第4話 サイコメトラと弁護士
「――流石に、これは」
と、高橋紗菜は唖然とした。彼女はかっちりとしたスーツに身を包んでいて、だんだん暑くなり始めたこの国の季節にじっとりとした汗、——とは別の類いの汗を流していた。
彼女は斎藤仁の保釈手続きをした弁護士だった。そして少年の学園から身元引受人も頼まれて留置所に来たのだが、その少年が虫の息になっていることに驚いた。
「別に珍しいことじゃないでしょ。超能力者の能力を封じる一番の方法は飲み食いさせないことですよ」
少年の担当さんは事もなげに言った。愛想良くハハと笑っていた。
高橋紗菜は担当さんを睨め付けてしまう。
基範人にやったのなら間違いなく批難される事だ。それでもこれはある意味、当たり前の光景だった。高橋紗菜は超能力者に対して理解はしているし、他の基範人より超能力者への忌避感に対してある程度の耐性がある。
だからこの光景を痛ましいと思えるのだ。
この国において高橋紗菜の感覚・感情はどちらかというと異常である。
しかしそれを言っても仕方ないし、彼女も弁護士なので法律を弁えているつもりだ。
「なにか」と担当さんは言った。
高橋紗菜の非難っぽい眼差しが気に入らなかったのだろう。担当さんから先ほどのような笑みは消えていた。
「いえ、とくには。手続きに入りましょう」
高橋紗菜は淡々とした口調で言った。
彼女は身長が低く、顔も童顔なので、見た目が若く見られがちだった。いま着ているスーツも着ていると言うより着せられているといった印象が拭えなかった。だからこの担当さんにも軽く見られているのだろう。
しかし実際の彼女の年齢はこの担当さんより上だった。彼女も弁護士になって十年は経ち、歳は三十七である。
超能力者関連の事件もそれなりにいろいろと経験してきた。
しかし、今回は特に酷い状況だった。
言いたいことはいろいろあるが、それをここで言っても仕方ないのだろう。
手続きを終えた高橋紗菜はほとんど死に体の少年を引きずりながら車まで運んだ。
少年が華奢とはいえ、体重は六〇キロ近くある。小柄な彼女には重労働だった。
車の後部座席に回り込むと、ドアが開いた。
「ご苦労をお掛けます」
少年の通うX大学付属の学園長であるアラン・ホイルが言った。
青い目の眼光がするどく、シルバーの髪は手入れがされていて艶やかだった。彫りの深い顔は整っていて、いかにも西洋人と言った感じだ。
ただその見た目は五十くらいだが、彼の実年齢は今年で七十歳を越えている。
「ありがとうございます」
高橋紗菜は声を少し引き攣らせながら言った。ドアが開くタイミングといい、声のかけ方といいすべてが絶妙だった。歳の所為か、彼の能力かは高橋紗菜には判断できない。
ただ外見が若く見えるのは超能力ではないらしい。
――彼を化け物だと感じてしまう。
「ひどい状況ですね。ある程度は想像していましたが想像以上だ。後ろ向けますか、こっちから引っ張ります」
アラン・ホイルは言った。
「よろしくお願いします」
と、高橋紗菜は言われたまま背中の少年を彼に預けた。
「これは先に病院の方が良さそうですね」
「だから言ったじゃないですか。ろくな事にはなってないって」
「さすがにこういう事例は初でしたもので、甘く見ていました」
アラン・ホイルはばつの悪そうな顔で言った。
「病院はどちらに行けばよろしいです」
と高橋紗菜は聞いた。
「X大付属病院でお願いします」
高橋紗菜が運転席に回り込むと、自立運転車は無機質な電子音(こえ)を発した。
『目的地は』
「X大付属病院」
機械音痴な高橋紗菜は――音声認識においてそんな必要はないのだが――自動車の音声につられてハキハキとした無機質な声音で返答する。
自動車は病院に向かって動き出す。
「――助かりました。超能力者はこの国では身元引き受け人になれないのですね」
