あなたを識りたい──だからって、添い寝の理由は何?

兎狩羚

先生のこと、まだ、何も知らない

第1話 

 辛うじて、重い瞼を開けると、視界の半分くらいが暗めの銀髪に占領されている。私の顔にまでかかっているせいか、くすぐったさに眠気が消えた。


 そして、流れるようにしびれかかった腕をぐっと伸ばし、カバのように──


 と言っては過言ではあるが、そのくらい上品さの欠片もないあくびをする。


 昨日、意識がプツンと切れる直前、この暗めの銀髪の持ち主が私に背を向けて寝ているはずだったが、なぜか今は距離感がバグっているように顔を向けてきてスヤスヤと熟睡してやがる。


 腹立つ理由なんてどこにもなかった。

 でもそんなこと、私には関係ない。

 

 普段の起床時間よりも早めに“起こされた”のだから、少しくらい私の暇つぶしに付き合わされても文句を言われる筋合いはないはずだ。

 

 指に長い銀髪を絡めて、優しく撫でるような手つきで髪を梳く。次は、綺麗に手入れられた髪の毛にそっと口を寄せようと――。


 馬鹿馬鹿しい。

 正直言って、こんなことしたって意味がない。

 

 名もない衝動に駆られたせい、収拾のつかないことになりかけていた。


 よかった。

 と、心のどこかでほっと胸をなでおろす。

 

 なお懲りずにまた指に絡めなおしてほどくと、一掴みの砂がさらさらと零れるかのように手のひらから滑り落ちていく。


 手持ち無沙汰になった私は、彼女の髪の一端を軽く引っ張ってそっと握る。

 引っ張っては離す、引っ張っては、また離す。


 繰り返しやっていくうちに、意味のない付き合いをされている女性がぴくっと動いた。


  「ぅ……うん」

 

 ただの寝言らしく、ほんの一瞬安心した。

 

 このまま永遠に眠ってくれれば。

 いっそこの穏やかな瞬間を「永遠」という言葉に置き換えれば──。

 

 なんてくだらない考えが一瞬、頭をよぎるなり、粉々に踏み潰していく。ああなったら、今まで通りが今まで通りじゃなくなる。


 余計な変化はいらない。それ以上のことも望めないし望まない。

 だから、よくない芽は、根っこごと取り除くべきだ。


 それでも、思わずにはいられない。


 滑らかな肌の下に隠れる首筋は薄々と見え、無意識に触れようとしたら、良からぬ気配を肌で感じ取ったのか、「眠り姫」のまつ毛がほんのわずか揺れた。

 

 まるでおやつの時間がまだだったというのに、つい欲に負けてしまい、冷蔵庫にある誘惑に手を伸ばす寸前のところで、見つかってしまった子供と同じく慌てて手を引っ込める。


 「なぁ、に?」


 寝起きなのか、むにゃむにゃと断片的な言葉しか出てこない「眠り姫」は、寝ぼけまなこをこすりながら問いかけてきた。


 「何も。おはようって言おうとしたところ」

 「……おはよう。で、本当?」

 「うん。そんなことより、瑠依さんは学校行かなくていいの?」

 

 疑い深い眼差しから逃れたく窓の景色に目をやる。


 柔らかい陽光が頼りないカーテンを突き抜け、部屋へ訪れる。それを見て、日差しの下でゴロンとくつろぎたい自分がいる。

 

 こんな状況ではなかったら、ね。

 

 「聞くまでもない。行くに決まっている」

 「さすがですね。せんせい」

 「ほんっと、時雨さんったら……」

 「どうしたんです?」

 「どうしたも何も。互い悠々自適と暮らせるよういくつか決まりがあると思うんだけど、まだ覚えてる?」


 二人で決めた内容だから、忘れるわけがない。


 でも、よっぽど「せんせい」という呼び方が癇に障ったのか、瑠依さんは眉間に皺を寄せて、あからさまに嫌そうな態度を露にする。


 そう。


 私、この人との関係は生徒と教師、至って普通の関係で、どこにいてもおかしくないものだ。が、そもそも同じベッドを共にすること自体がおかしい。


 少なくとも私が認知している“普通”とはかけ離れている。

 それを知っている上で、私も彼女も当たり前のように受け入れた。


 問題があるのは彼女の方だ。


 実に言うと昨夜、急に瑠依さんからぶっ飛んだ話をされたのだ。


 ──それは。


 『添い寝してあげようか』のことだ。


 「返事くらいはしなよ」

 

