四輪乗り達の道の上より
倉木さとし
【井口】01 幸せまでのロードマップ
勉強、スポーツ、音楽、芸術――ジャンルを選ばず平均点以上の結果を叩き出してきた。
そこそこの成績だから、決して満足はしていなかった。けれど、これといって不満もなかった。
――大丈夫、焦る必要はないよね。ぼくはまだ特別になれるものに出会えていないだけだから。
幼さゆえの純粋さもあった。
そして小学五年生のとき、ようやく井口は小学校で一番になれるものと出会った。
思い返せば、発売前にテレビ放送されたCMで、井口の心は鷲掴みにされていたのだ。
『マリオあぶなーい! 亀の甲羅に気をつけろー! あらっとっとっとっとっ、うわぁ! ごくろうさーん!!
これはまたすごーい! デッドヒートと思ったら――ヨッシーぺったん、残念でした!
こんなときはバナナの皮よ――そんなバナナ!!
あとはゲームで会いましょう。
スーパーファミコンソフト、マリオカート。
このレーサーたちはとんでもない!!!』
スーパーマリオカートの発売日である一九九二年八月二七日は、井口の一一歳の誕生日だった。
夏休みの宿題が全て終わっているという
二八日から三一日までの四日間を経て、両親は緊急の家族会議を行ったそうだ。ゲームは一日一時間というルールをつくらなければまずいと思うほどに、井口は異常なまでの執着をレースゲームにみせていたらしい。
ルールを課されたあとも、飽きることなく一日一時間の特訓を井口は続けた。ゲームをプレイしていないときは、イメージトレーニングに費やした。想像の中だけでも走っていなければ、時間が経つのが遅すぎると感じるほどだった。
そんな生活が三ヶ月ほど経った頃、クラスの友達の家でマリオカートをする機会がやってきた。
友達は井口とは違ってクラスの人気者だった。家にはたくさんのゲームソフトがあって、その中でもマリオカートが得意と語った。中学生にも勝ったと自慢してくるほどの実力者だ。
そんな相手に勝負したところで負けるだけだと思っていた。そもそも、一人っ子の井口は対人戦の経験もないのが致命的だった。こんなことならば、ゲームが苦手だからと相手してくれなかった両親と、一度でもいいから勝負しておくべきだった。
どうせかっこ悪く負けるからと、あらかじめ言い訳を用意してのぞんだ
井口はマリオカートをしている時だけは、一番の人気者になれる疾さを身につけていたのだ。
かくして、クラスで一番マリオカートが疾い男となった井口の快進撃がはじまった。友達の顔が広いこともあり、別のクラスの最速とも勝負し、勝利をおさめた。ついには年上の猛者達と戦ったが、井口の連戦連勝は止まらなかった。たとえ、相手が美しい女子中学生でも手加減はしなかった。
小学六年生のクラス替えでは、井口という名前は知られていなくても、マリオカートの疾い男子というのだけは知れ渡っていた。
マリオカートのレコードタイムが、いくらとんでもないタイムだったところで、中学受験で有利になることはなかったのだ。
けれども、母親が吐いて捨てた「レースゲームなんて無意味だから」というのには、決して同意できなかった。
二六歳になって、ゲームセンターで知り合った恩人の結婚式に出ることになったのは、レースゲームで出来た繋がりのおかげだ。
◉ ◉ ◉ ◉
ホテルのエレベーターホールには、本日の催し案内がデジタル版に表示されている。
『桐原 不知火 御両家
挙式12時 33階 Royal Road
披露宴13時 32階 Night Road』
高層階から降りてくるエレベーターを待っている間に、井口のまわりには同じように白いネクタイを締めたスーツ姿の男性が集まっていた。
やってきたエレベーターに乗り込む。目的地の階のボタンは誰かが押してくれた。みなと目的が同じならば、井口は周りの人にぶつからないように気をつかうのに意識を集中させる。
エレベーターを降りてからも、どこに向かえば受付があるのかは一目瞭然だ。案内係や案内板などみつけなくても、前の人についていくだけで道がわかる。
レースゲームでも、コースを覚えるまでは前を走る車がいたほうが、ペースをあげて走れるものだ。
少し先を進むものを参考にするスキルは『井口』という苗字によって培われた。
小学校から高校までの十二年間で、出席番号は二番から五番の中のどれかだった。
先行するクラスメートがたった一人しかいなくても、そつなくこなさなければならなかった機会が何度もあったというわけだ。
披露宴の受付で、ご祝儀袋を渡すのも、前の人を参考にしてスマートに終える。
受付の係の人のほうが手間取っている。出席者が多いために、何枚も紙をめくってご祝儀袋に書かれた『井口玲司』の名前を探しているようだ。ようやく発見したらしく、名前の横に、レ点を入れる。
では、こちらどうぞと渡されたものは、披露宴の食事のメニューと、席のレイアウトだった。
一つのテーブルで最大八人までが座る形になっており、席にはアルファベッドが割り当てられている。Zまで使われているようなので、テーブル数は二六もある。単純計算で二〇〇人規模の出席者がいるようだ。
受付後の待機スペースもごった返しており、立食パーティーのように飲み物を配るスタッフまで用意されている。井口は一人目では飲み物を断ったものの、別の飲み物係にもすぐ声をかけられたので、今度は烏龍茶を受け取った。
