悪夢
無明の闇が広がっていた。
どうして、こんな場所に身を置いているのだろう。
一筋の光も届かない屋外にいるせいか、一つの照明もない部屋にいるせいか、そもそも視力を喪失したせいか。理由は不明だったが、意識はこの果てしない闇にあった。
前方が局所的に照らされる。急ごしらえで組み立てられたような粗末な舞台が現れた。
その舞台には、糸繰り人形がへたりこんでいる。糸繰り人形は襤褸を集めたようなみずぼらしい衣服を着ており、数秒で描けるような簡単な顔が描かれていた。肩、背、腰、脚など頭以外の部位すべてに糸が繋がれている。それは、両手足の指の数をゆうに超えていた。
舞台を照らす光が広がる。糸が伸びた先が見え、人形を操る者の姿が目に入ってくる。
それは大勢の
道化師たちは裂けんばかりに口角を吊り、三日月のように瞳を歪めながら笑っている。
「そうそう、それでいいんだよ」
「君はこのために生まれてきたのだから」
「ずっとずっと、踊り続けなさい」
道化師たちの声が雨のように降り注いでいた。糸繰り人形の顔も笑む。
どうやら、糸繰り人形にも自我があるらしい。道化師たちから浴びせられる期待と讃辞の声に、歓喜と充足感を覚えているようだった。ダンスにも熱が入っていくように見える。
そうして、何十分、何時間もダンスを踊り続けたのち、ふいに糸繰り人形の顔が曇った瞬間があった。
それは、このダンスを踊らされていることに疑問を抱いた顔のように見えた。答えを求めるように、糸繰り人形は道化師たちを見上げる。だが、道化師たちは歓喜に酔ったまま答えない。
糸繰り人形は諦めるように首を下げ、そのまま衣服に視線を落とした。
次の瞬間、その顔が驚きに包まれる。衣服がひどく汚れていることに気付いたようだ。赤黒い斑のようなものが衣服を埋め尽くしていた。
ダンスを踊れば踊るほど、その赤黒い斑は侵食を広げていく。
そして、衣服がすべて赤黒い斑によって塗り潰されたときだった。
糸繰り人形は我慢できなくなったように目を瞑り、全身に繋げられている糸をすべて引き千切った。それから深く腰を落として跳び上がり、引き千切った糸で道化師たちの首を絞めていく。
道化師たちは白塗りのうえからでも分かるくらい青白く顔を染める。
ドサッ、ドサッ、と倒れるような音が連続して響く。
刹那、局所的に照らしていた光が空間すべてに広がった。
すると、そこはまさに死屍累々。道化師たちの亡骸がたくさん横たわっていたのだった。
糸繰り人形は亡骸を眺め、膝から崩れ落ちる。慟哭するように、自分の犯した罪を悔いるように、糸繰り人形はうずくまる──そんな夢を、カミルは見た。
「っ……」
勢いよく飛び起きる。身体が火照る。動悸が早い。
平静を取り戻してから、カミルは思い出した。
あれは明晰夢と類されるものだろう。夢の中身はありありと思い出すことができた。
奇妙で不可思議な夢だった。ひどく不愉快な夢でもあった。だが抽象性が高すぎて、不愉快だった理由を説明することが難しい。そんな気持ち悪さが、カミルに悶々とした感情を抱かせていた。
カミルは長い溜息をつき、汗にまみれた服を着替える。
ふたたび眠りに就く気分にはなれなかった。だが、眠気が訪れるまで漫然と過ごすことも憚られた。だから羊皮紙と羽根ペンを引っ張り出し、棚に置かれてあったゲムスホルンも手に取る。そして開け放った鎧戸から身を乗り出し、屋根裏へ登る。
カミルはそこで、フィーネの誕生日プレゼントとして贈るための曲作りを始めた。
寝そべりながら考える。
作曲の経験は何度かあった。ただ、それは救済士の任務で郊外に出向いたときに明媚な景色と出会い、芽生えた感情を切り取るために作ったものばかりだ。誰かに贈るために作曲した経験はない。だから、羽根ペンは面白いくらいに動かなかった。
だが、石のように硬直していても曲は完成しない。
「今までは景色をイメージして曲を作ってたから、フィーネに贈るための曲はフィーネをイメージして作ればいいのか……?」
カミルは取っかかりを作り、そこから着想を広げていった。
最初、フィーネに抱いた印象は──妖精だ。
妖精は、聖術によって使役できる生物だった。異界における森林地帯や林間の空地など、静寂に包まれた場所に生息しているらしい。静かな森や林を背景に流す音楽は何がふさわしいかといったイメージに、カミルはメロディを肉付けしていく。
羊皮紙にメモを綴る手の動きがふいに早まった。作曲が軌道に乗り出したのだ。吸い込まれるように集中し、周囲の音が聞こえなくなる。
楽しい。
心はそんな感情に支配されていった。悪夢で得た不愉快さも消える。
そんななか、ふと視界の奥に濃い藍色が映った。コルネリウスが持つ屋敷の色だ。その屋敷を見つめながら、フィーネを意識する。どんな曲ならば、彼女は喜んでくれるだろう。想像力を高めながら、ともに意欲も高めていく。
カミルは、ふふ、と鼻を鳴らす。
そして、突如としてそれは起こったのだった。
「は……?」
カミルは上擦った声を洩らす。
天空が輝きに満ちた。地を貫くような稲妻がコルネリウスの屋敷に落とされたのだ。
硬直してしまう。
夜空には雲一つ浮いていない。にもかかわらず、稲妻が落とされた。それは一体、どういうことなのか。戸惑うなか、次第に夜空が赤く照らされていく。さらに、黒煙が立ちこめていった。稲妻が火事を起こしたようだ。
呼吸が乱れる。瞳の焦点が段々と合わなくなる。
「コルネリウスさん、グレータ……フィーネっ!」
カミルは衝動的に屋根を降り、部屋を飛び出す。そのまま、全速力でコルネリウスの屋敷へ向かっていった。
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