第6話 素っ気ない
あの後はどうやって家まで帰ってきたのか覚えていない。気付いたら制服を着替えることなく、ベッドの上でうつ伏せになっていた。
教室での出来事を思い出すだけで、身体が熱くなる。あんな風にクラスメイトに抱きつかれたのは初めてだ。男同士だというのに、あんなにドキドキしてしまった。そのことも、葛西にバレてしまった。
「ああ……。もうやだ……」
明日からどうやって葛西と接すればいいのか分からない。何事もなかったように装うなんて絶対に無理だ。
恥ずかしくて悶え死にそうだけど、抱きつかれたことは嫌だと思っていない自分もいる。むしろ嬉しかったようにも思える。
「……って、なんで喜んでんだよ、俺!」
ベッドでじたばたと悶えながら、手元にあった枕を殴る。
自分でも、よく分からない。どうしてあの時、あんなにドキドキしていたのか? 好きだと言われたことも、抱きしめられたことも、まったくもって嫌ではない。それってつまり、俺も葛西のことが……。
「いやでも、相手は葛西だし、そもそも男同士だし……」
もしも俺が女子だったなら、今の感情に迷うことなく名前を付けられただろう。相手はクラスで人気の男子というハードルは存在するものの、芽生えた感情をすぐに受け止められたはずだ。だけど俺達は違う。この感情をどう処理すればいいのか分からなかった。
熱に浮かされたまま、ブレザーのポケットにしまったスマホを取り出す。ぼーっとしたままいつもの流れでインスタを開くと、一件の通知が来ていることに気付いた。通知ボタンをタップすると、[manaさんからコメントが届きました]と表示される。
「コメント? あ、この前のラテアートの写真にリプが来たのか」
葛西とカフェに行った時に撮った、しろくまのラテアートの写真だ。それに興味を持ってくれたらしい。さっそくコメントを確認してみる。
[しろくまのラテアート可愛いですね♡ どこのですか?]
相手のアカウントを見る限り、若い女性のようだ。お洒落なアフタヌーンティーの写真や、華やかな服を着て顔から下を映した写真が投稿されている。
俺はベッドから起き上がり、真面目に返信を考えた。知らない人だし、丁寧に返さなければ。文字を打っては消し、打っては消しを繰り返しながら、当たり障りのない返事をする。
[本町駅の西口にあるカフェです。食べ物も美味しかったですよ]
これでよし、とインスタを閉じようとしたところで、すぐに返信が来る。
[そうなんですね! 今度行ってみます♡ 他のお写真も見ましたけど、どれもエモくて素敵ですね。めっちゃ好きです♡]
写真のことを褒められると、無意識で頬が緩む。自分の好きなものを、他の人からも好きと言われるのはやっぱり嬉しい。褒めてくれたのだから、ちゃんと返さないと。
[写真を好きと言ってもらえたのは初めてなので嬉しいです。ありがとうございます。]
緊張しながらも送信ボタンを押す。これで大丈夫か?
しばらくすると、返信の代わりに「いいね」が飛んできた。多分、これでやりとりは終了だ。慣れないことをしたせいで、ドッと疲れた。俺はスマホを手放して、深く息をついた。
◇
翌朝。緊張で顔を強張らせながら教室に入る。
昨日、あんなことがあったから、葛西とどう接していいのか分からない。顔を見たらあの時のドキドキが再発してしまいそうだ。
後ろのドアから教室を見渡すと、クラスメイトと雑談する葛西の姿があった。周りを巻き込みながら大袈裟に話す佐藤に、涼し気な顔でツッコミを入れる葛西。いつも通りのクールな葛西がそこにいた。
整った横顔を見ているだけで、心臓がきゅっと縮こまる。熱を持った顔を隠すように、俯きながら自分の席に着いた。
葛西が俺の席に来たらどうしよう。真っ赤になった顔を見られてしまうかもしれない。そう思うと、顔を上げることすらできなかった。
そんな心配をしていたものの、葛西が俺の席にやって来ることはなかった。ホームルームが始まるまで、クラスメイトと談笑していた。
昨日までの葛西だったら、クラスメイトとの会話を中断して、俺の席に直行してきた。机の前までやって来ると「おはよ」って穏やかに微笑みながら挨拶をして、担任が来るまで取り留めのない話をしていた。それが習慣になりつつあったから、葛西が来ないというのは変な気分だ。
ホームルームが始まり、担任が話をしている隙に、チラッと廊下側の席にいる葛西を盗み見る。すると向こうもこちらを見た。一瞬だけ驚いたように目を見開いた葛西だったが、すぐに興味を失ったように視線を逸らす。
びっくりするくらい素っ気ない。昨日までの葛西だったら、目がった瞬間、嬉しそうに微笑んでくれたのに……。
昨日まで仲が良かったのが嘘のように、余所余所しい態度を取られてしまう。そのことに少なからずショックを受けている自分がいた。
俺、何かした? もしかして、昨日一人で帰ったことに怒ってる?
