34再生【一件落着】

『……な、い』


『なな、い……』


『……な、ないで』


 どこからか、声が聞こえる。


 ……うるさいなぁ。


 もう、どうでも……何もかも、どうだって……いいんだよぉ……。


『……いで』


『な、い……』


『……な、いで』


『い……で……』


『……し、ない……で』


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。


『死なないで』


『死なないで』


『死なないで』


『死なないで』


『死なないで』


 だまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれ。


『死 な な い で ! !』


 あまりに強烈な声のやかましさに、わたしはゆっくりとまぶたを開けた。


「「「……リカ!!」」」


 まぶたを開けると、そこには――涙でぐしゃぐしゃになった顔の三人がいた。


 わたしが大嫌いで、大好きで、そしてまた心から愛していた、

 もう顔も見たくないと思っていた、アノメンの三人がそこにいた。


 んがちゃんとザコ先輩とママさんは、

 わたしに寄り添い、瞳を潤ませ、心配そうにわたしを見下ろしている。


「……あれぇ? みんな、どうしたの? なんでこんなに集まってるのぉ? わたし……いったい何をしてたんだっけぇ……?」

「もうええけん! 今、救急車を呼んだけぇ、そのまま黙って、大人しくしとれ!!」


 顔を怒りで真っ赤に染めながら、んがちゃんは言った。


「……ふふっ。んがちゃん、めっちゃ怒ってる」

「怒って当たり前じゃろ! われ、何をやったか、分かっとるんか!?」


 そう言うんがちゃんの瞳からは、止めどなく涙があふれ、次々と頬を伝っていった。


「……そうだ、思い出した。わたしは、みんなに対して、完全なる嫌がらせをしたんだったぁ」

「違うけぇ!! わしはそんなことで怒ってるんじゃないけん!!」


 んがちゃんは、隠すことなくその怒りを爆発させ、さらに大きな声で叫んだ。


「じゃあ、何よぉ……?」


 んがちゃんは、わたしの顔を両手でしっかりと掴み、逃がさないと言わんばかりに、鋭い視線を投げかけた。


「われが、われが勝手に死のうとしたことじゃ!! 何なんじゃ、われは!? 独りで悩んで、独りで怒って、独りで勝手に死のうとして!! こっちの身にもなれっちゅうんじゃ!! そろそろ、いい加減にせぇ、リカ!!」


 そして、詰めるように言った。


「わ、分かったよぉ……。だから、そんなに怒らないで、頭に響くし、気持ち悪い……」


 わたしは思わず顔をしかめ、再び目を閉じた。


「す、すまんけぇ……!」


 やってしまった。

 まるで、そうとでも言わんばかりに、んがちゃんの声がしょんぼりと落ち込んだ。


「――で、リカ、詳しいことはもう何も聞かないわ。あんた、今回の不始末、あーしたちにどう責任取ってくれるわけ?」


 その言葉が、わたしたちの間に静かに響き渡った。突然割り込んできたのは、ザコ先輩だった。


 普段は明るくてお調子者のザコ先輩が、今回はまるで別人のようだ。

 無表情――それどころか、彼女の顔からは、普段の無防備な気安さが完全に消え失せていた。

 ザコ先輩が無表情なのは、今までに一度たりともありえなかったことだ。

 分かっていると思うけど、いつもの彼女は、喜怒哀楽が豊かな百面相の持ち主だったのだから。


 そして彼女の口から発せられた言葉――それは、いつもの軽い調子とはまるで違っていて、冷徹で鋭利なナイフのようだった。

 その声は、まるで真冬の氷のように冷たくて、心の奥まで凍りつくようだった。


「だ、だから、それは、死んでお詫びを……」

「死ねばすべて解決するとでも思っているの、みゃーこちゃん?」


 今度はママさんが、わたしに詰め寄るようにして間に入ってきた。


 いつもは温厚で優しいはずのママさんなのに、今の彼女からはその雰囲気が一切感じられない。不気味で、嫌な威圧感だけが漂っている。

 ママさんは完全に無表情だった。その表情は、ザコ先輩と全く同じだ。

 感情の一切が読み取れない、まるで機械のような無表情。


 正直言って、恐怖しか感じない……。


「そ、それは……」

「いい? ここからは、あーしたちの話を黙って聞きなさい。それから先、あんたがどんな行動を取ろうと、もう知らない。でもね? 何度だって止めに入るわ。あんたの気持ちなんて、もうどうでもいいの。だって、あんただって、あーしたちの気持ちなんて最初から考えてなかったんでしょ」


