サキナさんはいつだって荒ぶっている

まさつき

前編 荒ぶる神絵師、サキナさん

 まーた、始まってしまったよ。


 こうなると俺はもう、生贄になった憐れな子羊って気分。


「男だって乳首は感じるんだから、男の乳首は見せて良くて、女はダメっていうの、おかしいと思うんだよねっ」


 ふっくりとした唇から吐き出される、めちゃくちゃな主張。


 休憩室でコーヒーカップを片手に、サキナさんが愛らしい声でゲーム業界の法度に逆らう文言を並べだす。俺が配属されたラインのリードデザイナーが、いつもの調子でまくし立てた。うっすい扉と壁の向こうへ声が響くのも構わない。


 サキナさんはキラキラしたネイルの指先に握ったゲルインクボールペンのキャップで、こつこつとテーブルにリズムを刻む。


 小さく円い天板には、彼女が描いたドエロなヒロインのデザイン画が置かれていた。開発中タイトルのメインヒロイン、R-15想定タイトルなのにR-18かつZでもNGになるような、あられもない姿。


 全部が全部、乳首丸出しなんだけど……いつもどおりに。


「レーティング的に無理なんで、納得してください」


 いつもどおりに、俺は女上司をなだめにかかる。


「CER〇なんて爆発すればいいんだっ」


 よくねえって――〝だっ〟の声と共に、つばきが俺のメガネに飛んできた。


「業界追い出されたいのかよ……うちが作ってるのエロゲじゃなくて家庭用ゲーム機向けなんですから」


 俺の語る常識にぷうっと頬を膨らませ、口を尖らせた。今年二八歳なのに、なにしてもかわいいってのだけは、ホントに困る。


「そんなのキラトに言われなくてもわかってますーぅ……またキラトはあたしにロジハラするんだ……」


 分かってるのに、なんでわざわざお披露目してるんだよ……。


 そういうのは趣味の範囲に納めて発散すればいいのになあ。こっそり描くの自体は、悪くないんだから。


 ……てか、開発中で極秘なヒロインのデザイン画を脱がしているのは、ちょっとよろしくない気はするけど。いくらサキナさんの手によるデザインとはいえ。


 まあでも、アナログのマーカー塗りだから、かえって流出リスクなんてのは低いといえば低い。デジタルでうっかりクラウドストレージから流れ出すなんてことを避けてるあたり、業界人としてのそこはかとないリスク管理意識が垣間見えはする。


「でもほら、寸止め感がエロいってのもあるじゃないですか、ラブコメとかでも定番でしょ? 元々ちゃんとエロっちいデザインに仕上がってるわけだし」


 着エロってのもある。レーティングCやDでもかもせるエロはあるのだ。サキナさんのデザイン画は、元からしっかり勝負できていた。


 でも、裏では丸出しにこだわってる。


「だって寸止めってあれ、イライラすんだもん。もうさ、ヤっちゃえよ! て思わない?」――思うよねとばかりに、有無を言わせぬ同意を視線に込めてきた。


「いや、分からなくはないですけど……」


 気圧されて同意してしまう。たしかにね……俺も思わないことはないんだ。そうやってお客の興味をひっぱるのが、テクニックなんだと分かっていてもだ。


 絡まれたくないという露骨な気配を丸出しにして、他のスタッフがそそくさと憩いの場から退散する。別ラインのチーフディレクターの真鍋まなべさんがちらっと俺を見て、哀れみを含んだ声援を視線でよこした。