いちいち断るのは鬱陶しい。だからといって、飲みもしない烏龍茶を持って歩くのも邪魔くさかった。
めでたい席で不愉快な表情になって、悪目立ちしたくない。なのに、このタイミングで震えるポケットの中の電話に対して、井口は眉間に皺を寄せてしまう。
仕事の電話なら、有給休暇をとっているのだから無視する。付き合って二ヶ月の恋人ならば、通話ではなく文字のやりとりでは駄目かとメッセージを送って交渉してみよう。
「え? 母さん?」
予想していたものの、どちらでもなかったので、電話を耳にあてる。
「この前は、仕事中に電話してごめんなさいね。今日は玲司さん休みだったわよね。だから、ゆっくり話せるって前に言ってくれたわよね?」
「ああ、確かに言ったかも。でも、ちょっと用事があってね」
「そうなのね。でも、今日は内容だけは言わせて。もう一人で抱えているのは限界だから」
「わかったよ。じゃあ、ひとことで説明して。いまから人生初の結婚式に出席するんだからさ」
「結婚なんて、ろくなもんじゃないわよ!」
気持ちのこもった大声に、思わず電話を耳から離してしまった。
おそるおそる耳を電話に近づけていくと、相槌がなくても母は喋り続けている。
「――本当にお父さんと二人きりなんて耐えられないの。玲司さんがいないと、うちは無理よ。ゴールデンウィークに帰省してくれていたら、こんなことには」
「だったら、今日、帰ろうか?」
結婚式の開かれるホテルから、実家はそこまで遠くない。職場のある岩田屋町から、この都会まで戻ってくる機会はそうそうないので、タイミングとしては申し分ない。
雇い主の西野社長も、なんだったら明日も有給休暇を使ってもいいぞと提案してくれている。迷惑はかけられないと断ったものの、当日の朝に二日酔いがひどくても電話を入れれば問題ないという話で落ち着いていた。
社長自身が、井口の穴を埋めて働くことはもちろんできる。それだけでなく、会社を管理する立場として、急にできた穴に人を手配する能力にも社長は長けている。
会社の上の人間はそうあるべきと思うように、家族の上の人間も結婚をし続けているべきだと井口は考えている。
出来るだけ普通からはみ出すなと両親に育てられたからこそ、井口はいまさら離婚するというのを認められなかった。
熟年離婚は珍しくないという論調は、それをした人間の声がでかいだけでしかない。離婚が一番多い年代は、三十代という話だ。
両親が三十代だったのは、井口が中学受験に失敗した時期だ。あの頃は、井口が眠ったあとに、夫婦喧嘩をしていて夜中に目覚めることが何度もあった。『離婚』というワードがうるさくて布団を頭からかぶっても、なかなか寝つけなかった。
「本当に? 何時に帰ってくるの? 夕ご飯は、家で食べるのかしら?」
「いや、食事は済ませてから家に帰るよ」
「そうなのね。一人暮らししている町から遠いから仕方がないとはいえ、それまで離婚せずにいられるかしら」
離婚を脅しのように使わざるおえないほどに、母が追い詰められているのには同情する。だが、仕事で疲れてから、家でも疲れるような思いをする父のことも心配だ。
そもそも、母の離婚するしかないという勝手な理屈を、考えなしに鵜呑みにするのにも抵抗があった。
井口が幼ければ、母の味方になっていたかもしれない。でも、いまは社会に出て働くようになって、育ててくれた父への感謝と尊敬の気持ちも持っている。
過去からいまにわたるまで、ずっと頑張って働いている父が、母との離婚問題をどのように考えているのかは知りたかった。
両者の言い分を、顔を突き合わせてきいてみなければ、まともな意見を口に出来ないだろう。
「いままでのことを考えたら、数時間なら、大丈夫だと思うけど。とにかく、待っていてよ。料理してるほうが落ち着くなら、ちょっとはお腹にスペース残して帰るからさ」
「ううん。大丈夫よ。好きなものをいっぱい食べてきて。数時間なら、とんぷくを飲んで待っていられるわ。それじゃあね。気を付けて来てね」
通話の切れた携帯電話をポケットに片付けてから、井口は烏龍茶を一気飲みする。
「なんで、アルコールの入った飲み物をもらっておかなかったのだろう?」
独り言でこぼれた愚痴に対する最高の答えは、窓際にあった。
井口と同じく『R』のテーブル席に座る友人メンバーを発見する。酒の味を知らない少年のような表情に戻っていく。
体型や髪型は変わっているけれど、懐かしい顔ぶれだ。井口がすぐに気づいたように、窓際につくなり、向こうもこちらに気づき、全員で出迎えてくれた。
大きな窓ガラスの向こうには、都会の町並みがあって、いつも見ている田舎町の岩田屋との違いに、非日常感が引き立っていた。
普段と違う環境というのも相まって『R』のテーブル席に座るメンバーとは、嘘みたいに一瞬で、あの頃みたいに戻れた。
新郎の桐原ならば、狙って我々のテーブルを『R』にしてくれたのかもしれない。いま、あの頃みたいに戻った連中は、ゲームセンターの『Ridge Racer(リッジレーサー)』で繋がった友人なのだ。
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