不意の別れ(コルネリウス視点・回想)

「「え……?」」


 ロスヴィータとマルティナの声が重なった。


「記録されているだけで、呪禍に取り憑かれた人間は過去に四人ほどいたらしい。当時も引き剥がしたり、衝動を抑える方法を模索したようだ。だが、どれも実を結ぶことはなかった。最後は取り憑かれた者を殺さざるをえなかったそうだ」


 コルネリウスは目を伏せる。

 ロスヴィータは怒りを覚えたように拳を握っていた。


「なんだよ、その馬鹿げた結末は……?」


「人間の器が朽ち果てれば、呪禍は新しい依代を探すために一定の期間を要するそうだ。ふたたび呪禍の覚醒が確認されたのは、百年以上経ったあとのことだったらしい。だから、今回も……」


「待てよコル、お前……」


 ロスヴィータが腕を伸ばしてくる。それは、ここから先は言わせまいと制止するかのようだった。

 それはあえて意に介さない。コルネリウスはそのまま言葉を紡ぐ。


「銀髪の少女を殺害すれば、一時的ながら難を逃れることができるだろう」


 次の瞬間、ロスヴィータが乱暴に肩を掴んできた。


「コルお前、何言ってるのか分かってんのか⁉ 呪禍は無作為に人間を選ぶんだろ? この子には何の罪もないわけだ。そんな子の命を無慈悲に奪うって言うのか⁉」


「僕だってこんな決断はしたくないよ……でも、マルティナだって永遠に聖術で動きを封じていられるわけでもない。そのとき、また呪禍は解き放たれる。それに時間が経てば経つほど呪禍は器に馴染み、強大な力を発揮するようになるそうだ。今度はマルティナでも呪禍を制御できなくなるかもしれないから!」


 らしくない自覚を抱きながらも、コルネリウスは大声で反駁した。

 すると、ロスヴィータが握る手の力は次第に弱まっていく。


 コルネリウスの言にも一理ある──そのような思いが生まれたのかもしれない。

 重い沈黙が場を包む。そんななか、ふとマルティナの顔が視界に入った。直後、コルネリウスは目を丸くする。


「マル、ティナ……?」


 苦悩するでも、悲嘆するでもない。濁りのない水面を眺めるように穏やかな表情で、マルティナは地面に横たわる少女を眺めていた。


「いいえ、方法はあるわ」


 マルティナは淀みない声で言う。


「呪禍を引き剥がしたり、衝動を抑える方法はなかった──それは過去の話よね。私は空間支配の聖術を編み出した。その空間支配の聖術は、こうして呪禍を封じている。だから、私になら呪禍を止められると思うの」


「ほ、本当、なのかい……?」


 俄には信じられないことだった。

 だが、彼女ならできるかもしれないとも思わされる。なぜなら、マルティナは公国最強と謳われる天才救済士だったからだ。


 コルネリウスは希望を抱き、わずかに顔を明るくさせる。

 だが、対照的にロスヴィータは顔を暗くさせていた。


「待てよ。呪禍を止めるだなんて、この子の寿命が尽きるまでだよな? いや、そんなの、どう考えたって……」


「えぇ、絶級聖術じゃないと無理でしょうね」


「……っ」


 ロスヴィータは目を見張る。コルネリウスも遅れて驚いた。


 聖術は五段階に区分される。

 低級聖術、中級聖術、上級聖術、天級聖術、絶級聖術だ。

 最後の絶級聖術が引き起こす現象は、神の奇跡に近いと言われている。具体的な例を述べると、大地を割ったり、海を沸騰させたり、などといった逸話があった。


 ただ、その使用には代償が必要となる。使用者の血肉を贄にしなければならないのだ。つまりマルティナは身を捧げてまで、少女を救おうとしているのである。


「やっぱり、引き剥がすのは不可能ね。でも、呪禍を抑え込むことならできる。それに関しては確信がある。それでも命を捧げて、やっと──」


「命って、そんな」


 コルネリウスが唇を震わせるなか、マルティナは左手の指輪を外す。


「この指輪を使うわ。この指輪に呪禍の衝動を抑え込む聖術を施す。それをこの子の指に嵌めてあげてほしいの。そうすれば、この子は無事に助かるから──」


「ふざけんなよっ!」


 声を荒げたのは、ロスヴィータだった。


「そんな馬鹿な解決法あるかよっ! この子を助けるために、マル姉が死んだらなんの意味もないだろ!」


「そうだ、考え直してくれ! 少女の命を奪うことは最善じゃない。だが、マルティナが犠牲になるなんて方法も最善だとは思えないよ!」


 コルネリウスも思い留まらせようとした。だが放つ言葉はマルティナの身体を滑り、落ちていくかのようだ。心に届いた感覚がまるでない。


「ごめんなさい、我儘を言っている自覚はあるわ。でもイリス様の神託を聞いてから、ずっと探してきたの。それは、いまこの瞬間だって確信した。だから──」


 マルティナがふいに腕を掲げた。


「──水瓶を砕き、泥濘を掬え〈凝結コアグラチオン〉」


 刹那、虹色が乱舞する卵状の球が生まれる。それがコルネリウスとロスヴィータを包んだ。どうやら、呪禍の動きを封じたのと同種のものらしい。頭も、腕も、脚も動かすことができず、ただ意識だけが残された。


「お別れがこんな形になってごめんなさい。最後に言わせて? ロスヴィータ、貧民街にいた頃から私を守ってくれてありがとう。コルネリウス、たくさん私に寄り添ってくれてありがとう。二人のおかげで、私の世界は彩った」


 マルティナは儚げな笑みを浮かべてから、少女の前で膝を突く。そして祈るように瞳を閉じ、両手を組み交わしながら、黙祷を捧げた。


「大好きよ。さようなら、二人とも」


 マルティナは背中を向け、別れの挨拶を告げる。

 次の瞬間、マルティナの全身から純白の光が放たれた。闇夜に包まれた森が輝きで満たされる。


 いくばくの時間を経て、光は収束した。そして、何かがぽとりと落ちる音が響く。

 それは、マルティナが左手につけていた指輪。


 彼女の姿は、もうそこになかった。

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