第2章

10月23日

 無機質なアラーム音が耳元で1分程鳴り響いてから、ゆっくりと目を覚ました。うっすらと開いたカーテンから外を見てみると空はまだ紫色。それからいまだに鳴っている目覚まし時計を手に取ってようやく止めて、時刻を確認すると2:15を指していた。


 本日は週の中頃、この日が休みなら学校会社がもっと頑張れちゃうのにでお馴染みの水曜日だ。つまりは、欧州で絶賛開催中のチャンピオンズリーグの試合があるミッドウィークと言うことである。


 寝起きが良い方では無いのだが、流石にパリサンジェルマン対チェルシーと言う好カードとあってはいつまでも寝惚けている訳にはいかなかった。


 ベッドから降りてスリッパを履き、上着を引っ掻けて廊下に出た。近頃は寮ではなく家に帰ってくることの多い妹を起こさないようにと慎重に階段を下りてリビングに移動して、やたらと大きくてその割りに薄いテレビのスイッチを入れる。それからサブスクリプションの番組を付けて、眠気覚ましのコーヒーを淹れた。


 そうしてあれやこれややってる内に時刻は2:30になり、キックオフ。


 白熱した試合はあっという間に過ぎ、4:30頃に終わった。そして今度は5時からまた試合が始まる訳だが、この頃になると同じく朝の早い妹が起きてくる。


「……おはようございます、お兄さん」


「おはよう美月」


 妹の朝っぱらから何をしているんですか? と言う視線は試合に熱中している兄には届かず。


 そんな兄の様子に、腹いせにテレビの電源を落とそうかと考えたことも一度や二度じゃないのだが、美月はいまだに踏み切っていなかった。まぁいくらだらしのない兄と言っても唯一の趣味を奪ってしまうと言うのは流石に心苦しいものがある。


「学校には遅刻しないでくださいね」 


「しないしない。むしろここ最近は予鈴前に登校してて偉いって褒められてるぐらいなんだから」


「……お兄さん、予鈴前に登校するのは当たり前です」


 しっかり者な妹の嘆息は試合に熱中している兄には聞こえないよう。


 以前居た屋敷ではメイドが来る前にはきちんと着こなしを整えていてなかなかに立派な青年だと評判は高かったのに、その頃の面影が1ミリも無い今の体たらくはある意味この家では気を許していると言うことなのだろう。


 それにもし、家だけでなく私に対してもだとしたら、と考えると緩んでしまう頬を兄に悟られないようにきっとしめて美月は言った。


「行ってきますお兄さん」


「行ってらっしゃいな」


 兄はソファー越しに振り向いて手をひらひらと振っていた。




   ✕   ✕   ✕




 そうして妹を見送って、再び試合に集中する。が、珍しく脳裏にはフットボール以外のことがよぎっていた。


 勿論それは妹の美月のことだ。先月誕生日を迎えて15歳になった彼女は開発都市の一等地にドンと居を構える超名門お嬢様学校に通っている。その中等部3年生と言うわけだ。


 ──そしてこの家にはその妹と2人だけで住んでいる。それは兄妹を庇護すべき存在は既におらず、保護すべき立場の親類とは折り合いが合わないからだ。


 名門一家、旧華族、端的に言ってしまえば積木条歌音と高校に入るまで接点が無かったのがおかしい家柄。それが、妹の身分──そして自分はそんな名家の単なる養子、らしい。今ではもう幼小の頃の記憶なんて曖昧で、いや、そもそもフットボールに関すること以外の記憶は全て曖昧なんだけれど、ただそれでも預けられた屋敷? で妹になる彼女を紹介されたときのことは今でも鮮明に覚えている。


