うぐいす塚伝

菜美史郎

第1話 プロローグ

 みささぎは うぐいすの みささぎ


  かしはぎの みささぎ あめのみささぎ

                (枕草子)


 西端修は縁あって関東で身を立てたが、折に触れて故郷NARAに帰省しては、若草の山にのぼるのを楽しみにしていた。


 次第に姿をあらわす大和盆地、それに生駒信貴の峰々。

 それらの四季折々の遠景が修のこころをとらえて離さない。

 めざすは頂上にある、あっと驚くほどに大きな前方後円墳。


 紀元五世紀ごろ築造と考えられていて、全長百三メートルの巨大墳墓。

 被葬者は定かでないが、一説では、応神天皇の御代に勢力の合った渡来人、豪族王仁氏にかかわりのあった人物ではないかと考えられている。

  

 弥生時代後半にかけて急増した渡来人。

 一説では百万人とも百五十万人ともいわれるが、異色なところでは遠くは古代イスラエルに属した人々(ユダ族)が母国をなくしてしまい、アジア大陸を横断し、舟に乗って日本列島のあちこちに漂着したらしい。


 王仁はワニと読む。古事記にはみっつほどワニが漢字で記載されているが、いずれも当て字である。古代、現在の天理市櫟本(いちのもと)あたりを本拠地としていた豪族で、応神天皇以後七代にわたる天皇に后(きさき)を送ったとされる。

 舟をワニとする説もあるくらいだ。


 その巨大墳墓の頂からはるか北に木津川をのぞむことができるし、その墳墓の造りより、水辺や島を意識した儀式が執りおこなわれたらしいことが知れる。


 流浪の民となったユダ族。

 かれらの母国イスラエルへの愛が、他の渡来系民族と共存するなかで、新天地で独自の文化を築いていったのだろうと推測される。


 そばにある大きな石碑は古く、江戸期の中頃、千七百三十三年に建てられたと記されている。


 「墳墓から幽霊が出る」

 江戸期の中頃。そんな巷の噂が絶えなかった。


 「なら、燃してしまえ」

 と、ついには墳墓のまわりを焼く者が現れる始末。火の手が風にのって広がり、ふもとにある寺社にまで被害が及ぶようになり、とうとう、お上は、庶民の口を封じようと重い腰をあげた。


 現在までつづく若草の山の「山焼き」のみなもとである。


 その日、修は若草の山のすそ野で商いを営む遠縁を訪ねた。


 白い割烹着を身につけた小づくりの老女が、からだ全体をゆっくり左右に揺らしながら、店の奥から姿をあらわした。

 いぶかしげな表情で、

 「ええっと、どこぞの人でしたっけ」

 ずり落ちそうになる眼鏡をひょいと右手で持ち上げた。


 ちょっとの間、相手を確認するしぐさはいつまでも変わらない。

 「わっ、おさむちゃんやないの。久しぶりや何年ぶりやろ」

 「最後にここに寄らしてもうてから、五年はたってます。おばさん、元気そうでうれしいです」


 思い余って修は、彼女の体を、両腕で抱いた。

 「わっ、まあ。なにしやはんのや」

 「すみません。あんまりなつかしいもので……」

 「なつかしいいうたかて、ほどがありまっしゃろ。ほら、見てみなはれ。お客さんがこっち見てわろうてはる。でも、気持ちのええもんや。おとこはんに抱いてもらうのは……」


 およねさんのひと言に、まわりがどっとわいた。

 

 「ええ天気やし、これからお山にのぼらはるんやろ。てっぺんまで」

 「あっ、そうです。はい」

 「おなか空いとったら、のぼれへん。いま、お茶とお団子あげるから、食べてから行っといで」

 「おおきに。おばさん。いえ、ありがとうございます」


 しばらくの休息のあとで、修は、お山の左裾から、頂上めざし歩きだした。


 

 

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