対峙
──似てる
玉緒は第一印象でそう思った。顔つきは似ていない。やや面長の顔で頬にはっきりとした筋があり、まるでアメコミに出てくるヒロインである。唇もそれに合わせるかのようにぽってりと太くセクシーでもあった。そこまではまるで似ていない。
だがその目、そのオーラは良く似ていた。少し驚いたように見開かれた目と、そしてその触ることができるかのような存在感が。
だが感じる気配は違っていた。あの陽だまりに似た、そこで昼寝でもしてしまいたくなるような気配ではない。もっと強く、もっと苛烈な、まるで灼熱の烈夏のような激しく強い日差し。それが彼女から感じた彼女の気配だった。
そのせいか少し見開かれた目からも感じる印象は違っている。まるでこちらの不手際を見透かすような、嘘や過ちを見抜くような眼力を備えていた。
「…………」
彼女は少し横を向いた。そこには当然のように店員が待機していて恭しく一礼した。玉緒にはその店員がいつからそこに居たのか分からなかった。
「…………」
玉緒は何と言っていいか分からなかった。というより招かれたのだからこちらは客である。なら招いたほうから名乗るべきだ。……早く名乗りなさいよ!
だが彼女はそんな事などまるで構うことなく店内を一瞥した。まるで玉緒がそこに居ないかのようにゆっくりと店内を見渡す。
「若い人が多いでしょう?」
彼女は唐突にそんな事を言った。
「…………」
唐突な問いかけに対して玉緒は無言で頷くだけに留めた。意図が分からない。
「MBAなんていう学位を持っている人も居るのよ」
彼女は少し唇を吊り上げてそんな事を言った。どうやら微笑んでいるようだ。
「……さすがカガリヤさんですね……」
玉緒は警戒しつつも一応追従した。
「でも木の酒樽なんて見たことがある人なんてほとんど居ない」
彼女は微笑んだままそう言った。
「衛生法、酒造法、他にもいろいろと縛りがある」
彼女は玉緒に向き直りそんな事を言った。
「…………」
玉緒は無言のまま彼女と向き合った。
「そんな法律のせいで篝酒蔵は酒を作らなくなった」
彼女はそんな事を言った。
「今作っているのは飲めるアルコール飲料だけ」
彼女は微笑んだままそう言った。自嘲ではなかった。自社を冷笑しているのだ。
「私はそんな会社に入りたくなかった」
彼女は微笑みを消してそう呟いた。
「……でも、今は取締役になられたんですね?」
玉緒は静かに反論した。実は彼女の考えやキャリアなんてどうでもいい。ただこの人は茉莉を捨てたのだ。その思いが小さな反発になった。
「弟たちがケンカしてばかりだったからね」
彼女は再び微笑んでそんな事を言った。
「……それがお考えを翻す理由に?」
玉緒はそう訊いた。
「興味のない相手は遠くで静かに幸せであって欲しい。煩わしいからね」
彼女は微笑んだままそう言った。
「騒がしいようなら多少手間でも面倒を見てあげないと落ち着かないものよ」
彼女はそんな事を言った。
「それが娘さんを捨てた理由ですか?」
玉緒はついにそれを訊いた。それしかないのだ。この邂逅、いや対峙の理由は。
「…………」
彼女は玉緒をじっと見つめ、そして三度目の、いや初めての溜息を吐くような笑みを浮かべた。その仕草で初めて彼女から人間味を感じた。
「あなた、あの子が好きなのね」
彼女は唐突にそんな事を言った。玉緒は内心で大いにたじろいたが表情には出さず、代わりに目に力を込めて彼女を見返した。
「…………」
彼女は何も言わずに玉緒を見つめた。だが先程までの硬質な感じではなく、何か慈愛というか、懐かしむような表情を浮かべていた。
「あの子は父親に似すぎていた。いや違う。ああいう血統なんでしょうね」
彼女はそんな事を言った。
「どういう意味ですか」
