第6話

 放課後。

 朝のホームルームの後に委員長ちゃんから言われた通り第二グラウンドに向かうと、ネットに囲われたグラウンドのすぐ近くにある二階建てプレハブの部室近くにクラスメイトたちがいた。

「お、来た来た。俺たちの試合は二つ目だからまだゆっくりしてて良いってよ」

 校則が緩いからと入学二日目から茶髪に染めてクラスメイトに一目置かれているサッカー部の栂池良介つがいりょうすけが声を掛けてくる。耳にピアスをして普段は制服を着崩している栂池だが、見た目とは裏腹に良いヤツだというのがクラス一同の見解だ。先生に頼まれたプリントを職員室に運ぶのを手伝ってくれたときは女の子だったら即落ちやったなと思わされた。

 栂池にうん、と軽く返事をして、皆サッカー経験者だと言うチームメイト(百人一首かるたの男子がやりたがらないわけだ)とウスとか、オスとか挨拶を交わして緖熟は壁際に腰を下ろした。壁に背を預けて大きめの入道雲をのほほんと眺めていると、視界を遮る影が一つ。

「委員長ちゃんから話は聞いたけど昔サッカーやってたんだって?」

 と、話し掛けてきたのはクラスの中心人物である相原修太あいはらしゅうた。絵に描いたような陽キャで、持ち前のコミュニケーション力もあって早くもクラスの人気者になっていた。もしかしたら、チームメイトの輪から外れて一人いるところを気遣ってくれたのかもしれない。見た目も中身もイケメソとかどういう育ちかたをしたんだよワレと感心。

「まあちょっとね。そっちは?」

 隣に座った相原に言った。

「二年前にやめて以来だね」

「じゃあ俺と同じか」

 自分に言ったわけでもなくただそう呟いた緖熟をじっと見つめ、相原はかぶりを振って言った。

「そうか。ポジションはどこだったんだ?」

「セカンドトップと中盤」

「それじゃあ君には俺とツートップを組んで貰おうかな」

「ツートップ? じゃあフォーメーションは3-2-2?」

「いや、2-3-2だよ」

 一つのクラスから11人も集めていられないので、クラスマッチは8人制で行われるわけだが、小学生年代や狭いコートで主に行われる8人制サッカーはキーパー1人を除いてフィールドプレイヤーは7人で構成される。その為、11人制よりもフォーメーションの幅が狭まるのだ。8人制の場合はディフェンダーを三人置いた3-3-1か緖熟が言っていた3-2-2、またはセンターバックを2人にサイドバックを置いた4-2-1、そして変わり種の2-3-2の四つのフォーメーションが主流だ。

「俺がCFをやるから君がSTだね。よろしく頼むよ」

「了解二百海里」

 特に冗談を言うつもりもなかったのだが、昨日城ヶ崎に言われたのが頭に残っていたようでついぽろっと言ってしまった。

 やべっと隣を見るも特に気にした様子はない。気遣いも完ぺきとはどこまでイケメンなのだろうか。

「シューズはあるかい?」

「トレシューなら一応」

 ちなみにトレシューとはトレーニングシューズの略だ。

「ま、気楽にいこうよ。と言ってもクラスの皆は景品目当てで大盛り上がりみたいだけどね」

「景品? 聞いてないな、それ」

「ん? ああ、そうか。君、HL中爆睡してたもんな。クラスマッチで総合優勝できると景品があるんだ」

「なるほどね。食券一ヶ月無料とか?」

 さすがに言いすぎか。

「牛タン食べ放題」

「牛タン⁉ 仙台の?」

「そうだよ。あの有名な専門店でね。何でもこの高校のOBが経営しているらしくて色々とWIN-WINな関係らしい」

 節税対策とか。

「へえ、そりゃ皆目の色変えるよな」

 福島の高校なんやからそこは福島名物にしろやとかそんな単略的なことを言ってはいけない。考えれば分かるが、言わば、福岡県民に手土産でひよっこを詰まらないものですがと前置き付きで持っていくようなものだ。