 体をほぐすしたいのか、彼女はのろのろと起き上がり、両手を重ね、手のひらを外に向けながらダサい動きをする。その後はてきぱきと着替えの服を茶色系のクローゼットから引っ張り出して、ベッドへ飛ばす。

 

 たぶん着替えだろう、と思う私は自ずと布団を頭の位置まで被り、背を向ける。

その時だった。ちょうどいいタイミングで外の世界から衣擦れの音が耳を撫でる。


 どういうわけか、布団を掴む手に力が入る。


 少しの間、目を瞑るや否や背中にツンと来る視線を感じたため、くるりと体の向きを変え、布団から顔を出した途端に聞かれたくない質問を投げられた。


 「時雨は? やっぱ行かない?」

 「行かなかったらチクったりする?」

 「しないでいただけたら助かる」


 教師の立場から見れば妥当な返事だが、微塵の面白さも内包されていない答えにフル無視を働こうとしたが、「先生」は間髪入れずに追い打ちをかけるように補足する。


 「行かなくてもいいけど、万が一学校の方から聞かれても知らないわよ」

 「そこは可愛いかわいい生徒のために緘黙を押し通してくれ……くださいよ」

 「さあね、気が変わるもの」


 遠回しに学校行けよ、と念を押されたようなもの。それに、本気で行かないというわけでもないから頑なになる必要はない。


 それでも。


 ちょっとした不服な気持ちが先走って、布団にもぐり込んで対抗の意を表す。


 「冗談。いくらなんでも行くよ、面倒くさいけど」


 昨日の「添い寝してあげようか」のとんでもない申し出をきっぱりと断った。

 

 なのに、余計な時に勝手なことしかしない瑠依さんに苛立ちを覚える。


 いずれ「セックスしようか」なんて軽いノリでぶっ放すことはないだろうが、こういった類の誘いは二度もあったら困るから、もう私に聞かないで欲しいくらいだ。


 たかが添い寝とはいえ、恋人同士であれば呼吸と同然のことだ。むしろ互いの親睦を深め合うために当然にすぎない行為だ。


 けれども、それは全て恋人関係である前提で話の筋が通っているわけだ。


 恋愛対象でもないのに、ましてや生徒と教師二人で昨日、同じ屋根の下で “仲良く” 同じベッドで寝ていたなんてありえない。


 その日の次の朝は、まるで随分と長い時間で一緒に暮らしていたかのように、互いにおはようの挨拶をし、学校行くか行かないかのどうでもいい雑談まで交わして、なんというばっかばかしい平和っぷりなんだ。


 気持ち悪いとさえ思えてきたが、嫌いというわけでもない。


 「午後は行く。小テストあるから」

 「うん、ちゃんと行ってね」


 やっぱり最高にどうかしてる。


 きっと先生も私も頭のネジの一本だけではなく、何十本もどこかに置いてきたに違いない。


 教師なのに、こんなことしていいはずがない。

 いいはずがないのに、私は何も言わなかった。


 同居の話も突拍子もなく始まったことだ。

 とはいえ半分、私がその「発端」だった。

  

 ぼうっとしたいから、海の海岸に沿ってふらっと散歩し、もうちょい海の奥へ歩いてみようかなってくらい説明したが、先生はそう思わなかった。


 要するに、先生から見れば自分の命を絶とうとする生徒の姿がたまたま目撃して、ほおっておけないという事実とは真逆なシチュエーションが成り立ってしまったのだ。


 本当に心外だ。

 そんな事、絶対しないのに。


 その後は親のところに連絡を入れられたものの、「ゆっくり話そう」のセリフはおろか、「大丈夫?」の確認の一言すら、うちの親からは何も言われなかった。


 まあ、こんなもんだから、仕方ない。


 先生がうちの親とどんな会話をしているのかわからないが、波打つ音を楽しむ私の隣から、ちょくちょくと微妙な声が降ってくるのが印象的だった。

 

