セラナは過去を語り、そして寝付けなくなる

 キプスは「うーん」と唸ると、再び上体を起こした。


「あ、起きた? もう、びっくりしたよ。あたしがおでこをくっつけたら、体を真っ赤にして倒れるんだもん」


 起きたばかりのキプスを気遣いつつ、セラナはその手でユルタ河沿いにいた牛の乳房を掴んでいた。


「待ってて、今、乳を搾ってるから。しっかし、暑いねえ。この島。故郷とは大違いだよ」


 セラナは、キプスが気絶している間にこしらえた木製のカップ二つに牛乳を満たすと、そのうちの一つをキプスに手渡す。


「ありがとうございます」


「さ、飲んで精力をつけましょう!」


 そして二人でぐいっと飲み干して、「美味しい!」と二人で牛乳を味わうのだった。


「セラナさん、ありがとうございます。あ、あの」


「なに?」


「お礼を言わせてください」


「お礼?」


「ほら、僕の願いを聞いてくれたことへのお礼です」


 ここでキプスが、神殿を抜け出す時に誰一人傷つけないでくれたことへのお礼を、セラナに伝える。


「あ、いや、それは……あんたが『この人たちは悪くないんです!』って言ってきたから、仕方なく守ってやっただけだよ」


「そうだったんですか」


「うん、そう。そうなの」


 セラナの返事はどこかぎこちなく、何かを悟らせまいとする言い方だったが、キプスは気にしなかった。


「ねえ、聞いていい?」


 キプスが牛乳を飲むのを横目で見やりながら、セラナが尋ねる。


「何ですか?」とキプス。


「神殿の中で見せた、あたしの姿。どう思った?」


 キプスはカップを手元に置いてから答える。


「どうって、僕は神官の方々が杖から魔法を出すのは何度か見てますが、セラナさんみたいなのは初めてです。あれも魔法なんですか?」


「いや、呪いだよ」


「呪い?」


「うん。詳しく聞きたい?」


 キプスは、セラナが身の上話を聞いてほしそうだと悟ると黙って頷き、話し始めるのを待った。


「パパが話してくれたんだ」とセラナが口を開いて、語り始める。


「あたしがこうなったきっかけは、雲一つない夜空――ちょうど今日みたいな綺麗に星々が輝いている日に行われたにえだったって」



 セラナは双子姉妹の妹として、ナクサス島で生を受けた。

 彼女と姉は生まれた瞬間から災難に見舞われた。


 ある日。島の神官が王、即ちセラナの父に告げた。


『双子の誕生は凶兆。凶事を避けるために、二人のどちらかを贄に捧げなさい。それが神々が私に下された神託にございます』


 王は神官の指示通りに犠牲式を執り行った。

 王は夜間に自らが治めるイラクリス国に隣接する丘の頂上に登り、そこにあった神殿の中に入っていった。


『陛下、これをお二人にお見せください』


 そこで、神官は王にあるものを差し出した。

 それは、ナクサス島に生息する猛毒ムカデ。

 神官はそれを双子のどちらかに食べさせて殺すよう、王に進言したのだ。

 

 王は迷った。どちらの娘も、目に入れても痛くないほどに愛していたから。

 赤子の二人の成長を見届けたい、と思っていたが、それは叶いそうになかった。

 娘の一人を生贄として捧げるのを神々が指示された以上、それを拒否することなどできはしなかったのだから。


 迷った末に王は決意した。


『娘よ。私を許してくれ』


 王は自らの手で猛毒ムカデを食べさせることはできず、神官にそれをやらせた。結果、猛毒ムカデを口に入れたのはセラナだった。

 

 王はセラナとの別れを覚悟した。しかし……。


『これは!?』


 神官の驚きの声を上げ、王は娘たちの方に目をやった。二人の視線の先には、猛毒ムカデを食べても姉に笑顔を見せているセラナがいた。


『こ、この子は猛毒を口にしても死なない『呪われた子』じゃ!!』


 神官は不吉な言葉を残し、行方をくらますのだった。



「てなことがあってさ。だから、あたしは『神託』を信じない、いや、信じるのが嫌になったんだ。だって、その『神託』のせいであたしはムカデを喰わされて、大きくなったらこんな体になってんだもん。ったく、神さまってのは何考えてるか、よく分かんないよ。もう」


「へえ、そんなことがあるんですね。ムカデを食べたら、手足をムカデにできるなんてことが。ということは、前にレーティ河で水浴びした時に肌を這っていたのも」


「うん、ムカデ。でも、あれは水が冷たすぎて、あたしが不快になったから出てきたんだと思う」


「……はい?」


「機嫌が悪くなると、あたしの体の中にいるたくさんのムカデが肌の表面に出てくるらしくて、さらに怒りが爆発すると手足がムカデになるってパパが教えてくれたんだ。だから、あたしをあんまり怒らせないでよ。じゃないと、あたしがあんたに噛みついちゃうかもよぉ」


 脅迫染みた物言いだがセラナの顔はふざけていて、本気で言っているようには見えない。そんな彼女を見ているうちに、キプスは笑みを浮かべる。


「なに? 急に笑い出して」


「あ、いえ。セラナさんは面白い人だなって」


「は? なんだよそれ」


「いや、セラナさんとずっと一緒にいられたら……結婚できた人は楽しく暮らせるんだろうな、なんて。はは」


 「結婚」という単語を聞くと途端にセラナは落ち込んだ。


「そんなのあり得ない。手足がムカデになる女だ、なんて相手が知ったら逃げるに決まってるもん」


 そう言って項垂うなだれるセラナに、キプスは意を決して告げた。


「そんなことはないと思いますよ」


「え? おいおい、どこの世界にムカデ女と結ばれたい、なんて考える変な男がいるんだ? 冗談よしてよ」


「いや、意外と近くにいるかもしれませんよ。その変な男の人が、その……」


 言い淀むキプスの顔をセラナがのぞき込む。彼女の顔は少しずつキプスの顔に近づいていき、息が彼の顔に当たるくらいにまで接近する。


「せ、セラナさん。近いですって!」とキプス。


「あ、ご、ごめん……」とセラナは言って、彼から少し距離と取った。


 キプスとセラナの間に沈黙が流れた。

 二人の心臓が強く脈打っていた。

 セラナの身の上話が終わった時には涼しい空気が吹いていたのに、二人の体は妙に熱っぽかった。


 気まずい雰囲気を振り払おうとして、セラナが言った。


「さ、さあ、もうひと眠りして太陽が東の空から出てきたら出発するよ。うまやから奪ってきた馬も寝かせて体力回復させてんだから、あたしらももう一度寝ましょ。ほら、今度は夢見てうなされないようにね。じゃ、お休み」


 セラナの言葉を受けて、キプスは再び横になる。ユルタ河沿いの草原を寝床に、二人は二度目の就寝をするのだった。


(なんであたしが、こんな女みたいな男に……。ああもうっ、さっさと寝よ!)


 なお、どういう訳かセラナは寝付けないのだった。

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