 ザコ先輩は――怒っていた。

 まぎれもなく、心の底から本気で怒っていた。

 その表情は、怒りで真っ赤に染まり、今までに見たこともないほどの凄まじい色をしていた。


「…………」

「あんたも言ってたでしょ? 『人は“行動を起こすとき”、必ず“理由”と“原因”がある』って。今それが自分の身に返ってきたのよ」

「……それで、話って何なんですか?」

「まずね、あんたが今回やったことは、ただの偽善に過ぎないわ」

「ぎ、偽善……?」

「いい? あんたの一番の目的って、多分、ユリンユリン・イチャラブスキー、つまりはあーしの汚名を晴らそうって魂胆だったんでしょ?」

「は、はい……」

「でもね、それが根本的に間違ってるのよ」

「ど、どういう……」

「自分をッ! 仲間を大切にできないあんたがッ!! ほかの何を大切にできるって言うのよッ!!」


 ザコ先輩は、今まで見たこともないような鬼の形相で、ひときわ鋭い怒鳴り声を上げた。


「……ひっ」


 そのあまりの恐ろしさに、わたしは思わずか細い悲鳴を上げてしまった。


「……みゃーこちゃん、ママからもお話があるわ」


 神妙な面持ちで、今度はママさんがわたしをじっと見据えた。


「あのね、みゃーこちゃんが信じていた『リリィ愛好会』なんだけど」

「……ひっく」

「実はね、『リリィ愛好会』のメンバーは、みゃーこちゃんとユリンユリン・イチャラブスキーちゃんが付き合っていたことを知っていたの」

「……ふぇ?」

「それでね、今だから言うけど、あの子たちは……あなたのことを快く思っていなかったの。誰一人として、ただの誰一人としても、みゃーこちゃんに味方なんていなかったのよ?」

「…………」

「あの子たちは、途中からあなたに対して、嫉妬と妬みと憎悪の炎を燃やしていたわ」

「……うぇぇ」

「実はね、ママ、みゃーこちゃんが“変わった子”だってことも、“不思議な子”だってことも、ちゃんと知ってたの。だから、あの子たちがあなたを“からかって”、楽しんでいたことも、あなたの知らないところでずっと、すごく咎めていたのよ。今更だけど、それが『リリィ愛好会』の本当の解散理由よ。あの切り抜き動画が原因で解散したんじゃないの。ママがね、あなたを傷つけるあの子たちを許せなくて、『リリィ愛好会』という“悪意の巣”を解散させたのよ」

「そ、そんなのってぇ……」


 涙が止まらない。

 嗚咽が止まらない。

 呼吸さえも上手くできない。


「……絶対に、わだじはぁ! みんなに嵌められたものだとばがりぃ……! だっで、だっでぇ、ぞんなの、ぞんなのっでぇ……!」

「だから、安心してほしいのよ。ママたちの中に、本当に悪い子は誰もいないの。みんな、みんなみんな、本当にあなたのことが大好きなだけ。それ以上でも、それ以下でもないわ。みんなね、あなたのことが大好きで、大好きで、どうしようもないのよ。さらに言うと、みんな心からあなたのことを愛しているの」

「ママざぁんっ……!」

「今のみゃーこちゃんなら分かってくれると思うけど、ママたちって、裏表なしのほんとうの“ガチレズ”たちの集まりだったのよ。だから、ママたちはいつだって、どんな時だって、みゃーこちゃんの味方よ。うふふふ」

「でも、でもぉ、わだじ、わだじぃ……。取り返じのづかないことを……。取り返じのづかないごとをじまじたぁ……。ぅえぇっ……、ふぇえっ……!!」


 嗚咽が止まらず、声を出すのもやっとだが、わたしは必死に言葉を絞り出す。


「……大丈夫じゃ、リカ」

「ぅぇっ……?」

「リカがしてしまったことは、正直もう取り返しがつかん。でもな、そんなことは気にせんでいい。わしたちは、リカのその罪も、ちゃんと一緒に背負うけぇ」

「なんでぇ、なんでよぉ……、なんで、そごまでじで、わだじのごどをぉ……ふぐっ……!」


 もう、涙で前が見えない。

 わたしは小さな子供のように、わんわんと大きくむせび泣く。


「実はな、リカのことは最初から、『ひめり』だって知ってたんじゃ」

「ぅぐ、ひっく、どういうことなのぉ……?」

「おかしいと思わんかったんか? わしたち、最初からリカのことを好きって言ってたじゃろ?」

「うん……」

「実はな、すべてはあめ社長が手を回してたんじゃ。リカ、ユリンユリン・イチャラブスキーさまのことをあめ社長に話してたじゃろ? それで、あめ社長はその話を聞いて泣くほど心を痛めて、それからあらゆるネットワークを使って、わしたちのことを探し出してくれたんじゃ。わしたちは、リカの心に深い傷をつけてしまった、そのすべての元凶じゃからな」

「あめちゃんが、そんなことを……?」

「リカの心に深い傷をつけてしまったのが、わしたちなら――その傷を癒せるのも、きっとわしたちだって、あめ社長は思ったんじゃ。だからな、わしたちが最初から、リカにぐいぐいアプローチしていたのは、実はちゃんとした理由があったんじゃよ。でも、リカの前じゃ恥ずかしくて、みんなテキトーなこと言っとったけどなあ。がながながなっ」


