第40話 雨降って地固まる

 麻里子ちゃんのプロポーズを受けて半年がたった。この六カ月は濃厚で濃密であった。

 まず年明けに僕たちは仕事場兼新居として大阪の堺市に引っ越した。大阪市内に近く、関西国際空港にアクセスが良いということでこの地を選んだ。築二十年の3LDKのマンションであった。築年数は古いがリフォーム済みでネット環境も整っていたので、かなり満足のいく物件であった。


 恋泉耶雲の法人化の件だが、竹河不由美の母方の祖母である弁護士の宮部志麻子先生の協力で順調に進んでいる。主な事業は麻里子ちゃんと江戸沢麻美香先生の漫画業と猫矢夢乃さんと竹河不由美のタレント業だ。

 猫矢夢乃さんのタレントとして活躍も順調でこの年の夏にはNANIWAコレクションにも出るとのことだ。YouTube番組「猫の見る夢」の登録者も十万人を突破した。

 特に猫矢夢乃さん、竹河不由美、麻里子ちゃんのオタク三姉妹あらため、トリオ「お宅の三姉妹」がかなりの人気だ。

 YouTube番組のおかげで竹河不由美もテレビやラジオで活躍するようになった。

 まああれだけの美人だ。人気が出るのはあたりまえだよね。ただ本人は「本当は作家としてやっていきたいんだけどね」と言っていた。

 本人のやりたいことと才能に差異があるということか。このままうまくいけば来年の春ごろには株式会社恋泉耶雲が動きだすことになるだろう。



  そうして忙しくも楽しい日々を送っていたのだがとんでもないニュースが舞い込んできた。僕の初恋の人でかつての最愛の人であった結城瑞樹が逮捕されたというのだ。罪状は売春斡旋やインサイダー取り引き、金融詐欺の幇助だということだ。

 いてもたってもいられなくなった僕は宮部志麻子先生に頼んで、瑞樹に面会できるように取り計らってもらった。

「どうして……」

 化粧っ気のない瑞樹の顔を見て、僕はそれだけしか言えなかった。

 色々な感情が頭の中を駆け巡り、混乱していた。

 逮捕されたことに瑞樹本人もどうしてか理解していないようだ。

 瑞樹は自分のしたことが法律にふれているという自覚がないようだ。無知故に瑞樹は犯罪に手を染めてしまった。そんな印象だ。

 知らないからといって犯した罪が許されるほど世の中は甘くない。知らない方が悪いのだ。

 はっきり言って瑞樹には未練はない。

 だって今の最愛の人は麻里子ちゃんだから。

 でもかつて大好きだった人をもう関係ないからと切り捨てられるほど僕はドライではなかった。

 宮部志麻子先生に頼み込んで瑞樹の弁護を引き受けてもらった。

 宮部志麻子先生はかなりのやり手の様で執行猶予を勝ちとってくれた。

「まあやったことがやったことだけに無罪とはいかないわね」

 宮部志麻子先生は裁判の帰り道、そう言った。



 当然ながらこのことは麻里子ちゃんの知るところとなる。

 僕と麻里子ちゃんは初めて喧嘩というかいざこざめいたものをおこしてしまった。

 恋泉耶雲が大事な時期にかつての彼女を助けるなんてどうかしているというのが麻里子ちゃんの言い分だ。

 コミック第一巻の発売を控えて忙しいのに何をしているんだと珍しくつばを飛ばして、まくしたてた。

 それに対して僕は反論できなかった。

 確かに麻里子ちゃんの言う通りだ。

 あんなふり方をした瑞樹のことなんか放っておいて、麻里子ちゃんの仕事のサポートに専念すべきなのだ。僕のお嫁さんになる人のことを最優先するべきなのだ。元彼女が塀の中に入ったとして今の僕たちには関係ないことだ。

 でも僕は無視できなかった。

 僕は初めてのぎくしゃくした関係にうろたえ、打開策を考えつくことができなかった。

 


 三日ほどお互い無言で過ごしたあと、竹河不由美がコミックに入れる短編読み切りのシナリオで相談したいという名目で僕たちを喫茶すみれに呼びだした。

「こんなときに夏彦さんは何をしているんですか。私よりもあんな女のほうがいいっていうの。だったらだったら……」

 喫茶店すみれでメロンクリームソーダに口もつけずにおいおいと麻里子ちゃんは泣き出した。

 僕はおろおろすることしかできなかった。


 それを見て竹河不由美はふーとため息をつき、アイスティーを一口飲む。

「完熟メロンと夏彦君はもう二人で一人なのよ。今さら別れるなんて出来ないでしょ。確かに夏彦君がやったことは褒められたことじゃないわね。今がどういう時期か考えたらリソースをさくべき問題ではないわね」

 キッと竹河不由美は僕を睨む。美人だけに睨んだ顔は怖い。冷たい汗が背中を流れる。

 そのあと彼女は再びため息をつき、ふっと微笑む。

「でもね完熟メロン。あんたの好きな男はそういう人間なのよ。どんなにひどいことをされてもかつての恋人が困っていたら手をさしのべてしまう。そんなお人好しなのよ。あんたもそれはわかっているでしょう」

 竹河不由美の言葉を受け、麻里子ちゃんはうっと唸る。麻里子ちゃんは巨乳に顔をうずめる。

「ねえ完熟メロン。最近のあんた情緒不安定すぎないかしら」

 竹河不由美の言う通り、最近の麻里子ちゃんは情緒不安定だ。今みたいに怒ったり泣いたりしたかと思えば猫の様に甘えてくる。感情の浮き沈みがめまぐるしい。


 はっとちいさく言い、竹河不由美は麻里子ちゃんと僕を交互に見る。真剣な眼差しだ。自分を落ち着かせるかのようにアイスティーをごくごくと飲む。

「完熟メロン、生理きてる?」

 じっと麻里子ちゃんの垂れ目を竹河不由美は切れ長の瞳でみつめる。

「そう言えばちょっと遅いかも」

 麻里子ちゃんは顎に人差し指をあてて考える。

「夏彦君、心当たりある?」

 次に竹河不由美は僕の顔を見る。

 心当たりがありすぎる。

 原稿に行き詰まると麻里子ちゃんはストレス発散のために僕にエッチなことをもとめる。漫画の連載を始めてからその回数は飛躍的に多くなっていた。

 何回かお守りコンドームの在庫切れがおこり、麻里子ちゃんとそのままいたしたことが一回や二回ではない。麻里子ちゃんの性欲はかなり強くて、僕は求められるまま応じた。

 麻里子ちゃんのような僕のタイプドストライクに求められたら、断わることはできなかった。


「私の考え過ぎかも知れないけど完熟メロンさ。あんた妊娠してるんじゃない」

 心あたりがありすぎる僕は麻里子ちゃんの目を見る。

「夏彦さんと私の赤ちゃん……」

 麻里子ちゃんはは下腹部を撫でる。その表情は愛おしいものを見る顔だ。

 麻里子ちゃんの怒りは何処かに消えてしまった。


 僕と麻里子ちゃんは翌日の朝、産婦人科の病院を訪ねた。検査の結果、妊娠五週目に入っていることがわかった。

 僕は人の目など気にせずに麻里子ちゃんの体を抱きしめる。

「ありがとう麻里子ちゃん」

 シンプルな言葉しか言えなかった。

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