 自分でも不思議なぐらいに、覚えている。


 今では信じられないぐらい人見知りをしていた少女のことを。それでもこれから兄となる相手に失礼がないように精一杯虚勢を張っていた姿を。


 その出会いから住む場所も、国も、様々に環境が変化して美月は大きく変わった。


 ──学業優秀、容姿端麗、下級生からも慕われている彼女はそう言うのに疎い自分から見ても眩しいぐらいに綺麗で、立派だと思う。それに、記憶の中にある彼女と比べても随分と美しく成長している。まぁもう自分の分は終わったものだろう成長期を迎えている彼女が日に日に見違えていくのは当然のこと何だろうけど、それでも共学だったら他の男が放っておかないだろうなんて悪友の評価を聞くと何だかなぁと思うのだ。


 兄としては自慢の妹だけれど、心中はちょっぴり複雑だ。


 そんな出来すぎた妹は近頃全寮制のお嬢様学校の寮に返らず家に帰ってくることが多い。聞いても「お兄さんには関係ありません」とか、「3年生は進路を鑑みて帰宅が許可されてるんです」とかはぐらかして理由を教えてくれない。


 けれども理由はさておき、家に誰かが居る、と言うのはやっぱり嬉しいものだし、それがたとえ何かにつけて小言の多い妹だとしてもただいまにお帰りなさいと返ってくる生活は得難いものがある。


 今日も美月は家に帰ってくるとの事だから、先んじて帰れたら今度はあいつにお帰りなさいを言おう。


 


   ✕   ✕   ✕





 2つ目の試合が終わったのが7時丁度で、朝マックに行くのも微妙な時間だし、どうしようものかと迷ったのだが、結局素直に登校することにした。

 

 ポッドに入った冷えきったコーヒーを氷が満杯のグラスに移し、ミルクとバニラシロップを入れてかき混ぜて、一気に喉奥に流し込む。冷えた液体が喉を通る刺激が心地良いが、多分過度な糖分が後々授業中に眠気を呼ぶのだろう。とは言え今さら気にする訳もなかった。


 椅子から重い腰を上げて、カバンを取って玄関を出る。


 今朝の2試合を何となく思い返しながら坂道を下っているとY字路の合流地点で見知ったクラスメイトと会った。


「おはよう」


「おはよっす」


 やっと手を上げて挨拶をする。


 彼女の名前は知見士多里。学級委員を務める優等生で、Y字路のもう片方に住んでいるらしい級友だ。


 眉目秀麗、とかなんとか色々また四字熟語を当て嵌めることも出来るけど、とかく、折り目正しく真面目な彼女は今朝も一分の隙の無い装いをしていた。校則通りの長さのスカート、一切着崩していないジャケットとタイ、きちっと上まで締められたボタン。そう言えば、自由な校風が売りの北高校でも一応化粧自体は禁止されているのだが、既に形骸化しているルールも彼女は守っていた。にもかかわらず、透き通るような雪原の白肌は夏の日焼けがまだ抜け落ちていない自分と比べると分かりやすくコントラストになっている。


 それから、肩に掛かるぐらいまで伸ばしていた髪を先日すっかり切ってしまって、ショートボブぐらいの長さになった綺麗な黒髪が──ではなく赤みがった茶髪になっていた。


「あれ? 染めたの?」


「言ってなかったっけ。これが私の地毛だよ」


「初耳学っすよ。へぇ、でもあれだね。黒も良いけど赤茶も知見さんに良く似合ってるね」


 何て事もないように普通に所見を述べてみただけなのに、何だかじっと睨まれてしまいました。


「今朝も早起きしたの?」


「そうだけど何で分かったのってそりゃ知見さんとばったり会ったんだから分かるよね」


「はぁ──月曜日と水曜日、木曜日は早く登校してる、って噂されてるの知ってる?」


 彼女は当然のように隣に並ぶとしげしげと眺めてきた後、ふと口を開いた。


「噂って誰がされてるのさ」


「君がだよ。もしかしなくてもサッカーの試合観てるの?」


「向こうの日曜日夜の試合はこっちの月曜日早朝になるからね。チャンピオンズリーグはミッドウィーク開催だし」


 本当はヨーロッパリーグとカンファレンスリーグも抑えておきたいところなのだが、そっちはディレイで我慢しているのだ。無論、出来ることならリアタイしたいところだけれども。


