第1話
改札口から、人の波が絶え間なく吐き出されていく。まるで大きな機械が規則正しく動き続けるように、次から次へと人々は改札を抜け、思い思いの方向へと散っていく。
駅は誰のものでもない。個人の所有物ではなく、しかし確かにそこに存在し、無数の足音を受け止める場所。無意識のうちに決められた道をなぞるように、誰もが慣れた動作で歩いていく。
あの階段を上り、あの階段を降りる。まるでそれが日常のリズムの一部であるかのように。
そんな雑踏の中、彼女の姿はすぐに目に入った。
短いスカートの制服を着た少女。彼女は駆け出すように歩くたびに、風を気にしてスカートの裾を押さえる仕草を見せた。小さな手のひらが、布地をぎゅっと掴む。その動きが、どこか頼りなく、どこか儚い。
駅のホームは人で埋め尽くされている。響き渡るアナウンス、電車の到着を知らせる音、話し声、靴音——さまざまな音が混じり合い、空間を満たしていた。それでも、彼女の指先が微かに震えていることを見逃さなかった。
白い。
冷えた空気のせいか、それとも何か別の理由か。彼女の指は、少し血の気を失っているように見えた。
その指先が、何かを伝えようとしている気がした。けれど、周囲の喧騒が、それを掻き消してしまう。彼女はただ、静かにスカートを押さえながら歩き続ける。
電車がホームに滑り込む。人々が動き出す。
けれど彼女は、まるでその流れから切り離されたように、ひとり佇んでいた。
改札口から人々が吐き出されていく。無数の足音が入り混じり、駅構内には絶え間ないざわめきが満ちていた。あの階段を上り、あの階段を降り、決められた道をなぞるように進んでいく人々。そこには個々の意思などない。ただ、日常の延長線上にある無意識の行動。
——その指先を、可憐な吸血鬼は見逃さなかった。
人間の目では捉えきれない、微細な変化。血流のわずかな停滞、肌の温度の低下。彼女——ES-222FX-Bは、それをはっきりと認識した。
ES-222FX-B。
それが彼女の正式な識別コードだった。
彼女は人工生命体であり、その血統は古き吸血鬼の遺伝子を継承している。だが、かつての怪物のように生き血を啜ることはない。彼女の中に流れるのは、科学の力で再構築された汎再生性合成血液。そして生物としての機能を維持するために設計された、完全なアクティブバイオニックスFX-Bシステム。
しかし、血を求める本能は、未だ彼女の中に残されていた。
少女の指先を見つめながら、ES-222FX-Bはわずかに唇を噛んだ。あれはただの寒さによるものか、それとも——。
彼女は躊躇した。
人間の世界に溶け込みながらも、自分が人間ではないことを知っている。己の本能に従えば、あの少女の血がどんな味か確かめることは簡単だった。だが、彼女はそれをしなかった。
代わりに、静かに少女に歩み寄る。
「……寒い?」
少女は驚いたように振り返った。駅の喧騒の中で、その声が届くはずはなかった。だが、確かに彼女は気づいた。
「……」
少女は言葉を探すように口を開いた。だが、何も言わなかった。ただ、かすかに震えた指先を握りしめる。
その仕草が、まるで何かを隠そうとしているように見えた。
——この世界のどこかに……。
ES-222FX-Bは無駄な思考を停止させた。
電車がホームに滑り込む。ドアが開き、人々が流れ込んでいく。その中で、少女は一歩踏み出した。そして、迷うように振り返る。
ES-222FX-Bは、ほんの一瞬だけ再演算した。
——追うべきか、それともこのまま見送るべきか。
しかし、すぐに答えは出た。
彼女は足を踏み出し、少女の後を追った。
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