十一 『月光』 杜野 美世子 根ノ町/闇津見山/02時51分

 暗闇の中、私たちは道の端に腰掛けていた。額に付着した黒い液体を拭うことも忘れ、ただ俯く。隣には宮田さんがいたが、会話はなく、その表情も暗く、昏い目をしていた。


 すると、遠くで銃声のような音が鳴り響く。宮田さんは咄嗟に立ち上がり、レンチを再び強く握りしめた。先端には黒い液体がこびりつき、すでにかさぶたのように固まっている。それを見ていると、あの時の嫌な光景が脳裏に蘇り、不快感が込み上げる。


 「少し移動しよう」


 久々に聞く肉声だった。彼は端的にそう告げ、私に手を差し伸べる。しかし、顔を上げる気力もなく、ただ俯いたまま動けなかった。それでも宮田さんは、こんな面倒くさい私を放っておくことなく、無理やり腕を引っ張り立ち上がらせる。まるで無重力のような感覚で身体が起き上がる。このまま風船みたいに空へ昇れたらいいのに。そんな考えが頭をよぎった。


 宮田さんに引かれ、ふらつきながらも暗闇の中を歩く。道中、絶えず悲鳴や絶叫が響くが、それをかき消すように涼やかな音が耳を癒した。我に返って辺りを見渡すと、そこは町の陥落に巻き込まれる前に訪れたベンチのある通りだった。私は無礼にも宮田さんの腕を振り払い、ベンチへ駆け寄った。今こそ、今この状況だからこそ、一度心を落ち着かせよう。そう思いながら海面を眺めたが、息をのむ。


 黒い海が激しく波打っていた。それはまるでタールのように粘り気を帯び、不快感を覚えさせた。追いかけてきた宮田さんも、その異様な光景に驚いた様子だった。


 すると、突然拷問を受けたような沢山の悲痛な叫びが一つの不協和音となり不気味にも町中に響き渡る。私たちは思わず耳を塞ぎ、音の正体を探った。すると、赤く染まった空に光を帯びた亀裂が入り、やがて八十山の真上で巨大な穴が開く。その穴から、微かな光が赤く染まった異界を照らした。


 天に空いた穴は、遠く離れたこの海岸からでもはっきりと認識できた。そこに映る光景に、私は目を見開き、思わず叫ぶ。


 「あっ、あれ!? 宮田さん! あれ、月です! 月が見えます!」


 天の穴には月と夜空が映し出されていた。すべてが赤く染まったこの異界で、正常な色をしたものを見るのは初めてだった。


 宮田さんも目を見開き、呆然としていた。そして、私と目を合わせ、頷き合う。

 言葉は必要なかった。


 私たちは駆け足で、空の崩れた二十八山の方へと向かった。


 あそこから、現世に帰れる!

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