「それで早起きしてるんだ。今朝は何時に起きたんですか?」


「2:30」


「……………」


「にしても学校の人たちも暇なんだね。俺が早く登校してるからって噂になるなんて」


「それは──」


 口ごもる知見。インターハイ優勝に貢献したサッカー部の一年生となれば一挙手一投足が注目されるような有名人になるのは当たり前だと言いたいところだけど、言ったぐらいで分かるのなら初めから気付いているだろう。


 その後も他愛ない話をして学校に向かった。




   ✕   ✕   ✕




 結局意識が保てたのは2限の途中までで、いつものように涼華のお手製弁当をつついていた記憶はあるのだが、それ以外はあやふやで気が付けば放課後になっていた。


「やべ、バイトだ」  


 部活に行くと言う城ケ崎と涼華と別れて玄関に急ぐ。靴を履き替えて最寄りのバス停まで小走りで行くとギリギリ駅行きのバスに間に合った。滑り込むように乗って揺られること15分。


 いつもの寂れた駅で降りてそこから電車に乗ること20分。開発都市は相変わらずそれなりの人数で賑わっていた。


「?」


 改札を出て外に行く人混みに見知った人物を見掛けたような気がするのだが、もう一度顔を上げたときにはそんな人影は無かった。


 気のせいだろうと人混みに紛れて開発都市に足を踏み入れる。


 今日用があるのは、以前世話になったのとは別の病院で割りと小ぢんまりとした3階建て。駅前からやはり歩くこと20分。学校を出てから約1時間、ようやく目的地に辿り着いた。


 いくら夕方とは言え余りにも薄暗い路地の一角にある病院は相変わらず閑散としていたが、その雰囲気は何だか馴染み深かった。


 大きな音を立てるドアをなるべく静かに開いて、顔馴染みの受付のお姉さんに軽く会釈してから玄関口を通って正面の階段を昇る。


 3階の最奥の部屋が先生の診察室で、どうしてだか各室全てが空室であることが分かる廊下を渡り、ノックを一回して返答を待ってから部屋に入った。


 いかがわしい店の明度、干からびた観葉植物、無造作に積まれた書籍、崩れていないのが奇跡的なバランスを維持している書類の塔、奇妙な形の何かがホルマリン漬けにされてるビーカー、栄養剤が散らばったデスク。


 それらの陰に隠れるように部屋の主は蹲っていた。


「こんちわー」


「よく来たね」


 女医は相変わらず目の下に酷い隈を作っていて、やつれていた。一体何日着っぱなしなのだろうか胸元がよれたシャツに裾の端が破れたタイトスカート、こちらも破れかぶれなパンプスに一部が欠けたヒール。それだけに定規に使えそうなほど手入れのされた真っ直ぐな髪と、しみひとつ無い白衣の存在が際立っていた。


「立ってないで座ったらどう?」


「座るってどこに」


 患者用にかつては使われていただろう椅子も今ではクッションが剥がれ、段ボール箱が置かれていた。辺りを見回してもそれらしい座れるスペースなど皆無に思われた。


 そうして最後に改めて女医に視線を向ける。


「そこ」

 

 女医が気だるげに指差したのは診察台だった。


「……………」


「君の診察もしてあげるから」


「ガチすか?」


「冗談」


「……………」


 とりあえず、おずおずと診察台に座る。


 この硬さなら座らずに立っていた方が楽だったろう。


「それで彼女の様子はどう」


「元気そうでしたよ」


「それだけじゃ分からないよ。具体的にどう元気なの」


「具体的に……」


「血色が良いとか、食欲があるとかそんなとこ」


「楽しそうに話をせがんでくるんです。それが元気そうだなって」


「君、皮肉じゃなく言ってるんだよね」 


「もちろん」 


「まぁいいや。他に変わったところとか無かった?」 


「さぁ。まだ出会って日も浅いですから。そこんところはあんたが直接会って確かめた方が分かるんじゃないんですか」


「ご覧の通り私は忙しい身だからね」


 女医は書類の山をツンと叩く。実際のところこの女医が忙しいと言うのは疑っていなかった。


「変わったところ、って言うと変わったところが変わってないって意味では相変わらず日の下に出るのを嫌がってるけど理由を訊いても答えちゃくれないんです。本当は日中のもうちょい早い時間帯の方が……まぁ朝でも都合が良いのに融通が利かないと言うか」