あの時はテンパり過ぎて逃げるように帰ってしまったけど、よくよく考えれば失礼な行動だ。葛西は、俺が目を覚ますまで教室で待ってくれていた。それなのに、俺は葛西を置いて先に帰ってしまった。そのことに腹を立てているのかもしれない。
謝るべきなのか? だけど状況が状況だったから仕方ないようにも思える。あんな風に抱きつかれたら、びっくりして逃げてしまってもおかしくはないだろう。
頭の中で何度も言い訳をして、葛西と向き合うことから逃げていく。ホームルームが終わってからも、相変わらず葛西はクラスメイトと話していた。次の休み時間も、その次の休み時間も。俺のもとに来る気配すらなかった。
昼休みになってから、さりげなく葛西に視線を向けてみる。すると、またしても目が合った。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに視線を逸らされてしまう。そのまま陽キャグループと学食に行ってしまった。
最近は、葛西と一緒に昼飯を食べていたから、一人で食べるというのは味気ない。心にぽっかり穴が空いた気分だ。好物の玉子焼きを食べても、味がよく分からなかった。
放課後になれば話しかけてもらえるかもと期待していたが、あっさりと裏切られてしまう。
「葛西! カラオケ行こうぜ!」
佐藤に肩を組まれながら遊びに誘われた葛西は、鬱陶しそうに手を払いながら頷く。
「まあ、いいけど」
葛西がカラオケに行く流れになると、クラスの女子が続々と集まってくる。
「え~、葛西くんが行くなら、私も行く~」
甘ったるい声を出して葛西ににじり寄る女子。長い睫毛をバサバサさせながら、葛西を見上げる姿に無性に腹がたった。葛西は女子に興味を示すことなく、ポケットからスマホを取り出す。
「一応予約しとく? 入れなくて彷徨うのはダルイし」
気を利かせて予約を取ろうとする葛西に、佐藤が両手を合わせて大袈裟に感謝する。
「葛西、ありがとー! さっすがデキる男! じゃあ、カラオケ行く奴、挙手!」
佐藤が呼びかけると、周囲にいたクラスメイトが八名ほど手を挙げた。男子が三人で、女子が五人。そこに葛西と佐藤を合わせて計十名だ。人数を数え終わると、何を思ったのか佐藤が俺のもとまでやって来た。にっと屈託のない笑顔を浮かべながら、佐藤が俺の顔を覗き込む。
「熊谷も行く? 最近、葛西と仲良いし」
思いがけず、カラオケに誘われてしまった。咄嗟に葛西に視線を向けると、驚くほど冷たい眼差しを向けられた。なんだか怒っているように見える。どうやら俺はお呼びではないようだ。
「遠慮しとくよ。歌、あんまり得意じゃないし」
笑顔を取り繕いながら断ると、佐藤は意に返す様子もなく微笑んだ。
「そっか! じゃあ今度、ラーメン食いに行こうぜ。俺と葛西と熊谷の三人で!」
軽いノリで約束を取り付けると、佐藤はみんなのもとへ戻っていった。葛西の隣に戻ると、なぜか肩を小突かれる。
「勝手に熊谷に話しかけんな」
「なんで?」
佐藤は肩を押さえながら、きょとんと目を丸くしている。そんな姿を横目に俺はスクールバックを掴んで、前方のドアから廊下に出た。
駅まで続く坂道を下る。最近は葛西と帰っていたから、一人で帰るのは久々だ。
昨日まではあっという間に駅まで辿りつく下り坂も、今日はやけに長く感じる。無言で歩きながらも、頭の中ではずっと葛西のことを考えていた。
どうして葛西は、急に素っ気なくなってしまったんだろう? やっぱり昨日のことを怒っているのか? それとも俺に興味を失くしてしまったのか?
怒らせてしまっただけなら、謝ればどうにかなるかもしれないが、興味を失くされたとなればどうしようもない。
俺には葛西を引き留めておけるものは、何一つ持ち合わせていない。一緒にいたって佐藤みたいに盛り上げることはできないし、クラスの女子みたいに可愛いわけでもない。次の日には忘れてしまうような、くだらない話題しか提供できない。
子どもっぽいし、頭もよくないし、これでは飽きられてしまっても当然だ。自分が何も持っていないことに気付くと、途端に虚しくなった。
そもそも葛西が仲良くしてくれたこと自体がおかしかったんだ。向こうは、カッコ良くて、大人っぽくて、気遣いのできる非の打ちどころのない人間だ。最初から俺なんかとは交わることのない存在だった。
非日常が日常に戻っただけだ。何も失ったわけではない。そう自分に言い聞かせながら、長い長い坂道を下った。
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