第19話 帰省_3
お母さんは家に余っていた布団を二人分用意してくれていて、部屋に敷いてみるとほとんどの床が布団で埋まってしまった。ぴったり布団がくっついてしまっているけど、香奈と一緒に寝ることがほとんどだから、今更そんなの気にしない。
「では失礼して」
「え、いやいやなんで自然にこっちの布団に入るの」
「……?」
「意味が分からないみたいな顔しないでくれる?」
香奈は当たり前のように自分の布団を使わず、こっちに忍びこもうとしてきた。2つ布団を敷いた意味とは。
「いつもこうしてるじゃないですか」
「いつもって……いやウチに泊まりに来た日は確かにそうしてるけど」
「ならおかしくないと思いますが?」
本当にそれが当たり前みたいな顔をしている。そしてその顔を見ているとなんだか本当におかしくない気がしてくるから不思議なものだ。
「……どうぞ」
「ありがとうございます!」
こいつぅ、顔がいいのってほんとずるいな。
私の横に香奈が収まって背中合わせになる。さすがに顔を突き合わせて寝るのは恥ずかしいし、いつもそうしていた。背中から伝わる体温はなんだか少し高めな気がする。
ふと香奈は私のことをどう思っているんだろうと思う。こうやって並んで寝ていてもどきどきしたりしないんだろうか。
香奈から好意を向けられているのはなんとなくわかっていた。それは友達よりもちょっとだけ進んだ感情で、私も同じくぼんやりとした思いはあるけど、まだお互いに決定的な言葉にはしていない。
こうやって一緒に寝ていて、香奈はどんなことを考えているのかな。私は少しだけ、ほんとーに少しだけ意識してしまうんだけど。
そんな考え事をしていると目を瞑ってじっとしていても、ますます寝れなくなってしまいそうだった。古典的に羊でも数えてみるか……。
「……あゆみさん?」
私が羊を何匹か数えて、ようやく気持ちが落ち着いてきた頃、香奈の小さな声がした。
その時にすぐに返事をすればよかったんだろうけど、羊を数えてぼーっとしていた私は、その小さな声も夢かわからなくて返事が出来なかった。
もぞもぞと香奈が体勢を変える。私の背中に、ぴったりと香奈がくっつく。それは半分抱きしめられているような感じで、薄い布越しの柔らかさが背中越しでもよくわかった。
「……えへ、幸せです。だいすき」
そんな小さな呟きを、私の耳はしっかり拾って。その一言にはちゃんと本来の香奈の気持ちがのっている気がして、眠くなってきていたはずの意識は一気に急浮上した。どっ、どっ、と心臓の音が早まっていく。
ぴたりと背中にあった動きが止まる。私の背中には香奈の手の平の体温がしっかり伝わってきていて、それが分かるということは――
「……もしかして、起きてます?」
「……う、ん」
私の鼓動の音も、香奈に伝わるということだった。
「本当に、申し訳ありませんでした」
気まずさの中、背中にあった温かさが離れていく。きっと用意された自分の布団に戻ったんだろうけど、私は振り向くことができなかった。
それは初めて、二人でいて別々の布団で過ごす夜になった。
香奈の言葉に私の鼓動はなかなか収まらないまま、その気持ちの置き場は見つからなくて。さっきまで隣にあった温もりを、私は無意識に探していた。
「寝ててもいいって言ったのに」
「……あんまり眠れなくて」
早朝、作業場に顔を出すともうお母さんとお父さんは作業をしていた。
あんまりじゃなくほとんど眠れなかった私は、一階から音がしてきたタイミングでそっと布団を抜け出した。香奈は寝ているのかわからないけど、こちらに背を向けたままで、その様子はわからなかった。
「やることはたくさんあるから助かるわ。白玉お願い」
「わかったー」
新月に肝心なあんこはお父さんの担当だから、お母さんと私でその他のことをやる。手を動かしながらも、考えてしまうのはやっぱり香奈のこと。
だいすき、という言葉は間違いなく香奈の気持ちだった。以前から香奈とは一緒に寝ていたけど、私は寝るのが早いこともあって、思えば香奈が先に寝ているのを見たことなかった気がする。もしかして私が寝入った後、香奈毎回あんな感じだったのだろうか。私が起きる時間には香奈は先に起きてるし確かめようもない。
昨日の香奈の行動は、私にとっては別に謝るほどの事じゃない。けど香奈にとっては『私が寝ているうちにしていた』ことがばれてしまって、謝ったんだと思う。
別に夜這いをかけられたのでもないし、ただ私が過剰反応してしまっただけのことで――でもそれがいけなかったのかな。私の鼓動の早さを香奈がどう受け取ったのかはわからないし、やっぱりなにかフォローした方がよかった? でもあの状況で声かける勇気もなかったし。
「手、止まってるよ」
お母さんの声に、私はいつの間にか止まっていた手を動かす。考えていてもぐるぐると堂々巡りになってしまうから、今はとりあえず白玉と格闘することにした。