「まだ嫌がってるんだ。ふーん、モーションを掛けられてるんじゃない?」


「俺が? まだ見たところ14ぐらいのガキですよ。それにあんまり遅い時間は好きじゃないです。──医学的な知見から何かないんですか」


「朝が弱いのは単に低血糖のタイプの可能性はあるだろうね。私が用意している薬もその類いのものだから」


「さいですか……んで、今日の分のお薬は?」


「はい、これ」


 女医が渡してきたのはいつもの保冷パックだった。中身は見ないように言われているそれをいつものようにカバンに入れて立ち上がった。


「もう行くの?」


「今日は早く帰りたいんです」


「なぁんだ。もうちょっと話したかったのに。でも彼女の前じゃそう言う態度を取っちゃ駄目だよ?」


「分かりましたよ。んじゃまた」


 本当に名残惜しそうな顔をしている女医に背を向けて廊下に出た。


 空室の内、路地裏に通ずる階段に繋がる部屋に入り、ドアを開けて錆び付いた鉄骨を下る。


 路地裏とは言え辺りに人が居ないのを確認してから保冷パックの底に張り付いていたメモを見る。


「東雲公園に変更。周囲に注意されたし」 


 メモの裏には丁寧に病院から公園までの道中のGoogleマップが印刷されていた。


「あの先生、機械には強そうだもんな」 

 

 メモを見ながら人通りの少ない道を歩く。


 道中すれ違うのは人目につきたくない似たような事情を抱えたものたちばかりなのか、制服姿で浮いている自分に見向きもしなかった。


「制服、か。周囲に注意されたし、ってのは補導されんなってことなのかな」


 東雲公園はマンションに四方を囲まれたところにあって、公園全体が既に影に覆われていた。


 そんな何だか物寂しい公園の、取り壊しを免れた数少ない遊具であるブランコには金髪碧眼の少女が1人。こちらに気が付くと勢いを付けてブランコから飛び降り、駆け寄ってくる。


「お久しぶりお兄様。一昨日以来ね♪」


「こんばんはアリス」

 

 アリスは嬉しそうに笑ってブレザーの裾を掴んで引っ張る。その彼女の勢いになすがままに任せて歩いて2人並んでベンチに座った。


 互いの肩の間が指一本あるかないかの近さにアリスが座ると、柑橘系の香水の匂いが鼻をくすぐる。


「早速で悪いんだけど忘れない内に」


 女医から受け取った保冷パックをアリスに渡した。

 

「ありがとうねお兄様♪」


「どーいたしまして」


「えへへ」


 嬉しそうに、無邪気に笑う。


 相も変わらずやはりそう言う方には疎い自分だけれども、それでも彼女の容姿が和風美人タイプの美月とは違って人間離れした、空想的で童話の世界の登場人物のような幻想種の美しさを備えていることは理解できていた。


 そんなアリスの笑顔は日本円に換算して1億5000万円の夜景に匹敵するだろう光景で、その笑顔が自分に向けられたものだと思うとどうしても違和感が取り払えない。


「どうしたの?」


「いや別に。ただ今日は早く帰らなくちゃいけなくてそれをどう切り出そうか悩んでたところ」


「ふーん、彼女ガールフレンド?」


 軽やかに聞いてくるアリスに内心安堵しながら答えた。


「妹だよ」


 割合当たり障りのない返事をしたつもりだった。にもかかわらず、どうしてだろうか。彼女の回りが2度3度温度を下げたような錯覚に陥ったのは。


「そう。……お兄様にはお兄様の事情がありますものね」


「怒ってる?」


「いえ、ただもし私が怒ってるようにお兄様から見えるならそれ相応の態度を示すべきでは?」


「早帰りの条件はそれね。うし、何でも言うことを一つ聞こう」


「何でも?」


「そうだよ、俺に出来る範囲なら何でも」

 