「そういうことかな。とまあ気楽にとは言ったものの、人数が多い分サッカーの配点が一番多いから頑張らなきゃね。皆応援に来るって言っていたし」

 ふーんと素っ気なさげに反応したが、もしも女子が応援しに来るならサッカーを多少なりとも嗜んでいた者の義務としてそこそこ良いプレイを披露する必要があるやも知れぬと緖熟は検討しはじめるのだった。


 それから、相原とチームメイトのところに戻り、戦術やポジション確認を行った。サッカー部の栂池のみが現役のプレイヤーだったが、チーム全員がサッカー経験者と言うこともあって会議はスムーズに進行した。

「次の試合が始まりますのでビブスの着用をお願いします」

 どこからともなく現れた運営委員はそれだけ告げるとビブスの入ったスーパーにある網目のかごを置いていく。

 ビブスの色は赤だった。

 これもJが言うところの星の巡りなのかなあ何てつい思ってしまう。赤、かつて自分が所属していた『赤い悪魔』と恐れられていたチームのユニフォームカラー。

「俺は7番だからクリスティアーノ・ロナウドだな」

 ビブス恒例の自分の背番号の選手を言っていくあれだ。

「そんじゃ俺は4番だからラモス」「お前はブスケツか」「13番でキーパーだとオブラクかな」「いや、俺はエデルソン派だぞい。キーパーなのにあんなに足元上手いんだぜ?」「それなら31番じゃね?」「おいおい、エース背番号の10番がまだだぞ」「10番は国を動かしちゃったラッシュフォード一択っしょ」「いやいや中盤ならモドリッチじゃあないか?」

 どうやら皆サッカーに詳しいらしい。次々と選手の名前を言い合っていく。

 そんななか、緖熟は最後に残っていたビブスを手に取る。

 8人分にもかかわらず、一際大きい数字。

 そして、化学繊維の表面に貼られたセロハンの番号を見て思わず笑ってしまった。

「お、坂逆は18か。でも18番って誰かいたっけな」

 6番を着ている生徒が首を傾げる。

 緖熟は久し振りに着るビブスに袖を通し、裾を引き伸ばして、顔を上げると、言った。


「18番はポール・スコールズの背番号だよ」


   ✕   ✕   ✕


 サッカー部部長の騎院呂衣きいんろいには深刻な悩みがあった。

「新入部員、まじで何とかしなくちゃあいけないよなあ」

 このクラスマッチと言う行事は運動部のスカウトが目的で始まった、なんて学校の七不思議めいた噂が北高にはあるけれど、半分事実である。

 高校野球では耳にすることが多いスカウトだけれど、サッカーも例外ではなく強豪私立校は全国に敏腕スカウトを派遣しているぐらいだ。

 とは言え北高校は強豪と呼べるような高校でもないし況してや県内の学生のみが進学できる公立校だ。

 つまり、端的に言ってしまえば今行われているスカウトは部の強化を目的としたものではなく、足りない部員の補充の為なのだ。

「このままだと出場登録すらできませんものね」

「言われなくても分かっちゃいるさ。ったく、話だけは聞いていちゃあいたけどまさか本当にクラスマッチからスカウトすることになるなんてな。塞翁が馬、何があるか分からねえもんだ。全く、後で監督に何言われるか……」

 第二グラウンドはサッカー専用のコートで、ピッチを二つに分けて二面で試合をすることも出来る。学業に支障が出ない範囲で行うクラスマッチは集中開催のため、当然、二面同時進行で行われる。その為、試合中にもう片方の試合のボールが乱入することもしばしばだ。

 騎院とサッカー部マネージャーの市之瀬姫夏はハーフウェイラインの延長線上にあるベンチに座って両試合をつぶさに観察していた。

「さすがに栂池の奴は上手いよなあ。素人の料理方法を心得ていやがる」

 ボールを爪先でちょんと浮かして伸びてきた足をかわした栂池を満足そうに見て言った。

「あの9番の子なんか動きが良いんじゃないですか」

 グラウンド上では、9番のビブスを着けている相原がボールを取りに来た相手をダブルタッチで軽くいなして、空いたスペース目掛けて前に走り込んでいた味方にスルーパスを出す。