 新卒入社半年の俺は今ではすっかり、このじゃじゃ馬姫に振り回される側仕えのお目付け役みたいになっていた。もちろん、特別手当はない。


 サキナさんと俺、ふたりだけが取り残された……いつもどおりに。ヤバげな雰囲気になるのも、いつもどおりだ。


「はあ……」と、うっかりため息を漏らした俺の胸元に、サキナさんの二本の細腕が鋭く伸びてきた。


「……っ!?」


 ああっ! 反撃する間も与えられず、俺の乳首は陥落した。ほんのちょこっと、触れられただけなのに。脆弱性の高さに、自分でも驚いてしまう。


 長年の姉たちによる、イタズラのせいだった。


「やだなあもう、キラトのリアクション大げさすぎない?」

「やめてくださいよっ……セクハラですよセクハラ」


 男が女に言う言葉なのかなという気もするが、間違ってはいないだろう。


「男乳首はセーフなんだから、いーんだよ」


 よかねえ……俺はちょっと反抗的な目をして、サキナさんの顔を睨んでみた。どういうわけか、とたんにしおらしい態度になる。そこで終われば、良かったんだけど。


「じゃあさあ……お返しにあたしのおっぱい、見てみる?」

「は? 何言ってんだ、あんたっ……て、え?」


 いきなり意味の分からない発言にとまどう俺を措いて、サキナさんはTシャツの裾に手をかけると……バッとたくし上げてしまった。


 ブラジャーに包まれた、立派な巨乳が密室に転び出る。たしか前に、Fとかなんとか自慢してた気がするけど……。


「先っちょ見えてないから、セーフセーフっ」


 満面の笑みを浮かべて、サキナさんが俺のリアクションを待っていた。


 そんな俺はといえば……たぶん、能面みたいな顔をしてたと思う。


 目の前に現れた形の良い胸を包んでいたのは、まるで色気のない、色つやのない生地を縫製した、ベージュ色のおばはん御用達なブラジャーだった。


 大変申し訳ない物言いだということは重々承知なんだけど……。


「あの、サキナさん……さすがにもうちょっとこう、色っぽいものとか、持ってないんすか……」


 慎重に言葉を選びながら、なるべく傷つけないよう配慮したつもりで、俺は淡々と語りかけた。聞いたとたんに、サキナさんの顔は真っ赤になった。


「いや別に……色っぽいとか言われても、勝負する相手とか……いないし……」


 なんだよ、急にしおらしくなっちゃって。


「てかキラト、リアクション薄すぎるだろ。なんで急に真顔なんだよ……こっちが恥ずくなるやん……」


 恥ずかしいことを自らやっておきながら恥ずかしいなどと言い出すあたりが、めちゃくちゃだ。サキナさんらしいと言えば、らしいのだけど。


「姉ちゃんたちいるから、そういうの見慣れちゃってるんスよねー」


 変らず淡々と、答えた。


 俺には三人の姉がいる。一番上とは十二違うし、一番下の姉とも五歳は違う。


 やっと出来た初めての男子として、俺は両親からも三人の姉からも深く愛されて育った。そのこと自体はとてもありがたい。幸せなことだと思う。溺愛のようでもあったけど、甘やかされただけではない。ちゃんと厳しいところもあったからね。


 ただ、それと引き換えに……俺は姉三人にとってのいじられキャラのポジも頂いていてしまった。胸の先が敏感になったのもそのせいだ。もちろん、さらにその先のエロゲ的な展開があったわけじゃあない。


 とにかく、普段はすっごく良い姉たちなんだ。妙なバイアスなしに断言できる。長女の陽葵ひまりはもう結婚していて、子供もいるからすっかり落ち着いているし。


 そんな生い立ちだったおかげか、俺は女性に対する高機能な免疫機構を備えるに至った。もちろん、それによる弊害もあるんだけど……なんつーか、女性に酔えないっていうかね……。


 たとえるなら、【無毒化スキル】を得たキャラが、いくら酒を飲んでもほろ酔いすら出来ずにがっかりしちゃう……てな感じかもしれない。


 ブラ有り半乳を出しっぱのサキナさんに、俺は下に向けてぱたぱたと手を振った。


「ほら、さっさとしまってしまって。お腹冷やす前に仕事戻りますよ」

「あたしのお胸をそんなもの呼ばわりって……ひどいよぅ」


 拗ねていた。うつむいたウルフカットの前髪の隙間から、俺の顔を伺って。


「はいはい、ごめんなさいごめんなさい。てか、マジさっさと隠してくださいよ。こんなとこ見られたら、俺が犯罪者にされちゃうでしょ」

「はあーい」


 妙に素直なオチだったが、これもしかし――いつもどおり。


「だいたいこの絵だって、キラトにしか見せてないんだからねっ」


 そう言いながら、サキナさんは居住まいを正してからエロ画の数々をバインダーにしまい込んだ。「じゃ、お先~」などと残して、明るく休憩室を去ってゆく。



 ――とまあ……なんというか……これが俺の日常なんだ。


 俺とサキナさんのいつもの風景。


 上衣をたくし上げてブラ乳を見せるような詳しい中身はともかくとして。


 俺がすっかりサキナさんと凸凹コンビとなってしまったことは、社内にすっかり周知されていた。だからといって、咎められるわけじゃない。むしろ歓迎されていた。


 大島沙希菜おおしまさきなというアーティストは神の中の神絵師って感じで、ユーザーはもとより、業界でも一目も二目も置かれる存在だ。


 そして、このとおりのじゃじゃ馬っぷり……めちゃくちゃにクセとアクの強い女性だった。仕事はめっぽう出来るし、向き合う姿勢は自分にも仲間にも厳しいけど納得感しかない。だからこそ、誰も彼女に文句が言えない空気感。とにかく実力が物を言う世界だからね。


 でも、人間関係ということでは……誰か首に鈴をつけてくれと、ずっと願われていたらしい。サキナさんの元での試用期間の実績をもとに、俺は三カ月前に正式な配属の辞令をもらった。あのときの先輩たちの視線ときたら……最初は不思議に思ったけど、あとからようく分かった。あれは、憐れみと安堵の混じった目だったんだ。


 俺はそんなサキナさんに憧れて、この場にいた。


 今年の四月に新卒の正社員として入社した、このゲーム開発会社。ディベロッパーとして〝あの会社のタイトルなら〟と名指しでユーザーが買ってくれるようなスタジオ。三ヶ月の試用期間を終えて配属されてから、さらに三ヶ月が経っていた。


 それなりの美大に在学中、けっこう頑張って就活して大手も含めて内定をもらえたけど、他をすべて断って、俺はこの中小企業の会社員として働いている。そりゃあ、大学の同期で大手へ行った友人に比べれば給料はたいぶ下がる。それでも俺がこの会社を選んだ理由、最初から本命だった訳は――大島沙希菜が、いたからだ。


 大島沙希菜は、俺が本格的に絵の道を志すようになった高一時代以来の、憧れの存在だった。サキナさんと机を並べて仕事をしたい――ずっと思い描いていた夢。


 俺は、夢を叶えた。叶えたんだけど――


 なんでこんな、妙なことになっちゃってんだろうなあ……。

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