■内緒話
修学旅行、三日目。わたしたちの班は金閣寺とか有名どころを回って、京都を堪能した。
お土産のあぶらとり紙は、明日買いに行けるといいな。行けなかったら、何か代わりに買わなくちゃいけない。
「修学旅行も明日で最後だね」
早めに敷いた布団の上に転がるくるみ。佐藤さんは彼氏のところで、秋保さんはシャワーを浴びているからくるみと二人きりだ。
シャワーの音は気になるものの、くるみと二人きりなのは安心する。
くるみのことは好きにはならない。そう決めた。それに多分、わたしは大人っぽい人の方が好みのようだ。
「明日は陽が言ってたあぶらとり紙のお店だね。お母さんにでも頼まれたの?」
「そんなところ」
どんなところだってくらい嘘。
「陽が唯一行きたいって言ったところだもんね」
あまりこの話を長引かせたくないので、わたしは短く「そうだね」とだけ返す。
「なんかでもよかったのかなぁ」
「なにが?」
「私の行きたいって言ったところばかりになっちゃったじゃない?」
「わたし含めて男子みんな主張がなかっただけなんだから大丈夫だよ」
むしろくるみがいたからこそ旅程を組めたのだ。
本当にわたしは周りに頼ってばかり。
「ねぇ、あのコート修学旅行のために買ったの?」
くるみが寝転がりながら、ハンガーにかけてあるわたしのコートを指さす。
「そうだよ」
これまたあまり触れられたくない話題だったので素っ気なく答える。
「あまり陽が選ばなそうなコートだったから意外で」
選んだのはわたしじゃないからね。さすがサリーさんって感じのデザインだし。
「最近陽忙しくしてて、あまり私と遊んでくれないよね」
「忙しいのはくるみの方でしょ」
三年生も引退してレギュラーとなったくるみは毎日のように忙しくしている。なんなら自主練もしているのだとか。
でもこの先、わたしが予備校に通い始めたりしたら、ますます予定が合わなくなってしまうんだなぁ。
シャワーの音が止まってからしばらくしてドライヤーの音に切り替わる。もうすぐ秋保さんも出てくるだろう。
わたしはだらけているくるみをもう一度見る。わたしはクラスメイトの前でここまで気を抜くことはできない。
「あれ、凛まだ帰ってきてないの?」
風呂上がりの秋保さんが部屋に戻ってきた。
「おかえり。佐藤さんはまだだよ」
くるみに返答を任せて、わたしは秋保さんから目を逸らす。なんとなく昨日のことが思い出される。
「凛のやつ、消灯時間までに戻ってくればいいけど」
秋保さんが隣の布団に座り、荷物を整理し始める。うっすらとシャンプーの匂いがする。体に悪い。
今はくるみがいるのだから、何も起きるはずがない。平常心。
ゴロゴロしているくるみはテレビをつけ始めた。ちょうど明日の天気予報が流れている。天気はいいようだけど冷え込むらしい。確かに京都は関東に比べて一足冬が早くきているようだ。
「明日晴れなら傘はいらないかな」
いち早く明日の準備をしている秋保さんは、持ち運び用のリュックとバスに預けるスーツケースに荷物を割り振っている。
わたしも片付けを今のうちにしておこう。
「くるみ、明日の準備しなくていいの」
「えー、明日の朝やるよ」
朝に強い人は違う。
わたしは強い冷え込みの中起きられる自信がないので、今済ませてしまおう。
「結城と山崎はお土産買えたの?」
「買ったよー」
「わたしも大方……」
「陽は明日が本番でしょ?」
「へぇ」
秋保さんの目が鋭くなる。多分サリーさんへのお土産ってバレたな。
「秋保さんは買えたの?」
わたしは慣れない作り笑いを浮かべながら聞いてみる。
「大体買えたけど、明日清水寺行くからそこでもう少し買おうかなって」
秋保さんは誰に買って帰るのだろう。中学生の妹さんとかかな。
「でも鞄が結構パンパンなのよね」
そう言って秋保さんはスーツケースを叩いた。季節的に服もかさばるし、鞄事情は深刻だ。
「分かる〜。私部活の後輩にも買ったら鞄入らなくて」
くるみ、それならなおさら早めに荷物整理をした方がいいんじゃないか。
「部活入ってると大変だね」
「秋保さんは部活入ろうと思わなかったの?」
「うん、入りたいところなかったから」
「ちなみに中学生の時は部活やってた?」
わたしも知らない話題がきた。
「形だけソフトテニスをね」
「うちの学校にもあるのに入らなかったんだ?」
「中学の時は部活が強制だったから」
「そうなんだね。ちなみに陽もソフトテニス部だってよ」
「幽霊部員で途中で辞めたけどね」
流れで入った部活も、途中から練習が厳しくなって辞めた。