「おお、確かに、回りがよく見えてるな」

「お、決まりましたね。ゴールを決めた6番の子もキーパーとの一対一も落ち着いていましたね」

「あの6番も一応リストに入れとけ隣のコートは全員未経験者みてえだし、目星をつけんならこっちだな。ふーん、五組の連中は皆動きが良いみてえだけど……うん? おいおい、何であいつボールを追わないんだ?」

 味方からの緖熟へのパスは、距離を詰めていた敵を意識しすぎたせいで少しコースがずれてしまい、緖熟の横を通過してサイドラインを割ってしまう。

「今の18番ですか? ええっと名前は坂逆緖熟です」

「珍妙な名前だなあ。いやそれは構わねぇだけどさ、今のボール、間に合ったんじゃあないか?」

「走れば充分に間に合ったように見えました」

「あの18番、動きは悪くねえし、トラップパスドリブル全部基礎からできてんだけど妙にこなれてるっつうかなんつーか、言葉にすんのは難しいけどさ、嫌な感じがするぜ」

「どうします、一応リストに入れますか?」

「いや、いいよ。走れねえ奴はうちのチームに要らねえ」


 結局、二年生が相手だったが緖熟たちのチームは無失点に抑えて快勝した。

「よっしゃ、まずは一勝目!」

 一試合目を終え、プレハブの部室下に戻る。

 水分補給やらをしつつ、ハイタッチを交わして先輩の前ではしゃげなかった分の喜びを爆発させる。

「イヤー思いの外余裕だったな」

「なっ、お前のゴール凄かったぜ!」

「あたりめえだよ、これでも中学んときはエースだったんだからな」

「これワンチャン優勝あるかも知れねえぞ」

 そんな会話を右から左に流しつつ、緖熟は微かな自信を抱いていた。

 (久しぶりだったけどこれならいけるかも!)