 何でも……と広義の条件に首を可愛らしく傾げて悩む様子を見せる可憐な少女。言い換えるとどこか庇護欲をそそられる姿ではある。


 暫く悩んでから意を決したのか背筋を改めて伸ばして、アリスは向き合ってきた。


「決めましたお兄様、アリスの騎士様ナイトになってください」


「ナイト? ってこの間ベッカムが爵位を贈られてた名前の前にSirが付くあれ?」


「? ナイトはナイトです。もちろんお兄様は私の騎士様になってくださいますよね」


「そりゃまぁうん。務まるかは分からないけど良いよ。ベッカムと同じ身分になれるってのは悪くないし。……でもナイトって具体的に何するの?」


「私の言うことを聞いて私を敬って私を守ってくれるの」


「なるほど。……期待に応えられるようせいぜい努力してみるよっとそろそろ時間なんで帰るけどアリスもあんまり遅くならない内に帰りなよ」


「お兄様こそ」 


 女医と違ってアリスには名残惜しい様子は見られなかった。




   ✕   ✕   ✕




 折角駅前に来たのだからと、デパ地下の惣菜コーナーで幾つか見繕ってから帰ることにした。オードブルとシーザーサラダ、外の気温も鑑みて鮮魚のカルパッチョも加える。酒は……制服じゃ厳しいだろう。夜遊びや不摂生には口うるさいくせに未成年飲酒にだけは寛容な美月に買っていったら喜ぶだろうが今日はJの差し入れだけで我慢してもらおう。


「いや、あいつも誘えば良いのか」


 とするならもう少し買っていくか。


 Jに連絡を入れてみると酒は持っていくとのことだった。


 後は美月だけだが、今夜は7時過ぎに帰ってくるとのこと。今から帰れば、あいつが帰って来る前に準備は出来そうだ。


「まっ、ここはサプライズかな」


 家に帰ると程なくして幼馴染みのJがやって来た。


「お邪魔するンゴねぇ。ん、美月ちゃんまだ帰って来てないんやね」


「いっつも放課後は学校でヴァイオリンの練習してるらしいから」


 取り皿とカトラリー、グラスを適当にテーブルに並べた後、バケツに氷とJが持ってきたワインを入れて冷やしておく。


 ざっと準備を終えたらソファーにどさっと座り込んだ。


「その内涼華も誘ってみる?」


「涼華ん家の人に修正されるでワイら」


「だよね」


「中庭で茶会も悪くないんやけどね。あれはワイらには馴染めんわね」


「むしろ当然のように馴染んでる知見さんと歌音が凄いよ。二人ともああ言うのはちょくちょく行ってたことあるみたいだけどさ」


「あれ、それやったら大先生もイギリス居た時参加してたんやなかった? もうちょい格式高めの奴にも」


「ドレスコードがある系のやつね。着の身着のまま行こうとしたらメイドさんに止められたのが懐かしいね」


「確かあれ主催者より良い格好をせなあかんのよな」


「だね。日本ならそう言うときは主催者を立てるものだろうから違いに驚いたのを覚えてるよ。だから向こうじゃ主催者は割りとラフな格好して招待客が格好に困らないようにするらしいよ」


