第33話 アクルクスの覚悟

 アルファたちの目的は、人間界を破滅させることではありません。よりよい食事をすることです。百体の悪魔の食事には、相当量の絶望が必要……満足するまで、破壊と暴虐の限りを尽くすでしょう。


 でも逆に言えば、絶望があればよいのです。人間が滅亡したら、彼らには都合が悪いはず。今後の食事源がなくなってしまうのですから。


 だから、わたくしが彼らの欲しい絶望を提供できれば……リート市から引かせる材料になると思ったのです。


「いいわよ……♡ そんなことができるとも思えないけど……言ってみなさ~~い♡」


 アルファは余裕の表情でした。


 脈ありです。


 リゲルさんたちも、固唾を飲んで見守っています。


 わたくしは、つばを飲み込みました。


「ポイントは一つです。アルファ、あなたが乗っ取っている『どぅーちゃむ』ことドゥーベは……」


 品定めするような目がわたくしを舐め回します。ここでの交渉に、全てがかかっています。


「わたくしの姉です!」


 アルファを指差しました。


「へえ♡」


 アルファの表情が少し変わって見えました。余裕たっぷりではありますが、興味をそそられたようです。





 ★






 先ほどの戦いでアルファの姿を見たときに、わたくしは思い出しました。


 年の離れた姉との、暖かい記憶を。


「お姉さま、どぅーちゃむお姉さま! そのお姿、かわいいです~!」


 五才の小さなわたくしは、姉にぴょんぴょんと飛びついていました。


「えへへー、かわいいっしょ! 『小悪魔系』っていうんだ!」


 姉は、わたくしの手を取って、ぐるぐると回転してくれました。


 頭には角があって、おしりには尻尾が生え、黒ずくめのフリフリでかわいい衣装です。


「『小悪魔系』! わたくし、大好きです」


 古びた小さな孤児院で姉のドゥーベとわたくしはともに暮らしていました。


 親が急病で亡くなり、運よく親戚の働いていた施設に引き取られたのです。


 貧しくも穏やかに暮らしていましたが、その頃は孤児を『小悪魔』と言って忌み嫌う者もいました。


 姉は孤児院を有名にして、『小悪魔』のイメージを払しょくするために、その姿で歌手になろうとしていたのです。


「どぅーちゃむお姉さま! わたくし、お姉さまの絵を、描きました!」


 わたくしは、小悪魔系を着こなす姉の絵を見せました。拙い絵でしたが、一生懸命描いたものです。それを見ると、姉は涙を浮かべてわたくしを抱きしめてくれました。


「あんがとっ! ルクスたそ、大好き!」


「わたくしも、どぅーちゃむお姉さまが大好きです! お歌、がんばってください!」


「うん、がんばるよ……あーし、夢を叶えて見せる。一人だけど、お客さんもいるんだ。ルクスたそよりちょっと大きいくらいの小さな女の子で、すごくかわいいんだよ……」


「そうなんですか!? わたくし、お友達になりたいです!」


「仲良くなれるよ、きっと! そうだな……大きなコンサートを開けたら、一緒に招待するね! その後にお互い紹介するよ!」


「わーい!」


 わたくしたちは、幸せな日々を過ごしていました。


 そう……コンサートで、七災星が召喚されてしまうまでは。


 その女の子は……けして紹介されることはなかったのです。





 ★





 わたくしは建物の屋上に座るアルファに向かって語り掛けます。


「わたくしは今まで、十年前に両親を災害で失ったと思っていました。でも、それは塗り替えられた記憶だったのです。リート市民の中で悪魔召喚が災害の記憶になったのと同じように、わたくしの記憶も変化していたのです」


「どういうことかしら~♡」


 アルファはにやにやしています。わかって聞いています。わたくしも、ポラリスさん並にはらわたが煮えくり返りました。でも、我慢です。


「……わたくしはもっと昔に両親を亡くしていて、年の離れた姉のドゥーベと一緒に孤児院に引き取られ暮らしていました。姉は孤児院のために、歌手で有名になろうとしていました。でも悪魔の力を得たい連中にだまされ……召喚に利用されてしまったのです。そして、姉の体はずっと、あなたに乗っ取られたまま。その影響で、姉の記憶がなくなっていたのです!」


 アルファは自分を指差し、ご機嫌そうに言いました。


「ふふふ、正解~~♡ お姉ちゃん、思い出してもらえて幸せよ~♡」


 かみつきたくなる気持ちを抑えてわたくしは続けました。


「……だから似ていたのです。成長した今のわたくしの見た目と、あなたの姿は」


「そうね♡」


 十年前ドゥーベは十七才、わたくしは五才。姉妹なので、現在の年齢になったら似てくるのは自然なことです。


「だから、わたくしはあの歌を知っていたのです。あなたが歌って、ポラリスさんが怒ったあの歌を」


「その通り♡」


 姉の歌は、わたくしも好きでした。例え誰の歌かを忘れても、歌自体は覚えていたのです。


「だから、わたくしは好きだったのです……ポラリスさんと同じように、小悪魔系のファッションを。だから、ずっと一人で絵に描いて……大切にしまってきたのです……!」


「だーいせーいかーい♡」


 姉のことを忘れても、その姿は忘れませんでした。だから、ずっと好きだったのです。


 一人でこっそり描いて。気持ちを閉じ込めていました。


 ポラリスさんに出会い、カワイイと言ってもらえるまでは。


 アルファは許せません。怒りと、苦しさと、悲しさで、胸がはりさけそうです。涙が、目から零れ落ちてきます。


 でも、この気持ちこそが……アルファの餌になるのです。


 全て、わたくしの狙い通りです。


「アルファ、あなたは憎き存在です。わたくしから大好きな姉を奪い取り、大好きな歌と大好きな恰好を悪用して、市民やエクソシストの方々を苦しめ……そして、この世界で大好きを分かち合える、ただ一人の人を傷つけました。絶対に許せません」


 ポラリスさんの泣き顔が目に浮かびます。アルファは彼女の優しい気持ちを利用して、苦しめ陥れたのです。


「だからなあに♡」


 胸に手を当てて、涙を流しながら叫びました。


「わたくしは、そんな憎きあなたに屈して……自ら身を捧げなければならないのです。かたきに頭をさげ、懇願し、許しを請わなければならないのです。大好きなポラリスさん達と別れて、永遠に会えなくなってしまうというのに……! 果たして、これ以上の絶望があるでしょうか!?」


 そして、両手を広げて叫びます。


「さあ、わたくしの絶望をむさぼりなさい!! 屈辱と怒りに泣き叫ぶわたくしを、笑いながらいたぶりなさい!! それなら……あなたたちはお腹いっぱいになるでしょう!?」


 アルファをじっと見つめます。


 楽しく過ごしたポラリスさんともう会えないなんて、寂しくてたまりません。


 でも、そうすればポラリスさんはもう苦しまなくて済むでしょう。


 そしてポラリスさんなら、ずっと姉を忘れないでいてくれるでしょう。


 大好きなものを、一番大切にしてくれる彼女なら。


 手は震え、声が震えても……けして、引くことは考えませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る