「あ、そういや緖熟、お前大丈夫だったか?」

「えっ?」

 全くの不意に名前を呼ばれ、緖熟は驚いてしまう。声の主は栂池だった。

「大丈夫だったって?」

「いや、試合中足を気にしてたからさ」

「あ、うん、大丈夫だよ、ありがとう」

「なら良いケド。んじゃ、そろそろ二試合目の作戦会議と行きますか。何かあるやついるか?」

 栂池が円に並んだチームメイトを見回すと、首を横に振る一同。

 と、相原が手を上げる。

「お、相原クン、何だ?」

「次の試合、俺のワントップで良いかな」

 その発言に全員が相原に視線を向ける。

 その視線の意図を察したようで、相原は何故か緖熟を見て、口を開く。

「君、やっぱりSTじゃやりにくかったんだろ。だからどうだい? 中盤に下がるのは」

 とは言え、説明になっていなかったようで緖熟と栂池を除く五人は口をポカンと開けているが。

「ふーん、そゆことね。なら緖熟、俺とポジション変えようぜ。お前は右のインサイドハーフに入ってくれ」

「了解」

 今度は冗談は言わなかった。


   ✕   ✕   ✕


 次の試合までまだ時間があると聞いて、ちょっとと言い残して緖熟は第二グラウンドを出た。

 ぶらぶらと歩きながら、目についた自販機でポカリスエットを買おうとボタンを押すと、ピッと電子マネーをタップする音。

 隣を見れば、スマートフォンを自販機に当てて、腰を折り曲げ、出てきたよく冷えたポカリスエットを頬に当ててくる委員長がいた。

 ひんやりと心地よかった。

「はい、これ。本当にありがとうね」

 どうやら、お礼のつもりらしい。 

 礼を言って素直に受け取ろうかとも思ったが、昔の習慣がまだまだ抜けきれていなかったようで無意識に小銭を投入して、ボタンを押していた。

「特に礼を言われるようなことはなにもしてないよ」

 そう言って、小岩井牧場のグレープジュースを渡す。

「そんないいのに……」

 とは言え、もうジュースは自販機から出ているので委員長は渋々受け取った。

 いまいち距離感が掴めないやつ。

 やはりえへへと屈託のない笑みで笑う委員長を見るとそう思うのだった。

 それにしても、と、何となく座った付近のベンチに並んで座ってきた委員長がジュースを一口含んでから言った。

「うちのクラス、強かったね。無失点で5点差って凄いんでしょ?」

 何故か疑問系。会話をしましょうと言う言外の意味だろう。

「まあそうだろうね。皆上手くて驚いちゃった」

「緖熟君も上手かったよ。サッカー詳しく知らないからよく分からないけどミスをしないって凄いんじゃないのかな」

 目の付け所が良いな、と感じたけど口に出しはしない。

 あくまで素人に毛が生えた程度の体でいきたいのだ。

「凄いかどうかはともかく極力ミスはしないよう心掛けているよ」

 ポンと手を打って委員長は言った。

「前に30%の確率で決まるシュートをスーパーセーブするキーパーより70%を確実に止めるキーパーの方が優れているって話を聞いたことがあるんだけど、ミスを避けるってそう言うことだったりするのかな」

「まあ、一概にそうとは言えないけど、と言うか俺のポジションの場合はむしろリスクを取るべきだからねえ」

「そうなんだ」

 奥が深いんだねえ何て言って笑う。

「見てて思ったんだけどさ、坂逆君、何と言うかプレーしづらくなかった?」

「しづらいって?」

「んー、何と言いいますか、本当だったらこういうプレーをするところなんだけどあえてこっちのプレーを選択しているって言えば言いのかなあ。ごめん、ちょっと言いにくかったかも」

 お前は何を言っているんだ(威圧)? と、しらを切ってもよかったのだが好奇心が勝ったらしい。

「よく見てるね。まあ、うん、そうだよ」

「やっぱり、でもどうして?」

「そうだね、言うのであれば使う側と使われる側の違いだよ」

「? それってどういう意味?」

 緖熟はポカリスエットを飲み干して、よっと言って立ち上がる。

「まあ次の試合を見てたら分かるよ」

「そーですか、それは楽しみだね」

 ここで別れるつもりだったのだがどうやら委員長はついてくるらしい。

「ええっと……」

知見士多里ちみしたりよ」

 向こうはちょくちょく話し掛けてくるのに、いまだに学級委員の名前すら覚えていないクラスメイト無関心系男子の緖熟にも、中性的な魅力を持つ少女は嫌な顔一つせず、素直に答える。

「じゃあ知見さん、今さらだけど試合、見に来てたんだ」

「うん、まあね。お願いして出てもらった手前、見に行かないとと思ってさ。私、何回か坂逆君に手を振ってたんだけど気付いてなかった?」

 実のところ、気付いてはいた。緖熟のいるチーム一年五組の集合場所とは反対側の体育館側の通路から試合を観ていたのは気付いていたし、手を振っていたのも気付いていた。振り返そうかとも思ったものの、ただ本当に自分に振られていたのか微妙だったので結局止めたのだった。