「って言うと大先生主催のパーティーは格好を気にする必要は無さそうやな」


「とりあえず服着てりゃ大丈夫だろうね」


「で、茶会はどやったん?」


「さぁね。結局行ったのは一回だけでそれもケチが付いたんで美月を連れて直ぐ帰った」


「なーる、ほど」


「詳しく知りたかったら美月に聞いてみなよ。俺もうあんまり覚えてないから」


「酒の肴に聞いてみるンゴねぇ」


 バラエティー番組に二人でツッコミを入れながらだらだらしていると玄関が開く音がした。


「やっぱりと思ってましたけど来ていらしたんですね。お久しぶりです城ケ崎さん」


「玄関の靴で気が付いたンゴね。お邪魔させてもらってますわ」


「お帰り美月。うしと、面子も揃ったし早速始めますか」


「? 始めるとは何をですか?」


「美月さんコンテスト優勝おめでとう会っすよ」


「……先週もやりませんでしたか? まぁ祝って頂けるのは嬉しいですけど。──かこつけてお酒を呑もうと言う魂胆ではありませんよね?」


「祝い事の方が酒は旨いとは思うけど呑みたきゃ好きなときに呑むよ」


 まだ納得のいっていない美月をよそに、ワインのコルクを抜き、グラスに並々注いだ。


「ほら、乾杯しよ」


 2人にグラスが渡ったのを確認して少し持ち上げると、ぐいっと一息に飲み干してやる。


 そうすれば美月も観念して飲み始めるはずだ。




   ✕   ✕   ✕




「城ケ崎さんには申し訳ないですけど、私も忘れてしまいました」


 上品にグラスを傾けている美月は、城ケ崎から聞かれた茶会の話をすっかり交わしてしまった。


「ありゃま。またそらそこで伸びてるのの失敗談を期待してたんに」


「ご期待に添えず申し訳ないです。──私の方からも良いですか? そこで伸びていらっしゃる方の学校での様子を伺いたいです」


「いやいや美月ちゃん、酒が不味くなるんで聞かん方が良いンゴねぇ」


「そうですか」


「んに、J。適当なこと言うなよ。普通に学校行ってるじゃん」


「普段と比べたらそりゃそうやね。でもこの間の昼休みに放送研がやったバスケ部期待の新星との合同インタビューは話題になってたンゴね」


「へぇ、お兄様インタビューを受けられたんですか?」


「うん。まぁ言っても最近はほとんど部活に出てないからあんまり答えられることは無かったんだけどね」


 そう言いつつ、癒えてはいる左膝を無意識に擦っていた。医者が言うにはまだまだ安静にしていろとのことらしい。


「珍しく医者の言い付けを守ってらしたんですね」


「いや、割りとお医者さんの言うことは聞いてますよ」


「そう言うことにしておきましょう。それでインタビューの方は何を聞かれたんですか?」


「復帰の時期とか国立に向けてとかかな。後はアメリカ遠征についても聞かれたね」


「アメリカ遠征って夏休みのあれやね」


「うん。……で結局インタビューと言いつつも市之瀬にずっとからかわれてた気がする」


「だったンゴねぇ、でその掛け合いが面白かったとかで盛り上がってたわね」


「色んな人に言われたけどそれ本当なの?」


「せやで。放送席に居たから分からんかったんやろけど息ぴったりなベテランの漫才コンビか! って言われてたンゴねぇ」


「ふーん、市之瀬さんとは本当に仲が宜しいんですねお兄様」


「まさか。仲が良いってのは多少なりとも親愛とか好意がある前提なわけで市之瀬からそんなものを感じたことはありません」


「そうですか。まぁ良いでしょう」


 そもそもフットボールしか頭にないはずのこの兄がそこまで話す人が特別でないはずは無いのだが。


 いそいそとワインを注ぎに行く兄の手に無理矢理水の入ったコップを押し付けた。


「な、何ですか?」


「お兄様、お兄様はお酒に強くないんですから」


「いやいや美月さんや、酒に強くない方が効率良く酔えてコスパ抜群なんですよ」


「ならお兄様はもう十分酔われてます」


「んなことは無いですよ、ほらJからも言ってよ」


「すまん、大先生。ワイはここじゃ美月ちゃんさんの味方なンゴねぇ」


「ちぇっ、まぁ良いけどさ」


 当て付けのように水をガブガブと一息で飲み干したが、単なる水なのにいささか美味しすぎた。


「やべ、結構酔ってたんだな」


 妹にもう一杯水を注いでもらってからソファーにすごすごと座った。