「そうなんだ。じゃあどこかの大会で結城と会ってたかもね」
他愛もない話を続けていると、途中で佐藤さんが帰ってきて惚気話を延々と聞かされた。それは就寝時間になってからも続いて、布団に入りながらも聞かされたのである。
子守唄のおかげでわりとすぐ眠れた。
しかし、慣れない環境のせいか、込み上げてきた冷気のせいか、ふと目が覚める。
時間を確認しようとしてスマホをつけると、深夜二時を回ったところだった。
隣ではくるみがふとんにくるまり、頭上では秋保さんが寝息を立てている、はずだった。
「秋保さん……?」
小声で呼びかけてみるも返事がない。そりゃそうだ。布団の中は空っぽなのだから。
上半身を起こし、パーカーを羽織ってから辺りを見回す。ベランダのカーテンが少し開いている。
体を完全に起き上がらせて、そっと窓へと近づく。カーテンを開くとガラスの向こうに秋保さんがいた。
「……なんだ。ヨウか」
秋保さんがおいでと言わんばかりに手招きをしてくる。
わたしは窓を開けて、裸足のままベランダへと降りる。
「うっわ、寒っ」
「あはは、夜の京都は極寒だよね」
秋保さんが一度上着を脱ぐと、わたしの隣に来て上着の半分をわたしの肩にかけてくれた。
「って近いよ」
「そりゃ一枚のコートを二人で分けたらねぇ。でもヨウあったかい」
秋保さんの冷え切った手がわたしの暖かい手を掴む。
「こんなところで何してんの」
「眠れなかったから外の空気吸おうと思って」
だからってこの寒さで外に出るのか。
「すぐ近くにヨウがいると思ったら理性が飛びそうだったからとか言えばいい?」
「一生ここにいなよ」
「もう冗談が通じないな」
本当に冗談なのかも怪しい。
今だってすぐ後ろにくるみと佐藤さんがいるのだ。
それに仕切りはあれど隣の部屋とベランダは続いている。いつ誰が同じように外に出てくるのか、分かったもんじゃない。
「うーさむ」
「寒いなら部屋に戻ろうよ……」
「やだ。もう少しヨウとここにいる」
お互いの吐く息が白い。もう冬もすぐそこにまできているんだ。
「ヨウが起きてこないかなぁってちょっと期待してたんだ」
「無視して寝てればよかった」
「そんな冷たいこと言わないでよ」
「秋保さんの手の方が冷たいよ」
わたしの手の温度まで下がってきた。せっかく布団であったまっていたのに。
でも、その冷たい手を振り払ってまで暖かい布団に戻る気にはなれなかった。
冷えていく指先に力を込めて、秋保さんの手を握り返す。
「本当はヨウと二人で回りたかったな」
「さすがに修学旅行じゃ難しいでしょ」
「でも最後の修学旅行だよ」
確かに。もうわたしたちに修学旅行はない。秋保さんと行くのも最後になるわけだ。
「それなら……いつか一緒に旅行にでも行く?」
「行く!」
思っていたよりいい食いつきだった。ぎゅうっと秋保さんの体が押しつけられる。
「卒業旅行かな」
「二人が無事に大学合格できたらの話だね」
「でもどうせ凛とも行くからお金ないかも……」
「そしたら大学生になってからでもよくない?」
秋保さんが意外そうな顔をする。
「ヨウがそんな未来の提案を自分からしてくれると思わなかった」
秋保さんたちと出会ってから、なんとなく自分の人生が明るくなった。昔はどうせ一人で生きて死ぬのだと思っていたけれど、少し希望が持てるようになった。
「でも秋保さんの方は、大学生になったらわたしのことなんて忘れちゃうと思うよ」
「なにそれ」
あからさまに秋保さんは不機嫌になる。
だって、大人になったら秋保さんはもっといろんな世界に飛び込んでいくはずだ。そうなれば、わたしのことなんて忘れてしまうだろう。
「ファーストキスの相手のこと、忘れるわけないでしょ」
秋保さんと至近距離で目が合う。
言われなくても分かる。「目を閉じろ」と言っているのだ。
「…………」
わたしが大人しく目を閉じると柔らかい感触が唇に当たった。
「わたしも忘れないよ」
一度目を開け、震えそうな声で言う。
この先誰と出会っても、秋保さんのことを忘れることはない。
「冷えるからそろそろ中に戻ろう」
足先もキンキンに冷えてきた。このままでは二人とも風邪を引いてしまう。
「もう一回だけ」
「仕方ないな」
もしくるみたちが起きていたらどうしよう。
頭の片隅でそんな心配をしながら、わたしは秋保さんを「仕方ないなぁ」と受け入れるのであった。
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