「いや、こっちに手を振っていた人がいたのは分かったんだけど、視力が悪くて知見さんとは気が付かなかったんだ」

 視力は両目ともに1・2だ。

「さいですか。ん、じゃあ次も同じ場所から応援してるから是非とも頑張ってね♬」

 いつのまにやら第二グラウンドに戻ってきていたらしい。

 知見はやはり、無邪気に笑って、言った。

「牛タン、好物なの」


 ピッチ上ではチーム二年二組と一年五組が試合前の握手を交わしている。成長期の一年間と言うのは大きいようで二年生は一年生の一回りも二回りも大きい。

「まあ頼安義薬たよりやすよしやくがいるから栂池のやつ簡単にはやらせてもらえないやろなあ」

 ピッチ中央セントラルサークルには審判とキャプテンが残っている。

「遊びとは言え勝たせてもらうよ」

 11番のビブスを着けた頼安はモジャモジャの頭髪を掻き上げ、部活の後輩である栂池に言った。

「こっちこそ望むところですよ」

 栂池も不敵な笑みを浮かべて応戦。

 そして両者散らばって、キックオフのホイッスルが鳴り響く。

「お、栂池のやつポジション変えたんだな。なあんだ、口じゃあ軽く流す程度にやって来ます何て言っておいて結構やる気なんじゃねえか」

「あの9番の子とのツートップですね。あれ、栂池君は頼安君がマークするんですね」

「他のやつにやらせて万が一怪我でもさせられたら事が事だし、それに後輩に良いようにさせたくないんだろうよ」

 一年ボールで試合が始まった。

 相原はセントラルサークルの頂点上に立つ緖熟パスを出す。コロコロと転がって来たボールを右足のアウトサイドで軽くトラップ、それから寄せてきた相手フォワードの──


 頭上をボールが通過した。

 ふわりと。

 比喩ではなく本当にピッチ上のボール以外の全てが静止して。

 緩やかな、まるで二次方程式のグラフのような放物線を描いて。


 選手たちの間にぽつんと立つ相原の足下へと収まる。

 意表を突いたプレーだった。とは言え、プレーはすぐに流れるように再開する。

「最初のプレーには驚かせられましたが、試合展開は至ってシンプルですね」

 足下の技術で勝っている一年生がボールを回し、体格で勝っている二年生が守備に回り、ボールを奪えばカウンター。例えを用いるならペップ・グアルディオラが率いたかつてのバルサとモウリーニョのインテル、レアルマドリーと言ったところか。

「9番の子、なかなか前を向かせてもらえませんね」

 相原は相手ディフェンスを背負った状態で緖熟からくさびのパスを受けるも、反転せずにそのままパスを返す。

「まあ単純に身長差と体重差の問題だろうよ。だからこそスカウティングの機会としちゃあお誂え向きなんだけどな」

 パスを受けた緖熟は右足インサイドで柔らかくトラップし、ちょんと爪先でずらして栂池に向けてボールを強く蹴る。

「まっ、即戦力採用は無理でも二、三ヶ月もありゃ高校サッカーレベルに耐えうる身体に鍛えることもできるけど、それじゃあインターハイ予選に間に合わねえものな」

「ダブルヘッダーの日も多いですからねえ。人数合わせにしてもベンチメンバーには必ず出てもらわないと回らないでしょうし」

 栂池は右足を後ろに伸ばし、ボールを爪先で左足踵後ろを転がす。それから振り向いてゴールを向く。彼我の差は約20メートルと言ったところ。力が正確に伝わる最先端の競技用ボールと違って体育用の規格のボールなら一回り小さいゴールでも無回転でのシュートを狙えるかもしれないが。

 立ちはだかるのはサッカー部副部長、頼安義薬。

 入部当初からその才能を見込まれ、一年生ながらに見事にスタメンを勝ち取る。そんな彼の武器は圧倒的なスピードとドリブルセンスだ。決して高度なフェイントを使うわけではない。にもかかわらず、対峙した相手はまるでドリブルするコースをわざわざ開けるかのようにばたばたと倒れてしまうのだ。