 そして。


 随分と個性的な親御さんだね、と苦笑いをする先生は、「うちに来てゆっくり話さないか? 嫌なら時雨さんの家まで送り届ける」と言われたから、勢いに任せて彼女の家についていった。


 でも担任の先生に保護されるなんて前代未聞だ。


 気まずいし、かっこ悪い。


 「時雨、手抜きだけど朝ごはんできたから、食べたかったらキッチンにおいで」

 「あ。うん。ありがとう」

 「じゃ、いってきます」


 もちろん、私と瑠依さんは玄関で見送る仲ではないから、布団の塊になったまま彼女の部屋で返事を飛ばして気持ちだけで見送る。


 「いってらっしゃい」


 同居してから三週間くらい経った。見慣れない環境に馴染むことが如何に大変だったのか思い知らされた。


 すべての家具の配置はさほど特別なものでもないが、言葉では表現しづらい居心地悪さがある。


 同じ空間の下で、高校生である私が泰然自若に振る舞い、大の大人に接せられるほど器用じゃないのだから、余計にぎこちなく感じたのかもしれない。


 「はぁ……」

 

 胃の奥に溜まりに溜まったガスを全部追い払うかのように、自分でもかなり重いと感じるため息を吐き出す。


 体は起きているのに、頭が冴えない。


 こういう時はよくない。


 学校に行っても、集中できないし、テストの時なんかも上の空。


 私は瑠依さんの部屋から出て、広々とした共用スペースにあるキッチンを見回す。シンプルながらも、自分好みの木製ダイニングテーブルの上には出来立ての朝ごはんが丁寧に置かれている。


 手抜きとは言え、朝ごはんがあることに越したことはない。

 

 高校に入る前にも一人で朝ごはんを作ったり、自分用のお弁当を持って行ったりとかもしたが、やっぱり気持ち的に違う。


 その些細な違いは、人の手料理はまあまあ好きだからだ。


 瑠依さん以外の誰でもかまわないし、なんなら食堂のおばあちゃんの手料理も好き。


 誰でもいい、そんなこと。


 いただきますの声が小さく響くと共に箸を動かす。


 目玉焼きの黄身を割って口に運ぶと、あっけなく目玉焼きの半分くらいがすでに体の中へ溶け込んでしまった。残りの半分はトースターの熱を浴びてきた厚切り食パンに乗せる。


 小気味よい音を立てながら、トーストをかぶりと齧り続け、最後は一気にホットレモンティーで流し込む。


 ごちそうさまを言う間もなくパパっと洗い物を済ませ、自分の部屋に戻りベッドに座り込む。壁を背にあてがい、ぼんやりと天井の一点を見つめる。


 瑠依さんのこと、何もかもさっぱりわからない。


 どうして私をこの家に住まわせてくれるのか。どうして私のことをこんなにも気遣ってくれるのか。


 三週間弱の時間だけじゃこれっぽちもわかんない。


 でも、いくつかそれとらしい理由は思いつく。


 生徒のことを気にかけてあげるのが至って普通のこと。生徒を守るのも教師の仕事だとか。


 っぽいがっぽくない。


 『家にいるときは学校での関係は持ち込まない(呼び方含め)』


 この決まりがあるから、生徒を守るやら気に掛けるやら、そういう類の関係は存在しないはず。


 はたまた、“自ら命を絶とうとする人間”を助けてしまったからには、やむを得ず暫し心のケアでもしてあげよっか、の延長線なのかもしれない。


 どっちにしろ、この生活はどこまで続くのかの問題があったとしても、私は依然として、「先生」──瑠依さんのことについて何も知らない。恐らく彼女も同じはずだ。

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