アラン・ホイルはぐったりしている少年にスポーツドリンクを飲ませようとする。
「まあ、警察署に超能力者が行くだけでも騒ぎになりますから」
ミラー越しに後部座席をちらっと確認し高橋紗菜は苦笑いを浮かべる。
アランは少し不器用なところがある。少年は朦朧とした意識の中、うまくドリンクを飲めていないようだった。
「彼をどうするおつもりで」高橋紗菜は尋ねた。
アラン・ホイルは学園長ではあるが、他にも実業家等の複数の面があり、忙しいはずなのだ。一生徒にここまで干渉するのは珍しいと思う。
「おかしいですか」
アラン・ホイルは言った。超能力者ということを抜きにしても異様な迫力が彼にはある。
「いえ」と、高橋紗菜の掌は無意識に力がこもっていた。
自立運転車のハンドルは本来なら手を軽く置いておくだけで良いのだが、そのハンドルを握った力が強すぎた為、センサが異常検知して、アラームを鳴らす。
『手動運転に切り替えますか』
『緊急車両の手配をいたしましょうか』
矢継ぎ早に警告を知らせる自動音声に彼女は「ふわっ」と焦る。
手の力を抜いた。
「自動運転を続けて」
高橋紗菜はまた声を無機質にして、車に語りかけるように言った。
自動運転のシステムはドライバーの誤動作だと認識して、通常走行を続けた。
「緊張なさらずとも」
一連の流れを学園長のアラン・ホイルはふっと笑って見ている。車が少々おかしな挙動をしても、すべてを見透かしたように平然としている。
「はい。今日は変わったことだらけでして、動揺してしまいました」
高橋紗菜はうっすらと笑みを浮かべながら言った。車についているヘルスチェック機能で、彼女の心拍数が表示されている。
正常だった。
「彼ですが、普通に学園で生活してもらいます。そのための全寮制なのですから」
アランは話しを戻すように横でぐったりしている仁を見ながら言った。
「それより生きてますかね。彼」
高橋紗菜はミラー越しに後部座席へ目を遣った。
「まあ、大丈夫でしょう。かるい脱水症状程度かと」
アラン・ホイルは少年の額に手を翳しながら言った。彼も能力(サイコメトリ)を持っていた。
医者ではないが、おそらくその診断はある程度は正確なものだろう。
「その子は特別なのですか」
高橋紗菜は聞いた。
「はい。理解されないかもしれませんが、彼は優秀です」
アラン・ホイルは苦笑する。「仁君は最年少での超能力免許取得者ですよ」と付け加えた。
「——そういえば、三年くらい前に免許取得年齢の最年少記録が大幅に更新されたってニュースになったような」
そこでようやく高橋紗菜は思い出した。
当時十二歳の中学一年生の少年が照れくさそうに取材に答えている映像が脳でフラッシュバックした。記憶にある映像では少年と言うより子供であった。時間が経ってその少年も成長期を迎えたのだ。確かに十五歳の高校生、記憶は朧気だが、ニュースで見た顔と似た部分が斎藤仁にはあった。
「気になるのですよ。彼が現場で見たものがね」
アラン・ホイルは少年のような笑みを浮かべながら言った。
彼がその瞬間、若返ったように高橋紗菜は錯覚する。
「それはどういう――」
高橋紗菜は聞こうとしたが、自動車はX大付属病院に到着していた。
「話はおいおいしていきましょう」
アラン・ホイルは言いながら、斎藤少年を見ていた。
確かに斎藤少年の回復させることが先決だと、高橋紗菜は死に体の彼の姿を見て思った。
「……というか、彼を病院まで運び込むのは私の役目です、よね」
高橋紗菜は言った。女性にとっては結構な重労働だ。
「いえ、流石に人を呼びましょうか。私も歳を貰っているので二人で運んでも辛いのですよ」
アラン・ホイルは苦笑しながら、外来受付に向かった。
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