第20話
翌朝5時。
ARデバイスの目覚まし機能で目を覚ます。
ダンジョンのボス前室というのは、何の音もしない静寂な空間である。
外の環境と連動するダンジョンなら、日が昇れば次第に明るくなる。
曇りなら薄暗い。
しかし、ただただ無音で、自分の音しかしない。
そんな場所だ。
そもそも泊まること自体が稀ではあるが、普段なら自分の立てる音しかしない前室に、今日は人の気配と音があった。
私はさっと身支度を済ませてしまう。利用できるスキルさえあれば、外とは比べ物にならない程のの短時間で洗顔その他諸々が完了してしまうのは、ダンジョン内の便利なところだろう。
昨日支給された白衣と緋袴を着用する。ただ、靴はブーツである。
そして、千早は着ない。
せめてこの蛍光色のような原色ド紫という色ではなく、うっすら紫がかっている程度なら着用するのに抵抗は少なかっただろう。
例えそうだったとしても、背中の金色の『九』の文字はどうにもならないが。
テントから出て視線を巡らせると、ストレッチャーの傍に信乃さんが立っているのが見える。
他はまだ就寝中のようだ。
信乃さんの傍まで歩いて行き、音量を下げつつ声をかける。
「おはようございます。」
「おはよう。ちゃんと眠れたかしら。」
「はい、問題なく。」
ストレッチャーの上にはセラさんが寝かされている。
昨日とは違い、色白ではあるがちゃんと生きている人間というという顔色である。
装備自体は破損したままだが、昨日まであったおびただしい量の血の痕跡は姿を消している。
「2時過ぎに一度目を覚ましたわ。」
「意外に早いですね。」
「ジョブの特性もあるのでしょう。呪詛が解消された後の回復は早かったわ。出る時までには自力で歩けるぐらいにはなります。」
「それはよかったです。ところでその。」
私は視界の端の、もう一つのストレッチャーに視線を送る。
そこにはなぜか、アイマスクをして毛布をかけられた綾部氏が寝ていた。
どうやらテントでは寝なかったようだ。
「邪魔なので眠らせました。」
「…そうですか。」
昨日の就寝前に、綾部氏がセラさん傍にいたのは知っている。
恐らく付き添ったまま寝ようとしなかったのだろう、信乃さんに強制就寝させられたようだ。
寝る前に少し三島さんと話したのだが、3人は近所に住む幼馴染だそうだ。
年長二人が先に探索者になり、それに憧れて三島さんも探索者になったということだ。
綾部氏とセラさんは恋人同士ということらしいので、それでずっと付き添っていたのだろう。
ただ、信乃さんにとっては邪魔なだけだったようだが。
私も昨晩は話をしていたら、疲労を取るためにさっさと寝ろ、というニュアンスでテントに追いやられたのだ。
なお、私や四葉さん、信乃さんは2,3日睡眠をとらなかったところでパフォーマンスに影響するようなことは無い。
しかし、寝る余裕があるのならば寝ておいた方がいいのは当然である。
なので、今日戦闘を行う予定の私と四葉さんは信乃さんに後を任せてしっかりと睡眠をとった。
信乃さんは患者に付きっ切りで、恐らく寝ていない。
「二人ともおはよう。」
音もせず四葉さんが背後に立っていた。
「「おはようございます。」」
「…ふむ。よさそうですね。」
四葉さんがセラさんの様子と、信乃さんから渡されたであろう何かを見て頷く。
「三人とも7時までは寝かせておきましょう。その後朝食、準備を行い、脱出します。優里。」
「はい。」
四葉さんがテントの方へ移動したので、それについていく。
「武器は決まりましたか。」
「はい、とりあえずこれで行こうかなと。」
そう言って私は、刃渡り2mを超える大太刀を取り出す。
妖刀『落』。
うっすらと赤みを帯びた刀身が特徴で、奈落の300…いくらかで発見したものだ。
物自体は非常に良質なのだが、長い為狭所での取り回しが劣悪で、なんとなく自分には合わないということもあり死蔵している。
今は鞘に収まっているが、引き抜くのも面倒である。
公開している動画には一切映っていないはずなので、今回の用途に適しているのではないだろうか。
「そういえばそんなものも持っていたわね。いいんじゃないかしら。」
「なんというか、私に合わないというか、好みじゃないというか。全く使ってません。玄三さんとかには合ってるんじゃないかと思うんですけど、使ったりしないでしょうか。」
「また聞いておくわ。千早と仮面も忘れないように。あと、ドローンは預かっておくわ。今日は使わないでしょうし、オリジナルデータの回収をしてから返却します。」
「返ってきたばかりだったんですけどねぇ。」
昨日がアップデート後の初使用である。
返却されるとは言え、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
「テスト機を受領したって言っていたでしょう。必要ならそっちを使えばいいわ。それに、暫くは使う機会は減るんじゃないかしら。」
「それは、どういうことでしょう。」
そんな話はしてなかったと思うのだが。
聞いた直後、一つの可能性に気付く。
「いえ、なるほど。」
「脱出後は京都本部に書類を届けに行ってもらいますが、そういえば依頼の素材は全て集まっていますね?」
「はい、予備も一応。」
「なら、それも一緒に本部まで運んで、あっちに引き渡してください。京都からの依頼ですから。
京都から関東まで戻っても、連絡するまでは、奈落と九重ビルには近付かないように。わかるでしょう、メディアです。」
「はい。」
法改正により旧時代より減ったとは言え、良識の無い者は多い。
今回も非公開部分を探ろうとする記者などが、周辺を闊歩するのだろう。
しかし奈落がダメとなると、食材ダンジョンで食材でも集めるのがいいだろうか。
「昨日の時点でダンジョンの周辺にはメディアが集まっていました。脱出後はすぐに待機してある車両に乗り込むように。対応は九重と曙光で行います。
