エースはまだ自分の限界を知らない[最終部]パ・リーグ編
草野猫彦
一章 新入団選手
第1話 運用方法
埼玉ジャガースは今年、大きな飛躍を期待されている。
その主な要素はおおよそ、昇馬とアルトの二人の選手に、集中していると言ってもいいだろう。
昨年も飛躍を期待されていたが、怪我人の続出で結局は最下位。
もっともちゃんと選手も揃っていたのに、最下位に終わったフェニックスに比べれば、原因がはっきりとしているだけいい。
ただジャガースの現在の空気は、去年よりもよほど引き締まってきている。
ドラフトの一位と二位が揃って、既に一軍レベルのクオリティを見せているからだ。
特に昇馬などは、ちょっとそのボールを見てやるか、などと余裕ぶった先輩選手が、全く手が出ずに何度も空振りをしたものだ。
ストレートが速いのは、誰もが分かっていた。
しかしそのストレートに、しっかりとチェンジアップを混ぜてくる。
外ばかりで勝負するのではなく、厳しい内角にも平然と投げてくる。
左相手には歯が立たなかったが、右のボールに対してはどうなのか。
またもバッターボックスに入り、呆気なく見送ることになったのは、無残という他はないだろう。
一月の寒空の中、昇馬は寮の外にいることも多い。
これまでであればこの季節は、山に入って罠のかかり具合などを見ていたものだ。
狭山丘陵に位置する球場と、二軍球場に選手寮。
周囲はそれなりに、豊かな自然となっている。
だが野生動物に大型の種類などはいないらしい。
地図で見れば東京と、本当に隣接した位置にある。
しかし東京もまた、西方ならばそれなりに田舎はあるのだ。
昇馬はそれほど多くの、球場を見て来たわけではない。
この立地もそれほど、いいものだとは思わない。
やはり鹿や猪がいなければ、わくわくしないものである。
千葉ではキョンをしとめるために、色々と地元の猟師や農家と協力したものだ。
どちらにしろどのプロの本拠地でも、そんな田舎に存在するはずもない。
昇馬としては既にもう、野生動物を叩き殺す衝動が、満たされないことに不満を感じている。
もっとも去年の段階で、しっかりと害獣はしとめていたのだ。
このあたりはトトロの森とも言われるが、野生の森としてはあまりにも人の手が入っている。
そもそも日本の自然のほとんどは、一度は人の手が入ったものが多い。
その中でどれだけの獲物が狙えるか、それが重要なのである。
今年の新入団新人は、育成も含めて八人である。
高卒が多いので、それなりに話は合うのだ。
甲子園に出場している選手も、それなりにいたりする。
ただ昇馬の記憶に残っている選手は、ちょっと他にはいない。
戦力が揃わずに甲子園には進めなくても、個人としての力は別なのだ。
甲子園出場経験がなくても、沢村賞を取っているピッチャーは、何人もいるのだ。
若手の選手も合流し、一月の練習が始まる。
昇馬は基本的には、やはりピッチャーとして使われるらしい。
ただ外野の守備なども、ある程度は見られることがあった。
アルトがセンターを守る時は、昇馬が投げない場合、ライトを守ることが多かった。
しかし一年生の頃などは、アルトがピッチャーをやる場合、センターも守っている。
走力に加えて跳躍力。
そして肩の力まで加えれば、充分に外野も守れるだけの力があった。
どれだけブルペンで好投しても、本番の試合で見ないと分からない。
甲子園や国際大会など、大きな舞台は経験している。
それでもプロの適性が、意外なほどになかった選手というのは、本当に多いのだ。
四球団ぐらいが競合したのに、まるで使えずにクビになったピッチャーなども、過去にはいるのであるから。
たださすがにこれは、ピッチャーとしてのスペックが違いすぎる。
通じないと考える方がおかしいと、現場の首脳陣も判断していた。
そしてアルトの守備にしても、充分に通用すると思われた。
バッティングにしても、速球についていくことが出来ている。
高校時代には昇馬の球で練習しているのだから、それも当然のことだろう。
二人はそのまま、キャンプから一軍帯同と、首脳陣は早くから決めていた。
あとはどれぐらい、基礎体力がついていくか。
もっともこれも二人とも、下手なベテランよりもずっと、身体能力は優れている。
あとは一年を通じて、どれだけ戦えるかということだ。
そして昇馬に関しては、左右両投げをどう行うか、というものである。
一日あたり平気で、300球ぐらいは投げている。
それも左右を均等に、投げているわけだ。
球速などをラプソードで計測していても、全く落ちることがない。
もちろんブルペンなどと、試合で投げるのとでは、消耗は全く違うのだが。
ブルペンキャッチャーは初日から、ミットを交換することになった。
ピッチャーに上手く音を出させるため、しっかりとキャッチするのがキャッチャーの役目。
いい音を鳴らすために、ミットを濡らしたりなどもする。
しかし緩衝材を抜いていては、手が破壊されそうになったのだ。
上杉の逸話にも、同じようなことがあった。
なお武史は球質が違うので、そういう話はない。
ジャガースは現在の正捕手が、まだ若手の岡崎である。
高卒からキャッチャーとして育てられ、コンバートの機会もあったが結局は、キャッチャーとして定着した。
この数年は130試合前後スタメンで出ているが、去年は故障で一ヶ月ほど離脱している。
最初に球を捕球した時から、その衝撃はとてつもないものであった。
去年はオールスターで、千葉の溝口の球を受けたが、明らかにそれよりも上である。
球速としても簡単に、165km/hを出してくる。
