バレンタイン

 バレンタイン、それは多くの男たちがチョコをもらえないかと心をそわそわさせ、女たちは意中の人にあげる場合はドキドキとし、友人と交換することを楽しみにする。


 館見賢男かんみけんおはそういった者たちの姿を冷めた目で見つめる。館見は甘いものが嫌いだ。口の中にしつこく残る粘っ気のある甘味は気持ちを悪くさせる。


「館見にも義理チョコあげる〜」


 そう言って渡されるクラスメイトからのチョコ。館見は気遣いのできる男なので、「チョコ嫌いなんですよ」なんてもちろん言うことなく「ありがとう、嬉しいよ(妹、紅葉くれはが)」と笑顔で返す。


 嘘をつくのが嫌いな館見でも気遣いの嘘はつける。実際に、バレンタインで館見がもらったチョコを楽しみに待っている紅葉がいるのは確かなので真っ赤な嘘というわけではない。


 いつものように早く来て、義理チョコをもらうことでバレンタインを知る。そんな一日に館見に取ってはなるはずだった。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 そして、嬉しそうに微笑む紅葉の顔を見るのだ。館見はこの時ばかりは甘味が嫌いで良かったと思える。


 何を話して良いか分からない難しい年頃の可愛い紅葉に満面の笑顔で喜んでもらえるのだから。


「館見くん、ちょっと良いかな?」


 話しかけられたいつもと違うクラスメイトの姿。放課後に無名の手紙で呼び出された館見はモジモジとしながら、声をかけ、手渡されたチョコに戸惑った。


「……えっと、これは……」


 館見はこのチョコの意味するところを知りたかった。だが、チョコの主、伊摯予葉伊いしよはいはその場を去っていた。


 館見は基本的に困っている人がいれば、手助けをする好青年である。


 ただ、それは無視をした時に「手伝ってやれよ」という無言の圧を感じるからであり、館見自身は自分のことを好青年だなんて思ってもいない。


 館見からすれば、周りの空気にやらされているだけなのだから。断れない予葉伊の仕事を率先して手伝っているつもりはなかった。


 それでも、チョコと同封してあった手紙を読むと嬉しさというものが込み上げてくる。


 館見は周りの目を気にしすぎることを気にしていた。ただ、そのことによって感謝してくれる人がいるというのは嬉しいものであった。


 温かい気持ちに包まれながら、館見は手作りと思われるチョコを口に運ぶ。チョコの掛けられた苺の甘酸っぱさが体に沁み渡るとともに彼の冷めた心を温めた。


 生まれて初めての美味しいと感じるチョコだった。







「ああ! 嫌いなのにお兄ちゃんなんで食べたの?」


 帰った館見賢男のカバンを漁って予葉伊にもらったチョコを取り出す紅葉が文句を言うのも気にしない。今回はとても美味しいチョコがあったんだから。


「チョコはとてもおいしかったよ」


 紅葉はそんな兄の姿を見て訝しんだ。


「なんか変なものでも食べたの?」

「変なものか――紅葉にとってはそうかもしれないね」


 賢男はジト目で見つめる紅葉の頭を撫でて笑った。



 今でも思い出すことのできるこのチョコの味はきっと二度と忘れない。


「予葉伊さん、昨日のチョコこの世で一番おいしかったよ」

 翌日、朝一番に登校した賢男は彼女の机の中にそう書いた手紙を忍ばせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る