やがて香奈も起きてきて、お母さんが用意してくれた朝ごはんを一緒に食べる。昨日のことなんてなかったかのように香奈は話しかけてきて、そのメンタルの強さが羨ましい。私はいちいち意識してしまうというのに。
香奈のアルバイトは午前中までで、午後は家に帰ることになっている。午前中はお客さんが多くてなかなか忙しく、余計なことを考えないで済むからありがたかった。香奈をレジ専用にしてせかせかと動いているうちに、あっという間にお昼になってしまって、香奈のアルバイト体験は終了する。
「香奈ちゃんありがとう。これ、アルバイト代」
「勉強のためにお願いさせていただいたので、受け取れません」
「なーに言ってんの。今日なんて香奈ちゃんの方がミス少なかったよ。働いた対価はちゃんと受け取らないとこっちも困っちゃうから、ほら受け取って」
「……ありがとうございます。良ければ来年もお邪魔していいですか?」
「もちろんいつでもおいで! あゆみ、香奈ちゃん駅まで送ってやんな」
「わかった」
香奈は荷物を手早くまとめて、お母さんに手を振られながらお店を出た。お父さんも少しだけ手を上げて見送ってくれた。
家から駅までの短い道を並んで歩く。
「楽しかった?」
「はい、とても勉強になりました。大学生になったらアルバイトをしてみるのもいいかもしれません」
会話はそれきりなくなって、なにを話していいかわからないまま駅までの道を進む。駅に着くまでになにかを言わなきゃいけない気がしたけど、何を言えばいいかわからなくて、悩んでいるうちに隣で歩いていた香奈がいつの間にか立ち止まっていた。
「あゆみさん、また会ってくれますか?」
「な、なに言ってるの? 会うに決まってるよ」
「私のせいで今日はなんだかぎこちないので。もしあゆみさんが会い辛くなってしまったら、これが最後になるかなと」
想定外の香奈の言葉に、なんて言えばいいか分からなくなる。
確かに私達の距離は、昨日までの私達とは少し違う。でも昨日のことがもう会わない理由にはならないし、そんなこと少しも思わなかった。
言いよどんでいる私に香奈は少し笑ってまた歩き出す。
「もし、また遊んでくれるなら連絡してください。しばらく私からの連絡は控えようと思います」
そうじゃない、先を行く香奈に私は伝えなきゃいけないことがあって。
いつの間にか、香奈の腕を握っていた。
「あゆみさん?」
「香奈は……今でも自分の立場が『恵奈の妹』だと思っていない?」
咄嗟に出たのはそんな言葉だった。だけどそれが一番、香奈に言っておきたいことだったと気づく。
香奈は少し首を傾げる。
「だって、そうじゃないですか」
「違うよ、香奈は『恵奈の妹』じゃない」
私の気持ちが伝わるように、その手に力を入れる。
「香奈は『香奈』だよ。私の大切な……今は、と、友達! 私は『恵奈の妹』じゃなくて、ちゃんと一人の『香奈』として見てるから。それだけは知ってほしい」
それは文化祭の時にも考えたことだった。出会った当初は、香奈はやっぱり『恵奈の妹』で、私にとっては恵奈を挟んだ友達だった。だけど関係が続くにつれ、それは友達の妹への気持ちじゃなくて、ちゃんと『香奈』に対しての気持ちになっていて、香奈にそれを知ってほしくて。
私の言葉に、香奈の大きな瞳がきらめいた気がした。
「あ、あと、昨日のこともそんなに気にしてないし……少しびっくりしたけだけで」
「……腕、ちょっと痛いです」
「あっ、ゴメン!」
ぱっと手を離す、思いのほか私の手には力が入っていた。
「そうですよね、今は友達です。でも、それだけでは説明しきれない気持ちが私の中にあることも、分かっていただけますか?」
「うん、私も同じようなものだと思うから」
「……その気持ちがもし私と同じなら、とても嬉しいです。でもそれは、きっと世間一般的には普通じゃないですし、理解してもらうのが難しい気持ちだと思います。だから、お互いにもう少し考える時間を設けましょう。私も今までは目の前に大きな崖があったので、そこから一歩踏み切ることができませんでした。……今のあゆみさんの発言はその崖に橋をかけてしまったのですけど」
「……どういうこと?」
「あゆみさんも、もし私とまだ一緒に過ごしてくれるなら、覚悟を決めてくださいって話です。あ、先ほどの私からは連絡をしないというのはやっぱり撤回します。いつも通り連絡しますので、時間に都合がつくときはまた遊んでください」
そして足を止めていた香奈はまた進み始める。
「私は先に帰りますけど、あゆみさんは残りの期間、頑張ってくださいね。それでは、良いお年を。家についたらまた連絡します」
駅まではもうそんなに距離はなくて、香奈は手を振って曲がり角に消えた。
残された私は、まだ考えがまとまらなくて。きっと香奈が言うとおり、考える時間が必要で。
「……戻ったらこき使われるんだろうなぁ」
明らかに許容量以上の感情を、今はぜーんぶ後回しにして、実家へ戻ることにした。
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