 兄が座るソファーの対角線にある安楽椅子に、この日何杯目かとなるワインをグラスに注いだ美月が顔色一つ変えず腰掛ける。


「そう言えばお兄様、先ほどお兄様が寝ていらっしゃる間に城ケ崎さんが面白い話をしてくれました」


「Jが? また何か変なこと吹き込んでないでしょうね」


「んいや、この間やった思考実験と言うか嗜好実験の話やね。選択肢でエンディングが変わるゲームの」


「ああ、あれ。そのルートを選ぶと結局他のルートのヒロイン救えてなくね? ってやつね。Jは許容派なんだよね」


「たかがゲームの話ンゴ、って割り切ってるのもあるけどやっぱり1人で誰も彼も救おうってのは無理があるンゴ。で、美月ちゃんが」


 同じくソファーに座った城ケ崎が美月に話を振った。


「そもそも選択肢が用意されていないのだからどうしようも出来ない、と言うのが私の意見です。それに、あっちもこっちもと言うのは欲張りすぎです」


「なるほどね」


「それで、お兄様はどうお考えになるんですか?」


 何やら期待の眼差しを向けてくる幼なじみと妹だが一体どんな解答を期待しているんだろうか?


「俺はやっぱり──全員救われなきゃハッピーエンドにならないと思う、から許容できないかな」


 結局さして面白味の無い、当たり障りの無い優等生みたいな解答になってしまったのに、2人はどうしてだか満足しているようだった。


「お兄様ならそう言ってくれると信じてました!」

「それでこそ大先生なンゴねぇ!」


「?」


「ギャルゲーで同時攻略出来るなら全員越すタイプよね」


「そう言うタイプですねお兄様は」


「?」


「ペルソナ5で10股してたやない」


「いや、あれはギャルゲーじゃ無いでしょ」


「でも10人同時に攻略してたンゴねぇ」  


「うん……」


「そう言や結局本命は誰だったん? ロードし直すの面倒だからって1人しかイベント見てないって言ってたンゴねぇ」


「あの年下の子だよ。何だか放っておけなくてさ」


「「……」」


 沈黙は幼なじみと妹のものだった。つい軽く聞いていたが、要は10人のヒロインから好みを選べと言うことで、エニアグラムしかりタイプが分かれるのだ。それをこのフットボール以外好みだとか偏向が一切ないのではないかと疑われていた男が明確に年下の子が放っておけなかったと答えた。


 これが天変地異の前触れで無くて何だと言うのだろう。




   ✕   ✕   ✕




 午後9時過ぎに城ケ崎は帰ったので、2人で分担して後片付けをした。と言っても、トレイをゴミ箱に入れてグラスを洗い、テーブルを拭くだけなのだが。それから順番に風呂に入った後、美月が紅茶を淹れる。

 

 自分のはストレート、兄のにはミルクと砂糖を入れてテーブルに運んだ。妹が持ってきたティーカップに口を付けてから言った。

  

「そう言や美月さ。お茶会のこと何でJに言わなかったの?」


「起きていらしたんですね。──別に、酔っていて忘れただけです」 

 

「さいですか。まぁあんまり良い思い出でもなかった気がするからその方が良いかもね」 


「……そうですね。お兄さんには辛い思い出でした」


 兄が覚えていないのは分かりきっていた事だった。だから今更落胆したりしない。むしろ嬉しいとすら思うのだ。


「やっぱりか……でもあれだな、今後も涼華のところのお茶会にお呼ばれするなら克服しなきゃいけないよね」


「茶会に慣れないって言ってましたものね。でしたら今度文乃を呼んで茶会をやりましょうか? 人目の少ない気楽なものから慣れていけば克服出来ると思うんですけど」


「文乃ちゃんって前家に来てた後輩の子?」


「ええ、お父様が大使館に勤めていらっしゃるので参加する機会が多いのだとか」


「ほはー、それならあれだな。色々マナーとか改めて聞けそうだな……いやそれなら美月が教えてくれりゃ良くない?」


「そう言って教えたことを言ったそばからお忘れになるのはどこのお兄さんでしたかしら」


 目が笑ってない。顔も笑ってない。冗談を言っているイントネーションのはずなのに。ここは三十六計逃げるに如かず、そそくさと話題を戻すことにした。


「ただ自分で言っておいてだけどどうにも問題はそこじゃない気がするんだよね。そりゃまぁ睡蓮さんちの使用人の人の視線を感じることはあるけど、俺もJもそれはもう今更気にしないし」


