第36話 世界は凍り始める
9時50分 フェス開幕10分前
「ねぇ……何だか寒くない? 私だけかしら」
カリンは凍えながらそう言った。心なしか、顔色もあまり良くないみたいだ。
「カリン、大丈夫? また緊張してきたの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……何だか凄く、寒いの」
「言われてみれば確かに。八月ってこんなに寒かったか?」
「えっ? ヒカルさんもなの?」
気付けばヒカルも、上着を羽織っていた。そう言われてみると私も、何だか寒いような気がしてきた。
「流石におかしいよな? 真夏にここまで冷え込むなんて。異常気象もいい加減にしろってーの。これで盛り上がり半減しないといいけどなァ……」
「異常気象にしても、冷えすぎな気もするけど……」
ガマさんは異常気象のせいにしているけれど、本当にそれだけなんだろうか?
そんな疑念を抱いた、その時だった。
「……なぁ、スタジアムの方から何か聞こえないか?」
ヒカルがスタジアムの方を向きながら言った。私も目を閉じて、耳を澄ましてみる。
彼の言う通り、確かに歌が聞こえてくる。でも、聞いた事のない歌だ。神経をかき回されるような、そんな不穏で不気味なメロディ。
「ねぇ、これってさ……観客が歌ってるよね?」
「あぁ。……しかも音が段々大きくなってる。一体どうしたってんだ?」
この異常な冷気に、観客たちの歌声。本能的に何か、物凄く嫌な予感がする。
「……私見てくる!」
「ちょっ、おとね!?」
カリンの静止を振り切って、私はスタジアムへと走る。
必死で走って、走って、辿り着いた。そこに広がっていたのは、熱狂の舞台などではなく。
「…………えっ?」
その異常な光景に、私は言葉が出てこなかった。
ステージを囲むようにして配置された観客席。そこに座った観客が全員、氷漬けになっていた。慌てふためく観客の鳴き声や叫び声が、スタジアムに響き渡っている。
しかし、それをかき消すように響いてきたのは、聞いたことのない不気味な旋律だった。何人もの人々が、虚空を見つめながら狂ったようにその歌を歌っている。合唱に加わる人は次第に増えていき、狂気のパレードが巻き起こる。
「これは……!? 一体何が起きてるの?」
少し遅れて到着したルナとガマさんも、この惨状に唖然としていた。
ほんの少し前までは、会場はフェスの開幕を待つ熱気に溢れていた。でも今や、そんな熱は少しも無くなっている。熱無き極寒が、辺り一帯を支配している。
「みんな大変! ヒカルさんが……!」
背後からカリンの悲痛な声が聞こえてきた。慌てて振り返ると、そこには凍り始めているカリンとヒカルがいた。ヒカルの方が氷の侵食が酷く、体の三分の一が氷に包まれている。
「ヒカル!? ヒカル大丈夫!? それにカリンも……!」
「ここに向かってる途中で急に倒れちゃって……。私も、ヒカルと同じ症状が現れてるみたい」
「もしかして、誰かの能力? でも、こんな感染症みたいな能力、本当にあるの……?」
「それより今はどうにかしないとヤバいだろ! 感染症ってのが本当なら、早くしないとここの人間は全滅だぞ!」
こうしている間にも、氷はどんどん広がっている。早く何とかしないと……。でも、どうやって?
未曾有の異常事態に、私は何もできそうになかった。
「メロディだ、おとねさん! コハクさんのメロディを弾くんだ!」
「店長さん!?」
いつの間にステージ側に来ていたのか、店長さんとチクマツがそう叫びながら現れた。他の観客と違って、彼は凍っていなかった。
「これは敵の能力だ。だから、あのメロディで打ち消せる!」
「僕も店長の口ずさんだメロディを聞いたら、体が楽になったっす。だからおとねさん、頼むッス!」
「……分かりました。ルナ、ガマさん、一緒に演奏して。この大人数にメロディを届けるには、二人の力が必要よ!」
「カイトさん達のフェスの時に使ってた、コハクさんの特徴的なメロディだよね。任せて!」
「オーケーだ! 力貸すぜ!」
店長さんがハッキリと敵だと断言したのが少し気になるけれど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
それぞれの楽器を取り出し、能力を打ち消すメロディを奏でる。音響機器を通じて音はスタジアム全体に響き渡った。
観客が一様に唱えていた歌が、私達のメロディに塗り替わっていくのを感じる。音が伝わると同時に氷も溶けていき、スタジアムはあっという間に元通りになった。
「……ハッ、あっぶねぇ。あやうく死ぬ所だったぜ」
「みんな! ヒカルさんも治ったよ!」
カリンの声を聞いて、ヒカルの元へ走る。彼の目は生気を取り戻していて、いつも通りの重すぎる愛が籠った目を私に向けてきた。
「ヒカル、良かった……!」
「安心しろ、おとね。君がいる限り俺は死なないさ。……ありがとな」
ヒカルが相変わらずの発言をするが、そんな事も気にならない位に彼が助かったことが嬉しかった。
「ひとまずはみんな落ち着いたが……一体何が起きてるんだ? 観客の中に敵がいるのか?」
「あっ……あぁぁぁぁぁぁ! ちょっと皆さん大変っすよ! これ見てください!」
「チクマツどうしたの? そんなに慌てて……」
高速でスマホを操作していたチクマツは、衝撃でフリーズしていた。彼のスマホを覗き込むと、そこにはおぞましい事が表示されていた。
「えっ? これって……」
「被害はここだけじゃないのか!?」
チクマツが見ていたSNSでは、「世紀末」が保馬市のトレンドになっていた。投稿には、凍り付いた街の写真が添付されている物もある。
このスタジアムと全く同じことが、保馬市全体でも起きていた。
それを見た店長さんは、酷く思いつめたような表情をしていた。
「まさか、彼が動き出したのか?」
「……店長さん、やっぱり何か知ってるんですか? この事件について」
「あぁ。おとねさん、ずっと黙っててすまなかった。でも、こうなってしまった以上、伝えるしかないんだ。辛いかもしれないけど、聞いてくれ。……この事件を起こしている敵の名前は『殊音メノウ』。かつてのコハクさんの友人で、そして彼を殺した男だ」
「…………え?」
お父さんを、殺した……?
予想だにしていなかった言葉を聞かされ、私の時間が一瞬止まったかのように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます