

 

 店内の在庫を確認して、減っている商品をバックヤードから補充する。

 大内が商品を台車に積み込みながら、昨日結構詰め込んだんだけどな…と呟く。

 暑さが増すのと比例するように、飲料関係の売上げもぐぐぐと上がる。水やお茶といった、通年売れる商品はもちろんだが、熱中症対策でスポーツドリンク系の需要も高い。入荷日に、文字通り山のように入ってきても、次の入荷日までに無くなることも少なくは無かった。

「牧野くん。これ……在庫あるみたいなんだけど、見当たらなくて」

「どれですか?あ、あー……これなら……」

 碧は通路の奥に進み、大内の探している商品を引っ張り出す。

「ありがとー」

「これはあんまり出ないから、在庫も少なくて」

「へー。覚えとく」

 まだまだ覚える事いっぱいだなーと言いながら、大内は碧から渡された商品を受け取って台車に積むと、店内へと向かっていった。

 その後ろ姿を見送って、碧も自分の作業を進める。とはいっても、今日は大きな変更作業などもなく、ただひたすらに売り場をチェックしてはバックヤードに戻り…を繰り返すのがメインの仕事。

 午後から広瀬が出勤してくると、違う仕事が振られる可能性もあるが、今のところ補充以外の作業の指示はない。補充がてらバックヤードを整理して、明日の入荷日に備えておくのが、今日の碧にできることだ。

「あ……」

 よいしょ、と持ち上げた箱を見て、碧はしまった…と言った風に呟く。

 箱に印字されている賞味期限が、さっき持って行ったものより近いものを見つけてしまった。期限的にはまだ数ヶ月先だが、それでも期限が近い方から売るのが鉄則だ。気をつけてはいても、荷物が多いとどうしてもチェックしきれない事もある。

 昼から大きな仕事がなければ、賞味期限のチェックをしていこうと、碧は思った。

 

 暑さと戦いながら作業を進めていると、気がつけば昼。

 時計を見ればそろそろ休憩時間というタイミングで、碧は大内に断って、店内からバックヤードに戻った。

 置いてある水筒を取りに休憩スペースに立ち寄り、朝よりも随分軽くなったそれを手にする。この後飲み物を追加する予定だし、と、碧は残っていたお茶をその場で飲み干した。

 カラカラと、入れている氷が音を立てる。

 容量が大きい物を使ってはいるが、それでも摂取する量の方が明らかに多い。もう少し大きな水筒を買うという選択肢もあるが、幸いここはスーパーで、補充するための飲料は文字通り売るほどある。だから、無くなった分だけ補充する方が都合が良い。気分によって飲む物を変えられるというのも、利点だなと思う。

 碧は念のために今日のスケジュールを見てから、昼食のためにその場を離れた。

 ロッカーからカバンを取り出し、ポロシャツの上に薄手のパーカーを羽織ってから更衣室を出る。今日は何を食べようか…と考えていたところで、

「牧野くん」

 声をかけられ、ぱっと振り向く。

「広瀬さん……!お疲れ様です」

 出勤してきたのであろう広瀬が、立っていた。

「今日も暑いね。今、外出たら地獄だよ、地獄」

 広瀬は苦笑しながら歩み寄ってくると、手にしていたスポーツ飲料を碧に差し出した。

「はい、これ。差し入れ」

「え?」

 驚いて顔をあげた碧に、広瀬がふっと笑う。

「さっき、持ってきたやつ飲み干してたみたいだったから」

「……え」

 さっきの休憩スペースでの出来事を見られていた、ということだろうか。なら、もう少し前に出勤してきていた…?

 頭に少しだけ疑問を並べる碧の手に、広瀬がぐいっと飲み物を持たせる。

「ほら、遠慮せず受け取る」

「……ありがとうございます。お昼ついでで買いに行こうと思ってたとこで」

 言うと、広瀬はどういたしまして、と笑った。

「でも、足りないだろうから、もう一本ぐらいはあった方がいいと思うけど」

「ですね」

 と、碧もつられて笑う。

 なんだか、こうやって普通の会話をするのも、久しぶりのような気がする。

 それだけのことで、妙に浮ついた気分になる。思わずにやけてしまいそうになるのを、碧はふうっと大きく息を吐くことで自分を落ち着かせた。

「大丈夫?最近」

 碧のため息を違う方向に受け取ったらしい広瀬が、心配そうな声音で訊ねる。

「え?」

「疲れてそうだなって。受験勉強も、ちゃんとできてる?」

「…はい、まあ、それなりに」

 答えた碧に、広瀬はほっと安心したように目を細めた。

「ならよかった。ほら、シフト重なる日も少なくなってるから」

 気になってて、という広瀬の言葉に、胸の辺りがぐっと苦しくなるのを覚えた。

 心配してくれている、ということだろうか。広瀬もこうやって話をする時間が減っていることを、気にしてくれていたと?

 何だかその心遣いが嬉しくて、くすぐったい。

 会う機会が減って、話しをする時間もさらに減って。 少し前までは、普通に交わしていた他愛のない話ができないことに感じていたもどかしさが、ほんの少し解消されたような気がする。

 もし。もし夏休みまででバイトを辞めると決めていたら、こんな少しの会話すらできなくなっていたのか……と思うと、自分の選択は正しかったのだという気になった。

 もう少し話をしていたい…と思った矢先、あ、と広瀬が慌てるように時計を見た。

「ごめん。休憩時間短くなっちゃうね」

「あ」

「ゆっくり休憩して!じゃあ」

 また後で、と広瀬は慌てたように言うと、軽く手を上げて踵を返す。

 その後ろ姿を見送りながら、碧は広瀬から貰ったスポーツ飲料を、大事そうにぎゅっと抱きしめた。

「べつに、休憩時間減っても…」

 いいんだけど、と心の中で呟く。

 昼食を取るよりも、広瀬と話をしている方が活力が涌くかもしれない。

 そんなことを思いながら、碧は昼食を買いに店内へと入った。

 足取りが、少し軽くなっているような気がした。

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