 その秘密はサッカー部最速のスピードを用いた緩急にあるのだが、だからこそ対応のしようがないのだ。

 そしてそんなドリブラーだからこそ、ドリブルを知り尽くしているからこそ、敵に回ったときこれだけ嫌な選手もなかなかいない。

 まだ入部して間もないが、少ない練習時間や試合で栂池はその才能を肌で感じていた。


 だが、彼は退かない。


 強い相手だと分かっているからこそ膝まずかせたくなるのがサッカー小僧の性なのだから。

「早速マッチアップしたな」

「あの位置だと栂池君としては仕掛けざるを得ないでしょうね」

 右足アウトサイドでボールをつついて前進。身体を半身にしてドリブルの姿勢を取る。まずは小手調べの上体フェイント。反応は見せるものの交わしきれるほどでは到底ない。

 ならばとボールを足裏で転がし、左足で跨いだあと交差した右足で右斜め前に蹴り出すも読まれていたのか頼安にピッチ外へ蹴り出されてしまう。

「うまいフェイントでしたけど流石は頼安君でしたね」

「並みのディフェンダーなら余裕で交わせたろうけどな。さて、次はどうでるかね」

 ボールの近くにいた緖熟がスローインし、栂池からのリターンを受ける。

 それから頼安の後ろを走るチームメイトにスルーパスを出す。

「中は一人か。マークを外そうとはしてるみてーだけど一人じゃあな」

「ですがあれぐらいは外せるようではないと」

「んま、6番は×を付けとけ」

 相手のクリアミスがあってクロスが流れてきたが、難しい体勢でのシュートはキーパー正面だった。

 キャッチしたボールをキーパーはすぐに頼安にアンダースロー。

 頼安は一人二人とスルスルと交わしていくが横から伸びてきた緖熟の右足に当たってボールは頼安に最後にぶつかってピッチを割り、一年生チームのスローイン。

「珍しいな。頼安がミスる何て」

「頼安君、公式戦じゃまだ連続ドリブル記録が続いてるのに」

 再び緖熟がボールを投げ入れる。今度は相原がボールを受け取り、一旦回りを見てから緖熟に返し、動き直す。緖熟は詰めてきた相手を見ると、ボールを爪先で持ち上げ、すぐさま内側に切り返し、股を抜いて──

「……なあ、今のって……」

「はい。ロナウジーニョのエラシコですね」

 ──それからゴール前にアウトスピンを掛けたスルーパス。

 オフサイドポジションギリギリを走り抜けていた相原が左足でトラップし、すぐさまシュート。キーパーは一歩も動くことが出来ずに、ボールはそのままゴール右上に吸い込まれていった。

 チームメイトたちがゴールを決めた相原のもとへ集まるなか、緖熟はピッチにぽつんと立ってある人物を探していた。

 その人物は体育館の屋根で影になっているところからこちらに手を振っている。だから緖熟は今度は気づかないフリをせずに右手を握って親指を立てた。

「なあ、一つ気が付いたんやけどさあ」

「はい」

「あいつ、さっきから右足しか使ってなくねえか?」

「確かに」

「それは別に良いんだけどさ。それよか見たか? パスのほとんどがあいつを経由しているぜ」

「しかも毎回フリーで受けていますですね」

「前言撤回だ。あそこまでもサッカーIQは素人の試合でも魅力が過ぎるぜ」

「リストに入れておきます」


 試合終盤。結局相原の1点以降両チームとも点を決めることなく、ウノゼロのままアディショナルタイム。

 攻め込む二年生のパスミスを拾った相原はすぐに前線の栂池にパスを出すが、カウンターの起点を潰すべく、頼安が全速力で戻っていた。

 改めて対峙する二人。

 二年生は既に守備に戻っている。

「時間も時間だ。試合は完敗だがお前との決着をつけねえとな」

 頼安は言った。

「それも良いすけど先輩。その前に、いいんか? このままあいつにいいようにやられっぱなしで」

 それから、栂池はボールを一切見ないノールックパスをサイドライン際でぼけーっとボールを見てる緖熟に出す。

「あいつも触発されてるな」

「ノールックパスもロナウジーニョでしたっけ」

「俺はグティの方が好きだけどな」

 頼安はふっと笑うとすぐさま緖熟との距離を寄せていく。

 足早っ! と能天気な感想を抱いていると、ボールが足下に届いてくる──が、地面の隆起にボールが跳ねて、トラップは見当違いな方向へ行ってしまう。

 久しぶりに土のグラウンドでサッカーをやった緖熟はすっかり忘れていた。土の地面では時としてボールがイレギュラーな動きをすると。

「あ、やべ」

 そしてそれを見逃すほど頼安は甘くない。結果には不満が残るが気を抜いていた相手が悪いのだ。

 そしてボールの位置的に、右足一つでどうにかするのは不可能。


 だから。

 特に意識することなく。

 左足をボールの頂点に載せて。

 頼安の足をかわすようそのまま足裏で転がして。

 身体を半回転させながら。

 右足ヒールで前に蹴り出す。


「ジダンのマルセイユルーレット……あっ思い出しました!」

 自動化された書記人形スペルオートマタのように非の打ち所のない滑らかな洗練された動き、一瞬のプレーではあるけれど、欠けたパズルのピースが埋まったような気持ちよさがあった。