 んがちゃんは朗らかに笑い、思わずこっちまで笑ってしまいそうな、いつもの変な笑い声を上げた。


「ぅぇええぇっ……!!」

「アノメンってのはな、実は最初から――リカのために作られた仲間だったんじゃよ」

「ぞんなごども、じらずにぃ、わだじぃ、わだじぃ……!」


 ふたたび、わたしは大号泣の渦に飲み込まれる。


 そのとき、不意に――ザコ先輩が口を開いた。


「……いきなりだけどさ」


 しゃくり上げながら、わたしはザコ先輩の方へと視線を向けた。


「ひっく……え……?」

「“転生”しなさいよ、あんた」


 一瞬、涙が止まる。意味が、分からない。

 ぽかんと口を開けたまま、わたしは震える声で問い返す。


「て、転生って……どういう……こと、ですか……?」

「ほらほら、泣かないの。誰も怒ってないから」


 そう言って、ザコ先輩は苦笑まじりに続けた。


「あんたの名前さ、『リ』がたくさん入ってるでしょ? で、最後のほうに“リンカ”って呼び方があるじゃない?」

「え、ええと……はい……?」

「あーしも今気づいたんだけどさ、“リンカ”って、“ネーション”をくっつけると、“リンカーネーション”になるのよね」

「……えっ?」

「リンカーネーションって、要するに“転生”って意味でしょ? だからさ、これからは生まれ変わるつもりで、ファンや仲間との絆をもっと大切にしていこうっていう、そんな真摯な想いを込めて、“リンカ”に“ネーション”をくっつけてみたらどうかなって思ったのよ」

「えっ、じゃあ……どんな名前になるんですか?」

「そうねえ……『リリカル・リッツ・リリパット・リエンタール・リリム・リジョイス・リン・リ・リラージュ・リンカリンカーネーション』!」

「ぶっ、な、なんですかその、舌噛みそうな名前!」


 思わず吹き出したわたしは、さっきまでの涙が嘘だったみたいに、腹の底からげらげらと笑った。


「な、なによ、せっかく考えてあげたのに。笑うことないじゃない!」


 わたしの反応を見て、ザコ先輩がぷくーっと頬を膨らませる。


「ふふっ、ごめんなさい。でも、ありがとうございます。それにしても、“転生リンカーネーション”かぁ。いい響きですね、それ」

「でしょ?」

「じゃあ、わたし、ちょっとだけ改名します。これからのわたしは、“リリカル・リッツ・リリパット・リエンタール・リリム・リジョイス・リン・リ・リラージュ・リンカーネーション”です。改めまして、“リンネ”と呼んでください」


 みんなと目を合わせながら、わたしはその名前をはっきりと口にした。


「いいじゃない。よろしくね、リンネ」

「わしも、改めてよろしくじゃ、リンネ」

「ママもママも~♡ ずっとずっと、これからもいつまでも、死ぬまで一緒によろしくね~、リーネちゃん♡」

「ママさんだけ、ちょっと重いです」


 わたしがそう言うと、その場がしんと静まり返り、そして――


「「「「あはははははははは!!」」」」


 まるで噴水が吹き上がったかのように、大爆笑が巻き起こった。


 “リンカーネーション”


 その言葉の中には、ひときわ目を引く『カーネーション』という言葉が含まれている。

 カーネーションは、ナデシコ科の多年草で、『母の日』に贈られる花として広く知られている。


 ――もし、次に生まれ変わるなら、わたしは“花”になりたかった。

 そんなわたしが名前の中に『カーネーション』を持つことは、まるで花に生まれ変わったかのような気がする。


 カーネーションの花言葉には、『無垢で深い愛』、『愛を信じる』というものがある。


 ならば、もう一度。もう一度だけ。


 みんなを信じる“愛の花”を咲かせてもいいのではないだろうか。


 ――わたしは今、“生まれ変わった輪廻転生したリンネ”なのだから。


「……体調、大丈夫か、リンネ?」


 んがちゃんが優しくわたしの頬を何度も撫でてくる。


「頭がズキズキして、ぐわんぐわんするけど、何とか大丈夫……」

「もう少しで救急車が来るからな」

「……うんって、ごめん。ぎゅうにぎぼぢわるぐなっでぎた。吐いでもいい?」

「われ、いきなりすぎるじゃろう!」


 予想外の展開に、んがちゃんは目を丸くして慌てふためいた。


「ちょっ、ちょっと、タンマよ! まだ吐くんじゃないわ!」


 ザコ先輩も慌てて声を上げる。


「おー、よちよち~♡ リーネちゃん、気持ち悪いの、飛んでけ飛んでけ~♡」


 ママさんがわたしに膝枕をして、やさしくお腹をさすってくれた、その瞬間――。


「おえぇーーーーーー!!」


 わたしの“すべて”が、吐き出された。


 呪詛も、怨嗟も、悪意も、憎悪も、憤怒も、猜疑も――何もかも。


 その“すべて”が、胃の底からこみ上げるように、


 ついに、わたしの中の“禍ツ猫バケモノ”は、身体の外へと盛大にぶちまけられた。


 部屋中にゲロを撒き散らしたわたしは、これまでに感じたことのない、途方もない爽快感に包まれて、大笑いしながら、床の上を気持ちよさそうに転げ回った。


 その圧倒的な解放感は、わたしが一方的に繰り広げてきた“純粋無垢な最終戦争イノセントファイナルウォー”に、ついに、終止符を打たせたのだった――。

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