玉緒はその意味を訊き返した。
「あなた、私を許せないでしょう?」
彼女は唐突にそんな事を訊いてきた。玉緒は一瞬頷きかけたが、さすがにそれは失礼に過ぎると思い、無表情で相手を見据えるだけに留めた。
「それはあなた自身が私みたいな女だからよ」
彼女はさらりとそんな事を言った。
「どうしても譲れない、妥協できない、そんな負けず嫌いな人間って居るのよね」
彼女はまた微笑みを浮かべてそう言った。
「そして人間は自分に似た人間を好きにはならない」
彼女は微笑んだままそう言った。
「ましてや負けず嫌い属性の女同士ですもの。あなたが私を好きな筈はない」
彼女はむしろ楽しそうにそんな事を言った。
「私が負けず嫌いなのは認めます」
玉緒はその点だけには同意した。だが茉莉を捨てた点には絶対に同意できない。
「そして、世の中にはその反対みたいな人間も確かに居る」
彼女は微笑みを消してそう呟いた。
「……遠野、直樹さんの事ですか?」
玉緒の問いかけに彼女は窓の外に視線を移した。正面から見ただけでは年齢不詳だったが、その細い首には皺が浮かび、彼女の実年齢を物語っていた。
「……違うと思うわ……」
意外な事に彼女はその問いかけを否定した。だがそれは別人だった訳ではない。
「あれは血統、そういう一族としか思えない」
彼女はそんな事を呟いた。
理屈で考えると意味不明な答えだが、玉緒には何となく彼女が言わんとしている事が分かるような気がした。つまり茉莉の持つあのオーラは、実父たる遠野直樹という人から受け継いだ資質、いや特性というべきなのだろう。
「ではなぜ
玉緒は現実に立ち戻って、もっとも訊きづらい事実を敢えて問うてみた。それに正直なところ、この目の前の女に少し苛立ちを感じもしていた。この女は娘を捨てた事を何も反省しておらず、心配すらしていないように思えたからだ。
「……振られたから、って言ったら伝わる?」
彼女は少し笑ってそんな事を言った。今度は自嘲的な笑い方だった。
「振られた?」
実の娘に?
「伝わらないかも知れないけど私なりの回答はある」
彼女はそう前置きした。
「私は直樹や茉莉を愛していたわけじゃなかった。あの血統に絡め取られていた」
彼女はそんな事を言った。
「絡め取られていたというのは適切じゃないわね。溺愛していたのよ」
溺愛。そう、まさにあの血統に溺れていた、と彼女は呟いた。
「あれほど幸せな時間はなかった」
彼女は窓から遠くを見ながらそう言った。
「では何故?」
茉莉を捨てたの?
「直樹が死んで、茉莉と私が残った時、ああ私は振られたんだと思ったの」
彼女はそんな事を呟いた。
「意味が分かりません」
玉緒は目に力を込めてそう言った。睨みつけたという方が適切だった。
「そうかも知れないわね」
彼女は再び溜息のような吐息を漏らして微笑んだ。
「茉莉とあなたじゃさすがに子供は産めないしね」
彼女はさらりととんでもない事を言った。今まで誰にも、それこそ知世さんや公博さんにすら察せられなかった秘密をあっさり看過したのだ。
「…………!」
玉緒は思わず顔を赤らめつつも上目遣いに彼女を睨んだ。
「私があなたに会いたかったのは」
だが彼女は玉緒の焦りや羞恥心など無視して言葉を続けた。
「面白い解決策があるものだと関心したからよ」
彼女はまた微笑んでそんな事を言った。
そうして彼女は無言で立ち上がり颯爽と去っていった。彼女は結局挨拶もせず名前も名乗らなかった。だが彼女が誰であるかは聞くまでもない。
そして、玉緒が求めていた回答が、実は全て説明されていたと気がつくのは、もう少し考えをまとめる時間が必要だっただけだった。
これが
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