「なにをだ?」

 その問いには答えず、市之瀬はポケットから取り出したスマートフォンをぽちぽち。

「これです、この記事を読んでみてください!」

 『Soccer Digest イングランドの名門、期待の新星日本人』

 ──サッカーの起源がどこか、こう聞くとなぜか急に私の国が起源だと言い張る国々が現れるのだが、現代サッカーの起源は間違いなくイングランドだろう。

「粕谷さんか?」

「粕谷さんです」

 ──さて、サッカーの母国イングランドにはプレミアリーグがあるのだが、意外にもその歴史は浅く、発足したのは1992年のことだ。──中略──発足以来、数多くのチームが載冠を目指して戦ってきた。今回はプレミアリーグ最多優勝回数を誇る――に現れた期待の新星、驚くことに日本人の少年なのだが、を紹介していきたい。

 

「流石は粕谷さんだ」

「本文はここから見たいですね」

 ──伝説の92年組を皆さんはご存じだろう。今さら改めて説明するまでもないと思うが軽く触れておくと、突如としてアカデミーに表れた彗星たちの総称である。ライアン・ギグス、デイヴィッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ネビル兄弟、ニッキー・バット……。彼らはサー・アレックス・ファーガソンにその才を見出だされ――の一時代を築いた。


「ファーギーベイブス、ファーガソンの雛鳥たちか」

 ──サー・マッド・バズビー以来――にはアカデミー選手を重宝すると言う伝統がある。そんな――のアカデミーに我が国日本の少年がいるそうだ。


 『彼のプレーはまるでポール・スコールズのようだよ』。その少年を指導しているコーチたちは口を揃えてそう言う。

「ポール・スコールズ……イングランド史上最高のミッドフィルダー」

「KOPに聞いたらジェラードつーだろし、飴サポに聞いたらランパードっつーだろけど俺はやっぱりスコールズかな」

「私はマイケル・キャリックが好きです」

「お前ユナサポだろ」

 ──少年の名前は坂逆緖熟君、13歳だ。ご両親の仕事の都合でマンチェスター市にはるばる日本から引っ越してきて、地元のサッカーチームでプレーしているところをスカウトされたそうだ。坂逆君の武器はポール・スコールズらしいボックスTOボックスのダイナミックなプレーである。地を這うような低弾道の軌道を描くサイドチェンジ、糸を縫うような精密緻密なパス、中盤からの大胆な攻撃参加からのヘディングシュート、ロングレンジから放たれる強超威力のミドルシュート。おまけに本家になぞらえてタックルが苦手なようだ。

 チームキャプテンも務める彼だが、意外なことに年代別代表経験はないらしい。何でも彼自身がクラブでのプレーに専念したいと断っているそうだ。ますますポール・スコールズを彷彿とさせるエピソードである。

 本誌でもインタビューの依頼をしたそうだが丁重にお断りされたと聞いた。

 全く、この新星にはわくわくさせられてしまう。

 >次ページ、坂逆君のプレー集


 市之瀬は画面をタップする。

 五秒広告をスキップするといきなり動画が始まった。

 味方からパスを受け、相手の足が届かない絶妙な間合いにトラップしてロングパス。ペナルティーエリアの少し外側からクリアボールをシュート。それからコーナーキックを直接ボレーシュート。そしてゴールラインギリギリで敵を欺くようなマルセイユルーレット──