「とすると作法は問題無いと」


「いや、問題自体はかなりありよりのありだよ。それはさておきなんつーかあくまでも個人的な意見だけどこう話題選びに苦労している感がある」


「俗っぽいことなどは話せませんものね」


「そうそう。だから文乃ちゃんにそこら辺何話せば良いのか聞けりゃ大分変わると思うんだよ」


 ふむふむと腕を組んで1人納得する兄。しかし、美月は後輩の指導を受けて上品な話題をお茶会に提供する兄の姿を全くと言って良いほど想像することが出来なかった。


「──あのお兄さん、これは対処療法なのですが、お兄さんと城ケ崎さんは聞き手に回るのはどうですか?」


「いやね、実はそれも考えたの。でも涼華も知見さんも歌音もやたらと俺たちの話を聞きたがるしさ。……あれはもしかしたら話題選びに苦しむ俺とJを紅茶のあてにしてるんすかね」


「それは……」


 無いとは言い切れなかった。


 ──どうにも人の嗜虐心を擽る性質を当の兄本人だけは気が付いていないらしい。その巻き添えを喰らう城ケ崎には気の毒だが。


「まぁ3人ともそんなことはしないと思うけどさ」


「でしたらお兄さんも無理をせずに趣味の話など一般的なことを話せば良いのでは」


「趣味……」


「ええ、お兄さんが大好きなフットボールについてです」


「そりゃまぁ話していいなら話題に困ることは無いけどビエルサよろしくいきなり4バックと3バックの違いについて言われてもあんまり楽しくないんじゃない?」


「そうですか? 私は楽しいですよ、お兄さんのフットボールについての話は」


「ガチすか美月さんや。でもその割りには一緒に試合観ようって言ってもあんまり観てくれないじゃないすか」


「あのですね、普通の人は午前5時を試合の観やすい時間帯とは言いいません」


「じゃあ何時なら良いのさ」


「……一般的な時間なら何時でも構いません。ほら、今度行われるインターナショナルマッチウィークの試合は一緒に観ますから」


「おっ、いいね! そのときはまたつまめるものとビールでも用意しますか」


 もう冷えてるだろうにふーふー冷まして猫舌の兄は紅茶を飲んで、また嬉しそうにフットボールの話をする。


 本当に、フットボールの事となるとそれしかないと言いたげに笑顔を見せる一つ年上の兄。そんな無邪気な姿が一人占め出来ないのが残念だ。


 ──けれども、それは良い兆候なのだと思う。放っておいたらある日唐突にどこかへ消えてしまいそうに思わせる根なし草な兄がこうして交流を持つのは。


「ありゃ、もうこんな時間か」


「私はそろそろ休みますけどお兄さんはどうするんですか? どうせ明日も朝は早く起きられるんでしょう」


「別に早寝早起きする分には健康的で良いじゃない」


「お兄さんの場合は度が過ぎてるんです。日が出る前に起きて健康的と言うんですか?」


「むっ……」


 相変わらず弁の立つ妹には敵わないらしい。兄は観念したように手を上げて降参のポーズを取る。


「お兄さん」


「分かったよ。1試合目はディレイして2試合目から見るよ。それで良いでしょ? 4時過ぎぐらいだし、起きる時間」


「お兄さん、今の季節じゃまだ日が出てないんじゃないかしら」


「そこは変動相場制何すか!?」


「冗談です。明日は朝も少し余裕がありますから私も一緒に試合を観ます」


「なんと! そうと来たら俺ももう寝ちゃうね! お休み!」


 ドタドタバタバタ階段を上る足音が聞こえる。

 

 以前は試合までずっと夜更かししていた事を考えれば格段と進歩していると言えるだろう、か。


 美月も冷めきった紅茶を飲んでから、自分の部屋に向かうことにした。

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