ただそれ以上に、右で投げる球がクセ球で、それをキャッチするのが難しかった。
それでも二日目には、しっかりと対応出来るようになっているのだ。
新人として獲得した中には、高卒捕手も一人いる。
こちらも昇馬と組んだものだが、最初はかなりキャッチングミスが多かった。
当たり前の話ではあるが、人間の投げるこの球速は、初めて受けるものなのだ。
(これを女の子が受けていたって、どう考えてもおかしいだろ)
キャッチャーの手が破壊される前に、なんとか上手く受ける技術が必要になるだろう。
さすがプロのキャッチャーは違うな、と昇馬は感じていた。
(真琴もアルトも、ちゃんとキャッチ出来るようになるのに、けっこうかかってたもんな)
そもそも真琴はともかく、アルトはキャッチャー経験などまともになかったものだが。
それでも予備のキャッチャーとして、それなりに受ける練習はしていたのだ。
左右のボールの分析も、さすがにプロだけあってしっかりと行う。
もっともこういった分析は、高校時代にしっかりと、SBCで行っていた。
だからこそあそこまで、圧倒的なピッチングが出来たわけだが。
「練習試合とかで、右と左で投げ分けて、どれぐらいの球数を投げたことがあるんだ?」
「一日で250球ぐらいです。その次の日も同じぐらいというのを、何度かやりましたね」
それで平然としていたので、鬼塚はこいつは壊れないな、と確信出来た。
もちろん無茶にならないように、しっかりとSBCのトレーナーと相談などもしたが。
昇馬はそもそも、全力で投げなくても、ほとんどのバッターは抑えられたのだ。
それはこのプロの世界でも、そこそこ通用するだろう。
若手の有望株というバッター相手に、実戦的な投球練習を行う。
少しスピードを抑えても、充分に打ち取れる。
だがたまにはしっかりと、打たれることもあるのだ。
ここでの感想もふるっている。
「プロって本気で投げないと、打ち取れないバッターが多いから凄いよな」
これを同期入団の選手は聞いているわけだが、確かにバッターボックスで見たら、まともに打てそうになかった。
当たり前の話だが、プロにいる選手はアマチュアの、ほんの上澄みの選手だけである。
それは二軍でも同じことで、選手寮の若手なども、ほぼ全てが甲子園クリーンナップクラスのバッターだ。
一番から五番以外を打っている選手など、当然ながらいるはずもない。
それでもほとんど昇馬の球は打てない。
ストレートだけならば、タイミングを完全に合わせて、打つことも出来なくはない。
だがそれも内角や外角、そして高めに上手く外せば、打てないのである。
現時点のNPBでは、武史の球速が落ちたこともあり、もっとも速い球を投げられる。
ただ高校時代に球威に頼っていたピッチャーは、プロ一年目はそれなりに、苦労することが多いのだが。
あまりにも球威が圧倒的過ぎる。
スピードだけではなく、軌道が他のピッチャーのストレートとは違うのだ。
右で投げた球ならば、まだしも当てることは出来る。
だがジャストミートすることは難しく、手元で動く球によって、ゴロを打たされてしまうのだ。
「今年の新人はおかしいだろ」
そう言われるのはアルトも含めての話となる。
アルトはそれなりに、昇馬の球を打てるのだ。
もっとも試合になれば、配球の組み合わせによって、それも難しくなる。
球種にしても右と左で、使うものはかなり違う。
そして両方が、大きく曲がる変化球と、緩急のボールを持っているのだ。
どちらもプロで通用する。
ただ登板間隔をどうするか、それが問題である。
ピッチャーの肩肘は消耗品などというが、そこばかりが故障するわけではない。
もちろん故障はしやすいのだが、股関節や背中など、故障する場所はあちこちである。
肉体全体の連動なので、肩肘を使わないからと、中六日を二つ重ねるわけにもいかないはずだ。
ただメジャーの基準などと比べれば、中四日ぐらいでは投げられるのでは、とも思う。
またもう一つの問題がある。
昇馬はまだ18歳であり、その骨が完全に固まるのは、20代の中頃なのだ。
それまでは無理をすれば、やはり故障はしやすい。
球威が衰えないからと、ぽんぽんと使っていっては、壊れてしまうことは考えられる。
もっとも目の前のボールを見ていれば、そんな思考は吹き飛んでしまうのだが。
毎日のメニューに、左右のピッチング100球ずつを加えてみた。
そして毎日、トレーナーやドクターの診断で、状態を確認する。
「彼は本当に人間ですか? いや、そもそも特異体質の人間と考えれば、これもありうるのかもしれませんが」
医師の言ったことは、昇馬が以前に言われたことであり、大介も言われたことであるのだ。
冬場ということもあり、まだ球速が出ないはずなのだ。
しかしキャッチボールを少しすれば、あっという間に肩が出来上がる。
だが投げる以外の動作を、しっかりとしているのも確かだ。
「先発で、左右を中四日で使ってみるか」
今では中五日が主流となってきたメジャーが、かつては中四日でピッチャーを回していた。
ただそれでも故障者が多いので、球数の方を制限したりもしたものだが。
負荷の強さではなく、休養が重要なのだ。
海の向こうでは、結局そういう理屈になったらしい。
ただ上杉もそうだが直史も、ポストシーズンの試合になど、連投して勝っていることが普通にある。
昇馬はそういうレベルのピッチャーであるのだ。
埼玉は現場もフロントも、この昇馬のピッチングを見て、浮き足立っているのであった。
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