「ほら! さっきのマルセイユルーレット!」

 柄にもなく興奮気味に話す市之瀬とは裏腹に、騎院は口を閉じたまま熟考。

 あまりのプレーに目を奪われ、二人は緖熟が左足を利き足と比べて遜色なく使っていることに気が付かなかった。

「マネージャー、あいつをチームに率いれるぜ。情報集めよろしくな」

「領海二百海里です」


 試合はそのまま終了し、一年五組は見事優勝に輝いた。

 相原を中心にチームメイトが健闘を称え合っている中、坂逆緖熟はただ一人、グラウンドを抜け出していた。

 フェンスの外で待つ女子生徒に会うために。

「優勝祝いだ」

 いきなり頬にキンキンに冷えた缶コーヒーを当てられた。きっと昨日の意趣返しなのだろう。

「冷たっ」

 同級生のびっくりした様子に満足そうに笑うと、積木条は言った。

「君、本当にフットボールが上手いんだな」

「そう見えた?」

「あのプレーを見てそう思わない人間は居ないと思う」 

 だからこそ、一つ、疑問がある。

「あれだけ上手いのにどうしてフットボールをプレーしないんだ」

 以前聞いたときはゴニョゴニョと濁して結局答えず仕舞いだった。それでも、そのときはそれで充分だった。けれども今は違う。きちんと答えて欲しいことだから、不真面目な彼にも伝わるように言った。

「……やる理由がない、からかな」

「その理由は必要なものなのか? 君は見ていて楽しそうにしていた。それは理由にならないのか」

「ならないね」

「じゃあ、私が見たいから、じゃ駄目か」

 勢いで言った言葉ではあるけれど、でもだからといってでまかせでもなければ全くの本心だった。

 ただ惜しいなぁと思ってしまった。それだけ。

 後から考えてみるとかなり恥ずかしいこと言ってないか? とほほを赤くしてしまうような問いかけの答えはしかし得られなかった。

 緖熟が口を開きかけたところで、不意に肩を叩く人影があったからだ。

「坂逆緖熟だな?」

 緒熟が振り向くと、そこにいたのはさっきまで試合をしていたもじゃもじゃ頭の先輩だった。

「話があるからついてくるんだ」

「あっ、ちょっとまだ話の途中なのだが──」

 結構シリアスな雰囲気で何気に家に帰って思い出したら恥ずかしさで赤面しそうなことを言ったつもりだったのに、それをもじゃもじゃに邪魔されて少しムカって来てたのもあるだろう。

 積木条は、緖熟の捕まれていない方の腕を掴んだ。

「悪いがその話は後だ。こっちの要件を優先させて貰う」

「先輩、その要件に彼女も同席させても構いませんか?」

「まあそりゃ別にいいが」

「ちょっと坂逆」

 もじゃもじゃ頭は緖熟の腕を引っ張ったまま、グラウンドベンチに連れていく。

 仕方なく積木条も緒熟の腕を離して着いていくことにした。

 そして何やらとてもじゃないが高校生とは思えない雰囲気を醸し出す男子生徒と、きりっと知的な印象を漂わせる女子生徒の前にもじゃもじゃ頭は緒熟を突き出した。

「部長、こいつの入部を推薦します!」

「よしきた決まりだ、聞いて驚け頼安。こいつあのマンチェスターユナイテッドのアカデミーでやってたらしいぜ」

「本当ですか! やけに上手いと思ったら。これでインターハイ予選のメンバーが揃いましたよ」

「全く鴨が葱を背負ってくるとはこの事だぜ」

「部長! 御言葉ですがそれは用法が違うと思います!」

「市之瀬、明日中に書類まとめて運営に出せ」

「期限まではまだ一週間以上ありますが?」

「いやそれで良いんだ。奴らまた難癖付けてくるとも限らんしな。出来うる限り不安要素は排除しておきたい。坂逆緖熟、だったな。俺は福島県立北高校サッカー部のキャプテンをやってる騎院だ。お前の入部を心から歓迎するぜ」

「よろしくお願いしますキャプテン」

 騎院は差し出し掛けた手を止めて、緖熟の肩を叩く。

 そうして。


 ──北高校サッカー部に坂逆緖熟少年が入部した瞬間だった。


 緖熟の入部にあたって諸々手続きがあると言い残して、キャプテンともじゃもじゃ頭の先輩とマネージャーは校舎の方へ走っていった。

 オレンジの夕陽にやや夕闇が混じりはじめて、境界線があやふやになっていく。 緖熟はベンチに座ると、隣をポンポンと叩く。

 積木条は少しどぎまぎしつつも少し間隔を開けて座る。

「これが答えだよ」

 まるで世間話のきっかけの話題を振るように軽く、緖熟は言った。

「それじゃあ……」

「うん、君のためにプレーするよ。だから見ててよ」

 ──俺のプレーを。

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