貴女は普通の学生しておきなさいな。休日どころか平日も時間があればダンジョンに潜ってるというのもどうかと思うわよ。」
「はい…。」
そして6時頃に三島さんが起きてくるまで、ちょっとしたお小言が続くこととなる。
「えっと?」
「どうかされましたか?」
「いえ、何もないなら、いいんですけど。」
起きてきた三島さんと挨拶をした後、私はそんなことを言われてしまう。
「そういえば先程、セラさんがそろそろ起きると言っていましたよ。行ってきてはどうでしょうか。」
「本当ですか?!ありがとうございます。」
三島さんはそう言うと、小走りにセラさんの方へ駆け寄っていく。
私がその場にいたところであまり意味はない。後で挨拶すればそれでいいだろう。
それより綾部氏はそのままでいいのだろうか。
信乃さんが寝かせた、ということは、そのままだと自然に目を覚まさないような気がしてならない。
セラさんの方を見ると、3人が傍にいるのだが、綾部氏は寝かされたまま放置されている。
私はとりあえず、朝食の準備を始めることにした。
渡された食料セットにコーンスープがあった為、鍋に出してコンロで温める。
探索中に6人分の食事を作るのは初めてだな、と鍋を混ぜながら考える。
まだ訓練中だった時は、訓練の一環として一緒に潜っていた四葉さんと玄三さんの食事も、一緒に作ったりしたことはある。
しかし、探索者の資格を取り潜るようになって以降は、日帰りが殆どで、更にソロでしか潜っていない。
九重HDでの手伝いで複数人で潜ることはあっても、自分で作るような機会は無かった。
ちなみに使っているのは、数百年の歴史を持つ古風なガスカセットコンロである。
魔石バッテリーを用いた電磁調理器も存在している。
バッテリーは1本で100時間以上連続使用でき、共通規格なら他の対応機器にも使用できるという便利商品である。
ただし一般家庭向け商品であり、探索者用の装備としてはほぼ流通していないのが現状である。
主な理由は、ダンジョンで頻発する電子機器の不調である。
原因はダンジョン内に偏在する高濃度の魔力とされており、なんの対策もしていない電子機器は動作の停止や異常等、様々な不具合が発生する。
無線通信に関しても同様で、大容量のデータはほぼほぼ確実に破損してしまうため、破損確率のが低い細切れの小容量データを送受信している。
現在の無線システムが偶然開発されるまでは、細切れのデータすら送れなかったそうだ。
ちなみに電子機器の不調に限っては、ダンジョン素材を使用し、シールド処理を施すことで防止できる。
探索者用ARデバイスやドローン、ダンジョン内通信システムの機械などはもれなくダンジョン素材で製造されている
ただ、使用されている素材のグレード、つまり入手階層より先の階層では防止効果が徐々に下がる事が知られている。
大体プラス10層前後が実用限界深度と言われている。
私が使っていたアップグレード前のドローンは、奈落200層台の素材を使用していたらしいが、400層台の素材でシールド処理することで、300層台でも運用できるようになっていたと聞いている。
ナノマシンインプラントにも影響があると聞くが、奈落では6、700層でやっと、という程度で、影響は限定的という話だ。
ダンジョンに適応した体自体がシールド材代わりになっているのでは、と所属先では言われている。
つまり、もし電磁調理器を使用する場合は使用する階層か、それよりより下の階層で回収された素材で製造する必要がある、ということである。
要するに、とても高い。
家庭用の魔石バッテリー使用機種は、魔石を使用する関係上ある程度はシールドされているため、例えば奈落なら10層程度までなら使えると聞く。
他の難易度の低いダンジョンならもう少し下の階層でも使えるかもしれない。
ただ、それ以上になると当然ダンジョン素材を使用した高級機種となり、値段がどんどん上がっていき、10万100万も当たり前である。
物好きにしか売れないので、特注か受注生産である。
対してレトロなガスカセットコンロは、階層制限は無いとされ、安定して使用できる。
不具合が起こるパーツが無いため当然である。
ガスボンベが嵩張るかもしれないが、マジックバッグが手に入れば関係なくなる。
値段も安い。
他の探索者向け装備でも、便利な電子機器タイプとアナログタイプがある場合は、安定して動作するアナログな機器が売れ筋である。
上位探索者になるほど、壊れると命に係わる機器はアナログタイプを愛用している事が多い。
なお、外の一般的な災害対策道具のコンロ等も、ガスタイプが殆どである。
値段は当然として、ダンジョン災害が発生した際に使えなくなる可能性があるのが問題だからだ。
魔石バッテリーがあるなら他の対応機器に優先して使うため、割り当てが殆ど無くなる、という現実もあるが。
そうこうしている間にセラさんが目を覚ましたようで、三島さんと何か話しているのが見える。
綾部氏は寝たままである。
そういえば、セラさんは朝食は食べられるのだろうか。
とりあえず人数分は用意を進めているが、もし食べれない場合は自分が食べてしまえばいい、とそのままの量にする。
信乃さんが綾部氏の傍に歩いていくのが見える。
そして手をかざすと、ストレッチャーの上で、綾部氏の体がビクンと跳ねる。
起こしたというか気付けをしたというか、あれは多分痛いやつだと思う。
信乃さんに声をかけられた綾部氏が、ストレッチャーから落ちるように降り、セラさんの方へ駆け寄る。
「賑やかだなぁ。…あ、おいしい。」
この味はあそこの店かなと思いながら、コーンスープの味見をした。
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